『偶然の恋、必然の愛』
【14】
事実を知る者
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リィを抱きしめたままカイルは窓の外に見える闇を睨みつけた。 この高さから地面に落ちたのでは命はないだろう。 誰もがただその虚空を見つめることしかできない。 「終わった、のか…」 カイルの呟きでようやく時が流れ始めた。 「カイ殿…」 「ああ、ラルフ王子…ご無事で何より」 上から下までざっと見て、怪我がないことを確かめ、少々気の抜けた声で言った。 「終わった、のでしょうか?」 「恐らく」 ほら、と隠し通路に通じる出入り口をカイルは指差した。 そこには配置されていた兵たちが崩れ落ちている。 ダールが闇に消えた後糸が切れた人形のように倒れたのだ。…操り主がいなくなったからだろう。 「城内のあちこちでここと同じようなことが起きているに違いない。すぐに我が配下のものを手配しよう」 カイルが言い終えるかどうかの内に御者に扮した部下がやってきた。 城内の異常を感じ取り、飛び込んできたのだろう。 カイルは二、三の指示を与え、部下はすぐにその場を立ち去る。 「ところで…リーンは怪我をしているのでしょうか?」 先ほどからカイルの腕の中で身動き一つしないリィをラルフは心配そうに覗き込む。 ダールに捕まるまでは怪我一つしていなかったはずだが。 問いにカイルはただ小さく首を横に振った。 それだけでラルフにもリーンの状況は大体の察しがついた。 ラルフもダールに取り憑いた魔物の言葉を聞いていたのだ。 目に見える怪我は、していない。しかし… 「ラルフ王子、一つお尋ねするが…いや、いい」 一度は開いた口をまた閉じてしまう。 今すぐリィの未来が決まってしまうことはないだろう。 だから今自分が手を出すことで話をややこしくするのは得策ではないと判断する。 そうこうしているうちに壮年の男が一人駆け込んできた。 「ラルフ様! …ああ、ご無事で何よりです」 男はラルフに駆け寄り、そして跪く。 「ああ、僕は何ともない。ただ…」 気遣わしげにラルフはカイルを見る。 いや、カイルを見たと言うよりは… 「カイ殿、紹介しましょう。彼はマリオ・ディアナス…リーンの父親です」 「ああ…久しぶり、だな」 「ええ、お久しうございます。ご立派になられまして…」 十五年前に一度会ったきりだったが、カイルは彼の顔を見てすぐに判った。 「あの、ところでそちらのご婦人は…お怪我をされているのでしたら、手当てをなさいませんと」 マリオはカイルに抱きしめられたまま、力なく焦点の合わない目をした女性を見て目の前にいる三人の中で彼女を医者に見せるのが先決と思ったらしい。 しかしカイルとラルフは目を合わせ、なんとも複雑な表情をした。 「…いや、怪我はしていないのだが…ラルフ王子、済まないが着替えてきてもいいだろうか?」 「そう、ですね。そのままでは何かと不都合でしょうし…マリオ、一緒に行って手伝って差し上げてくれ」 そこで名指しされて驚いたのは当然マリオだ。 いくら顔見知りとは言え、他国の王弟とその恋人らしき女性の着替えを手伝うには侍従長とは言え、自分では不都合があるだろう。 マリオは驚いてラルフを凝視する。 「やはり…気づいていないな」 「一目で気づく者はいませんよ。マリオ、あれはリーンだ」 ラルフの言葉にマリオは目を丸くする。 そして女性の顔をよくよく見て…ようやく納得する。 確かにあれは、息子だ。女性の格好をしているから全く気づかなかった。いや、女装しているからというよりは… 「とにかく、着替えだ。マリオ…来てくれ」 リィの腕を自らの首に巻きつけ、カイルはリィを横抱きにして謁見の間を後にした。 数刻前に二人でいた部屋へ戻り、カイルはリィをベッドに下ろした。 が、すぐに着替えようとはせずに、マリオを伴って寝室と続きの間になっている部屋へ移動する。 「カイ様、一体何が…」 「リィ…リーンがあんな格好をしているのは城へ潜入するための変装だ」 「いえ、そのことではなく…私はあの子のあんな表情を見たことがありません」 一目で息子と判らなかったのは思いも寄らぬ「女装」をしていたというのもあるが、それ以上に魂の抜けたまるで人形のような表情をしていたからだ。 本当なら今すぐ息子に駆け寄り、理由を聞き出したいのだろう。 しかし目の前には他国の王弟がいて、ラルフに仕える身としては彼を蔑ろにして息子の元へ向かうわけには行かないのだ。 「さっき…ダールが、いや、ダール殿に取り憑いていた魔物が色々「昔話」をしてくれて、な」 「昔話とは? …まさか!」 声を低くしてぼそぼそと語るカイルの意図するところに思い至り、マリオは目を見開く。 「魔物はダール殿に取り憑くために、彼の心の隙を狙った。それがそのことらしい」 「まさか、そんな…」 知られてはいけない二人に知られてしまった。 マリオはかすれた声で呆然と呟いた。 「で、それを無理矢理聞かされたリーンはああなった。しばらくはそっとしておくのが一番だろう。ただ…」 気遣わしげに寝室の方を見やり、そしてまたすぐに視線をマリオに戻した。 「真相がどうであれ、今のリーンの立場は微妙だ。そこで相談なのだが…リーンを俺に貰えないだろうか?」 カイルの告白、そして提案にマリオは目を白黒させる。 しかし混乱している場合ではない。どうするのが一番いいのか、すぐに今後の対処法を考えたが。 「リーンは恐らく、納得しないでしょう」 「何故だ?」 マリオは大きく息を吐き出し、力なく首を横に振る。 「あの子は真相をうやむやのまま逃げ出せるような子ではありません。ここにいることでどんな未来が待っていようとも、本当のことを知ることを選びます。それはこの二十三年間あの子を見てきた私が一番よく知っています」 カイルが何を危惧しているのかはよくわかっている。 それは自分もずっと持ち続けてきたものだ。元がどうであれ、今までずっと息子として育ててきたのだ。できることなら危険のないところへ連れて行ってやりたい。 しかし息子であるが故にリーンが何を望むかもやはりわかるのだ。 「しかし…」 「我が優秀な教育係を勝手に貰っていかないでもらえますか、カイ殿」 「ラルフ、王子…」 第三者の声に驚いてそちらを見ると、いつからいたのかラルフが立っていた。 「心配されなくてもリーンをどうこうしたりはしませんよ、カイ殿。何なら、リーンさえ良ければ椅子だろうが被り物だろうが差し出しましょう」 「ラルフ様!」 「冗談だ。そう目くじらを立てるな」 「言っていいことと悪いことがございます」 蒼白になり諌めるマリオを片手で制してラルフはカイルと向き合う。 「それに国を救った立役者がいなくては、僕も誰に恩賞を与えてよいのやら、格好がつきません。というあたりでカイ殿、納得していただけませんか?」 「そう、だな」 ラルフの物言いにカイルはぷっと吹き出した。 自分と考え方が似ているのかもしれない。 多分さっき言った「リーンさえ良ければ」云々も本気なら「恩賞を与える相手がいなくなると困る」というのも本気だろう。 どちらにしてもリィが大事だと言外に言われてカイルはようやく肩の力を抜いた。 |
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