『偶然の恋、必然の愛』
【13】
変わらぬ想い
リィは震える手を伸ばし、カイルの左頬に触れた。 「ずっと、探していたんですよ?」 「済まない、言えなくて」 カイルは伏目がちに答えた。 「初めから僕のこと気づいていたんですか?」 「いや、あの酒場で見かけたのは偶然だ。でも朝になってすぐに判った。リィは…変わっていないからな」 くるくるとよく変わる表情。そしてどこかピントのずれた受け答え。だが肝心なところでの驚くほどの勘のよさ。 それは少し一緒に過ごしただけですぐにわかったのだが。 「でも、中身も同じかどうかは判らなかったから」 だから言えなかった。 以前と同じようにこの目を好きだと言ってくれるかどうか判らなかったから。 あの時はまだ幼かったから知らなかっただけかもしれない――紫目の魔物の話を。 知っていれば拒絶される。両親でさえそうだったのだ。 だから魔法を使ってこの目の持つ魔力ごと、封印した。 「僕は…」 何と言えばいいのだろう? 大人になった分、カイルがこの目のことで抱えてきた悲しみや辛さを多少は想像することができる。できるだけに、言葉は出てこない。 「この話はまた後だ。今は…やるべきことがある」 複雑な笑みを残し、ドアに手をかけたカイルをリィは呼び止めた。 「カイル、僕は…」 踵を上げて、唇に触れる。 「好きですよ。さあ、行きましょう」 「…ああ」 この時のホッとしたような、それでいてどこか泣きそうな笑顔をリィは生涯忘れることはないだろうと思った。 (この通路を敵に押さえられていなくてよかった) リィはドレスの裾を手繰り上げて薄暗く狭い通路をひたすら走る。 この道は本来、一部の王族のみが知っているいわば「緊急避難通路」である。 (それにしても、着替えくらいしてくるべきでしたね) 進む毎にばさばさと激しく衣擦れの音がする。 何故リィがこんな「トップシークレット」を知っているのかと言えば、それは城を抜け出すためにラルフがよく利用していたから。リィも何度かそのお忍びに同行したことがあるのだ。 リィは若いがラルフの教育係の一人なのだ。 弱いながらも力を持って生まれたラルフを王子と言う立場上神殿にも魔法省にも入れるわけには行かず、リィが力に関しての教育を仰せつかったのだ。王族や貴族の子女などではよくあることである。 そのため、ラルフの元へと何度も足を運ぶこととなった。 そうして初めてこの通路の存在を偶然知ってしまった――ラルフが抜け出すのを目撃してしまったのだ――時はラルフに対して「迂闊だ」と苦言したのだが、現金なものでこうなってしまうと知っていてよかったと思う。 (ドレスの利点はスカートの中に剣を隠し持つことができるくらいでしょうか?) 衣擦れの音に紛れてはいるが微かに聞こえる剣の立てる硬質な音が聞こえる。 (でもすぐには取り出せないから、咄嗟の時には使えないなぁ) 足に触れるそれを渡した男のことを考える。 (カイルはどうやってこの剣を使えと言うのでしょうね? そもそもこんな策を考え付くのはカイルくらいですよ、きっと) 走る速度は緩めずにリィは眉間に皺を寄せる。 (あー、もう、それにしてももっと早く言ってくれればよかったのに。道理で彼とカイルのイメージが重なってたわけだよなぁ…同一人物なのだから。カイルが言えなかった理由も解らないでもないけど…僕はあんな御伽噺信じてはいないのに) 昔、紫目の魔物がどこかの村でその村の子供をみんな食べてしまった、というのがその話のあらすじである。だが、その話の出所がどこなのか、誰も知らないのだ。 だからリィは神殿の書物庫、果てには城の書物庫まで漁って調べた。結果は…御伽噺は所詮御伽噺でしかなかった。もしそんな事実があったなら、どこかに必ず文献が残っているはずなのだ。 しかしその話を裏付けるようなものは何も出てこなかった。 その結果にリィはホッとした。勿論、その話を信じていたからではなく、これで次に少年に会ったときにそうびしっと言えることが嬉しかったのだ。 (後でカイルに言わなきゃ) 一人で走っていると色んな考えが浮かんでは消え、浮かんでは消え…結局最後に残ったのはカイルのことだった。 (そんなこと考えている場合ではないのに) 苦笑した。今一番考えなければならないことは国のことであり、捕らわれの王子のことである。なのに、気を抜くと出てくるのは… (カイルの言葉じゃないけれど、やるべきことをさっさと済ませて言いたいこと言わなくてはいけませんね) 決意も新たにリィはラルフの元へと走った。 「どちらへ行かれますか、カイ様」 部屋を出て三度曲がったところで従者らしき人間に出会った。力を解放しているのでリィがいなくても相手が魔物に取り憑かれているのかどうか判る。 (こいつは操られているだけだな) 焦点の合っていない瞳と魔法の残り香みたいなものが感じられる。 それに何より自分の目を見ても驚き一つ表してはいない。 「ダール陛下の元へだ」 「ではお取次ぎいたしましょう。暫しお部屋でお待ちください」 一応自分のことは賓客とみなされているらしい。 はっきり言ってこんな時間にこんなところをうろついていたのでは怪しいことこの上ないのに、問答無用で捕らえようとはしてこない。 だが、後一歩でも先へ進もうとすれば事態は急変するだろう。 カイルは「わかった」と一歩下がったが、すぐに振り返った。 「ああ、そうだ…」 従者を呼び止めて、手招きをする。従者は何の疑いもなく――と言うか何も考えてはいないのだろう――カイルの側へやって来て、大人しく拳の餌食となった。 「取次ぎは不要だ。済まんがしばらく眠っててくれ」 目覚めて騒がれても厄介なので、手枷と猿轡を噛ませて手近な部屋に放り込んだ。 同じようなことを何度か繰り返して――尤も次からは操られていようがいまいが、手間を省くために話すこともなく問答無用で眠ってもらったが――後は寝室の扉の前にへばり付いている兵が二人残っているだけだ。 (一度に二人の相手を、音を立てずにするのは無理だな。さて、どうするか) 剣もしくは魔法を使えば恐らくそれほどてこずらずに済ませることができるだろう。しかしここでは血を流したくない。 相手の目的も然ることながらカイルの気持ち的にもそれは避けたかった。 (こういう考え方は甘いのだがな) 相手が信念を持って行く手を阻むと言うなら何の躊躇いもなく剣を振るう。しかし今から相手にしようとする兵はただ操られているだけなのだ。 (仕方ない、か) しかし半ば諦めて一歩を踏み出す前に目的の部屋の扉が開いた。 出てきたのはダールだ。 カイルは慌てて陰に隠れ、様子を窺う。 ダールは扉の前で番をしていた兵に何事かを話し掛けると彼らを引き連れて奥の方へと去っていった。 (悪運が強くて助かった、と言うべきか) どこへ行ったのか気になるところではあるが、こうなっては個別に敵を叩くしかあるまい。 カイルは当初の目的通りの部屋に身を滑り込ませた。 この隠し通路は玉座の間と王子の間、つまりラルフの部屋に通じている。リィは途中の分かれ道でラルフの部屋へ通ずる道を選んだ。 最終的にはラルフの部屋にある書棚の裏へたどり着くのだ。 (この向こうにラルフ様が…!) リィは上がった息を整え扉となっている書棚に手をかけようとしたが、触れる直前、何かに弾かれたように慌てて引っ込めた。 (結界!?) この書棚を動かせば敵に侵入を知らせることとなるだろう。だが正面の扉に回ったところで見張りはいるだろうし、部屋全体に結界が張られていたのでは見張りを倒したとて結果は同じ。 (ならば四の五の言ってないで、突っ切るまでですね) まるで誰かさんと同じ考え方だ、と少し笑った。そしてその笑える余裕が進む勇気をもたらす。 リィは剣を取り出し書棚に向かって構える。 「聖なる光よ我が剣に集いてその力を貸したまえ」 呪文と同時に振り下ろされた剣は眩い閃光を描いて結界を破った。 リィは剣を収め改めて書棚に手をかけると、今度こそそれを横にスライドさせる。ギギッと微かに軋む音を立てながら人が通れるだけの隙間を作り、中に入る。 「ラルフ様、ラルフ様っ」 呼びながら奥へと進んでいく。と、突然後ろから羽交い絞めにされ、何か固いものが首筋に押し当てられた。 「何者だ?」 誰何する声は… 「ラルフ様! 私です、リーンです」 「リーン?」 確かに声は馴染みのあるリーン・ディアナスのものだが。 しかし… 「元より美人だとは思っていたけど…えらく気合の入った格好だな」 武器にしたペンを握ったまま、上から下までしげしげと眺めてようやくラルフはその美女が知人であることを認めた。 「こ、これはカイルが、いえ、カイ様が…そんなことより、早くここを出ましょう。派手に結界を破りましたので、追っ手が来ます」 格好のことを言っている場合ではない。リィはラルフの手を取り元来た道へ駆け出した。 「カイ様と言うと、サナトリアの?」 「ええ、そうです。彼は今、ダール様の方へ向かって…」 言った側からそのダール本人が通路の向こうから来るのが見えた。 (って、ちっとも足止めできてないじゃないですかっ) リィは慌てて方向転換をし、玉座の間へ続く通路を折れた。 「これはカイ様、いかがなされました?」 こんな夜更けに他国の王弟がいきなり寝室に入り込んでくるなどありえない。普通ならここで大声を上げられていることだろう。 だがキリエは動じることなくカイルに微笑みかける。 反対にカイルは俯いて目を伏せ、恥じ入るような表情をしている。 「お許しください、キリエ様。あなたのそのお美しさに魅せられてこのようなところまで来てしまいました」 「まあ、お上手ですこと。あのように美人の姫を連れていらっしゃるのに?」 音を立てずにキリエはカイルに近づく。 「あれは…作られた美しさです。あなたのような本来の美しさではありません」 カイルはゆるゆると首を横に振った。 その様子を見たキリエは妖艶な笑みを浮かべる。 「それは、嬉しいことを。ではもっとよくご覧になって」 キリエはカイルの手を取ると、寝台の方へと誘う。 カイルもそれに素直に従い、そしてそこでようやく顔を上げた。 「そ、その瞳!」 灯りの側へきてやっと顔を上げたカイルの左目の色は、先ほどまでの深緑ではなく濃い紫色をしていた。 驚愕に慄くキリエの手を取ったままカイルはニヤリと笑い、足払いをかけてベッドに押し倒した。 「俺にはお前の本当の顔が見える。そろそろキリエの振りをするのは止めたらどうだ」 『…お前は我が眷属の血を引いているのであろう?』 紫目を持つものは魔物の証、そんな御伽噺が実しやかに人間の間でも魔物の間でも流れている。 その理由は人間に少なく、魔物に紫目を持つものが多いからであろう。 『我らと手を、組まぬか?』 魔物はカイルと密着したことでカイルの持つ力の強さを感じたのだろう。 反撃することは敵わぬと判断したのか、懐柔に出る。 「お前らと手を組んで、俺にどんなイイコトがあるというのだ?」 『ここを拠点として我らが王はこれより人間世界を征服されるのだ。だが我が執り成せばお前を我らの仲間として迎え入れられるだろう。どうだ、悪い取引ではあるまい』 「ほぉ、お前らはそうやって人の心の隙をついて人間に取り憑いたわけだ。差し詰めキリエの隙は永遠の美貌、とでも言ったところか」 『……』 魔物は何も答えなかったが、奇妙に歪んだその表情がカイルの言ったことの正しさを物語っている。 「随分と俺の姫にご執心だったからな、イヤでも気づくさ。さて、無駄なお喋りはここまでだ。俺は魔物の血なんざ引いていないし、お前らに付く気もない。悪いがお前にはここで消えてもらう」 悪いとはこれっぽっちも思ってはいないがそう言ってカイルはキリエの両手を片手で押さえ込み、空いた手を彼女の額に当てる。 『何をする! 俺を殺せばこいつも死ぬぞ。我らはもう一体化しているのだからな』 こいつ、とはキリエ本人のことだろう。魔物はどうにかしてカイルから逃げようともがくが、起き上がることすらできない。 「そうか、そいつはいいことを聞いた。お前を殺れば後々の憂いもなくなるというわけだ」 怯える魔物に向け平坦な口調で言ってのけるとカイルは当てた手からキリエの中にいる魔物に向けて力を放つ。 『っ…ぁ……』 声にならぬ声を上げ、二三度痙攣した後、キリエの体は動かなくなった。傍目にはただ眠っているだけのように見えるが、魔物の気配が消えると同時にキリエも消えた。 魔物の消滅を確認すると、何の感情の変化の色も見せずに立ち上がりカイルはもう一方の魔物を倒すべく部屋を後にした。 玉座の間まで逃げたところで外へ続く扉の方からも兵が現れ、二人は挟み撃ちにされてしまった。 リィはラルフを庇うように丁度部屋の真ん中辺りの壁際に立っている。 「困りますなぁシルヴィア殿。我が甥を誘惑されては」 ダールは連れていた兵を隠し通路の入り口に残し、一人で二人に近づく。 ダールが一歩近づく度にリィたちは一歩下がる。そうしてどんどん端へと追いやられて、とうとうこれ以上下がれなくなってしまった。 「さあお遊びはここまでだ。ラルフには部屋へ帰ってもらおう」 「ラルフ様、逃げてくださいっ!」 ダールの手が将に二人に届く直前、リィはダールに体当たりをしラルフの逃げ道を作った。しかしこの部屋の出入り口は塞がれている。 ラルフはそこからは動いたものの、どちらへも行けずに部屋の真ん中で止まった。 「リーン!!」 ラルフはダールから離れることが一応できたものの、リィは捕まってしまい羽交い絞めにされ顔の前に剣を出される。 「お前は! そうか、逃げたと思っていたが、のこのこと出てきたわけだ、リーン・ディアナスよ」 ダールは可笑しくてしょうがないといった表情だ。 「さあラルフ、大人しく部屋へ戻れ」 もうどうすることもできないのか――リィを人質に取られ、半ば諦めかけたその時、どさっと正面の入り口の方で何かが倒れる音がした。 「済まん。遅くなった」 「カイル!!」 そこには血で濡れた剣を片手に肩で息をするカイルの姿があった。 「ラルフ王子、こちらへ」 室内の状況を見てカイルは舌打ちする。だが何とかしてリィを取り返さなければならない。 「ダールよ、いや、ダールに取り憑いている魔物よ、後はお前だけだ。リィを返してもらおうか」 剣を構え、ダールを睨みつける。しかしダールは動じることなく、笑い出した。 『何故お前に返さねばならぬ? 我が息子を』 ダールの口から発せられてはいるものの、彼の声ではない。 突然の告白にカイルは唖然とした。 「今、何と言った?」 『望みとあらば、何度でも。これは、我が息子だ』 「はっ、どこからそんな冗談を。リィが魔物の息子なわけなかろう」 魔物は人間の心の隙をついて取り憑くようだが、紫目の自分ならばともかく、いくらなんでもこの嘘は馬鹿馬鹿しすぎる。 カイルの声は多分に呆れを含んでいる。 そのことに魔物も気づいているであろうが、その表情は全くかわらない。いや、それどころか更に可笑しそうな顔をした。 『おお、では言い方を変えよう。こいつはダールの息子だ』 「何?」 まさかそんなわけがあるまい、そう思いながらもカイルは、そしてリィもその言葉を笑い飛ばすことができない。 『ダールが昔、戯れに手を出した女官との間にできた子だ。証拠の手紙を持っているのだろう。こいつの養父は生まれたときから知っておったようだぞ? 尤もダールが知ったのはつい最近だがな…その様子だと何か心当たりがあるようだな』 カイルの表情を、そして腕の中でリィが身を強張らせたことで魔物は自らの言葉が正しいことを知る。 『それにしても、この男もこの様な形で初めて息子を抱きしめることになろうとはなあ…』 ダール、いや魔物は然も可笑しそうにくっくっと再び笑い出す。 『息子の存在を知ったダールは何を願ったと思う? ダールは…』 「リィ、聞くな!」 この先の言葉をリィに聞かせてはいけない。 カイルは咄嗟に口を挟んだが、動きを封じられているリィに耳を塞ぐことはできない。 『この男は息子に玉座を贈りたい、そう願ったのだ』 「黙れ」 『よい父親ではないか』 「黙れ、黙れっ」 カイルは叫んだ。 リィはそのあまりの内容に放心している。 一刻も早くあの腕からリィを解放してやりたかったが、剣を突きつけられているので無理はできない。 何よりリィ自身が自分で動ける状態ではなさそうだ。 カイルは何とかして隙を作れないかと機会を窺っていたが…それは意外と早く訪れた。 「…父、上?」 リィの消えてしまいそうなほど小さな呟き。だがそれが魔物の、いやダールの動きを変えた。 剣を持つ手が震えだし、そして終にはそれを放り出すと同時にリィをカイルの方へ突き飛ばす。 『よせ、何をする…止めろっ!』 カイルが慌ててリィを抱きとめる間にダールはふらふらと窓へ歩み寄り、ほんの一瞬だけ振り返るとその身を外の闇の中へと躍らせた。 最後は呆気ない幕切れだった。 |
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