『偶然の恋、必然の愛 2』

【3】





 シーヴァ王宮を出て3日目に街道沿いの小さな宿場町に辿り着いた。

 ここはシーヴァと他国を結ぶ要の道となっているので、規模は小さいながら人出はそれなりにあった。

 この3日間、何事も起きずまずは安泰と言えよう。

 ただし今回の旅の目的はこちら方面で魔物の被害が出ているという噂が元なので、何もないのがいいとも言い切れないのは矛盾した話なのだが。


「今夜はここで宿を取ろう」

 まだ陽は高い。前に進むには十分明るかったが。

 助けを求める人がいるなら早くその場へ赴かねばならない。

 けれど現状ではこれ以上急ぎようがない。
 前回の旅で闇雲に前に進もうとするのだけが最善ではないと学んだばかりだ。

 それに噂を直に聞いていない上に旅慣れないときては行き先や行動について口を出す資格がないとリィ自身思っているので否やはない。

「さーて、どこにするかな」

 小さいとはいえ宿場町である。ぱっと見ただけでも宿は数軒見える。
 のんびり口調で物色しているが。

「あそこにするか」

 しばし眺めた後カイルが足を向けたのは極々普通の、リィが見ても「庶民的」とわかるレベルの宿だったので慌てて止めた。


「あの、カイル…」

「ん、どうした? 他のとこがいいか?」

 リィが止めたのをそう解釈したカイルは左右を見回し別の宿を探し出す。

「いえ、そうではなく…」

 普段は忘れがちになるのだが。

「あの、僕に合わせて下さらなくてもいいですよ」

「何の話だ?」

「何なら別々に泊まってもいいですし」

「はあ?」

 リィが何を言いたいのかさっぱりわからないらしいカイルはただ口をぽかんと開けている。

「だから、その、王弟殿下なわけですし…」

 前回の旅の前半はその事実を知らなかった。
 後半はそんなことを考える余裕がなかった。

 そして今回、昨日までは二人きりの野宿だったので選択肢がなかった。

 そう、身分を隠していてもカイルの兄はサナトリア王なのだ。

 その弟である彼がわざわざ庶民的な宿に泊まろうと言い出す理由は自分にしかありえない。

 リィ自身も貴族の出であるにも関わらず、神殿暮らしが長かったからか本人はソレを自覚していないので問題外だ。

「あのなぁ…」

 だが、やっとリィが何を言わんとしているのか想像のついたカイルは思い切り肩を落としてため息をついた。

「ソレはカイであってカイルじゃない。カイルはサナトリア出身の傭兵だ」

「え、でも…」

 だから、それは「都合上、仮の身分なのでは?」と言い返そうとしたリィの目の前に1枚の書類が出された。

 名前:カイル・ブレンニ
 出身:サナトリア
 職業:傭兵

 その他諸々。要するに関所等で必要な「身分証明書」なのだが。


「か、カイル、これっ、ぎぞ…んっ」

 言い終えない内に口を押さえられた。

「兄上もちゃんとご存知だ。心配ない」

「れ…お兄様も、ですか?」

 さすがに往来で誰が話を聞いているかわからない状態でその名を言うのはどうかと思い至りカイルに合わせた上、声を潜めて言い直す。

「そうだ。前からコレを使っている。別にお前に合わせたわけじゃない。心配するな」

「ですが…」

「身分が高ければ何でもできるってわけじゃないんだ。特に今回の件は情報を得たのも下町の酒場だった。だからカイルの方が都合がいい」

「…?」

「このまま街道を進んで行った場合、辿り着くのはどこだ?」

 急に話を変えられて面食らったが、リィは素直に問いに答えるべく脳裏に地図を開いた。

「この先は…ボルオア国、ですか?」

「正解。あそこはうちと同じくらい安定した国だろ?」

 カイルが言う『うち』とは勿論サナトリアで。

 大陸の東の海岸沿いから大きく繁栄したのがサナトリアなら、西に栄えたのはボルオアである。

 両国は大国ながら幾つかの山と宗教国家であるシーヴァを挟んでいるおかげで、大国にありがちな覇権争いに発展することもなく、穏やかな関係を築いている。

 などと再び記憶を呼び起こす。が。


「…確かに乱れているような話は聞きません」

「だろ? ならばボルオアは無事なんだ。極小さな乱れなら、うちにだってあるし、それはきっと…ボルオア国側も知っている」

「え?」

「その程度は当たり前だろ。うちだって、ボルオア国の中枢に関係するような乱れは小さなものでも把握しているさ。表立った外交大使以外にも商人やその他様々な形をした間者が行き来している。…お互い様だ」

 カイルの言う通りだ。
 国を預かる立場の人間なら、ない腹も疑って掛かるくらいの慎重さでことにあたらなければならない。
 その程度のことはリィも知っていた…知識として。


「ま、そんなわけだが、うちではそんな噂は聞かないし、ここへ来てもまだ被害の様子や場所がはっきりしていない。ということは大きな国や町が襲われたわけじゃない、ということになる」

「そう…ですね」

 知識として知っていたことと、人を介してであっても現実を知ったことの大きな違いに激しく動揺した。

「ならば現場は小さな集落という可能性が高い。その場合、身分の高い者たちはその話を耳にするのも稀だろうな」

「……」

 いい話ではないが、リィにもカイルが裏に何を含めているのかわかった。

 身分の高い者たちは自らが治める町や村ならばともかく、それ以外の場所には関心を向けないのが殆どだ。

 ならばそんなものたちが集まる場所に陣取るよりも、人の出入りが多い庶民的なところがいいのだと、やっとリィにもわかった。

 カイルはすごい。そんなことまで考えていたんだ…
 感心した。

 なのに。


「なーんてな」

「え?」

「別に今言ったことも嘘ではないが、だーれがそんな堅苦しいトコに泊まるか」

「か、いる?」

「ほら、行くぞ」

「ちょ、ちょっと!」

 結局、カイルの真意が何所にあるのかわからないまま手を引かれ、最初に選んだ宿に泊まることとなった。





 しばしの休憩の後、夕暮れも近くなり腹ごしらえをしようと二人は宿のすぐ傍にある酒場兼食堂に入った。

 リィはもう陽も暮れてきたことだしいいだろうとフードを上げて部屋を出ようとしたが、カイルがそれを許さなかったので、やや薄暗い店内でもリィは顔を隠したままだ。

 その上、カイルがその中でも――混み合う前で席は何所でも選べたというのに――特に端の席を選んだものだから、女将はこの二人の存在がちょっと気になったらしい。
 下働きの娘には任せず、直々に注文をとりに来た。

「何所から来たんだい?」

「サナトリアのトリスからさ」

 リィが声を出すより早くカイルの手がほんの少し動いてそれを止めた。
 任せろ、ということらしい。

 ちなみにカイルが言ったトリスとはサナトリアにある――リィも知っている程度には大きく、中心からは外れた――街の名前だ。


「そちらさんもかい?」

「ああ、そうさ。オレはこのお嬢さんに雇われた身だからな」


 …おじょうさん?

 ああ、お嬢さんか。えーと、未婚女性の総称ですね…え、女性?


 一体、何時何所から女性同伴となったのかと顔を少し上げると、カイルの指が…自分を指しているのが見えた。


 何故僕が?

 ワケがわからなかったが、声を出すなと言われている以上、今は口を挟むわけにもいかず成り行きを見守ることにした。

「実は…こちらはさるお屋敷のお嬢さんなんだが、やんごとなき事情からボルオアへ向かわなくてはならなくなって、な」

 ボルオア? え、でも、ボルオアは無事だって、仰ったばかりなのに…

 話のズレにリィは更に首を傾げる。


「二人で、かい? お屋敷のお嬢さんが、そりゃまた、遠いところへ…」

 語尾を濁しながらチラチラと女将の視線がリィの様子を窺っている。

 彼女の言うとおりボルオアはここからまだしばらくかかる。

 それに、お屋敷に住む「お嬢さん」は普通用心棒と二人きりで出かけるようなことはあり得ないのだ。

 だが未だにリィがフードを被ったまま一言も声を発していないのが功を奏しているのだろう――リィ本人は気付いていないが、袖の先から見える汚れのない細くしなやかな指先や時折見える白い頬に艶やかな唇がその信憑性を更に高めている――カイルの言葉は彼女には事実と聞こえるらしい。

 そして口にこそしないが、興味が「やんごとなき事情」に向いているのがありありとわかる。

 だがカイルは軽く首を横に振っただけでこの話題を切り上げ、料理と飲み物を二人分頼んで女将を遠ざけた。


 二人が入ってきた時と比べると席は7割近く埋まっているだろうか。

 店内はだいぶ賑やかになってきているが、それでもここは注意すべきかと考え、とりあえず女将が厨房に入るまでは我慢した。

「一体どういうことですか?」

 またしても女性に化けさせられたリィは少々口を尖らせて周囲に聴こえないよう小声ながら、ややきつい口調で尋ねる。

「ああ、済まない。だがお前の身分証明が元のままだからな」

「それが…何か?」

「いや、まだ何がどうってわけじゃないんだが…男二人が来たのを憶えられているより、男と女の二人連れとしておいた方が俺たち二人を特定しにくいだろ?」

「それは、そうですが…」

 渋々ながらその点は認め頷くが、今回の旅にそこまで秘密裏に行動する必要があるのだろうか?

「いつ何所で何が起こるかわからない。だから、これまでの旅でもずっと自分の素性に関わるようなことは出さずに欲しい情報を引き出すのが俺たちのやり方だったから…済まない、無理矢理付き合わせるようなことになってしまって」

「あ、いえ、そんな…」

 そう、別に怒っているわけではない。

 ただカイルが何も話さずにこの状態に持っていったのがちょっとだけ癇に障ったのだ。

 だが、それもこれも自分の経験不足が原因だ。

 カイルにとってこの程度の変装は常であって、当たり前なのだ。だから、この先ずっと一緒に旅を続けたいのならば、自分がそのやり方を覚えなければならない。

「あの、怒ってませんから。そんなこと、気にしないでくださいっ」

 やや俯いて視線を逸らしたカイルにリィは内心決意して、慌てて首を横に振った。

「それより、ボルオアへ行くのですか?」

 ここへ着いた時点ではボルオアは無事だろうとカイルも言っていたのだが。


「ああ、それは言葉のアヤと言うか…とりあえず行き先がまだ不明だから、何所でもよかったのさ。ボルオアへ辿り着くまでに目的地があればよし、なければ…しっ」

 言葉を区切ってカイルはリィに注意を促した。

 丁度リィの背後から女将が湯気の立つ皿と水の入ったグラスを盆に載せて近づいてきたので二人は口を噤み、話は一時中断となった。




 食事を終え、宿に戻ったものの…結局は欲しい情報を得られず仕舞いだった。

 女将は何度か二人の元へ足を運んで世話を焼こうとしたが、それに対してリィはどう振舞ってよいかわからず、カイルも口を開かなかったので、ただ黙々と食事するしかなかったのだ。

 リィは情報を得られなかったのは自分が上手く立ち回れなかったせいだと思ったが、カイルは慌てる様子もなく腕を枕に向かいの寝台に転がっている。


「あの、カイル…」

「ん?」

「済みません、上手くできなくて」

「…何の話だ?」

「さっきの酒場で情報を得るおつもりだったのでしょう? でも僕が上手く役になりきれなかったから…」

「あのなぁ…そういうイミで言うなら、謝らなければならないのは俺だぞ? 焦って説明を怠ったのはこっちだ。お前に何の断りもなくそういうことをさせる羽目になってしまったんだからな…お前、飲み込み早いって」

「僕が、ですか?」

「ああ。説明しなくても思った通り声を出さずに大人しくしてたじゃないか」

「それはカイルがそう仰ったから」

「…そうか?」

「そうです」


 どうやらあの仕草や視線のイミを取り違えず振舞うことはできていたらしい。

 それだけでリィはホッと肩の荷を降ろす気持ちになったのだが、よくよく考えたら問題解決には何の役にも立っていない。

 そのことを口にしようとしたが、カイルの笑みに遮られた。


「大丈夫。お前が上手くやってくれたからな、ちゃんと種は蒔けた。刈るのは…俺の仕事だ。しばらく一人で待っててくれ。遅くならないうちに戻るつもりだが、先に寝てくれて構わないから」

 一瞬足を高く上げ反動で軽やかに起き上がったカイルは手を振って出て行った。




 カイルって本当に王弟殿下…なんですよ、ね?

 リィが疑ったとまでは言えないまでも、首を傾げたのは無理もない。

 ここまでの、いや、前回の『旅』もそうだったが、道中の態度は何所から見てもお城で育った王族には見えないのだ。

 サナトリア城に滞在した――たった一晩だけだが――時は王族の見本みたいな態度だったが。

 そしてここへ辿り着いた時の会話。
 あれは確かに国を治める側の人間の言葉だが…ただ命令だけして一番奥まったところに座っているだけの人間には――特に下町の酒場で情報を仕入れてくるあたり――到底見えない。


 剣豪アークとあちこち旅して回った話は本当なんですね…


 別に疑ったわけではないが、俄かには信じがたいものだったのだ。

 王族の旅と言えば普通――王族という人種が全体に占める割合からするとかなりの少数派なのだから、ここで『普通』を語っていいものかどうか悩むところだが、それはあえて考えないことにする――『避暑』とか『避寒』とか、そうでなければ『気晴らし』でもいい。
 そんな庶民からすれば贅沢な代物なのだ。

 しかしカイルが話してくれた内容はそんな代物とは程遠い。
 おまけに一緒にいた人物の『数年前』の武勇伝を、外のことに疎い自分でさえもいくつか知っているのだ。

 要するに、少なく見積もっても、そのうちのいくつかはカイルも関わっている。そうでなければカイルの行動力に説明がつかないことになる。


「はぁ〜」

 憧れすら抱いてた英雄に直接鍛えられた人物と自分は共に旅をしている。

 そして幼い頃『一緒に旅をしよう』と誓った約束の遥か先を彼は歩いている。

 その事実がリィにため息をつかせた。


「僕は本当にカイルの役に立つのでしょうか…?」

 やっと直りかけた『眉間のしわ』がまた復活していることにリィは気付いていない。

 そしてそれを指摘できる唯一の人物は、部屋にはいなかった。



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