『偶然の恋、必然の愛 2』

【7】
距離





 セビに自分たちが傍にいない間「彼が守ってくれるから」とイリヤと引き合わせた後、宿場街を発った。

 ただリィは離れる間際に

「絶対に助けますから」

 と笑顔で頷いて見せ、ぎゅっと抱きしめた。

 そして「イリヤさんならば何を話しても大丈夫だけど、他の人には内緒だよ」と耳元でこっそり付け加えておいた。

 これから来る人たちも含めてカイルの部下たちなら、皆カイルの事情は知っているだろう。

 しかし人数が多くなればセビも混乱するだろう、と言うわけで話すのは彼に限定してもらうことにする。

 イリヤならばカイルのことを知っている。
 魔法や魔物についての知識もある。

 しかし世間一般普通の人はそうはいかないのだ。
 たとえ噂や憶測でも人を介するうちに「嘘」が「事実」に昇格する例があることをリィは知っている。

 だから話の根源になることだけは絶対になって欲しくなくて、出すぎたまねになる――当の本人が何も言わなかったから――のを承知でそれをセビに告げた。

 リィの言葉をどれほど理解できたのか不明だが、頷いたセビの頭を撫でてからカイルの後を追った。





「やはり子供は苦手だ」

 追いつくと一度だけチラッと振り返りすぐにまた前を向いてしまったカイルの呟きが聞こえた。

「え?」

 あれ程気にかけていたのに?

 その真意が良くわからなくて聞き返してみたが。

「行くぞ」

 答える気はないらしく、無視されてしまった。

 こんなのは…初めてだ。
 いつもは聞いたことにはちゃんと――気付けば質問内容をはぐらかされていることも多々あるが――答えてくれるのに…

 問いただして真意を尋ねたかったが、人命が掛かっている今そんな余裕は残念ながら、ない。

 後にしよう。

 終わったらちゃんと聞こうと決め、この場は保留とした。





 お互い駆け通しの馬上では話をすることもままならず。

 ろくに会話を交わすことなく1日足らずで街道との分岐点である川原に戻った。急いではいるものの、もうすぐ夕暮れ時だ。

 焦って馬を進めても大して行かないうちに立ち往生するだろう。

 リィですらわかることをカイルが見落とすこともなく。

「今夜はここで野営だ」

 その一言で皆詰めていた息を吐いた。


 馬を下りた一行は、馬を世話する者、火を熾す者、食事の準備をする者、結界を張る者等に分かれて作業した。

 上司であるカイルの指示を仰ぐことなく、である。

 気がつけばリィもこの五人の中で率先して必要な作業の中から自分で選んで結界を張る準備をしていたくらいだ。

 これが『経験』と言うものでしょうか。

 後々冷静に思い返してリィは言葉の必要性と不必要性を面白く感じたものだ。

 特別なことでもなかったのに、印象に残る出来事となった。



「このまま上流へ向けて進むが、三人は村に入らず周りを固めて欲しい」

 食事を済ませると、カイルはようやく今後の予定を語りだした。

「こちらの力が強くなりすぎて敵が出てこなくなると困るからな」

 カイルの口調はやや呆れたものになっていたが、それも致し方ないとリィは思う。

 連れてきた三人も、もしも敵だったら厄介だと思う程度に力を持っていた。
 つまり味方ならば頼りになることこの上ないのだが。

 自身の持つ力を過信するわけではないが、自分と力を解放したカイル、そしてこの三人の五人を前に何の警戒心もなしに戦いたいと思う者が――力を感じ取れる者限定だが――そういるとは思えない。


「敵の数ははっきりしていないが、子供の話では村人の数は百人程だという。ならばそう沢山は現れないだろうと踏んでいるが、残らず狩ってしまわねばならないからな。一日踏ん張れば援護が来る。それまで単独行動になるが、頼む」

「かしこまりました」

 三人の中で一番目上の者が代表して答え、後の二人は揃って頷く。

 もしも自分がカイルの部下だったなら、同じように承服しただろう。
 こんな風に上司に頭を下げられて、不満を述べる部下がいるだろうか。

「で、俺たちだが」

「はい」

「リィは村に魔法を使える者はいると思うか?」

「魔法を、ですか?」

 役目を振られると思いきや、想像外のことを訊かれリィは戸惑った。
 だが。

「……大きな力を扱える者はいないと思います」

「理由は?」

「セビがそれを言わなかったから。そして何よりあの子が村に残っていたからです」

 子供を農作業の足しにでもするために村から出さなかったという考えもなくはないが…まだ子供の力ではできる作業も高が知れている。

 ならば数年かかろうともその手の機関に預け、一人前の魔法使いとして育てるほうが村にとっても何かと有益なはず。

 なのに誰もそうさせようとしなかったということは、セビの持つ資質に気付いていないからに他ならない。


「だな」

 簡単な返答と小さな頷き。

 たったそれだけだがカイルが出した答えと同じ道筋で答えを出したとリィはわかった。

「俺もそんな風に考えた。だから俺たちは魔法使いとその弟子でいこうと思う」

「魔法使いと弟子、ですか?」

 どちらがどの役割かと言うと。

「魔法使いとその弟子、な」

 魔法使いがリィで弟子がカイルとニッと唇の片方だけを上げて指を指された。

「ですが」

「俺はできる限りコイツを外さずやるつもりだから」

 カイル程の力の持ち主に弟子役は無理だと指摘しようとしたリィを遮って彼は今回は嵌めたままの緑のピアスを指先で軽く弾いた。

「すまないがしばらくは囮役になってくれ」

 つまりリィが敵の目を惹きつけている内に隙を突いたカイルが叩く、という戦法だろう。

 その提案に否やはない。
 だからカイルに頭を下げられて慌てたが。

「承知致しました」

 先程の例に倣ってリィは頷いた。

「村人たちは自分たちの安全を買うための代価を失った。他に代えられるようなものがあれば話は別だが…まぁ、今頃は揉めてるだろう」

 選ばれてしまえば、その命は保障されないのだから。

「そこへ対抗手段になりうる『高名な魔法使い』が現れたなら、諸手を挙げて入れてくれると思わないか?」

「ええ、それはそう思います。しかし、カイル」

「何だ?」

「高名なって…どなたの名前をお借りするのですか?」

 自分でも知っているような高名な魔法使いの振りなど、たとえ人助けのためとは言え、おこがましく感じてしまう。

 シーヴァの『銀の巫』もその条件に十分値するが、困ったことに当の本人がその事実を認識していない。

 そのため誰の名を騙らねばならないのかとリィは眉根を寄せている。


「いいや。そんなこと必要ない。それらしく振舞えば十分だ」

「それらしくと言われましても…」

 誰かの名を騙らなくてもいいのはよかったが『それらしく』も自分にとって難しいと感じるリィはまだ難色を示す。

「大丈夫。お前は俺の合図で見た目に派手な魔法を使ってくれればいい」

「見た目に派手…それだけで、いいのですか?」

 要求された出来事があまりにも簡単なことだったので拍子抜けした。

 誰かの名を騙ることもなく、難しい演技も必要としないなら、魔法の一つや二つ――どころか、十や二十でも構わない――リィにとって朝飯前だ。


「ああ。シーヴァの神殿では高い地位にいたお前でも、今活躍している魔法使い全ての名を知っているわけではあるまい?」

 確かにその通りだ。

 リィは偶々力を多く持って生まれた――そして知らなかったが特殊な血筋――故にシーヴァの神殿に入り、年齢の割りに高い地位にいた。

 そしてシーヴァで学んだ者はその国の特性で他国より力に長けた者を輩出することが多いが、だからと言って現在名高い魔法使いと呼ばれる者全てがシーヴァで学んだわけでは勿論ない。

 カイルの言う通り名を知らぬものがいて当たり前だ。

 リィは無言で小さく頷く。


「専門家のお前がそうなんだから、問題ない。お前は俺が何を言おうとも、平然と構えていてくれればそれでいい。後は俺の役目だ」

 揺らぎのない緑の視線。

 そして自信あり気に自身の胸を指すカイルに――どのように言い包めるかは不明で、多少気になるところだが――任せて大丈夫だと確信した。


「カイルにお任せ致します」

 リィの納得にカイルも頷き返す。

「魔法使いが人目を惹きつけている内に、弟子が情報収集をやる。こんな感じでやるつもりだ」

 大雑把な説明だ。
 しかしそれすら状況によっては臨機応変となるだろう。

 だがそんなこともカイルがいれば平気だと思えるから不思議だと思う。


「あまり細かいところまで決めてしまうとズレた時に動けなくなるからな。後は敵の出方次第、と言うわけで。明日も早い。そろそろ休もう」

「はい」


 朝まで散開となった。


 散開と言っても点でバラバラ好き勝手にやってよい、という意味ではない。

 男五人で結界に覆われた一つの焚き火を一晩囲うのは狭苦しくないか? と準備段階でカイルが言ったので、休むための焚き火及び結界を二つに分けたのだ。

 カイルと二人で火を挟んだまま特に言葉もなく佇んでいた。

 カイルがすぐ傍にいる気配は意識すれば感じることができる。

 なのに――自分がそうなるようにと張った結界だが――すぐ近くにいるはずの三人が見た目どころか気配すら全く感じないのが不思議な感じがする。


「眠れないのか?」

 不意に出された声にリィは俯き加減だった顔を上げた。

「え? いえ、そうではありませんが」

「あいつらが気になるか?」

「いいえ…いや、この場合は、はいなのかな?」

「どっちだよ」

 リィのはっきりしない答えにカイルはクスクス笑い出す。

「…自分で張った結界だから、その効能はわかっています。でもすぐ傍にいるはずの皆さんの気配を感じないのが不思議な感じで」

「なるほど、な」

 ちらっと三人がいるはずの方に視線を走らせたカイルは手元にあった棒で焚き火を突いた。赤い炎が、少し揺れる。

「ならばちょっと壁の分厚い宿屋にでも泊まっていると思えばいいさ」

「それは、まぁ、そうなんですが…」

「が?」

「コレ、前に張ったのと同じなんです。でも…」

「でも?」

「僕にはすぐ傍にいるはずの皆さんの気配は感じません」

「そうなるようにしてあるからだろう?」

 そうなるようにしたのは他ならぬお前だろう、とカイルの視線も言っている。

「ええ」

「ならば、何が気になる?」

「……気になるというわけではありません」

「ならば、何を考えている? 俺が大人しく訊ねている内に吐いた方が身のためだぞ?」

「何ですか、それは」

 カイルの妙な脅し(?)にリィはとうとう笑い出した。

「…ただ、セビはこの結界に気付いたんだな、と思いまして」

 自分が張った結界に『何となく、もやもや』レベルであれ気付いたあの子の潜在能力がリィには気がかりだった。

「できればちゃんとした教育を受けさせてあげたいと…」

「アイツが望むなら、そんなこと俺やお前の名をいくらでも使えばいい。いや、あれだけの素質があるなら、後見人すら必要ないだろうに」

 多少なりとも後々まで面倒を見る気はあるようだが、突き放すような口調にリィは思い切って気になっていたことを訊ねることにした。


「…カイルはあの子がお嫌いなのですか?」

「別にそんなコトは……何故、そう思う?」

「必要以外の話を殆どされませんでしたし、それに…」

「それに?」

「宿を発つときに仰ったでしょ『子供は苦手だ』と」

「そのことか…理由は簡単だ」

 言葉を切ってカイルは立ち上がり、音を立てずにこちら側へ回ってきた。

「子供だからってお前にずっとへばり付かれたのでは、ちょっとくらい腹を立てても仕方ないだろ?」

 そしてリィの前に跪くとその背に手を回し、耳元で囁く。

「俺だっていつだってお前とこうしていたいんだ」

「な、何ですか、その理由はっ」

 耳元でぼそぼそと喋られてくすぐったさに首をすくめた。

「俺にとってはかなり切実な問題だぞ?」

「んっ」

 言うと同時にピアスの横を甘噛みされた。その途端背筋を走った甘い痺れに驚いてリィは無意識にカイルを突き飛ばしていた。

「もうっ、こんな時に冗談言うくらいなら、早く休んでください!」

 声高に言うと、今度はリィが火の反対側へ回りこむ。

 が、そこに立ってようやく自分がカイルを突き飛ばしたのだと気付いた。

「今夜は僕が起きています。だから…」

 カイルとは目を合わせずにリィは力の入らない、何だか痛いような気もする手のひらをぐっと握り締めた。

「…わかった」

 それだけ答えるとカイルは横になり自らのマントを毛布代わりに目を閉じてしまった。



 足の力が抜けてその場にぺたん、とへたり込む。

 どうして突き飛ばしたりしてしまったのだろう。

 握り締めていた指をゆるゆると開くと手のひらに赤く爪の痕が残っている。

 カイルのことを全身で拒否するような態度を無意識に取ってしまったことにリィは愕然としていた。

 カイルのことが大好きで尊敬しているのに……

 なのに、そのカイルがこんな大事なときにふざけるから…あ、そうか。質問に真面目に答えてもらえなかったから、腹が立ったんだ!

 理解が追いつく前に行動してしまったせいで混乱したが、よくよく考えるとカイルが悪い。


 もうっ、さっぱりわからない!


 カイルが何を考え、どう思っているのか…わかるときもあるけれど、今夜は特にわからない。

 どうやらセビに――もしかしたら『子供』全般かもしれないが――対して何かしら思うことはあるらしいと、それだけはリィにも感じ取ることができた。

 しかし思い切って理由を訊ねてみれば、こんな風にはぐらかされてしまう始末で。


 それほど僕には言いたくないことなのでしょうか?


 誰にだって言いたくないことの一つや二つあるだろう。
 それは仕方がなく、当たり前なことだ。

 でも。

 僕が考えていることなら全てお見通し、それどころか僕が気付いていないことまで指摘してくれると言うのに…


『挫折したことないだろ』


 あれには驚いた。言われるまで全く意識していなかったのだ。
 なのに言われてみれば全くその通りで…

 僕は本当に恵まれた境遇に在ったのですね。

 本当の両親、特に母はリィを私生児として産み、そのまま亡くなった。

 そのような場合子供はそれだけでもう生きていくことに不自由することが多いのに。

 だが母子の周りには二人を受け止められる――精神的にも経済的にも――だけの友人たちがいた。

 育ててくれた両親が血の繋がりがないと知ったときでさえ、然程心が乱れることがなかったのは、二人がそれだけの愛情を注いで育ててくれた証拠である。

 おまけにリィ自身、希望や努力ではどうにもならない得難い力を持って生まれた。

 言われた課題をこなすことができなかったことがあったという記憶が…本当にない。

 そんな幸運が重なって、自分は大きくなった。

 恵まれた環境に育ったことに罪はない。
 だが、その状況に胡坐をかき、自ら向上しようと思う心を持たなかったのはどうだろうか。

 努力を怠った結果が今カイルとの間にある経験値の差となって突きつけられているんだ…

 小さくため息をついて、数歩分の距離を置いて自らの手を枕に横になっているカイルの顔を眺めた。

 普段は砕けていて接しやすく、でも必要とあれば高慢にも上品にも振舞うことのできるその表情は、目を閉じているせいか何の感情の色も見えない。ただ端整なだけの作り物めいてさえ見える。

 宿では大抵リィの方が先に眠ってしまうし、野宿の際もこんな風に眠るカイルの顔を眺めたことがなかったからだろうか?

 わからない。けれど…今は何だか、カイルが遠い。

 もっと、もっと、近くにいたいのに……


 見れば見る程、王弟殿下という肩書きを抜きにしても自分とは遠く懸け離れた存在に思えてきて、心臓の辺りが締め付けられる。

 望みが身分不相応な願いだと思い知り、リィは立てた膝に顔を埋め唇を噛み締めることしかできない。


 僕は彼の隣に立つ存在になれるのでしょうか?


 カイの、ではない。カイルの、だ。

 だがその答えを得るためには結果を出さねばならない。


 …頑張ろう。


 頭をあげ小さく頷いた。

 何も手立てが残されていなくて嘆くことしかできないなら、離れてしばらく泣き暮らすもいいだろう。

 だが今はそうじゃない。
 やらねばならないことも、できることもまだあるはずだ。


 まずは毛布と枕、かな?


 マントに包まるカイルに――それだけではいくら火を焚いていても風邪を引いてしまうだろう――荷物から毛布ともう一枚布を取り出した。

 毛布は身体にかけ、布は小さく畳むとカイルの頭を少し持ち上げて腕の代わりに差し入れる。

「おやすみなさい」

 小さく呟いて元の場所に戻った。



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