『偶然の恋、必然の愛 2』

【9】
選択





 その日は朝からどんよりと曇っていた。

 朝食を終え、部屋に戻ったリィは重苦しく、今にも水滴を落としてきそうな空を窓越しに見上げながらため息を吐いた。


「どうした?」

 そんな自分の様子に気付いたらしい寝台に寝転び寛いでいた『今日の主役』に声をかけられ、慌てて振り返る。


「いえ、何でも…」

「隠すな」

 簡単に、穏やかに。

 だが逆らうことの出来ない一言にリィは何と答えるか考えるが。


「……水が集まり易くなるのは、ちょっと…」

 結局本音を吐かざるを得なかった。

 それでも直截的な言葉は言いたくない一心で言葉を濁した。

 しかし何を隠そうとしたのかを理解したカイルは「ああ」と何てことない様子で頷く。


「確かに、水系には有利になるかもな」

「カイルっ!」

 その脅威に一番に晒されることになる本人はどこ吹く風の様子で答えるので、さすがのリィも嗜めるつもりで声が大きくなる。

 そもそも、どうしてこんな日に寛いでいられるんだろう…


「そうカリカリするな」

 しかしカイルは穏やかな声音のままで。

「……」

「力が入りすぎていると、実力が出ないぞ?」

 その通りだ。
 自分が力を発揮できなければ、危機に陥るのはカイルである。

 事実を突きつけられたリィは全身の力を抜く努力をするしかない。

 が。

 椅子に腰掛けてみた。


 …座って何をすればいいのでしょうか?


 カイルと同じようにしてみればどうだろうと、寝台に転がってみた。


 …こんなことしていていいのでしょうか?


 結局窓際に戻って空を見上げて…ダメだ。


 ど、どうやったら力が抜けるのでしょうか?


 上手く行かず、余計にあれこれ考え込んでしまい、椅子・寝台・窓際を数分おきに巡る結果となってしまった。


「…何かしてないと落ち着かないか?」
 その様子に見かねたカイルに声をかけられ、リィはブンブンと音が鳴りそうなくらい大きく首を縦に振った。

「もう少し後でもよかったんだが…結界の準備をしに行こう。確かここん家の前に来るんだよな?」

「…はい」

 前日の聞き取り調査で魔物が現れるのは村長宅前だと聞いてあった。

 頷くリィによっこらしょと気だるげに起き上がったカイルは部屋の角にあった椅子に向かうと、背もたれ部分を手に取って肩に担いだ。


「行くぞ」

「は、はいっ!」

 置いていかれそうになったリィは慌てて頷いて後を追った。








 黄昏時――別名、逢魔が時。

 幾時も待たずして約束の時間が来る。

 昼食後より部屋に篭って計画の再確認や雑談をしていた二人は視線を交わし、時間だと無言で頷く。

 そしてそれを合図にカイルが 耳のピアスを外した。

 現れた色にリィは朝から固まっていた表情を崩し、本心からの淡い笑みを浮かべる。


「…お前、ホントにコレを気に入ってくれてるんだな」

「はい」

 苦笑して 目を指すカイルの言葉に大きく頷いた。

 こんな時に自分の好み云々を論じる時ではないことはわかっていたが、彼はリィの本心を知っているので今更取り繕ったりはしない。

 できることならずっと見ていたいというのが本心だったから…


 だが今はその時ではない。

 一度目を閉じ、ゆっくりと開くとリィはカイルの前に立って、両腕を伸ばす。


「神のご加護が」

 背伸びして、両腕をその首に絡める。

「ありますように」

 目を閉じた瞼に、頬に、そして…唇に。

 祈りを施して、腕を放した。


「行こう」

「…はいっ!」


 色違いであるが故に、悪目立ちするのを避けるためにとカイルが緑目に眼帯代わりの布を巻きつけるのを待ってリィは決意を込めた返事をした。


 村長から村人たちへ、家から外へ出ないようにと通達してもらってある。

 従って現在この村で出歩いている人間は村長及び主だった者たち、それにリィとカイルを合わせた十人にも満たない者だけだった。

 眼帯を片方にかけた『生贄役』は朝のうちに施しておいた村長宅前の広場に作った結界内の椅子に腰掛けている。

 俯くその様子は傍目に魔物に差し出されることへの恐怖と諦め――実際は敵を近づけるための作戦だが――に見える。

 カイルの目はリィが魔法で色を変えたとここにいる村長たちには説明してある。

 『大魔法使い』は村長の斜め後ろに陣取り、神経を四方に巡らせていた。


「魔物が現れましたら、彼が望みの者だと告げてください。もしも彼の周りにある結界、もしくは魔法は何だと問われたら、彼を逃がさないためだと言ってください」

「は、はい」

 視線は前を見据えたまま、小さな声で村長に言う。

「彼は魔物が近くに来るまで動きません。皆さんもそれまでは動かないようにお願いします」

 もう少し大きな声で、周囲の人たちにも聞こえるように告げた。

「ですが、ことが動き出したらここは争いの場となります。指示を出しますので速やかに建物に避難してください」

「…ですが、お二人だけでは…」

 チラッと振り返った村長にリィは小さく首を横に振る。

「僕たちは大丈夫。自分のことは自分で守れます。しかし周りにまで気を配る余裕は恐らくありません」

 村長は一応二人だけで大丈夫なのかと気を使ってくれたようだが、戦い慣れぬ者がいても邪魔になるだけだと言外に滲ませる。

「いいですね、合図をしたら必ず逃げてください…来たっ!」

 神経に触る異質な気配にリィはピクッと顔を上げ、視線をそちらへ向けた。




 現れたのは村人たちと大差ない風体の者が七人。

 しかしその内後方にいる四人はただの人間――操られているのか自らの意思かは不明だが――だとリィにはすぐに見分けがついた。

 何故なら前を歩く三人は力の気配を感じた上に、シーヴァ城での一件の際に見かけたような『二重映し』の姿になっていたからだ。


 でも、あれ? 向こう側の一人だけ、輪郭が二重になっていない??


 前を歩く三人の中で一人だけ異質な感触を受けたものの、それをじっくりと考える暇は、ない。

 リィはカイルに向かって前もって決めてあった合図通り三度小さく首を縦に振った。


「用意はできたか?」

 先頭に立つ者の問いかけに村長は恐怖心を露にして頷く。

「こ、この者が、お望みの者で…ございます」

 村長の打ち合わせ通りの言葉に、敵方の動きが止まった。

「…周りにかかっている魔法は何だ?」

 やはり気付いたようだ。
 リィは目元を一瞬引きつらせた。

「そ、それは……その者を、逃がさないための…」

 次に言うべきことを忘れてしまったのか村長の言葉が途切れ、双方に緊張が走る。


「あの、あの…」

「檻でございますっ」

 言葉を失くした村長の変わりに叫んだのはリィだった。

「……」

 本当はココで自分が目立つ仕草は避けるべきだったが、このままでは計画自体が破綻してしまう、そう判断したからだ。

 魔物たちの視線が一斉にリィの方を向き、緊張が高まる。

 自分が持つ力に敵が警戒心を向けた場合、予定より早くてもリィが攻撃をしかけることになっている。

 しかしその場合、大混乱になり周りにいる村人たちを無傷で避難させることは、おそらくできない。

 だがカイルに「お前が倒れたら、この村は全滅だ。多少傷つく者が出たとしても、お前は最後まで残らなければならない」ときつく言われているし、自分もその通りだと承知している。


 これまで、か…


 時間にすればほんの一瞬だっただろう。
 それが永遠にも感じられて、リィは攻撃を仕掛けるべく、手を上げようとした。

 が。

 リィを、そして村人全員を一通り眺めた全ての意識がまたカイルに戻った。

 リィに力があることは気付いたようだが、自分たちの方が人数で勝っているから気にする必要もないと判断したのだろう。


「なるほどな」

 結界のイミを取り違えてくれた一行は小さく鼻先で笑って生贄へと歩みを進めた。

 誰も声は上げなかったが、皆同時に息を吐いた。

「おい、お前」

 そんな村人たちの様子に気付いていないのか気にしていないのか、結界の一歩手前で歩みを止めたリーダーらしき者が横柄にカイルに呼びかける。

「顔を上げろ」

 しかしカイルは命令に反して振るえるように小さく首を横に振った。

「ちっ」

 舌打ちした先頭の者が苛立ちを露に無造作に結界に足を踏み入れると、カイルの顎に手をかけ力任せに上を向かせた。

 しかし。

「いい色だ」

「ま、まさかっ!?」

「カイルさんっ!!」

 嘲笑を含んだ声に重なるように後方の誰か、そしてその反対側から今聞こえるはずがない甲高い驚愕の声が響いた。

「何だ?」

 誰がどうしてそんな声を上げたのか、リィもそして魔物たちの方もわからなかったらしい。

 カイルの傍にいた者がとりあえず近い方の声を振り返った。

「下がってっ!」

 何がどうなっているのか今一つ状況が掴めないままだが、この瞬間が村人を下がらせ反撃に転じる好機だと感じた。

 が。

「まさか、お前がっ!?」

 声と同時に立ち込める水飛沫。


 え?


 リィの指示に村人たちは咄嗟には動けなかったようだが、すぐ我先にと後方の建物へと移動し始める。

 しかし敵方の誰かが更に予想外の声を上げた。

 そしてどこが起点か不明な水飛沫。

 避難と同時に攻撃に出るはずが、視界が不明瞭な上、その言葉に激しい戸惑いを覚えたリィの動きが止まる。


「リィ!!」


 はっ!


 叫びに近い呼び声に我に返ったリィは咄嗟に右手を突き出し、突風を起こし水飛沫を一掃してから火の術を唱えた。

「ギャァッ!!」

 炎は一人を捕らえ、火達磨にした。

 そして立て続けに火の壁を立ち上がらせて遠方にいた者の逃げ足を止めさせると同時に土の呪文で檻を作った。

 そこに捕らえられたのは敵方七人の内、後方にいた内の二人で。

 それから何故今ここにいるのかは不明だが、視界の右端にセビを抱きかかえるイリヤの姿。


「はぁ…」


 目の前から動くものがなくなって、リィは手を突き出した姿勢のまま大きく息を吐いた。

 視線だけでカイルの方を窺うと、結界の中と外にそれぞれ一人ずつ。

 カイルが隠し持っていた短刀で切り伏せられていた。

 そして組み敷かれたものが一人。


「コイツを頼むっ!」

 リィと一瞬目が合ったカイルはそれだけを叫んで村長宅正面から左手に伸びる通りへと走り出した。

「カイルっ!」

 当て身を食らわされて気を失っているだけらしい者を再び土の檻に閉じ込めてリィはその後を追った。

 通りを真っ直ぐ走って、突き当りまで来ると左右を見渡す。

 気配を感じる右手に向かいそして…少し高くなった畑の畦道の向こうに『見慣れた姿』と先程まではなかった『見知った姿』の二つがあった。


「カイル?」

 肩で息をしながら、より馴染んだ方に近寄った。

 少し手前で声をかけたが、動こうとはしない。


「…じゃ、ない」

「え?」

 並び、横顔を窺い見るといつ外したのか眼帯代わりの布はなく、色違いの目は真っ直ぐ足元を見ていた。

 呼びかけに答えてくれたようだが、言葉は聞き取れなかった。


「俺がやったんじゃ、ない」

「…え?」

 短い問いかけにもう一度答えてくれたようだが。

 何を言いたかったのか、さっぱりわからない。

 その目の前には、何かで切られ、血だらけの動かない身体が一つ。


「カイルじゃ、ない?」

 言葉の意味は理解できるが内容はさっぱり理解できない。

 傍にいたもう一人――村の外で見張っていた筈のカイルの部下の一人で名をテオドールと言う――に視線を向けるが、彼もただ困惑の表情で首を横に振るだけだ。

 カイルじゃないとすれば。


「では、誰が?」

 それに答えられる者は既に絶命していて、低く垂れ込めた雲から堪えきれなくなった冷たい自然発生の雨粒が地面に新たな染みを作り出していた。


 頬に当たる雨の冷たさに我に返ったのか、カイルはその場を部下に頼むとリィを伴って村長宅へと向かって歩き出した。


「…俺が辿り着いた時には、もう絶命していた」

「ではテオドールさんが?」

 理屈で言えばそういうことになるハズだが。

「いや、あいつは俺より数歩分は後だ」

 だから二人とも戸惑っていたのだ。

 二人とも手を下していない。

 数歩とは言え先に辿り着いたカイルが見たものは『出来立ての真新しい死体』だったから。


「…では突然の病気、とか」

「いきなり身体から血を吹き出すような、か?」

 それこそ理解の範疇を超えている。

 しかしそうでも言わなければ説明がつかない状況だったのだ。


「…答えは後で考えよう」

 歩みを止めず、カイルは懐から布を取り出し、また片目を覆うように頭に巻きつける。

 後頭部で結びながら顎をしゃくった。

「とりあえずあっちが先だ」

 歩きながらカイルが差す先には村人たちと対峙するセビの姿が。

 責められているらしい状況に二人は歩みを速めた。




「お前のせいで、皆がどれだけ困ったと思っている!」

 雨の中、声高に子供一人を責める声に周囲は肯定の頷きしか返さない。

 このままではこの子が全ての責任を背負わされることになるとその場にいた誰もが思ったその時。

「お前らにそれを責める権利はあるのか?」

 低く冷静な声が疑問を投げかけた。

「何っ!?」

 皆一斉に声の方を振り返った。

「コイツ一人に、全てを背負わせようとしたお前らに、コイツを責める権利はあるのかと聞いている」

「この村のことだ! 助けてもらったことは感謝しているが、部外者は口を挟まないでくれっ…高が弟子のくせに」

 最後に小さく吐き捨てられた言葉にカイルは鼻先で短く笑い、同様にそれが聞こえたセビは「あれ?」という表情をした。

「俺たちはコイツのおかげでこの村の状況を知ることができたんだ」

「え?」

「それに。お前は気付いているんだろ?」

 何を、かは言わなかった。

 しかしセビはその蒼い目でカイルを、そしてリィを真っ直ぐ見つめて一つ頷く。


「リィさんより、カイルさんの方が力が強い」

「え?」

 セビが何を指して『強い』と言っているのかわからない村人たちは戸惑うばかりで。

「皆さんには僕が大魔法使いだと名乗りましたが、それは嘘なのです。僕も魔力を持っていますし、最初に見せた魔法も僕の力ですが、本当は彼の方が上です。それに…」

「それを見抜けるコイツにも相当な力があるんだよ。なぁセビ」

 呼びかけてカイルは子供の前に肩膝をついた。

「お前ほどの素質があるなら、ちょっと修行を積めばサナトリアだろうがシーヴァだろうが、どこの王宮でも魔法使いとして諸手を挙げて迎え入れてくれる」

「それは僕も同意見です」

 サナトリアだのシーヴァだのの王宮と、ここで普通に生活している限り村長ですら夢物語にしか聞こえないような場所を引き合いに出され、村人たちは面食らっていた。

「俺たちはどちらの国の神殿にも魔法省にも伝手がある。お前にその気があるのなら紹介しよう」

「そんな」

「あの」

 自分たちが切り捨てようとしていた子供が、実は王宮に出入りできる程の稀有な力の持ち主だったと知って村人たちは慌てて取り成そうとするが。

「お前らちょっと黙ってろ」

 カイルの鋭い視線と声に一同口を閉ざさるを得ない。

「どうしたい?」

 セビの肩に手をかけて訊ねる声はこれまでで一番優しくて。

 思わずリィは声を上げそうになったが。

「僕は…」

 セビの声に慌てて口を噤む。

 カイルを見て、村人たちを見て、そして俯いて…

「行きます」

 小さな声だが、しかしはっきりと、そう答えた。

「それでいいんだな?」

 今度はこの子が村を見捨てるのだ。
 大人は誰しもそう考えたが。

「はい。そこで修行をすれば…守れるようになれる」

「え?」

「そうすればもしもこの村がまた誰かに襲われるようなことがあったら、今度は僕が守れるから。だからその為にちゃんと勉強したいです」

「セビ…」

「修行は厳しいぞ?」

「…頑張りますっ!」

「よし。お前をシーヴァの魔法省へ連れて行こう…異存はないな?」

 子供の清い決意に村の大人たちはただ頭を垂れ頷くと、小さな声で「すまない」と謝罪の言葉を述べた。

「あっ、セビ!」

 後方から聞こえた子供の声にセビは振り返り嬉しそうに振り返り駆け出した。

「マユウ!!」

 道にできたいくつもの水溜りを飛び越え、二人は手を取りじゃれ合っている。

 いつの間にか冷たい雨は止み、雲間から輝く星が見え始めていた。



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