『偶然の恋、必然の愛』

【5】
離せなかったぬくもり





 夕暮れ前にたどり着いたその街はシーヴァとサナトリアの丁度中間あたりに位置し、都市部からは離れていたが結構賑わいのある街である。

 カイルは器用に人ごみをすり抜け、ふと嫌な予感がして振り返ると…そこには案の定というか予想通りというか…リィの姿はなかった。

(…どこではぐれたんだ?)

 こんなことになるなら手でも繋いでおくのだった、と内心舌打ちしながらカイルはリィを探す算段を始めた。



「あれ、カイル?」

 ほんの少し前まで自分の前を茶色い少しクセのある髪が見えていたはずなのに。
 人ごみに閉口してほんのちょっとため息をつく間に見えなくなってしまった。

(どうしよう)

 ここへ来たのは初めてで、カイルがどこへ向かっていたのかなんてことは聞いても判らないので最初から聞いてはいない。

 尤も目的の宿があったのかどうかすら判らないのだが。


(えっと、ずっとこちらへ向かって歩いていたのだから、このまま真っ直ぐでいいのかな…それともどこかで曲がってしまったから、見えなくなったのかな)


 前を見て、右を見て、左を見る。が、人が大勢いるのが見えただけで目的の人物は見当たらない。

 進むべきか、止まるべきか、はたまた戻るべきか。迷子の基本は「動かずその場で待て」だが…

(ここで止まると邪魔、ですよね)

 先ほどから人の流れを妨げていることに気づいたリィはとりあえずこのまま真っ直ぐにすすむことにしたのだが、

「わっ」
「いってぇーっ」

 一歩を踏み出す前に人にぶつかり、リィも相手もしりもちをついてしまった。

「あの、大丈夫ですか?」

 目の前でぶつかった肩を押さえ、派手に痛がる男にリィは恐る恐る声をかける。

「痛てぇって言ってんだろっ、どうしてくれるんだっ」

 見たところ自分はおろか、カイルよりも体格のいい男はリィに凄んで、ふとその顔を見た。

「どうすれば…ああ、そうだ、お医者様に見てもらわなければ…」

 今にも立ち上がり、勢いよく医者を探し出しそうなリィの腕を男は掴んだ。

「いや、医者はいい」

「ですが…」

「なあに、しばらくの間あんたに介抱してもらえればすぐによくなるさ」

 先ほどまでの痛がり様はどこへやら、男はニヤリと笑ってリィを引き寄せようとした。

「どこを傷めたって?」

 さっきまで何ともなかった肩に「刺す様な痛み」を感じ、男はうめき声をあげた。


 どこではぐれてしまったのかは判らないが、とりあえず来た道を戻ることにした。
 リィが道を曲がったりしていなければすぐに会えるだろう。


(フードさえ被せていなければ、苦労せずに見つけられるんだろうがな)


 似たような背格好の人の多さに少々げんなりしつつ、それでもカイルは見落とすまいと目を皿のようにして道行く人を観察する。


(ん?)

 しばらく歩くと人ごみの中、道の真ん中を人々が避けて歩く場所があることに気づいた。

(さっきまではなかったはずだが…まさか)

 何となく、さっき感じたものより更に嫌な予感がしてカイルは足早にそこへ近づいた。

(やはり…)

 予感通り、その輪の中心にいたのは捜し求めていたリィであった。

 しかも、また絡まれているし、本人はそうとは気づいていないし、周りは誰も助けようとはしないし…

 かなりの頭痛と脱力感を感じたものの、確保しなければならない。

 カイルは大きく息を吐いて、輪の中へ一歩を踏み出す。


「どこを傷めたって?」

 男の肩をぎゅっと掴んで睨み付ける。それだけで充分だった。

 男はカイルに威圧され竦みあがり「もう大丈夫だ」などと口走りながらほうほうの体でその場から立ち去った。


「あ、カイル…あの方、本当に大丈夫なのでしょうか?」

 カイルを絡まれていたリィの連れとみなした遠巻きに見ていた人々は、三々五々散って行く。

 まだ道に座り込んだままだったリィに手を差し伸べて、カイルは内心やれやれとため息をつく。

 リィの顔には大きく「心配」の二文字が見て取れる。


「…自分で歩いて行ったんだ、大丈夫だろう」

(こいつは…本気で言っているのだろうな)

 他にもあった言いたいことすべてを飲み込んだカイルの複雑な表情に理由が判らず、首を傾げるリィの手をしっかりと取って再び歩き始めた。





 宿に着き、カイルは気疲れからベッドにどっと転がった。

 リィは向かいのベッドに腰掛け、何か考え込んでいる様子である。

「カイル、さっきの方、大丈夫でしょうか?」

「さっきのって…ああ、さっきの、な。あいつはどこも怪我なんかしてはいない。お前は恐喝されてたんだよ」

「恐喝?」

 恐喝とは相手を脅して金品を巻き上げることだったっけ、と言われた言葉の意味を考えてリィは首を傾げる。

「しかし僕は本当にぶつかりましたよ?」

「あのなあ…俺よりも体格のいいやつがリィにぶつかったくらいでどこかを傷めたりするわけがないだろう」

 カイルの声にはかなりの呆れが含まれていたが、心配のため焦っているリィにそれは伝わらない。

「しかし金品なんて何も要求されませんでした。介抱してくれって…やはりどこか傷められたのではないでしょうか!?」

「ちょっと待て」

 慌てて立ち上がり、外へ出ようとするリィをカイルは手招きし、自らのベッドに座らせた。

「それは違う。奴はお前の顔を見たんだろう。それで目的を金ではなくお前自身に切り替えたんだ」

「僕自身? ああ、そうか。僕は自分であの方の怪我治せますよ。慌てててすっかり忘れていました」

 再び立ち上がろうとするのを今度は上半身を捻って腰にしがみつくことでカイルは阻止した。

 やはりわかっていない。


「だーっ、そうじゃない。あいつはお前の顔と体が目当てでだな…ああ、もういい。あいつは怪我なんかしちゃいない。俺の言葉が信じられなくてどうしても行くと言うなら、俺を振り切っていけ」

 少々ズルイ言い方だと自覚しながらもカイルはしがみつく腕の力を強くした。

「か、カイル、その言い方はズルいですよっ」

 身を捩って離れようとするが、「信じられないなら」などと言われては本気で力を出すことができない。

「僕があなたの言葉を信じられないなんてこと…あるわけないでしょう」

 内心、こんな風にくっつかれてかなりどきどきして、さっきまでとは違った意味で体を強張らせていたが、どうにか努力して力を抜いた。


「わかりました。もう行くなんて言いませんから…放してもらえませんか?」

「イヤだ」

「嫌ってカイル…僕はもう行ったりしませんから」

「それでもイヤだ。しばらく…このままでいさせてくれ」

 しがみつくカイルの声音が先ほどまでと違うことを感じ取り、リィはおやっと思う。


「カイルってもしかして年の離れたご兄弟、えっとお兄さんかお姉さん、いらっしゃいません?」

 先日姪の話を聞いたので、兄弟がいるのはわかっているのだが。

「ん? ああ、兄、がいるが…その話、したか?」

 カイルは急な話の転換に驚きつつ、リィと会ってからの会話を思い返し、腰に掴まったまま首を傾げた。

 リィはその様子にふっと口元に笑みを浮かべ、カイルの茶色い髪に自然と手がいき、優しく梳く。


「いえ、姪御さんのことは聞きましたが。カイルの甘えん坊なところを見て、そうじゃないかなぁと」

「甘えん坊?」

「だって、そうでしょ。こんな風にしがみついて離れないのですから」

「おまっ、これはだなぁ…そんなことより、何で年が離れてるってわかるんだ?」

 甘えん坊呼ばわりをされて恥ずかしかったのか、カイルは軽く咳払いをして話題を変える。

 ただし、手は離さずに。


「以前神殿にいた友人にこんな風によく懐く人がいたんですよ。で、どうしてかと話を聞いてみると年の離れた兄弟がいて、よくこうやってじゃれついていたんだと。僕は一人っ子なのでよくわからないのですが、年が近いと近寄ると喧嘩になるそうですね」

「ん、まあ一般的にはそう言うな」

 クスクスと笑うリィにカイルは少し言い難そうに表情を曇らせる。

「…俺は、兄にはこんな風に接したことはなかったが」

「お兄さんと…仲悪かったんですか?」

 立ち入ったことだとは思ったが、心配そうに躊躇いがちにリィは尋ねた。

 カイルはその問いにただ「いや」と首を横に振る。

「仲は…いいんじゃないかな。少なくとも俺は兄上のことは尊敬している」

「そうですか」

 仲が悪かったわけではないと知ってリィは強張った表情を緩めた。

「ま、色んな兄弟がいるってことだ。さてと、そろそろ飯でも食いに行くか」

 ようやくリィから手を離し、カイルは反動をつけて勢いよく起き上がった。



                  



 今まで人肌なんて温くて気持ちよければそれでいいと思っていた。
 だが…

(中身が違うと、こうも違うものか)

 暗闇だがぼんやりと天井が見える。カイルは手を頭の下で組んで、天井の木目を何となく数えていた。

 今まで何人もの人間と一夜の床を共にした。
 お互い一夜限り、もしくは期間限定の後腐れないものと割り切った関係。だからその肌が「誰」かということにあまり執着したことはなかったのだが。


(別に裸になって肌を合わせたわけではないのにな)


視線のみを隣のベッドへ移すと丁度寝返りを打って向こうを向いたところだった。

 カイルは再び視線を上へ向けると、夕方の出来事を思い出す。

 ただ行動を制限するためにリィの腰にしがみついた。

 別にあの時は手を掴むだけでもよかったのだが…それはまあ、何となく、だ。

 そして服越しにとは言え、一度その温もりを感じてしまうと放すことができなくなってしまった。

 今まで肌を合わせた者には感じたことのない何か――


『後腐れのない相手もいいが、本気の相手は格別だぞ』


 生きることに半ばヤケになっていた、まだガキだった頃に聞いた言葉。

 あの時はただ「どっちにしてもやることは一緒だ」と答えたのだが。


(その通りなのかもしれない)

 ごそっ

(ん?)

 音に気づいて横を向くと、今度はリィの寝顔が見えた。
 あまりいい眠りではないのか、しかめっ面をしている。

 しばらく観察していると、また向こを向いてしまった。

(眠れない、か)

 それはそうだろう。自国の一大事に一人で立ち向かおうとしているのだから心配で眠れなくて当たり前だ。

(夕食もあまり入らなかったようだしな)

 頼んだ料理もやっと半分も食べたところで手を止めてしまっていた。
 
 リィは「量が多い」と言っていたが、そんなことはないだろう。

 カイルもそんな経験はある。
 こんなときに無理に食事を取らせると反対に全てを吐き出しかねないので無理強いはしなかった。

 しかし、この食べられない、眠れない状態が続けば早晩リィの体の方が先に参ってしまうのは明白だ。


(眠らせてやることだけならできなくもないが…)

 薬を使う、もしくは「実力行使」で眠らせることは簡単だ。

 しかしいつ襲われるやもしれぬ状態のときに薬を使って眠らせるのは危険だし、実力行使は二人で旅をするのに後々までわだかまりを引きずることになりかねない。

(ならばさっさと目的地へ着くのが一番だな)

そのためには自分まで参っては洒落にならないとカイルは半ば無理矢理結論付けて目を閉じた。



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