『偶然の恋、必然の愛』
【15】
事実の終焉
結局、ダールの死は事故死とされ、キリエは病死とされた。 今回の件で監禁されていた人々はカイルが手配していたサナトリアの者たちによって救出され、操られていた者も――中には運悪く亡くなってしまった者もいたが――快方へと向かっていた。 ただ、リィを除いては… リィは実家には帰らず、城内に一室を与えられそこですごしていた。 あれから一日が過ぎたが、リィは食べることや眠ること、そして話すことすらしようとはしなかった。入れ替わり立ち代り人がやってくる――ラルフや神殿の仲間や知り合い、そしてリィの養父――ものの、誰の姿、誰の声にも反応しない。その目に映すことすら避けているようである。 ただカイルが傍にいるのを嫌がる様子はなかったので、カイルは他に誰もいないときはなるべく傍についていた。 「なあ、リィ…お前は、今回のことお前のせいじゃないと言っても聞かずに自分を責め続けるんだろうな」 外はまだ明るく、開け放たれた窓から爽やかな風が吹き込んでくる。カイルは窓枠に凭れかかるように立っていた。 「俺もな…同じだった。俺の母親も俺を産んだことを気に病んで死んでしまった」 今は封印のピアスを嵌め、深緑の左目を手で覆う。 「だから俺が殺したようなもんだ。だけど誰もそのことで俺を責めようとはしなかった。ただ父は俺と関わるのを避け、兄上はお前のせいじゃないと繰り返すばかりだった」 当時を思い出し、ゆっくりと小さく首を横に振る。 「俺は来る日も来る日も自分を責め続け、そんな俺を兄上はただ気にするなと慰め励まし続け…毎日が悪循環だった。そして兄上は元凶であるこの目と力の封印を俺に課した。確かに兄上の言う通りにするのが一番だとわかっているたんだが、あの頃俺は自分の全てを否定されたようでなにやら悲しくて…やはり毎日色々考えた」 自嘲的に笑って手を下ろした。 「そんな絡まった俺の感情を断ち切ってくれたのはリィ、お前だよ。封印のためにシーヴァへ訪れたあの時、お前が俺の目を好きだと言ってくれたから俺は…救われた」 窓枠から離れ、カイルはリィの座る椅子の前に立つ。 「お前もぐるぐると色々考えすぎてどうにもならなくなっているのだろう? だから俺が何も考えられないようにしてやるよ」 カイルは左手でリィの頬に触れ、上向かせた。そして右手を首の後ろに回し、ぐっと自らの方に引き寄せた。 「約束したよな、全てが終わったら報酬を貰うと。今、約束のものを頂くからな」 最初の一つは唇に軽く触れるだけ。 二つ目はもう少し長く。 三つ目は下唇を啄ばむように… そうしてカイルの唇を受け入れていく内にリィの心も溶かされて行く。 口腔内を撫でる舌に翻弄され、漏れる吐息ごと思考も奪われて行く。 絡め合わされる舌から白い靄が生まれぐちゃぐちゃだった頭の中に霧がかかって行く。 もう、何も考えられない―― ただ目の前の、自分に口付けている男に縋りつくことしかできない。 今この手を離してしまえば、どこまでも落ちていきそうな気がしてリィは必死にカイルの背に腕を回した。 「なぁリィ、俺は自分がこんなだから、本気で誰かを想ったことはなかった。だからこの言葉も一生使わなんだろうと思っていた。でもお前になら言いたい…聞いてくれるか?」 「……」 カイルの言葉にリィはのろのろと顔を上げた。 「愛している」 リィの両目から大粒の雫が溢れ出て、膝の上で握った手の甲にぽたぽたと音をたてて落ちた。 「…俺が傍にいる。だから好きなだけ泣けばいい」 そう言われてリィは初めて自分が涙を流していることに気づいた。 だが一度溢れ出した涙を止めることはできず、涙が涸れ果てるまでもう一度カイルにしがみつき、声を上げて泣き続けた。 リィが泣き疲れて眠ってしまうまでカイルは髪や背中を撫で続けた。 一定のリズムで刻まれるその振動にようやく眠りが誘発されたのだろう。カイルにしがみついたままリィの意識は眠りの世界に行ってしまった。 カイルはリィをベッドに寝かせ、窓を閉める。外はいつの間にか夕闇が迫っていた。 リィを起こさぬようそっと涙に濡れた頬を拭い、目じりに軽く口付ける。そして足音を立てないように部屋を出ると、扉の前にはマリオが立っていた。 「リーンは」 「眠った。やっと泣けたから…もう大丈夫だろう」 カイルはそっと扉の方に目をやった。 「そうですか…ありがとうございます」 「俺は…何もしてはいないさ」 深々とお辞儀をされ、カイルは口の端を少し歪めて首を横に振る。 「しかしあなたがいらっしゃらなくては、リーンはどうすることもできなくなっていたでしょう」 「俺は…何も特別なことはしていないさ。ただちょっと、格好つけてみた、それだけだ」 「あなたは…強くなられたのですね」 脳裏に思い浮かぶのは幼い彼が息子のために何かを言いたくて、でも何も言えず、ただ怯えていた幼き日の彼の姿だった。 「そう見えるか? だとしたらリィのおかげだ」 懐かしそうに目を細めたリィのマリオにひらひらと手を振り、カイルはその場を後にした。 翌朝、カイルがリィの部屋を訪れるとリィはゆっくりと、だが自らの意思でカイルの方を向いた。 「美人が台無しだな」 リィの頬に手をやって親指で赤く腫れた目元を拭う。 カイルの言葉にリィはくすっと小さく笑い、その手を取った。 「どうした?」 「…僕はズルくて自分勝手な人間ですよ?」 「どういうことだ?」 (また何か考え込んでいるのか、こいつは…) 忌々しく思ったが、それでもこうやってその思いを外へ出そうとしているだけマシになったのかもしれない。 カイルは話の先を促した。 「あなたと別行動のために一人になったとき、僕はあなたが隠していたことを怒っていたんです。もっと早く言ってくれればよかったのにって」 「それは…その権利は、お前にはあると思うが」 しかしリィは首を横に振る。 「どうして僕を信用してくれなかったんだろうって思いました。でも…そんな簡単なことじゃなかった。僕は今回の件の発端を知って、あなたもそれを知って、それでも僕はあなたと一緒にいたいとは…怖くて言えなかった。拒絶されるんじゃないかと思うと怖くて…怖くて…」 「人間なんて、そんなもんだろ。本当にズルい奴って言うのは、そのことを知っていて前に進もうとしない奴のことじゃないか? ゆっくりでも、どれだけ時間がかかっても前に進もうとするなら、それは…ズルくない」 「カイル…」 「なんて、な。エラそうなことを言っているが、怖くて身が竦んで動けなかった俺の背中を押してくれたのはお前だぞ、リィ」 「僕?」 「お前が俺の目を好きだと言ってくれたからって、昨日も言っただろう」 そう言えばそんなことを聞いた気がする。 だからリィはただ「はい」とだけ言った。 (カイルが前に進むなら、僕も進まなきゃ隣にいる資格はない。まず僕がするべきことは…) コンコン ノックの音に顔を上げると、カイルの手がリィを制しそのまま彼が応対に出た。訪れたのは、マリオとラルフだった。 リィは心配をかけたことを二人に詫び、そして毅然と顔を上げた。 「全てを…話してください、義父上」 (僕がまずするべきことは事実を知ること) 「しかし…」 「もう全て終わった、それで…いいんじゃないか?」 気遣わしげに言うマリオとラルフに対しリィは断固として首を縦には振らなかった。その様子にマリオは重いため息をつく。 「俺は席を外していよう」 今更、という気がしないでもなかったが、この話はシーヴァの王宮内を震撼させるできごとだ。他国の人間である自分が聞いていい話ではない。 しかしカイルが席を立とうとするのをリィはその腕に触れ止めた。 「カイ様…いいえ、カイルあなたにも聞いて欲しい。いて…くれませんか?」 縋るような目と震える指先…カイルは小さく頷いてリィの隣に座った。 「二十四年前の晩秋、エリスと言うなの若い女性が新しい女官として城へやってきました。銀の髪が大変美しい娘だった。彼女のいるところ常に暖かい光が溢れるような、そんな笑顔をいつもしている娘でした。しかし…城へ来て一年もしたころから彼女の顔から笑みが消えていきました。彼女と親しくしていた妻が理由を問いただすと「好きな男性の子ができた」と言うのです」 「好きな、男性?」 リィの問いにマリオはただ頷いた。 「名は…いくら問い詰めても、明かしてはくれませんでした。ただ「一緒になれるお方ではない」と。しかし子供の存在を知られては取り上げられてしまうかもしれない。彼女はそう言って泣き崩れました。女性にとってお腹を痛めて産んだ子を取り上げられることほど悲しいことはない、妻はそう言って彼女を実家のある田舎へ匿いました。そして彼女はそこで息子を産んだのです」 「それが…僕?」 「そうだ。しかし彼女はそれまでの心労が祟ったのか、出産後床に臥せる日が続きました。そんな彼女の元へ見舞いに行くと、彼女は手紙というか数枚の紙片を眺めていました。話を聞くと「捨てなければと思いながらも忘れられずに持ってきてしまった。でも丁度いいから子供に残そうと思う。自分はそう長く生きられないだろうから」そう言ってその紙を託されました」 「……」 「中を見ると待ち合わせ場所と後二言三言、それからイニシャルが書いてあるだけでした」 「イニシャル?」 それまで黙っていたラルフが口を挟んだ。 「はい。ただDとだけ書かれてありました。しかし、私はそれがどなたの筆跡であるか判ってしまったのです」 当時マリオが就いていたのは…ダールだった。 「彼女は子供に父親が誰だとか探さないようにして欲しいと言いました。しかしそれと同時に手紙を渡すことでちゃんと愛されて生まれたのだと教えて欲しいとも…」 「愛されて?」 「そう。父親の方がどんな気持ちで彼女と接していたのかは今となっては判らないが、少なくとも二人でいた時間は愛し合っていた、多分そう言いたかったのだろう」 これはリィにのみ向けられた言葉だ。 彼女が遺した遺言を今やっと果たすことができたのだ。 「それから程なくして彼女は亡くなりました。子供のなかった私たちはその子を引き取り、我が子として育ててきました」 「そのことを誰かに話したことは?」 カイルはずっと気になっていたことを口にした。 「いいえ、誰にも。このことは私も妻も墓場まで誰にも明かさずに持っていくつもりでしたから」 「ではどうして彼は知り得ることができたのだ?」 事情を知っている二人が話したのではない。 そしてリィ自身はまだ事実を知らなかった。 ならばどこから漏れたと言うのだ? 「正確なことは今となっては判りませんが…先日神殿で行われた神事のせいではないでしょうか?」 「神事?」 「はい。あれは私も…驚きました」 「僕が舞を舞った、あれですか?」 「ああ。あの時のお前は…母親にそっくりだった。彼がお前に彼女の面影を見たとしても不思議はあるまい」 言われてリィは神事のことを思い返す。 舞を舞うために白いローブを着ていた。性別不詳に見えただろう。 きっとそれ以外にも、ダールはリィについて調べ、何らかの手がかりは得たのだろう。 今となってはダールがどこから何の証拠を得たのかはわからないが。 そう、あの後からだ…ダールが王位を継ぐと言い出したのは。 リィは唇をきつく噛み締め手を握り締めた。 カイルはリィの拳の上に自らの手をそっと重ねる。それでようやく詰めていた息を吐き、拳を開くことができた。 「カイル、僕の荷物を取っていただけますか?」 旅の支度のまま荷解きしていなかった荷物を指差してリィはカイルに強請った。 カイルも無言で頷くとそれを手渡してやる。 リィは荷物の中に手を突っ込み、中を探ると何やら紙片を取り出した。 そして暫しその束を眺めた後におもむろに火系の魔法呪文を唱えた。 それは瞬く間に紅い炎に包まれ…そして消えてなくなった。 「これで何もかもなくなりました。何も、かも…」 そう、リィの身を明かすものは何もなくなった。 これが今回の事における事実上の終息宣言だった。 |
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