『偶然の恋、必然の愛 2』

【2】
理由





 得体の知れない感情――強いて言うなら恐怖か――から決めたも同然の道筋だったが、しばらくは特に会話もなく進んだ。

 会話がなくとも気まずい思いをしなくていい相手とはいいもんだ、などとカイルがのんきに考えていた時だった。

 リィがその場に立ち止まったのでカイルも止まり振り返った。


「どうした?」

「どうしてこちらの道だったんですか?」

「どうして、って…」

 それは先程説明したばかりだと思うのだが――ここまで来て今更何を、とは言わない。

 相手はリィだ――ドレスの一件は伝わっていなかったのだろうか。

 アレで伝わらなかったのだとすれば、どう説明すれば納得してくれるだろうかとカイルが思案し始めるのを遮るようにリィが首を横に振った。


「いいえ、だから、あの…」

「ん?」

「サナトリアへ行かない理由、ではなくて…」

「…何故こっち方面を選んだのか、というイミか?」

「そう、そうです!」

 聞きたいことが上手く言葉にならず曇った顔をしていたが、カイルが正しく理解したことにリィは安堵の表情を浮かべた。

 それならば不思議に思っても変な話ではない。

 シーヴァを出るのに二人が通った以外の町の別方向から出る街道は他にもあるのだ。

 ただサナトリアへ行きたくないだけなら、他の方向へ向かってもよかったのである。

 リィが尋ねたかったのはそんなところだろう。
 さて、何と答えるか…

 カイルが腕を組んで思案する様にリィもまた固唾を呑んで答えを待つ。

 しばらくの間、二人の周りを吹き抜ける風が揺らす木の葉の音だけが聞こえていた。


「通ったことがなかったんだ」

「この道を、ですか?」

「ああ」

「じゃあ他の道は?」

「いくつかは通ったな」

「通ったことがない道だから行ってみたくなった?」

「まぁそういうこと」

 よし、嘘は言ってないし、理由としてもおかしなところはない…

「では通ったことがなかった道の中でこの道を選ばれた理由は?」


 どうしてこんなときだけ鋭いんだ!?

 リィの疑問にカイルの頬が引きつった。

 目的地は一応あるのだ。
 ただし、それが正確に何所なのかはまだわからない。
 だから別の道でも大して不都合があるわけでもなかったのだが…ただ。

 実を言うと他の道を選んだ場合、行き着く先にはそれぞれ「馴染みの人物」有体に言えば「女性」がいるのだ。

 そうは言ってもお互い本気で想い合っていたわけではなく、所謂「いいお友達」なのでどうということもないのだが。

 そういう理由から「本命」を連れて行くのは憚られる、というか、鉢合わせしてしまった場合どう考えても気まずい思いをするのは自分だけだろう。

 彼女らは面白がってちょっかい掛けてくる可能性もなくはないが、内心笑う程度で知らん顔をしてくれると思う。

 リィにいたってはそんな女性を目の前にしても気づきもしないに違いなく…どちらかと言えばこちらの方が問題か。


 そんなこんなの理由から、行き先候補から色々消した結果この道しか残っていなかったのだ。


「この先は、師匠について歩いていた頃も殆ど行ったことがなかったから…」

 それは事実だ。

 そして師匠の下を離れた後この道を辿らなかった真実は…街道の入り口が神殿から近かったから。

 近くまで行ってしまえば中に入ってあの時出会ったコを探しに行きたくなってしまうから。

 その誘惑に乗ってしまいたい自分と逃げ出したい自分がいて、結局のところ逃げ出したい自分が勝っていたのでこの道は通ったことがなかった。

 だからこそ「馴染みの人物」もいないのだが。


「師匠って…あの、前に仰っていた剣の?」

「ああ、そうだ」

 内心リィの興味の矛先が変わったことに安堵しながらも表情には出さず歩き出す。

「アーギュスト・オーディール、聞いたことないか?」

「オーディール?」

 二度三度と口の中で転がすように呟いてから、心許なげに口を開いた。

「確か、サナトリアの貴族にそんなお名前の方がいらっしゃったかと…」

 さすがは神殿内で程々の地位にいた上、王子の教育係の一人に名を連ねていただけのことはある。
 他国の貴族の名前も万全とは言えないまでも記憶に留めていたようだ。

 後をついて来たリィが視線を彷徨わせながら出した答えにカイルは頷くことで正解とした。

「ではアーク・オーテッド、なら?」

「アーク…『剣豪アーク』!?」

 目深に被っていたフードがずり落ちる勢いでリィはカイルを振り仰いだ。

 それも正解なのだが…想像通りの反応に苦笑いになってしまう。
 こちらはおそらく…

「やっぱりそっちは知っていたか。同一人物なんだがなぁ…」

「え?」

 青い目が落っこちそうだ。肩を竦めてカイルはくすっと笑う。

 この反応。やはり想像は間違ってないな。

 先述の名は立場上、後述は有名だから、だろう。

「だから同一人物。アーク・オーテッドは通称で本名はアーギュスト・オーディール。お前が言った通りサナトリア貴族だ」

 貴族名だと肩が凝ると偽名を使う内にそちらの方が有名になってしまった。

 だから偽名でいても肩が凝る、とは親しい者たちだけが知る本人談。


「え、でも、『剣豪アーク』は何所の国にも仕えていないと噂で聞きましたが…」

「それは違う。実際あちこちの国から腕を買われて士官を勧められるのを断っているが、それは当たり前だ」

 サナトリアの貴族なのだから。

「剣の腕は立つし、家は代々サナトリア貴族で兄上の乳兄弟でもあるからそれなりの役職につけと回りは散々言っているらしいが、本人は一所にいては息が詰まると言って腰を落ち着ける気はないらしい」

 だから正確に言えばサナトリアに仕えているというのも若干違うのだが。

「ただ一人、兄弟同然に育った兄上は彼がどんな性格か知り尽くしているだけに、国で大人しくしているよう説得するのは諦めたそうだ」

 ちなみにレオとカイルの年の差は15近くある上、王家に生まれたので血の繋がった兄弟といえども関係性は世間一般の『兄弟』とは少々言い難い。


「説得、ですか?」

「ああ。あの人にそのことで命令などしようものなら、一生帰って来ない可能性が高い」

「…すごいお方ですね」

 確かにリィに説明した部分だけでもかなり型破りな人物だと言える。
 
 普通なら王命を無視した場合、打ち首にされてもおかしくないのだが、その王自身に『諦め』させたのだから。

 だが本当の彼はそんな言葉だけで言い表せないほど『すごい』のだ。

 黙って剣を振っていれば男が見ても見惚れる程カッコいいのに、口を開けば親父ギャグ連発の歩くセクハラ大魔王なのだ。

 これで他人から本気で嫌われないのが不思議なくらいである。
 幼い頃の自分はどれほどその餌食になったことやら。

 そういや「あーんなこと」や「こーんなこと」を俺に教えたのもあの人だっけ…


 共に旅をしだして間なしの頃――カイルはまだ十になるかどうかの子供だった。彼の馴染みの宿に立ち寄った時のこと。

 顔馴染みらしい店主は知人に「キレイどころ」以外の連れがいることに驚いたらしく、瞬きもせずカイルを上から下まで眺めた。


「アンタ、いつの間に子持ちになったんだ?」

「だーれが、そんなヘマするかっ!」

「…まさか宗旨替えしたのかい?」

「っ! オレサマの何をどうしたら、そんな結論が出るってんだ!?」

「いや、だって、ねぇ?」

「胸も尻もねぇオコサマ触って楽しいワケねーだろっ」

「じゃあ一体…」

「ワケアリ、なんだよ」

 そこで一旦切って辺りと、そして自分の表情を窺うと相手を指先一つで近寄らせて声を潜めた。

「実はな、コイツの親父は結構な出なんだけどよ母親が、な」

「妾腹ってわけかい」

 訳知り顔で頷く店主に彼は更に続ける。

「で、コイツの存在を知った正妻が母親んとこに乗り込んで、すったもんだの挙句正妻を止めに来たダンナを刺した、と」

「あれまぁ!」

「まぁ、一命こそ取り留めたものの、このままじゃあコイツもいつ何時命を狙われるやらわかったもんじゃねぇってんで、親父に頼まれたオレサマが保護してるんだよ」

 会話は小声で話しているつもりだろうが、全て丸聞こえで。
 おまけに内容も理解できる程度には耳年増もとい成長していたし。

 こちらを窺った時点で「口出し無用」の合図であることはわかったけど。
 
 一体、何をどうしたらココまで嘘八百をスラスラ言えるというのか。

 本気で呆れた。
 だが。

「坊や、この人は口は悪いけど、悪い人じゃあないからな。安心しな!」

 店主は彼のウソを妙に納得している。

 …いいのか?

 ここで訂正しておかなくていいのか!?

 ちょっと悩んだが、ちらっと彼を窺った後、小さく頷くことで店主への返事に代えた。


 後で彼にこっそり「嘘吐き」と突っ込んだら、「嘘も方便だ」と涼しい顔で返されたっけ。

 大人になった今ならそれが時には有効であることを知っているが、もうちょっとマシな嘘はなかったのだろうか。


 そうだ、この店に寄るきっかけになったのは俺が熱を出したからだったっけ。

 その頃はまだ足手まといになるのが怖くて――というより、頼った手を振り払われるのが怖くて――具合が悪いことを言い出せなかった。

 しかしそれを見抜かれて特大のため息をつかれた後

「薬飲んで大人しくしてろ」

 と言われたのを拒否したら

「口移しで飲ませて欲しいのか?」

 と実行されそうになったり。

 いや、コレはまだマシな方だ。
 …実行されそうになった「だけ」なのだから。


 だが行動を共にして何年か経った頃、どんな話の流れであったのかは忘れたが「大人のキスとは何ぞや?」という話になって。

「経験なし」と素直に認めたら……

 ……
 何もない、何もなかったっ!!



 それからあれは成年式を迎えたかどうかの頃だったよな…

 成長したにも関わらず、人と触れ合うのが苦手なのを見抜かれて

「人の温もりはいいぞ」

 と言われて、その頃には彼が次に言わんとしている内容が読めるようになっていたから

「誰も好きになんかならないからいらない」

 と答えたら

「マジにならなくてもヤることはできる」

 と、娼館に放り込まれたっけ。


 どれもまだ本当に「子供」だったんだがなぁ……


 いかん、いかん。

 いくつかの『過去』を思い出してため息を吐きそうになったが、辛うじて飲み込んだ。

 現在の想い人にため息の理由を知られてはしばらく立ち直れなくなること間違いなしだ。


 今でも――いや、今だから――よくあの人について何年も行動を共にできたもんだと自分でも感心している。

 しかし。

「まぁな。だけど兄上にその手を必要とされていると感じたら、ちゃんと帰る人だ。そこらへんは兄上もわかっておいでだから、それでいいらしい。国王といえどもその肩書きを無視して対等に付き合える友というのは必要だろう?」

 立場抜きにしてあの彼と対等に渡り合える兄は本当に偉大だとも思うが、これは内緒である。

「そうですね」

「で、そんな彼を師匠に持った俺はおかげであちこち行けてラッキーだった、というわけだ」

 人間性はともかく、それは本当に感謝している。

 剣を教えるだけなら他の誰かでもできただろうが、自分を国から連れ出して生きていく上での色んなことを叩き込むことができたのは彼しかいなかっただろうから。

 兄の目は正しかった。

「何だかとても納得できました」

「この道を選んだことをか?」

 やっと納得してくれたかと思いきや。

「いいえ。カイルが今のカイルになったことを、です」

「俺が、今の俺に?」

「ええ…いいお手本が傍にいらっしゃったのですね」

 にっこり微笑んで本当によかったとその表情もいっている。

 だが。

 それはつまりあの人と自分が似ていると言われているようなもので。

 何だかんだ思っても、感謝している。尊敬もしている。

 けど、それはちょっと、いやかなりイヤかも…

 ついうっかりカイルが遠い目になったとしても致し方ないことだった。



「この道を選ばれた理由はわかりましたが、本当にそれだけですか?」

「は?」

 …まだ何か疑っているのか?

 実は俺の過去を知っていて試してるのか!?


「カイルがこれまであちこちを旅してこられたことはわかりました。でもそれはご自身のためだけではないのでしょ?」

 ああ、なるほど、そういうことか。

「そりゃ、全部が全部、気の赴くままってわけじゃあなかったさ。そうだなぁ…」

 一瞬でも疑ってしまったことを内心すまなく思いながらカイルは言葉の続きを考える。

「仕事6割ってトコか」

「じゃあ、今回は?」

「……」

 立場上、自由に身動きできない兄の目と手足になるのが――王弟らしくないことは百も承知の上で自ら選んだ――カイルの役目だ。

 だが、この件についてこんなに早く疑問を持たれると思っていなかったカイルは回答を用意していなかった。

 瞬き数回分考えたが、適当な答えを思いつかない。


「あ、いえ、答えられないことならば別に…」

「いや、仕事抜きなのは確かだが、物見遊山だけでないのも…事実だ」

 カイルが中々答えなかったことにリィは「立場上、聞いてはいけないことだ」と理解して引こうとしたが、カイルは慌ててそれを否定してしまった。こうなったら事実を述べるほかあるまい。


「それが何かを伺っても?」

「ああ…いや、これは人伝に聞いただけだから確実な話ではないのだが、最近こちら方面での魔物被害があるようだとちらっと聞いてだな、でも情報は微か過ぎるし。その、つまり…」

 まだ兄の耳に入っていない件なのだ。

 曖昧な報告をするよりは自分が一番に乗り込んで調査すれば一人で解決できるのか、人手がいるのか。

 いるにしても剣に優れた者がよいのか魔法に優れた者がよいのかを容易く判断できるし、人手を動かせるだけの権力もある。

 別に悪いことをしているわけではない。
 だが、こんな不確かで厄介で危険な旅に半ば無理やり巻き込んでしまっている身なので、語尾が尻すぼみになってしまう。

「もし、本当だったとしても、現場には俺が行けばいいんだから、お前はどこかで…」

 本当にバレなければそうするつもりだった。
 現場の少し手前で適当に言いくるめて待たせておくつもりをしていた。

 魔物被害が少しでも減れば、あの噂も薄れるかもしれない。

 だから本当に被害を受けている人をという高尚な理由からではなく、自己保身と言うか自己満足と言うか…とにかく自分のための行動で。

 だから…リィまで進んで危ない思いをする必要はない。


「置いていったりしたら、承知しませんよ?」

「リ、ィ?」

 カイルの思いを知ってか知らずかは不明だが、口調とは裏腹にリィは微笑んでいた。

「できるだけ沢山の人の助けになれるといいですね、僕たち」

 危険なことに付き合わせることになってしまったことを責めるでもなく、置いていこうとしたことを怒るでもなく、ただ穏やかに共にあることを告げたリィにカイルは目を見張り、そして苦笑した。


「…ありがとう」

「何が、ですか? ほら、行きますよ!」

「ああ」

 今度はリィに手を取られてカイルは歩き出した。


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