『偶然の恋、必然の愛』

【6】
望みの礼





 街を出て人気がなくなる度に魔物に襲われたが、襲ってきたのが一回目と同じレベルの奴だったこととお互い背後の憂いなく剣を振るえたことで難なく窮地を脱することができた。

 ただ数が多かったので容易い相手とは言え、時間がかかったのは先を急ぐ二人には痛いことだったが。

 それでもどうにか日が暮れるまでにサナトリア城に近い街にたどり着くことができた。

 本当は今日のうちにサナトリア城下へ入りたいところだったのだが、暗闇の中での移動は危険と判断し、タイムロスは痛いがここで宿を取ることとなったのだ。


「なあ、リィ、変だと思わないか?」

「何がです? 料理なら美味しいですが?」

 夕食の肉に豪快に齧り付く手を止めてカイルが尋ねると、リィも煮込み料理を掬う手を止めた。

「いや、料理は美味い。そうではなくて…」

 半ば予想していたボケだったので、カイルは然程落ち込まずに済んだ。数日間リィと行動を共にしてカイルはようやくリィの天然ボケに慣れてきた。

 二人は宿の下にある店で夕食を取っていた。店内はかなり賑わっていたが、リィを隠さねばならない――まさか食事時までフードを被っているわけにはいかない――こともあり、奥まった人目につきにくい席を選んだので、それほどうるさくはない。


「あの魔物だが…何故あんな弱いのを大量に送り込んでくるんだ? あれより強いものは作れないものなのか?」

「…いえ、作る者に力があれば作れるはずです」

 戦うということに慣れていないリィはカイルが何をいぶかしんでいるのか判らない。質問に答えながら襲われたときの様子を思い返した。

「俺たちをどうにかしたいなら、あいつらではダメだということは最初の一回で判っただろう。何故強いものを作らない?」

「……」

 質問に対する答えを持っていないリィはただ首を横に振っただけだったが、カイル自身この質問に答えは求めていなかったらしい。気にした様子もなく話を続けた。

「言っておくが、別に強い奴と戦いたい、というわけではないぞ。もし何らかの事情で作れないのだとしても、城の人間に捕り憑いて襲ってくることも可能なのではないか? あれなら宮廷兵士の方が強いぞ」

「確かに、そうですね…」

「なあリィ、お前は城内で魔物に捕り憑かれている人間を見ていると言ったよな?」

「はい。一度だけですが、僕が見たのはダール様とキリエ様です」

「では大半の人間は操られているかもしくは従っているだけ、か?」

 呟きながら手元にあったグラスを煽る。

 カイルは前王弟とその妃は見ていない。そこまで中枢部には入れなかったのだ。見たのはどこか様子のおかしい侍女や侍従、兵士の姿だけである。


「では捕り憑いている魔物の数というのはかなり少ないのですね!?」

 カイルの呟きにリィは弾かれたように顔を上げた。

「まあ楽観はできないが、その可能性はあるな。数がいるなら先程言ったように兵士に捕り憑いて襲ってくるだろう。しかしそれがないということはそちらに手数を割けないと見ていいのではないだろうか」

「そう…ですよね。だったらまだ間に合う。ラルフ様を助けられる!」

 心底ほっとしたのだろう。前のめりになっていたリィの体から力が抜け椅子に深く沈んだ。

 その様子を眺めてカイルの目が少し和む。

「ああ、間に合うさ。だがその前に食べることと寝ることをちゃんとしておかないと、リィの方が先にやられるぞ」

「あ…」

 指摘にリィは言葉を失う。
 カイルの言う通りだった。

 最初の内食べ物は機械的に口に運べていたし、慣れぬ旅の疲れでそれこそ死んだように眠れていたのだが、徐々に疲れているのに眠れなくなり、食べ物もあまり受け付けなくなってきていた。

 しかし今までカイルはそんなこと一言も言わなかったし、自分も表面上は変わることなく振舞えていた。だから気づかれていないと思っていたのに…


「俺が気づいていないと思っていたか? お前、ここのところ寝てるフリはしているが、寝返りばかりでちっとも眠っていなかっただろう。それに、さっきから料理を食べている格好はしているが、ただかき回しているだけで全然減っていないじゃないか。まあ食べられない、眠れない気持ちも解らなくはないが、いざ動かねばならないときに動けないでは本末転倒だぞ」

 リィは目の前の料理を暫し見つめ、覚悟を決めたようにゆっくりと手を動かし始めた。




「もう一つ、聞きたいのだが」

 カイルはあらかた食事を平らげ、リィもどうにか半分食べたところで再びカイルが口を開いた。

 リィは半ばホッとしたように手を止め、顔を上げる。

「よく夕暮れに何もない空を見ているよな? あれは何を見ているんだ?」

 先日から気になっていたのだ。
 リィは時折、何もない空を見上げていることがある。ただ見ているだけなら、それほど気にはしなかったのだろうが…どうもその表情が何かを思いつめている、そんな感じだったのだ。

 そして今日も宿に入る前、そうやって空を見ていた。

(まあ、今回の事が事だけに思いつめたくなる気持ちもわからなくはないが、それとは少し違う気がする)

 何故そんな風に思ったのかは、わからないが。


「あれは…本当に空を見ていただけです。好きって言うか…いえ、本当に好きなのは暁の空なのですが、早起きは苦手なのでその代理と言うか…」

 本当の理由を言うつもりはないのか、リィは言葉を濁す。

 しかしカイルはそのことについてそれ以上何も尋ねようとはしなかった。



                  



 その夜リィはぐっすりと眠っていた。だがこれは別にカイルの話に安心したからではない。

 実は寝る前に「よく眠れるように」とリィに飲ませた酒に無断で少量の眠り薬を混ぜたのだ。昨日まではいつ襲われるか判らない状況だったためにそうすることができなかったのだが、ここなら安心できる。

 そっとリィの頬にかかる髪を払いのけ、その白い肌を見ていた。


『本当に好きなのは暁の空なのですが』


(お前は今もそう言ってくれるのか?)


 今日で二人の旅は終わりだ。
 カイルは自らの中に燻る想いを完全に――認めたくはないが――自覚していた。

 もう一度頬を優しく撫で、想いを断ち切るかのようにその場を離れた。

 真っ直ぐにドアへ向かい、部屋の外へでるとそこには男が一人立っていた。

 後ろ手にドアを閉めた瞬間、カイルの顔つきが変わった。


「変わりはないか?」

「はい。街の中で不審な動きをする者は今のところありません」

「そうか。恐らく人目のある場所で行動は起こさんだろうが、しばらくは気をつけろ。それから明日、城下でリィ…彼と別れる。無事に城へ入れるよう手筈を整えろ。俺は即刻兄上の元へ参る」

「かしこまりました」

 それだけを告げると再び部屋へ戻ろうとしたが、落ち着いた声がカイルを呼び止める。

「あの彼は一体何者ですか?」

「ん? 気づかなかったか…名をリーン・ディアナスと言う」

 男の質問にカイルはリィに髪を隠させたのは正解だったと思う。答えを告げると男の目が軽く見開かれた。

「彼があの銀の巫ですか」

「ああ。だが噂よりも…」

「カイル様?」

 不意に言葉を切ったカイルを不審に思って男は声をかけたが、カイルはただ軽く首を横に振っただけだった。


「いや、何でもない。今しばらく警備を怠らぬように」

「はっ」

 深々と敬礼をする男を残してカイルは室内へと戻った。



 音を立てずにドアを閉め、一応リィの様子を窺ったが目覚めた様子はない。
 カイルは詰めていた息をそっと吐き出してベッドに仰向けに転がった。


(リィにはああ言ったが、例え兵士に憑かせるだけの魔物がいないとしても…あまり考えたくはないことだが、仮とは言え一国の頂点に立っている人間を操っているんだ。暗殺者を雇うことも容易くできたはず)

 視線を天井から横へ向ける。

(本気で俺たちを殺るつもりはなかったのか? だが足止めはしたかったようだが)

 闇になれた目は明かりがなくとも隣のベッドで眠るリィの姿を見て取れる。

(だとすれば目的は一体…)

 これといった答えの見つからぬまま、夜は更けていった。


                  


 よく寝た。これほど満ち足りた睡眠を取ったのは何日ぶりだろう?

 リィは突然訪れた爽やかな目覚めに自分でもかなり驚いていた。

 元々、どちらかといえば朝は弱いのだ。
 しかし神殿の朝というのは早いものである。
 だからどうにか時間通りに動き始めるが、それは長年の経験から無意識に同じ行動をなぞっていただけだった。

 この旅での朝は神殿より目覚めが遅いことと緊張からそれほど時間をかけずに起きられていた。

 ただし爽やかとは到底言えなかったが。


 勢いをつけて起き上がるとカイルはまだ眠っているらしい。規則的にシーツが動いている。

 カイルがまだ眠っているということは時間的にまだ早いのだろう。
 しかし窓の隙間から漏れ入ってくる光からして、そう待たずとも目覚めるに違いない。


(今日も暁の空、見れなかったなあ)

 自分の望む空の色を見られなかったのは残念だが、まあそれは全て終わってからまた見ればいい。

 リィは立ち上がり、思い切って窓を開けた――

(えっ?)

 振り返ったリィの目には溢れんばかりの光を受けて黄金に輝く髪をしたカイルが見えた。驚いて目を瞬かせるとすぐにいつもの茶色い髪に戻ってしまったが…黄金のイメージが強かったせいか、リィは呆然としている。


「ん…もう朝か?」

 眩しさに目が覚めたのだろう。カイルは大きく伸びをして窓辺にリィがいるのを認めると挨拶代わりに手を上げた。

「今朝は早いんだな。よく寝られたのか?」

「え、ええ…あまりにも爽やかに目覚めたので驚いてしまいましたが」

 爽やかに目覚めた、と言うわりにその対応はどこかぎこちない。カイルは内心首を傾げつつも今までのリィの寝起きを考えると「こんなものか」と思う。


「カイル、あの…」

「ん?」

 何かを言いかけて止めてしまったリィはどこか焦点の合わない目をしてカイルのベッドに近寄り、見上げるカイルを暫し見つめ…唐突にその頭に手を伸ばした。

(見た目よりも柔らかいんだ)

 そんなことを思いながらカイルが驚いているのを気にも留めずに彼の少しクセのある茶色い髪をくしゃくしゃとかき回した。

(おいおい、一体何なんだ?)

 カイルはわけがわからず、ただされるがままとなっている。


「…どこかで会ったことないですか、僕たち」

「は?」

「さっき…いえ、これまでにも何度かあったのですが…カイルの髪が光に当たって黄金に見えて…。それが何だか懐かしいような、知っているような気がして…」

「おいおい…黄金の髪の奴など、いくらでもいるだろう。それに」

 カイルはにやっと笑って自分の髪を弄っていたリィの手を取りその甲に口付ける。

「それはナンパの常套句だぞ」

 カイルの言動にリィは一瞬唖然となり、そして見る見るうちに顔を真っ赤にした。

「か、カイルっ」

 慌てて取られていた手を引っ込めた。

「さて、そろそろ出発の準備をせねばな」

 慌てふためくリィを可笑しそうに眺めながらもカイルは何事もなかったかのように行動し始めた。



                  



「ここがサナトリアの城下町…」

 街には市が建ち並び、新鮮な食べ物やあちこちの特産品、珍しいものが並べられている。売る者も買う者も、人々は大きな声でやり取りをしている。

 城下町の門を潜り抜けてからリィはきょろきょろと物珍しそうにあちこちを眺めているが、それも仕方のないことだろう。リィのいたシーヴァは神殿などが多く宗教色の濃い国で、ここは商業都市。賑やかさが違うのだ。


「リィ」

「あ、はい。すみません、今行きます」

 呼ばれてカイルから数歩遅れてしまったことに気づき、慌てて走り寄る。

「このまま真っ直ぐ行けば城だ」

 カイルの指し示す先にはこの旅のゴールである絢爛な城が見える。


「やっとここまで来られたのですね」

「ああ。城門で身分を明かして謁見許可を求めれば、リィならばすぐにあ…陛下にお会いできるだろう。それから…」

「大丈夫ですよ、カイル。これでも一応シーヴァでは王宮にも出入りしていますから」

 旅の間中、どこか抜けた行動を取ることが多かったリィを心配してカイルはあれこれと言い募ろうとしたが、本人に笑って止められてしまった。
 旅には慣れていないが城での所作には慣れているということだ。

「そうか…そうだな」

「ここまで来られたのも、カイルのおかげです。感謝します」

 本当に自分一人きりだったら、ここまで来れなかっただろう。

 カイルの方を向いて、真っ直ぐに彼の目を見上げる。

「感謝など必要ない。ただ進む方向が同じだっただけだ」

「でも…やはり何かお礼がしたいです。ただ、今は何もお礼できそうなものを持ち合わせていませんので、住んでいる所を教えてもらえませんか?」

「だから、その必要はないと言っているだろう」

「ですが…では、またシーヴァへお越しの際には是非神殿に立ち寄ってください」

「それでは何やら礼を貰うために神殿に行くような気がして気が引ける。ならば…今ここで貰っても、いいか?」

「何をです?」

 きょとんとしてリィは装身具も身につけていない自分に何か差し出せるものがあっただろうかと考える。

「カイル?」

 自分をじっと見下ろしていたカイルがすっと身を屈め、そして…唇に暖かいものが、触れた。

「次に会った時も俺のことを変わらずカイルと呼んでくれ」

 囁かれた言葉の意味を理解した頃にはカイルの姿は人ごみに紛れて見えなくなっていた。


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