『偶然の恋、必然の愛』

【3】
告白と戸惑い





「ヤバいな…リィ、俺が合図したら走れ。いいな」

「え?」


 共に旅するようになって三日目。

 人里離れた山道に差し掛かったところでカイルは自分たちの後をつける殺気を感じた。

 昨日までは馬で移動していたのだが、この山を越えるまでは悪路のため徒歩での移動に切り替えざるを得なかったのだ。しかし人気のある場所ではその気配は微塵も感じなかったのに。

 どうやら相手はご親切にも人目がなくなるまで待っていてくれたらしい。


「走れって、どういう…あ!」

 その気配に気づき、どきっとして止まろうとしたリィをカイルはそのまま歩き続けるように目で促す。

「わかったみたいだな」

 何事もないかのように平然と歩きながらもカイルは後ろの気配を数える。

(…九、いや十か。キリのいいことで)


 妙なことを感心してみるが、しかし一人で戦うには少々数が多い。

 それでも自分一人ならばどうにでもすることができただろうが、リィを傍に置いて守りながら戦うとなると…歩が悪い。
 
 一体何の理由があって、どちらを狙ってのことかは判らないが、今現在一緒にいることで関係のない方が見逃してもらえるとは到底思えない。

 ならば、自分を楯にしてでもリィを逃すまで――


「リィ、走れっ!」

 掛け声と共にリィの腕を取り、カイルは全速力で駆け出した。

「お前はこのまま先に行け!」

「あなたを置いては行けません!」

 しばらく走った後、カイルは敵を迎え撃つためその場に止まった。
 勿論リィにはそのまま先へ行くように告げたのだが…


「すぐに奴らに追いつかれるんだ」

「だから行けないんです」

「あの数では、守りきれないっ」

「守ってくれる必要はありません」

「しかし…ちっ」


 折角広がった敵との距離は二人が言い争っているうちに簡単にゼロにされてしまった。

 襲ってきたのは人間ではなかった。四肢に鋭い爪を持ち、口は大きく裂け大きな牙を持った獣、か?


「何なんだ、こいつらは!」

 叫ぶより早くカイルは剣を抜いていた。

 見たこともない生き物に戸惑いながらも一匹一匹切り倒していく。不思議なことに斬られた獣は跡形もなく消え去ってしまう。

 そうして四匹目までを立て続けに消したところで一匹が二人を飛び越えて背後からリィに襲いかかろうとするのが目の端に入った。


「リィ、危ないっ」

 咄嗟にリィを突き飛ばしたが、その鋭い爪はカイルの腕をかすった。

「っ!」

「カイル!!」

 リィは傷を受け動きを止めたカイルの元に駆け寄った。

「よくもやってくれましたね」

 カイルの傷の具合を命に別状はないと判断してリィは自らも外套の下に持っていた剣を抜いた。

「赦しません」

 剣を構えて告げる声はカイルも驚くほど冷たいものだ。
 しかし敵にはそんなもの通じなかったのか、いや元々感情など持ち合わせていないのだろう。その声が合図となり、奴らは再び襲ってきた。


 残り六匹を仲良く(?)半分ずつ始末してようやく辺りは静かになった。
 聞こえるのは二人の上がった息をする音だけだ。


「おまえ、剣…使えたんだ。やるなら魔法攻撃だと思っていたが…至近距離で戦うには向いていないか」

 後半部分はぶつぶつと独り言のように自分で言って自分で納得している。尤も、まだ息の上がっているリィにその呟きは聞こえてはいなかったが。

 カイルはリィが剣を持っているのは知っていたが、彼の職業柄使えるとは思っていなかった。
 只のはったりだと思っていたが、中々の使い手だったようだ。


「いえ、あの、剣を誰かに向けて使うのは初めてで…そうだ、カイル、傷!」

「あ? ああ、こんなの舐めておけば治るさ」

 傷ついた左腕をパタパタと軽く振って見せた。

「な、何するんですかっ、いけません! 悪い病気でも入ったらどうするんです。ほら、ちょっとじっとしててください」

 叫ぶと同時にリィはカイルの腕を押さえつけて傷口に右手をかざす。
 そして歌うように呪文を唱えると傷は皮膚にほんのりと赤みを残しただけで綺麗に塞がった。

「もう痛まないですか?」

「あ、ああ…ありがとう。やはりこちらの方が納得できるな」

 回復した左手を曲げたり伸ばしたり、右手で擦ってみたりしながらカイルは呟いた。先ほどの剣捌きよりもこちらの方が余程納得がいく。

「剣は、ちょっと思うところがありまして習いました。でも…僕がもっと早く剣を抜いていれば、カイルは怪我をせずに済んだのに…」

「いや、リィが剣を持っていることを知っていたのに、使えるかどうか確認しなかったのは俺のミスだ。気にするな」

 怪我をしたカイルよりリィの方が蒼白な顔をしていた。
 それに傷はもう治ったのだ、リィのおかげで。

「いいえ、カイル…やはり僕はあなたとは一緒に行けない」

 悲痛な面持ちでリィは告げたが、カイルには予想済みの告白だった。

「またあんなのが襲ってくるから、か?」

「はい。僕と一緒にいたらカイルはまた…」

 怪我をするかもしれない。確かに自分は治癒魔法を使えるが、それでも怪我をした瞬間は痛いし、辛いことに変わりない。

 自分のために誰かが傷つくのは…嫌だ。

 かつて目の前で起きた出来事が脳裏に蘇り、リィはぎゅっと目を閉じた。
 そうすることでその記憶がなくなるものでもないのに。


「それだったら心配ない。リィも剣が使えることが判ったからな。二人いれば少なくとも背後の心配はなくなる。それに、もう手遅れだ」

 手遅れ――その言葉にリィは過去の映像を振り切って目を開け、カイルを凝視する。

「どういう、ことですか?」

 できれば聞きたくはない話の続きを促さねばならないために、リィの声はかすれた。

「奴らは俺たちが一緒にいるのを見た。だからこの先別々に行動したとしても、どちらも襲われることになる。だから一緒にいた方が安全なんだ」

「でも全て倒したのだから…」

「お前本気であれだけしかいないと思っているのか?」

 思ってはいないだろうことを承知でカイルは尋ねた。ここで別行動を主張するリィに押し切られるわけにはいかないのだ。


「…すみません、僕のせいで」

 リィはますます済まなそうにうつむき、唇を噛み締めた。

「いいや、強ちリィのせいとは言い切れないさ。俺にも心当たりがあるからな。最もあんな化け物は見たことがないが。あれは一体何だ?」

 実体を持って襲ってくるくせにやられれば跡形もなく消え失せる。カイルはこんな変な化け物は見たことがなかった。


「あれは魔力で作られた獣です」

「そんな魔法もあるんだな。あんなのに襲われるのはできれば御免被りたいが、綺麗さっぱり消え失せてくれるから後片付けをしなくていいのは助かる」

 神官という立場上、常日頃魔法に馴染んでいるリィにはあの獣がどういう目的で作られたのかが解るのだが、カイルには実感がわかないらしい。
 随分と暢気なことを言っている。


「…何を言っているんですか。殺されても証拠が残らないんですよ。それに作る者に力があればまたいくらでも作れる。こんな厄介な敵はありませんよ」

「作った主を叩かねばならないということか」

 カイルはことの重大さが解ったのか解らないのか、大きくため息をついた。

「カイル、そのことでお話があります」

「襲った奴らの正体か?」

「…はい」

 リィはカイルと出会ったときに話さなかった自らの使命を告げる決心をした。
 この先共に旅するなら、知らせないわけにはいかない。
 それにカイルになら話しても大丈夫だと心のどこかが告げている。

 まだ出合って三日しか経ってはいないというのに――


 リィの決心の固さを見て取ったカイルはただ「そうか」と頷いた。
 しかしこの場に留まって話すのは危険だ。ともかくもう少し先へ進んで安全な場所を探した方がいい。
 二人は先を急いだ。





 急いだが結局その晩は野宿となった。峠を越えたところで日暮れが訪れたのだ。
 暗い中進むのは危険と判断し、少し開けた場所で火を焚く。


「これでよし」

 赤い夕日と似て非なる紅い炎。カイルが火を点ける間、リィは夕日とは逆の方を見ていた。

「どうした、リィ?」

 先ほどからじっと空を見ているリィをいぶかしんでカイルは呼びかけた。同じように空を見上げたが…別に何もない。


「あ、何でもありません。手伝います」

 我に返ったリィはカイルの横をすり抜けて荷解きを始める。
 カイルはもう一度空を見上げたが、やはりリィが何を見ていたのか判らなかった。

「絶対安全とは言い切れませんが、余程近づかれない限りは見つからないと思います」

 今度はカイルが空を見ている間にリィが焚き火を中心とした半径二メートル程の円内に結界を張った。

 空はもう闇に包まれていた。


 二人は携帯用の食料で夕食を済ませ、それぞれ手に酒を少し混ぜた飲み物を持っている。カイルが落ち着くようにとリィに渡したものだ。


「シーヴァ王国のことはご存知ですか?」

 カップの中身を一口口に含んでからリィは重い口を開いた。

「…少しは」

 リィの言う「ご存知」とはその存在ではなく内情のことだ。
 カイルは簡潔に答えて頷く。

「六年前、前王が亡くなられた時、嫡男のラルフ様はまだ十になられたばかりでした。そこで…」

「前王弟のダールが摂政についた」

「はい。ラルフ様が十八におなりになるまで、ということでした」

 パチパチと火の爆ぜる音と風が木々を揺らす音が二人の間を駆け抜ける。

「しかしダールには野心があったわけだ」

 続きを言い澱むリィの言葉をカイルは継いだ。
 リィはビクっと顔を上げた。
 たったそれだけの行動だが、何よりカイルの言葉が正しいことを雄弁に物語っている。


「以前はそのようなことを仰るような方ではなかったのです。もっと穏やかなお方だったのに、急に自分が王だと仰るようになって…」

「まあ、人間誰だって変わるからな。約束の時まであと二年と迫り、幼い甥の代わりをしているうちに自分が今いる地位を返すのが惜しくなったんじゃないのか?」

「いいえ、多分違います。いえ、表向きはそう見えますが、実際には違うんです」

 リィは力なく首を横に振る。

「今のシーヴァ王宮には魔物が入り込んでいます。そう、ダール様とその奥方のキリエ様にとりついています。普通の方には見えないかもしれませんが僕にはその姿がはっきりと見えるのです」

 信じてもらえないかもしれませんが、と小さく付け加えてリィは炎から視線を外した。


「…どうりで嫌な空気が漂っていたわけだ」
「え、それは…どういうことですか?」

 信じてもらえるとは思っていなかったのに…驚いてリィはカイルの顔をまじまじと見つめた。

 カイルはリィの言葉を裏付ける何かを持っているらしい。

 ちらっとリィの方を向いてカイルは少々ばつが悪そうに口元を歪めた。


「さっき言っただろ、あんな化け物に襲われるのはリィのせいだとは言い切れない、と。 実はわけあって城内に忍び込んだんだ」

「ええっ!?」

 カイルの発言にリィは言葉を失った。

「あ、先に言っておくが俺は盗賊ではないから安心してくれ」

 安心してくれと言われても…いや、そもそも心配もしていないが。
 しかし忍び込むとは穏やかではない。

 リィは無言で話の続きを促した。


「城内にいる従姉妹の子供に荷物を届けて欲しいと依頼を受けてシーヴァへやってきたわけだが、城に入った途端、何ともいえない嫌な空気を感じ正面切って入るのは止めた」

 しかしただ嫌な空気を感じただけで依頼を果たせなかったのでは依頼主に納得してもらえない。
 そこで裏口から忍び込んで中を探ってみたのだが、人の形をした別の「何か」が城内を闊歩していたとしか言いようがなかった。


「誰にも見つからなかったと思っていたが、相手が魔物ではそうも言い切れん。だから俺が見つかって襲われた可能性もあるというわけだ」

 忍び込んだときの嫌な空気と昼間の魔物を思い出してカイルの表情は険しくなる。

 カイルは自らの迂闊さを呪った。

「忍び込むのは感心できませんが、城内に入るのを止めたのは賢明だったと思います。もし入っていれば今頃は地下牢の住人となっていたでしょう」

 何てことないかのようにさらっと怖いことを言われてカイルは首を竦めた。


「もう何名もの他国の使者の方が城内に軟禁されています。僕以外の神官たちやダール様の所業を諌めようとした者たちもです。今あそこにいてどれだけの方が自我を保っていらっしゃるか…」

 リィは力なく首を横に振った。

「その軟禁されている人物たちはこの先どうなる?」

「はっきりしたことは何とも言えませんが…操られるだけなのか、ダール様のように魔物に憑かれるかもしくは…」

 職業柄、少なからず魔物というものを知っているリィにはその先の可能性を言うことができなかった。

「そうか…」

 カイルはリィが言った以外にもう一つ怒り得る可能性――ダールが何らかの理由をつけて、牢の住人たちを処刑してしまう――に気づいていたが、あえてそれを口にはしなかった。


「それで中にはまだ自我を保っている人物がいるのだろう? でなければそれほど詳しい事情は判らんだろう」

「はい。しかしその方、ラルフ様も奴らに…。 ラルフ様は最後にサナトリアへ事の次第を伝えてくれと言われました。このままではシーヴァどころか他国も危ないのです」

 大体の事情は判った。カイルは話を聞いて改めて自らの勘のよさ、リィを助けたのは正解だったと思った。
 彼の証言があればこの先の行動が決めやすい。


「でも僕の話だけでは信じてもらえないかもしれない」

 先ほどと同じ小さな呟きがリィの口から漏れた。

「確かに俄かには信じ難いことではあるが、状況を見ればどちらが正しいかすぐに判るだろう。…サナトリアから使者が出ていないと思うか?」

「そう、ですね」

 カイルの言葉にリィははっと顔を上げた。

 ラルフ王子とサナトリアの王妃は縁戚関係にある。それ故二国は他よりも密接な関係を築いている。
 頻繁に使者も行き来していたのだ。ならば王宮の異常に気づいている可能性の方が高い。


「ありがとうございます、カイル」

「何の礼だ? 俺は何もしてないぞ」

「いいえ、僕は先を急ごうと焦るばかりで何も見えてはいなかった。でもあなたの言葉は僕の行くべき正しい道を照らしてくれる」

 心底ほっとした様子でリィは大きく息をついた。

「そんな風に言われると…何だか落ち着かんな。俺は本当になにもしていないし、本来リィならばこのくらいのこと簡単に判ったはずだ。慣れないことの連続で疲れているのだろう。今夜は俺が火を見ているから、もう休んだ方がいい」

 カイルはがさがさと火の中に棒を突っ込んでかき回した。中に新鮮な空気が送られて、一瞬炎が大きく上がり、その顔を照らす。

「しかしそれではカイルが…」

「俺は慣れているから大丈夫」

 手にしていた棒を離し、パンパンと両手を叩く。

「でも」

 更に言い募ろうとするリィに途中で交代する約束をするとカイルはカップを取り上げ、無理矢理リィを横にならせた。

 最初の内はまだ何か言いたそうな目を向けていたが、やはりかなり疲れていたのだろう。リィのまぶたは徐々に落ちていく。

(…カイル?)

 だから眠りに両手両足を絡めとられて意識が落ちるほんの一瞬前、カイルの姿がいつもと少しだけ違って見えたのは気のせい、だろう…。




 リィが眠りに落ちてしまうのを見届けてカイルは小さく微笑んだ。

(目を閉じると面影があるな) 

 記憶に残るその笑顔と目の前の彼を重ね合わせてカイルは昔のことを思い返していた。

 あの時は俺が助けられた。だから…

(何が何でも助けたい…いや、絶対に助ける)

 満天の星空を見上げ、カイルは独り心に誓った。



                  



 翌朝、日が昇ってからリィは目を覚ました。
 ぼんやりと上空に広がる青い空を見ていると、視線を感じそちらを向く。陽光を浴びて茶色い髪が黄金色に見える。

(あ、れ?)

 一瞬フラッシュバックのように何かが見えたような気がしたのだが…。
 その存在を掴みきる前に完全に目が覚めた。


「か、カイル! すみません、交代すると言っておきながら…」

「いや…実は俺も夜明け前頃からうとうとしてしまって起こすのを忘れてた。だから気にしないでくれ」

 とは言ったものの、本当は初めから起こすつもりなどなかったのだ。

 カイルはリィの顔を覗き込んで頬にそっと手をふれた。少しは疲れが癒えていることを確認し、深緑の目を細める。


「カイル?」

 至近距離で微笑まれてリィの胸は早鐘のように打ち、頬に熱が集まるのが判った。ただ、何故そうなるのかはわからなかったが。

「ん、ああ…リィは目を閉じると随分幼く見えるのだなと思ってな」

 カイルは頬を触れ微笑んだ理由を誤魔化した。
 本当の理由を言ってリィとの旅が気まずくなるのは避けたかったのだ。


「幼くって…それ程変わらないでしょう?」

 カイルが話題を変えてくれたことでリィはドキドキする胸をどうにか治めることができた。

「俺は22だぞ」

「ほら、僕の方が一つ上じゃないですか」

「え?」

 カイルは驚いて何度も瞬きを繰り返す。
 同じくらいだろう、とは思っていたが、何故か年上だとは考えてもいなかったからだ。

「僕は23ですから」

「…見えない」

「どういう意味です?」

「そんなことより、その先に小川がある。顔を洗ってきたらどうだ。気持ちよかったぞ」

 少々むっとしたものの、カイルに追い立てられるようにしてリィはその場から離れた。


 リィの姿が見えなくなってカイルは漸く息を大きく吐いた。

 どうもあの澄んだ空色の瞳に見つめられると自分をコントロールできなくなる。
 眠っている姿を見ていた時は何とも思わなかったのに、目が覚めてもまだぼんやりしたリィが自分を見て透明な瞳を取り戻した瞬間、自分の中で何かがはじけた。

 先ほどリィの顔色がよくなっていることを確認し安堵したのも確かだが、その一方で触れてみたいと唐突に思った。
 いや、思いが形になる前に行動に移してしまっていたのだが。

(何馬鹿なことを考えているんだ、俺は)

 カイルは浮かび上がった欲望をかき消すように首を横に振る。

(あいつはダメだ。遊びで手を出していい相手じゃぁない)

 自らに言い聞かせると同時に意識からリィのことを追い出してカイルは手早く朝食の準備を始めた。

 しかし一度火のついた欲望ををなかったことにすることはできないということにカイルはまだ気づいていない…。



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