『偶然の恋、必然の愛 2』
【1】
二択
シーヴァ城を旅立った二人は…実はまだ城下町の外れで足を止めていた。目の前には二股の道がある。そこでどちらへ向かうかで意見が分かれたのだ。 「だーかーらー、悪いことは言わない。こっちにしておこう」 と、左の道を指すのは茶色く少しクセのある髪に濃い緑の目と左耳に目と同じ色の丸いピアスをした長身の優男。だが服装は「傭兵崩れの用心棒」といったいでたちで装備のくたびれ具合からしても旅慣れていることがわかる。 容貌は決して悪くない。いや、正確に言えば良いほうに分類される。 しかし人の印象に強く残らないのは本人の演技力のなせる技だ。 通称はカイル。正式な名前はカイ・ルーディス・サナトリア。 本人の希望により表舞台に出てくることが稀なので顔は殆ど知られていないが、これでもれっきとしたサナトリア王弟である。 「どうしてですか。まずはこちらから行かなければならないでしょ?」 と、右の道を指すのは月光を紡いだような癖のない銀の長髪に澄んだ青い空の目、そして明け方の空を映したような紫のピアス。 それらすべてがとてもよく似合っていて、この者を見た人間は皆一様に「男なのが勿体無いくらいの美人だ」という。 本人はその自覚が全くないのが美点であり欠点でもある。 目立つのを避けたい同行者の意向を汲み、現在残念ながらフードを目深に被っているせいで殆ど見えないが。 こちらは連れとは違い旅装束一式がほとんどさらに近い。 新品に買い換えたばかりだとも言えなくはないが、そんな「慣れ」を感じさせる部分がまったくないから服装同様「初心者」だろう。 この美人はリィ。正式な名前はリーン・ディアナス。 シーヴァ貴族を養父に持ち、自らも神官であったのだが、その地位はわけあって辞したばかりだ。 現在は戴冠式を待つばかりとなっている王子ラルフの魔法教育係という肩書きになっている。 こんな国も地位も違う二人が何故こんな場所で立場抜きに対等に言い合っているのかというと「幼い頃交わした約束を果たすため」なのだが…第一歩を踏み出して間もなく「問題発生」というわけなのだ。 「そっちはダメだ」 「どうしてですか」 「どうしても」 「それじゃあ答えになっていないです。それに何より、国へ戻られるのでしたら…」 こちらのはず、なのだが。自分がいくら旅慣れていないとはいえ、つい先日通ったばかりの道は間違えない。 ただ、もしかしたら自分が知らないだけでカイルの指す方の道にサナトリアへの近道でもあるのなら話は別だ。 だから語尾が段々小さくなっていったのだが。 「戻らないからいいんだ」 「はい?」 「戻らない」 「え、だって…」 カイルが国へ帰ると聞いて自分は慌てて彼の元へ走ったのだ。 そこでラルフ王子も交えて話す内に何かよくわからないまま共に旅することが許されて、ここに至る、だ。 ならば最初の行き先はサナトリアでなければならないのだが。 「別に帰還命令は出てないからな」 カイルに命令できるのは現在一名しかいない。 誰からかは言わずもがなだ。 「ですが…」 いくら命令がないからといって、シーヴァでのことの顛末を報告しなくてもいいという意味ではないだろう。 いくら兄弟でも立場上果たさねばならない義務というものがあると思うのだが… 「報告なら部下に手紙を託したから必要ないぞ」 リィの考えていることを表情から読み取ったのか、カイルは尋ねられる前に答えを返す。 「必要ないって、でも…」 いくら本人がそう言っても、やはり承服し難いものがある。 そんな簡単に済ませられる問題ではなかった筈だし、自分自身も間接的にレオ王に助けられたのだ。ちゃんとお礼を申し上げたい。 だが何といえばカイルが考えを変えてくれるのかリィには全く思いつかず口をパクパクさせるばかりだ。 「でもも、しかしもない。一度戻れば…中々出られないんだ」 ため息交じりでカイルの言う「中々出られない理由」は、何となく想像がつく。 再会してまだ然程の時を共に過ごしたわけではないが、彼の人となりは何となく見えてきている。 王宮で大人しくしていられる性質ではないのだ。 きっと旅の間、手紙だけで済ませていた色々な報告の事後処理や王弟としての責務が山積みになっていることだろう。 だからあんな子供っぽい表情で帰るのを嫌がるのだと内心苦笑しながらリィは考えたのだが。 「それに…」 「それに?」 一応続きがあったらしい。 一転して真面目な表情で覗き込まれてリィは思いがけずドキドキしながら続きを待った。 「今帰るとお前が危険なんだ」 「ぼ、く?」 苦々しい表情でカイルが告げたイミは…自分の「出自」を指すのだろうか。 そうだ、それしか理由がない。 国政に深く携わっていないカイルはどうでもいいと切り捨ててくれるかもしれない。 好意的に見てくれたラルフ王子もこうやって自由に過ごすことを許してくれている。 だが、いくら自分が違うと言い張っても本当の…他国の王が知ればどうなるか普通は、言うまでもない。 「あのドレスを調達してくれたのは義姉上だと言っただろ。その件で相談に行った時の表情が、なぁ…どうした?」 「……ドレス? 僕の、件ではなく?」 何故自分の出自とドレスが同じ土俵に出ているのだ? どうやら話にズレがあるらしい。 「ああ、それなら兄上はご存じない」 「え?」 「まぁ、兄上ならお前を利用するようなことはないが、やはり知る人間は少ない方がいい」 「で、ですが…」 カイルの兄、レオ王の妻クレア王妃はラルフ王子の母、つまり前シーヴァ王妃の従姉妹にあたる女性だ。 だからこそレオ王はシーヴァに救いの手を差し伸べることに頷いたのだし、その彼には結果の全てを知る権利がある。 しかしカイルは一存でそれを告げなかったという。それどころか。 「ちなみに俺がお前の秘密を知っている件は、この目の秘密と交換ってコトでラルフ王子には手を打ってもらったから大丈夫だ」 何故こんなことをしたのかと言えば、自分のためでしかなく。 「カイルっ!…申し訳」 「ラルフ王子はこんなことを利用するような方ではないだろう?」 カイルを危険に晒したと言ってもいい交換条件に、恐縮するリィが全てをいい終える前にカイルの大きくはないが凛とした声が真っ直ぐに届いた。 「……」 ――俺が兄上を信じているように、お前もラルフ王子を信じているだろう?――と。 「…はいっ!」 「なら気に病むことは何もない」 零れそうになった涙を隠すように、カイルの言葉にリィも大きく頷いた。 「それで話を戻すが、あの時の…サナトリアに戻って義姉上にドレスのことで相談したから、俺がどんな策を使ったか知ってるんだよ」 「それが?」 一体何だというのだろう? カイルの言う義姉上とはサナトリア王妃クレアに他ならない。 で、あの時のドレスといえば思い当たる件は1つしかなくて。 しかしどう考えても身の危険とは結びつかない。 それに別に好き好んでドレスを着たわけでもないし、あの時は必要だったのだ。 ならばそれを特別恥ずかしいことだとは思わないのだが。 「…手紙が来た」 「手紙、ですか? クレア様から?」 カイルの話は飛び飛び過ぎてよくわからない。 ドレスとクレア后と手紙がどう繋がるというのだろう? 「報告書と一緒に小道具も送り返したんだ。そうしたら返事が来て…『今度は是非とも似合うドレスを着て頂きたい』と」 「似合うって?」 男の自分に似合うドレスもなにもないだろうに。 リィ自身はそう思っているが。 「義姉上曰く『笛を吹く少女のような古風で清楚なものを是非』だそうだ」 「笛を吹くって…あの『笛を吹く少女』ですか!?」 『笛を吹く少女』とはシーヴァ神殿の宝物庫にある一枚の絵の題名で、凝った細工の額縁の中に文字通り笛を吹く少女が描かれている。 肩の辺りで切りそろえられた白銀の髪に透き通った白にピンクのバラの絞り汁を一滴落としたような肌の少女が野外で一抱え程の大きさの岩に腰掛けて宝石で装飾の施された横笛を吹いている様は今にも音が聴こえてきそうなくらいである。 そして問題のドレスはオフホワイトの光沢ある布地で、胸周りはややぴったりしているが、そのすぐしたから足首まで緩やかに広がっているだけの簡素な作りは、現在好まれているウエストを絞ってそこからボリュームのある広がりを見せるものではなく、装飾もレースなどは見当たらず、むき出しになっている腕に透き通った薄絹を背中から回して腕に掛けているだけだった。 一般に公開されているわけではないが、リィはつい先日までそこで暮らしていたし、クレアも一時期神殿に籍を置いていた。 カイルもこの手紙を貰ってすぐにラルフに頼んで見せてもらったので、どんな絵か知っている。 そしてクレアの指摘通り先日やむなく着せた華美であるだけのドレスよりもこちらの方が似合う――もちろんこのままの意匠ではさすがに華奢なリィでも男であることは誤魔化せないので、何らかの変更は必要だが――のは…確認済みだ。 「ああ。だから、今戻ったら、お前、着せ替え人形になるぞ?」 クレア様がそんなことをなさるだろうか? 疑問に思ったのだが…何と言うか、得体の知れない感情が全身を通り抜けた。 「楽しみを見つけた女性は…たとえ義姉上みたいな方でも、お前が思っているより怖いぞ?」 カイルのダメ押しにリィの行くべき道も右になったのは言うまでもない。 |
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