『偶然の恋、必然の愛 2』
【8】
演技
「リィ、リィ…そろそろ起きてくれ」 毛布の中に顔を埋め丸くなっていたリィの肩を軽く揺するとぼんやりとした視点の定まらない表情で目を開けた。 「……え、あ、れ?」 寝起きでどういう状態なのか頭が回っていないらしい。 できれば寝かせておいてやりたいが、そういうわけにも行かない。 「疲れているだろうが、そろそろ準備しないと。出発時間が遅れる」 「…あっ! 申し訳ありません、昨夜は僕が火の番をすると言ったのに…」 カイルの言葉でようやく状況を判断したらしい。目をまん丸にして慌てて起き上がった。 「気にするな。俺が起きたのもついさっきだ」 …ウソである。 本当は殆ど眠っていない。 リィが起きていると申し出た時、一応寝たフリはしたが、意識はずっと起きていた。 だからリィが毛布をかけ枕を敷いてくれたのは知っているし、火の番をしながら眠ってしまったのも…知っている。 その彼を横たえ毛布をかけてやったのも自分だ。 だがそれはカイルの個人的事情からなので、ウソを突き通す。 「ですが…」 「ほら、今はそんなこと言ってる暇はないぞ。先に髪を結ってしまうから、向こうを向いてくれ」 何かまだ言いたいことがあるようだが、毎朝の行事を盾にするとリィは大人しく言うとおりにする。 「はい。…あの、カイル」 「ん?」 癖のない銀糸を梳って手の中に一つに束ねる。 「…済みませんでした」 「……何が、だ?」 その束を均等に三つに分ける。 「その…昨夜、突き飛ばしてしまって」 「……」 右の束を真ん中に、次に左の束を真ん中に、それを意識的に努力して同じ力加減で交互に繰り返す。 「それを謝らねばならないは俺の方だろ。…済まなかったな。悪ふざけが過ぎた」 「いえ…あの!」 「ほら、出来上がり。もう動いていいぞ」 先まで結った髪の先を紐で縛ってカイルはリィの背中を軽く叩いた。 それを合図にくるりと振り向いたリィが… 「え?」 ふわりと両手で首を巻きつけるように抱きつかれ、 「できるだけカイルのお役に立てるよう頑張ります」 それだけ耳元で告げるとそそくさと離れていってしまった。 ええっと…今後の決意表明(?)と昨夜の仲直り、というイミか? 悪かったのは自分の方だが? だとすれば――それ以外に考えられないのだが――何ともまぁ、おおらかと言うか天然と言うか……やられた。 どちらにせよ作為のない行動に、ノックアウトされたカイルはここで話を蒸し返すような行動をとるわけにも行かず、座り込まずにいるのが精一杯だった。 集落が見えてきたのは昼頃だった。 「あそこだな」 「そうですね」 野営地を発つときに三人とは別れているので、今は二人きりだ。 「…大丈夫か?」 自分が魔法を封じているせいで魔物の気配の探索はリィ一人に負担がかかってしまった。 少し前から表情があまり良くないのに気付いていたが、顔色を窺うたびに首を小さく横に振るので敢えて言葉にはしなかったのだが。 「大丈夫です。行きましょう」 これ以上先に進めば、引き返せなくなる。 それはリィも承知しているだろう。 できることなら宝石箱に閉じ込めて一筋の傷もつけたくないくらいなのだ。 そのくらい大事で大切で大好きで。 だがそんなことをすれば途端に輝きを失ってしまうのだ…この宝石(おもいびと)は。 無理とか無茶とか無謀なことは避けたいとこだが。 「頼むぞ、大魔法使いリーン」 思いとは裏腹に頷いて馬を進めた。 昼日中だというのに人影も疎らな村の中へ二人は馬に乗ったまま入った。 小さな村のことだ、さして進まぬ内に二人は幾人かの武器を――農作業に使う鎌や鍬、包丁といった類のものばかりだが――手にした村の男たちに取り囲まれた。 その表情は形の勇ましさに反し、どれをとっても怯えを含んでいる。 「何者だっ」 見慣れぬ風体の二人に誰何する声も武器を持つ手も震えている。 カイルは村人の行為は無視して馬から下りた。 カイルが一歩前に出ると、その分男たちが一歩下がる。 「この村では何か悪しき者の被害を受けているのではないか?」 大きくはないが良く通る声で訊ねると男たちの間に動揺が走った。 「な、何故それを…」 「このお方が仰ったからだ」 カイルが未だ馬上でフードを目深に被った人物を振り仰ぐと、小さく頷いたその人はフードに手をかけた。 その下に隠れていたのは…月光を紡いだかの銀糸と晴れた青空の瞳。 「このお方は都で御活躍の大魔法使いリーン様だ」 誰もがその名を知っていて当たり前の顔で厳かに宣言する。 それだけで人々の間にあった怯えた空気が戸惑いに変わったのを二人は確かに感じた。 もう一息、だな。 「信じられぬと申すのか?」 思い通りに進んでいることに内心ほくそ笑みながらも表情はあくまで不満を浮かべる。 誰一人『知らぬ』様子にカイルが苛立った表情を見せ、居丈高に述べるとそれだけで村人たちは先程までとは別種の緊張感を走らせた。 「いえ、そんなことは…」 誰ともなく口にするが、本当は知っているわけないのだ。 『魔法が得意なリーン』は確かに実在する。 だがその名は『大魔法使い』として世間に名を馳せた――極々限られた地域では稀有な使い手だと有名だったが――わけではなく、カイルも『何所の都』かは述べていない。 そう、カイルは『ウソ』は言っていないのだ。 全くのウソを尤もらしく吐き通すことは結構難しいものだが、そこに事実が一片混ざると途端に真実味を帯びる――これもカイルが師匠から教わったことの一つだった。 そんな限りなく黒に近い灰色を堂々と白と言い張るカイルに事実を知らない村人たちは疑うことすら考えず、ただ位の高い者の不興を買ってはいけないとそれまでにない怯えを感じさせたのだ。 だが。 「皆様がご存じなくても無理はありませんよ」 人々の緊張感を破ったのは他ならぬ『大魔法使い』の穏やかな声だった。 そして威圧的に振舞うカイルを視線だけで黙らせる。 「私はまだまだ若輩者ですから。…ですが、この地に奇禍を為す存在を感じました。それを晴らす一端を担えればとやって参りましたが…そうですね」 左右に視線を巡らせて人垣の向こうにある廃材と思しき小山を指差す。 「あれは何方かがご使用になられる物でしょうか?」 「…いいや」 誰も答えないままではいけないと感じることのできた者がようやく応えを返す。 「あれは用済みで、燃やしてしまおうと…」 「ならば構いませんね」 一つ頷き、右手をそちらへ真っ直ぐ伸ばすと…それまで火の気のなかった廃材の山が盛大に燃え出したのだ。 これには人々も驚いて目と口をあんぐりと開けたまま固まってしまった。 「このくらいは使えるのですが、いかがでしょう?」 訊ねてみたものの…魔法に慣れていない村人たちは誰も答えることができない。 凄いことは凄いが、魔法に慣れた者なら特別珍しいことでもないんだが、なぁ… 村人が驚くことは承知の上――それどころか、圧倒させるのが目的――での使用だったが、予想を遥かに超える『効果』にカイルは苦笑が漏れそうになる。 「…では、消しておきましょう」 反応がなかったことにやや不安そうな声と表情をしていたが、それに気付いたのは勿論カイルだけだ。 とりあえず延焼してはいけないので、『大魔法使いリーン』はもう一度何かを呟いき、その途端に白い煙を残して火は消えた。 「あの…」 「どうかこの村をお助けくださいっ!!」 まだ何か証明が必要かと口を開きかけたリィを遮る形で村人たちは手から武器を離し平伏した。 予定通り、だな。 馬上のリィをチラッと見上げ、カイルは小さく頷いた。 「うまく…できたでしょうか?」 二人は下にも置かぬ存在として丁重にもてなされ、村長の家に滞在することになった。 今まで村の主立った者たちから起こった出来事を詳しく聞きだしていたのだ。 だが案内された部屋で二人きりになった途端、リィは椅子にへたり込み、ぐったりとしてしまった。 「上出来だ」 相手の出方がわからないので細かい打ち合わせもできないまま始まった『小芝居』はリィの体力精神の両面でかなりの疲労をさせたようだ。 おまけに此処は魔物の気配が色濃く漂う地でもある。 疲労度は二倍にも三倍にも膨れ上がっているだろう。 カイルはリィの肩を労うように優しく叩いた。 「特にお前が俺を黙らせた辺りや、魔法を見せた辺りが最高だ」 頬の片側だけを上げてニヤッと笑うとリィも息を吐きながらくすっと笑う。 「あれはカイルの合図があったからできたのですよ」 「…俺、そんなのしたか?」 「ええ。僕は確かにそう受け取りましたから」 大きく自信たっぷりに頷くリィにカイルはこめかみを面映そうに――確かにそんな風に振舞って欲しいと思ったが、ここまで上手く伝わったことを褒められては反対に何やら恥ずかしいのだ――掻いた。 俺より、それをちゃんと受け止めてくれたお前がすごいと思うのだが… それを言ってもリィの性格上、納得せず堂々巡りになることを知っているカイルはこの話題を切り上げることにした。 「ま、とにかく。これで俺たちの素性は微塵も疑ってないだろうし、第一段階突破だな」 「そうです…ね」 カイルのお墨付きを貰いようやく表情を綻ばせたリィだが、すぐに表情が硬いものに変わる。 「あの、カイル」 「ん?」 「…違いましたよね、話が」 何が違ったのかと言うと『魔物が要求したモノ』だ。 彼らは『二の月が満ちる日に子供を要求されたが選ぶことをできず困っていた』と言ったのだ。 「ああ」 しかし二人は『事実』を知っている。 だからかなり苦い思いで――実際リィは反論しかけたがカイルに止められた――話を聞き続けたのだ。 「さすがに『紫目の者を出せと言われたから、それっぽくて養い手もなく文句も言えない手頃な幼い子供を差し出そうとしました。でもその子供に逃げられました』とはバツが悪くて言えないだろうさ」 「……」 カイルの言い方は容赦がない。 村人全員と子供一人の命を天秤にかけざるを得なかったが故の決断とは言え、それが本当だ。 しかも期限は明日である。 もしもカイルたちが現れなければ、彼らは他の生贄を差し出したことだろう。 「ま、それは置いといて。大人には大人の事情があるように、子供には子供の事情があるかもしれない」 「マユウですね」 セビが一度だけ口にした名だ。 親を亡くした後、助けてくれた隣人やその人物を助けたいが故に生贄になることを一度は受け入れたのだ。 名を挙げたくらいくらいだから、仲のよい友達だろうと二人は考えている。そんな子ならばセビのことも含めた村の状況も忌憚のない話が聞けるのではないだろうか。 感情としては『全て知っているぞ』とぶちまけてやりたい気もするが、それでは余りにも子供っぽ過ぎる。 それに 村を助けることができなければ、その命を代価に代えようとしたセビの勇気が無駄になる…! 部外者であり、大人の身勝手で傷つけられた心の痛みを知る自分が感情的になってはいけないのだ…絶対に。 「そこら辺、探ってくる」 急に口調を変えたカイルはため息を飲み込んだ笑みを浮かべて、リィを残して部屋を出た。 セビの家がある位置は本人から大まかにだが聞いていた。 近くまで行けば目印になる木が見えるらしい。 「あれ、か?」 村人たちは魔物に怯えているせいか、夕暮れまで間があるのに外を出歩く者はなく閑散としている。 おかげで誰にも場所を訊ねることができなかったが、小さな村だ。 カイルは自力でそれらしいものを見つけて近寄った。 「間違いなさそうだな」 門扉と言うほど大げさなものではないが、道と家の敷地の境界線となる木戸を開け中に入る。 小さな前庭の角に本人が言っていた白い花を咲かせている木があって、一番大きな枝に二本の縄が掛けられその先に小さな板切れがついている。 今のあの子には幾分窮屈だろうが、幼い頃に父親が作ってくれたブランコということだからそれも致し方ないだろう。 セビは毎日コレをどんな思いで眺めていただろう。 幸せの思い出と共に悲しみの象徴とはならなかったのだろうか。 …同じように自分も両親を喪って久しいが、懐かしむような思い出もないので特に悲しみも感じない。 幼くして両親を亡くした子供と、生まれながらに両親に見捨てられたも同然の自分。 どちらがより…… 「バカか、俺は」 何を考えているんだか。 詮無いことを考えてしまった。 カイルは自分に呟き、頭を横に振りその思いを記憶の彼方へと追いやり、今必要な情報を引き出す。 白い小花の木とブランコと、玄関脇の窓に掛かっている母親お手製のレースのカーテン、と。 訊いていた特徴と合致する。これがセビの家だ。 ならばその隣人があの子を世話してくれていたということだから… 左右を見渡すと、家の向かって右側は細い路地が走っている。 反対に左側は同じくらいの大きさの家が建っている。 ならばこちらがそう、か? 絶対とは言い切れないが、可能性が高そうな方に見切りを付けて突撃取材といくか…と動こうとした時。 「お兄さん、誰?」 子供の――ちょうどセビと同じくらいだろうか――甲高い声がカイルの動きを止めた。 「俺は、カイル。大魔法使いリーン様の付き人だ」 短時間でこんな子供にまで噂が広がっているかは不明だが、この村にいる限りはこの役名を――言ったところで理解できるかどうかはわからないが――突き通さねばならない。 「ぼくはマユウ」 セビの言っていた名前だった。 茶色い髪にくりっとした同じ色の瞳をした男の子で、見た目はあの子よりは1つ2つ小さいようだが、充分友達の範囲内だ。 こんな状況下故、セビのことを知っていると知られないように目当ての子供を捜すのは少々骨が折れると感じていたのだが、おかげで探す手間が省けた。カイルが内心安堵していると、 「えっと…セビの友達」 自分が肩書きを付けて名乗ったせいか、はたまたその本人の家の前だからか。どちらかは判別できないが、マユウは付け足した。 「セビいる?」 肩書き云々よりもセビもしくはその親の知り合いと思ったのだろう。 マユウは然したる疑問もない様子で扉を指差してカイルに訊ねた。 「いいや、いないよ」 ちらっと視線を左に逸らして平坦な声でカイルは答えた。 「…そう」 酷く落胆した様子からここしばらく出会えていないのだろうと推察する。 「仲良しなのか?…セビと」 「うん。でも、ちょっと前に急にいなくなっちゃった。どうしてだろ…どっかに行くなんて聞いてないのに」 その声色には『自分に黙っていなくなることなどありえない』と告げている。つまり 「キミに言わずにいなくなってしまったのか」 問いかけと言うより確認の言葉に、マユウは律儀に頷いた。 自分の意思ではない、というわけだ。 「セビはどこ?」 これはまた痛い箇所を突かれた。 カイルが居場所を知っているとわかっていて訊いたわけではないだろうが、実際カイルはそれを知っている。 しかし今は教えるわけには行かないのだ。どれほど親しくとも。 「さぁ、わからない。…済まないな」 小さく首を振って答えるも、端から解答を期待していなかったのか、マユウは特に落胆した様子もなくただ首を横に振った。 「ところでお前の家はどこだ? 勝手に出歩いたりしたらお母さんが心配するんじゃないか?」 この子が知らない可能性は高いが、親は村に何が起きているか――セビがいなくなった件は別として――知っているはず。 ならば子供が自由に出歩くのは禁じていると思うのだが。 「大丈夫。さっきお爺さまのところにお客さんが来たからお手伝いに行ってるの。だからちょっとくらいは大丈夫…多分」 勝手に出歩いたことを知られれば叱られることを承知しているのだろう。歯切れが悪い。 だがカイルが気になったのはそこではなく。 こんな時にこの村を訪ねてくるような人物が他にいるだろうか? 「村長の、孫か?」 それ以外に考えられずカイルが呟くと 「うんっ」 マユウは元気に頷いた。 じゃあ何か、村長たちはこの子とアイツが仲良しだと知っていて人身御供に差し出そうとしたのか? …いいや、他の誰かならよかったとか、そういう話でもないか。 自らが出した疑問に問題自体が間違っているのだと自分で突っ込みを入れる。 「もう帰った方がいい。きっとお母さんが心配している」 「う、ん。でも…」 それはわかっているが、素直に承諾できない理由があるのだ。 「セビを見かけたらキミに会いに行くように言っておくから」 「うんっ!」 ようやく納得したマユウは大きく頷くと、自宅の方へと駆けていった。 マユウが角を曲がって見えなくなるまで見送るとカイルは門扉を出て、隣家へと向かった。 しかしそのドアを叩くより早く扉は内側から開かれた。 「あの…」 「私は大魔法使いリーン様の付き人カイル。隣家のことについて話を聞かせて欲しい」 マユウと話している途中から視線を感じていた。 喋りながら気配の元を探るとこの家の窓だったのだ。 だからドアを叩くより早く開かれたとしてもカイルは驚かず堂々、というより慇懃無礼の態度を崩さず済んだ。 扉を開けたのは中年の女性だった。 「……はい」 あの場にいたのかどうかはわからないが、見ず知らずのカイルが魔法使いの付き人だと名乗っても女性は何故そんな人物が訪ねてくるのかと怪訝そうな顔はしなかったから、少なくとも自分たちの話は伝わっているのだろう。 「あの、ここでは何ですので…中へ、お入りください」 女性の妙におどおどした態度が何に起因するかは不明だが、急に訪ねたにも関わらずすんなりと招き入れようとするからには何らかの事情は知っているだろう。 カイルは鷹揚に頷いて中へ入った。 「あのっ、どうかあの子を…セビを助けてくださいっ。あの子はそんな、悪しき生き物ではありません! どうか、どうか…」 質素だがきれいに片付けられた気持ちのよい居間に案内され、席に着くなり床に額を擦り付けんばかりに懇願された。 これにはさすがのカイルも驚いて、慌てて彼女の前に膝を着き起き上がらせる。 「わかっている。だから救うためにもこの村で起きた出来事について我々は知る必要がある」 潤んだ瞳を真正面から覗き込んだ。 「教えて欲しい…全てを」 「…はい」 小さく、だがしっかりと頷いて彼女は前掛けの角で涙を拭った。 「悪しき者たちは…最初に村のあちこちを魔法で壊しました」 「何をどんな風に?」 「ええと…物置小屋を手も触れずに瓦礫の山にして、それから、大きな岩を砂のように粉々にしたと…」 「それは同じ者がやったのか、それぞれ別の者がやったのか?」 彼女は少し迷って首を横に振った。答えを持っていなかったらしい。 「現れた者の数は?」 「私はその場にいませんでしたので…」 「噂話でもいい」 これについても彼女は明確な回答ができなかったが、カイルが出した助け舟に少し考えてから答えを出した。 「三人とも、それ以上とも…皆逃げるのに必死で正確な数までは」 「だが十や二十といった『大量』という話は聞いていない?」 「ああ、はい。そんな沢山ではないと…」 そんな沢山出たという話は一度も耳にしなかったのだろう。 この問いにはしっかりと頷いた。 「破壊された物はまだ残っているか?」 「はい。あった場所に、そのまま…誰も手を触れたがりませんので」 「上等だ」 「え?」 「いや、こちらの話」 破壊現場を見れば向こうの手の内もわかる。 「それで、次に何をした?」 「…次に、食べ物を……」 「出したわけだな」 「はい」 「…それで終わりか?」 「……」 「本当に?」 「…の者を…」 「何を?」 「紫目の者を出せ、と…でなければ村人を一人ずつ殺してゆくと……」 「該当する者はいたのか?」 「いいえっ! そんな者はこの村にはおりません!!」 彼女は必死に首を横に振る。 しかし。 「ならば隣家の子供は何故連れて行かれた?」 「あの子は…セビは、濃い青色で、ただ…一番、それに近かった、それだけ、でっ…」 彼女の目から再び涙が零れ出す。 「本当に、ただの青色…なのにぃ!」 前掛けを顔に当て、彼女は嗚咽を漏らした。 「村、びと…全員、の……と、引き換え、だから…て……」 しゃくり上げる合間に述べる言葉はカイルにとって特に目新しいものではない。 「あんな、小さな…子、なの……私が、ほんと、の…親じゃない、からっ代わる…も、できな、った」 嗚咽の合間に聞こえる言葉を繋ぎ合わせたカイルの目が見開かれる。 「貴女は…」 「守りたかったのにっ!」 やっと聞きたかった言葉が聞けた。 泣きじゃくる女性が泣き止むのを待ってカイルはただ一言「助けるから」と言い残して彼女の家を後にした。 あの子は、マユウは損得勘定でセビと付き合っているわけではない。 そんな付き合い方ならば、見つかれば叱られるのを承知で家を抜け出したりはしないだろう。 逆は…あの時の様子からして言うまでもない。 セビは本気であの子を守りたがっていた。 どうやら同世代の子供たちはセビの味方でいてくれそうだ。 そして隣人の彼女。 両親をなくしたセビを我が子のように思っていた。 セビがもっと幼かったならば、本当にそうしていたくらいにあの子を想っている。 それ故、守りきれなくて罪悪感を覚えていた。 帰る場所は一応ありそうだな。 それを本人が望むかどうかはわからないが、全くの孤立無援ではないと知って心に溜まった澱のようなものが少し減った気がしてカイルは大きく息を吐いた。 魔物に破壊された場所を検分した後、カイルはリィの待つ村長宅へ戻った。 部屋に入るとリィはあてがわれた部屋の椅子に座り、ぼんやりと虚空を眺めていた。 「疲れているなら、横になっていればよかったのに」 声をかけるとはっとした様子で振り返った。 入ってきたことに気付いていなかったらしく、カイルはその疲れ具合が気になった。 「いえ、ちょっと考え事をしていましたので気付くのが遅れました。済みません…それに僕よりカイルの方がお疲れでしょう。今お茶をお淹れしますね」 にこりと笑ってリィは部屋を横切り、扉脇にある低い棚に置かれた丸い籠と布の塊を取り戻って来た。 「そんなのこの部屋にあったか?」 記憶を手繰り寄せるが、出て行く時にあったという記憶は…ない。 カイルの指す『そんなの』とはリィが準備している『お茶セット』のことだ。籠の中にはポットと器と茶葉の入った入れ物、それから布の固まりは蓋付きの大きな水差しに湯が入れられ、保温のための布が巻かれていたのだ。 『実家』にいる時ならば器以外自分で触ることもない品々だが、何もかも自分でできなければならない旅生活に慣れているカイルにとって珍しくもなんともない物だ。 ただ。 平伏して迎え入れられた時には確かそんなものなかったし、それこそ喉が渇いたなら呼びつければ誰なりと飛んでくるだろうに。 「いいえ。ただカイルがお出になった後、何度も様子伺いに来られるものですから心苦しくて…済みません、大魔法使いらしく反っくり返っていられなくて」 カイルが何を気にして訊ねたのかを正確に理解したリィがお茶を淹れながら苦笑して肩を竦めた。 リィも貴族の子弟ながら幼くして神殿に入り修行の身となったのだ。 やはりある程度身の回りのことは――向き不向きこそあれど――自分でする習慣がついている。 人に傅かれるのは慣れていなかったのだろう。 考えてみればこれから密談をしようと言うのに、しょっちゅう人の出入りがあったのでは話も進まない。 「ま、いいさ。お茶を淹れるのが趣味の大魔法使いがいてもおかしくはないだろ」 淹れたてのいい香りのするお茶を入れた器を受け取りながらカイルも笑った。 食事を作るのは苦手なのにお茶を淹れるのは得意という不思議な特性を持ったリィの淹れてくれた香り高いお茶を飲み終える頃に外で話してきた人物についての情報を――主観を交えず客観的に――一通り話し終えた。 「ではあの子は村へ帰ったとしても、味方になってくれる人はちゃんといるのですね」 聞き終えたリィは明らかにホッとした様子で息を吐いた。 同じことを気にしていたと知ったカイルは目を細めて笑みを浮かべ頷いた。 「アイツのことは…全てが終わってから本人に決めさせよう。その為にも無事解決しなければならないわけだが…」 言葉を切ってカイルは見聞きした情報全てを脳裏に並べた。 「大きな物置小屋をバラバラにしたり一抱えもある岩を砂に還したりしなければならないとすれば、どの方法を使っただろうか?」 『使用前』を聞き『使用後』を見ただけでは、その『過程』がどうにも特定しきれなかったのだ。 もしも自分に同じことをやれと言われた場合、その方法にいくつか選択の余地が残っていたのでカイルは迷っていた。 「現場を直接見たわけではないので、断定はできませんが…」 「可能性の高い方でいい」 「答えを出す前に。やった直後の現場はどうなっていたのでしょう? 壊した物の破片が遠くまで飛び散ったとか」 リィが何を気にして訊ねたのかに思い至ったカイルは首を横に振った。 「それについてははっきりとした証言が得られなかった。だが、細かい破片もその場に残っていたし、誰も手を触れたがらないとのことだった」 風魔法を利用して物を壊すことは簡単にできる。 しかしその場合、壊された物は全部とまではいかずとも吹き飛ばされるのが通常だ。 だからカイルはその可能性をさっさと捨ててしまったが、現場を見ていないリィがそれを気にするのは当たり前だった。 情報を伝え零していたことを目線だけで謝り、それを受けたリィも無言で小さく首を横に振った。 「でしたら、水系のものが一番簡単だと思います」 「時の魔法、ではなく?」 自分ができる中で同じ結果を得られるせいで、可能性を捨てきれずにいたのだ。 建物でも岩でも、時間が経てば朽ち果ててゆく。 カイルが問うたのは物を限定して時間を進ませる魔法だった。 「それでもその効果は得られるでしょうが、手間がかかりすぎます」 リィはあっさりと否定した。 「人と魔物が同じ手順を踏まなければならないのかがわかりませんので明言はできませんが、対象物から水分を奪えば同じ効果か得られますし、その方が簡単だと僕は思います」 対象物から水分を奪う方法は水系としては上位に属する。 対して対象物の時間を進ませる方法は時間魔法としては中位だ。 だから迷っていたのだが、リィはあっさりと水を支持した。 自分は持って生まれた力の大きさ故に何となく扱えるが、魔法を正式に習っていないのでそこら辺りの細かいことを知らないのだ。 カイルは頷きながらリィの答えを情報として記憶した。 「火を使った可能性は?」 コレも多少気になってはいたのだが。 「それも見ていないのでわかりません。ですがカイルは焦げ跡について言及されませんでしたし、焦げ跡を残さず火を使ったとなればそのような結果を出すまでに時間がかかりすぎるでしょう」 リィの指摘と同じ理由から可能性は低いと思ったのだが、一応聞いてみただけだったのでカイルも軽く頷いただけで火の使用はなかったと可能性を破棄した。 「ならば、水系が得意と見てよさそうだな」 「ですが魔物は複数現れたのでしょう?」 全部が水の使い手とは限らない。 「他の奴が別の魔法を得意とする可能性もあるが…やはりこんな場面では使用する魔法に結果が出るまでの時差は殆どないと思う」 人々は魔法で壊された小屋や大岩を見て逃げ惑ったのだ。 恐怖心を植えつけるためには、結果は素早く見せ付けなければならない。 つまり『発動までに時間のかかる大技を使用するとは考えにくい』というわけだ。 カイルの考えに納得したリィも頷いた。 「それに、こんな場合、リーダー格が前に出ていたと思うんだ。魔物に地位の高低があるかは不明だが、能力の高低はある」 リーダー格が他の者より著しく能力が低いとも考えにくい。 その辺も考慮に入れて出した結論は。 「お前そのレベルの攻撃系のものなら他の系列でも使える、だろ?」 リィが所属していたのは神殿なのでどちらかと言えば『攻撃系』は不得手のはず。 しかしカイルはリィが魔法省に席を置いていてもおかしくはなかったくらいの使い手であることを知っていて敢えて訊ねた。 聞かれたことに対して思案顔になったが、それもほんの刹那の間だった。 カイルの問いかけにリィは肯定の頷きを小さく返す。 だから何系が出てきたところで油断さえしなければ問題ないのだ。 「水に水とか、風の魔法で対抗したところで効果は小さいが、火ならばそれなりの結果を得られる。それに火を小さくしても上手く風を同時に使えれば効果は三倍にも四倍にもなる」 カイルが言いたいのは大きな魔法を一つ使うより、小さな魔法を同時に二つ使う方が効果が大きいこともある――勿論、他の方法では代用の利かない大技もある。 代表として、カイルの使えない治癒系などがそれに当たる――と言うことだった。 ただしコレは一般的には流通していない使い方だし、使用する本人のセンスや集中力を要する作業なので教えたところで使えない者の方が圧倒的に多いのだ。 つい先日『姿変え』というちょっと特殊な魔法に『風』の魔法を同時にかけることでかなり大きな効果を得られると実践でやってみせたばかりだったが。 「ええ。それは先程練習代わりに使用してみました」 「先程って…もしかしてさっきのアレ、か?」 ニッコリと笑みを浮かべながらあっさりと答えられ、さすがのカイルも言葉を失った。 アレとは村に入った時にやってみせた奴のことで…てっきり大きな火を使ったのだと思っていたのだが。 「はい。火は竈に入れる程度にしましたが、そこに焚き熾すための風を送ったんです」 嬉しそうだ。 確かにリィなら複数の魔法を同時にかけるくらいちょっと練習すれば簡単にできるだろうとは思っていたが、やり方を聞いただけでいきなり大勢の人を前に本番をやってのけるとは… 「いい度胸してるよな」 「はい?」 呟くと同時に吹き出しそうになったが、聞き返されて慌てて真顔に戻る。 「いや、何でもない。では消したときは?」 「あれは単純に大量の水を集めただけです。合せ技のいい方法を思いつきませんでしたので」 とても残念そうである。 どうやら合せ技を試してみたくてしょうがなかったらしい。 本当に魔法が好きなんだな… この一件が終わったら新しい合せ技の開発も兼ねてリィと色々試してみるのも面白そうだ。 これまでその見た目の特徴故、代替案のないときの実用一点張りでしか使用しなかった魔法を興味の対象として見ることができそうでカイルはちょっと嬉しくなった。 だが。 「魔法のことはちょっと置いておいて」 今、考えるべき問題は他にもある。 「奴らが出てくる日のことだが」 「あ、はい」 リィも表情を改めた。 「油断させるためにも、やはり生贄役が必要だと思うんだ」 「…はい」 「俺がやるからな」 「ですがっ!」 「お前は目立たないように他の人と一緒にいろ」 「カイル!!」 「お前のは、どっから見ても青だから…だから、コレは外しておく」 コレと左耳を指差す。 それが何を意味するか知っているリィは反論するための口を開けたが声を出さずに閉じた。 「それで、だ。外した場合、色はいいんだがそうすると力がありすぎて警戒されかねない」 「……確かに」 幾分躊躇った後、リィは頷いた。 リィのように大きな力を持つ者に慣れていても、素のカイルには目がいってしまうだろうから。 これがもし敵方であったなら一番に警戒しなければならないと思って当然だった。 「仕方ないから俺の周りにだけ魔力を封じる結界を緩く張っておこうと思う」 「緩く、ですか?」 カイルがやろうとする『結界魔法』は理解できる。 だが何故レベルの低いモノなのだろうか? リィの視線はそう訊ねている。 「俺の場合、力の源がココだから、完璧なのを張ってしまったら、色が紫に見えなくなるんだ」 ココ、と左目を指差す。 過去に実証済みなのだ。 完璧な結界の中にいれば、その色はくすんだ黒に見える。 だが、目の色を変えるために結界の中にい続けたのでは、牢屋に閉じ込められているのと同じだ。 だからこそカイルの兄レオは自由を損なうことなく色を変える方法を探し求め、結果このピアスに辿り着いたのだ。 「ぎりぎり近づくまでは俯いて見えにくくするが、とりあえず紫だと言い張れて、尚且つ警戒されないレベルの力に抑えなければならないわけだ」 「成程!」 理由を教えられ、リィはその必要性にいたく感心したようだ。が。 「あ、ですが」 「何だ?」 「その結界に警戒されないでしょうか?」 その疑問も尤もだ。それ故、答えもちゃんとある。 「結界魔法は特殊だからな。外から見ただけでは何を包み込むための魔法かは外から見ただけではわかり難い、だろ?」 「ええ」 「だからそこを指摘された時はだな…」 ちょいちょい、と指先を曲げて耳を貸せと呼び寄せる。 近寄った耳元でカイルが囁いた言葉にリィは感心した様子で大きく頷く。 「ま、言葉だけで説明するよりもやってみせるから。どう見えるか感想を聞かせてくれ」 「…はいっ!」 こうして前夜を魔物に対抗するための準備に費やし、当日を迎えた。 |
9へ |
*偶然の恋、必然の愛 TOP*
*裏桃TOP*表桃TOP*
©Copyright Mei Tomonaga 2007. All rights reserved.