『偶然の恋、必然の愛』
【12】
あせぬ色
「暁の、瞳…」 リィは瞬きすら忘れてその色に見入った。 この十五年間、ずっと忘れることのできなかった色。暁の空を見るたびにどれだけ切ない想いをしたことか… 「ねえ、こんなところで何をしているの?」 神殿の裏にある森の中。 薬草を採りに入って来て先客がいたのに少し驚いた。ここへは神殿の人間がたまに来るくらいである。 しかし目の前に佇む黄金色の髪をした少年は神殿の者ではない。 自分も神殿にいる全ての人間を把握しているわけではないが、その格好からして違うのは一目瞭然。多分、貴族の子弟だろう。 となると、何らかの理由で迷子、か。 「えっと、神殿ならあっちの方だよ」 神殿まで帰ることができれば後は誰かが何とかしてくれるだろう。そう思って神殿の方を指差したのだが、彼はこちらを見ようともしない。 (もしかして聞こえてないのかな?) 振り向かない理由を考え彼に近づこうとして、三歩手前で、 「うわっ」 転んだ。 「い、たたた…」 「おい、大丈夫か?」 さすがに自分がすっ転んだことで同じ年くらいの体格をした彼は他人の存在に気づいたらしい。慌てて駆け寄り、手を差し伸べてくれた。 「はい、どうにか」 転ぶときに地面についた手をはらって、差し出された手を取ろうとして顔を上げた。 「…え?」 絡まる視線。 「うわぁ…」 瞬きすら忘れて彼の左目に見入った。 (結構広いもんだな) しばらくそこで大人しく待っていろと言われたのだが、他国の見ず知らずの場所である。国から、いや城からすら殆ど出たことのないまだ十にも満たない少年がじっとしていられるはずもなく、興味の赴くままに歩く。 で、気づいたときには建物の外に出ていた。鬱蒼と生い茂る森の中だが、歩いてきた道は憶えているから大丈夫。 しかしそろそろ戻らなければ大人しく待っていなかったことがバレてしまう。 (しょうがない、戻るか) 残念だけどこれ以上うろうろして誰かに会ってもいけないし… 「ねえ、こんなところで何をしているの?」 (えっ?) ヤバい。踵を返すのが遅すぎたらしい。 背後から声をかけられてかなり驚いたのだが、それ以上に今はどうやってこのピンチを乗り切るか、それしか頭になかった。 「えっと、神殿ならあっちの方だよ」 (うー、そんなことは判ってる!) 声からは男か女かは判断できない。年は多分自分とそうはかわらないだろうが。 (お願いだから、このままどこかへ行ってくれ) 切に願ったが、叶うどころか後ろの奴は近づいて来て… 「うわっ」 どさっと音がした。 どうやら転んだらしい。 「い、たたた…」 「おい、大丈夫か?」 で、思わず振り返り、手を差し出してしまった。 (か、かわいい…) 自分が陥っている事態も忘れて、その顔をまじまじと眺めてしまった。 月光を紡いだような銀の髪に深く澄んだ湖の色をした目。それから可愛らしい顔。やはり男か女かよく判らないが、服装からして多分、男。 「うわぁ…」 (しまった!) そいつが声を上げた瞬間、状況を思い出し慌てて左目を手で隠したものの…しっかりと見られてしまったようだ。 (どうしよう、どうやって説明すればいい?) (どうすれば兄上に迷惑がかからない?) その時、少年のパニックはピークに達していた。 「ねえ、どうして隠すの?」 「え?」 「綺麗なのに」 「何、が?」 「僕、その色大好きだよ」 目の前の奴が何を言ったのか、頭で理解する前に心がその言葉を受け取っていた。 目を覆っていた左手から力が抜け落ちるのを他人事のように感じた。 彼の目を見ることができたのはほんの少しの間だった。声を上げた途端、彼はすぐに目を手で隠してしまったのだ。 そしてその顔に浮かぶ表情は…怯え。 見られてはいけないものを見られてしまった、彼の表情がそう言っている。 だけどその時リーンが思ったことは色違いの目が変わってるとか巷で流れている「紫目の御伽噺」のことなんかではなく。 「ねえ、どうして隠すの?」 そう、隠す必要なんかないのに。 「え?」 「綺麗なのに」 (僕はこんな綺麗な目、見たことがないよ) 「何、が?」 「僕、その色大好きだよ」 何より大好きな色を持った彼が羨ましかった。 「朝、お日様が昇るほんのちょっと前の空の色だね。僕、早起きは苦手なんだけどその空を見るのは大好きなんだ」 ニッコリと笑ったリーンに彼はただ「うん」と頷いただけだった。しかしそれで充分だったのだろう。 「どっか行くつもりだったんだろ?」 少年は引っ込めてしまった手を再び差し伸べる。 「え? あ、うん。薬草を採りに行くとこだったんだ」 転んだ際に放り出してしまったカゴを拾ってから彼の手を借りてリーンは立ち上がった。 「…一緒に行ってもいいか?」 何故出会ったばかりのそんなことを言ってしまったのか少年にはわからなかった。早く元いた場所に戻らねばならないはずなのに。 ただこの手を、離したくなかった。 しかしそんなことは知らないリーンは立ち上がるために繋がれた手を返事の変わりにそのまま引いて歩き出す。 「僕はリーン。君は?」 「あ、えっと…」 少年は口を開いては閉じ、開いては閉じ…それを何度か繰り返し、複雑な表情になってしまった。どうやら忘れたとかそんなことではない何らかの事情があるらしい。 「言えない? じゃあいいよ。あー、でも何かないと話し難いよね…スミレ君でいい?」 言えないのなら仕方がない。別に名前を知ることに固執しているわけではないので、リーンは今だけ話しやすいようにと妥協案を出したのだが。 「…何で?」 少年はさっきまでとはまた違った複雑な顔になってしまった。 「花の色と葉っぱの色。左目も綺麗だけど、右目の緑も綺麗だから。それで髪の色はお日様の光。それでいい?」 理由を述べたリーンは自らの思いつきに満足しているらしい。 しかし… 「それはちょっと、ヤダ」 提案をキッパリと否定され、リーンはほんのちょっと残念そうな顔をした。 「えー、ダメ?」 だが、すぐにぱっと明るい表情になる。 「じゃあキキョウ君とかラベンダー君とかツユクサは…青いから違うか」 リーンは立ち止まり、少年を振り返った。 否定の理由を「種類」が気に入らなかったからだと判断し、別の名前を挙げてゆく。 「お、おい…」 「それともホタルカズラとかニワゼキショウとかの方がいい?」 「何だよ、それ?」 次々と名を挙げられ、終いにはリーンの言う単語が何を指しているのか――今までの提案からして多分草花の名前だろうが――わからず問い返した。 しかしリーンはその反応を否定と受け取ったらしい。大きくため息をついた。 「じゃあしょうがない。暁君でいい? 右目も髪も入らなくて残念だけど」 何故か少年の持つ三色をかなり気に入ったらしいリーンは全てを合わせた名を作りたかったらしい。 しかしお互いが納得した上で手ごろなのをつけることができず、仕方なく一番気に入っている色を取った。 少年にしてみれば否定した理由はそういう問題ではなかったのだが、これ以上否定し続けたところで納得できるようなものが出てくるとも思えないし、話も進まない。それに元々隠しているのは自分の方なのだ。 少年はこっそりと息を吐いてあきらめに近い肯定として頷いた。 「なぁ、リーンは何の魔法使えるんだ?」 再び歩き出したリーンに少年はさっきから気になっていたことを問い掛けた。 魔法を使える人間は限られている。その多くはその力を持って生まれてくるのだ。力を持たずに生まれたものが――極少数の例外はあるものの――修行などで得られる力ではない。 そして魔法力を持つものは相手が力を持つものかどうか余程隠そうとしていない限り大抵はわかるのだ。 リーンも少年が力を持っていることには気づいていたが、神殿内にいる者が力を持っていても何の不思議もないので気にもとめていなかった。 反対に少年のそばには…いなかった。だから自分と同じ力を持つ同じ年頃の者に興味を持った。 神殿は神に仕える場所であると同時に魔法力を持つ者を導くための場所でもあった。つまり力を暴走させないために色々教えてくれる、ということだ。 同じような意味合いを持つ場所に魔法省というのもあるが、神殿が癒し系を有するものならば魔法省は攻撃系を主に有するものを導くところである。 勿論、神殿には力を持たない、神に仕えるだけの神官もいるが、魔法のために神殿に入り、そのまま神官となった者も多い。 「えっと、火属性の華燭と光焔とか地属性の時流、は勉強中で…あと聖属性が少し」 少年は驚いてパチパチと素早く瞬きする。 華燭――火を点ける魔法。ただし、ハデに。 光焔――光を矢として放つ魔法。結構高度な技。 時流――結界内にいる相手の時間の流れを操る魔法。地属性の中でも最高レベルのものの一つ。 確かこんな感じだったよな、と少年は魔法について持っている知識を引っ張り出した。が、どれもこれも主として攻撃時に使われることの方が断然多いものばかりだ。 「俺も華燭とか少しは使えるけど、お前凄いなあ…何で神殿なんかにいるんだ?」 少年の言うことは尤もだった。リーンの述べた魔法は神殿にいるより魔法省にいてこそ価値のあるものだから。 「何でって言われても…父様がそうしなさいって言ったから」 リーンは彼の問いに自らも首をひねってから答えた。 「ふーん、何かよくわからないけど、お前も苦労してるんだな」 別に苦労した記憶はなかったが、それについては自分も少し疑問に思っていたのでリーンは特に反論しなかった。 「暁君もやっぱり苦労とか、してるんだ」 彼は「お前も」と言った。だから「彼も」何か思うところがあるのだと、ただ単純にそう思った。 「……」 しかし彼は何も答えず、リーンはそれが尋ねてはならないことだったと知る。 「あ、ごめん」 「…いいよ」 「でも…」 やはり気まずい思いをさせてしまったらしい。リーンの心は後悔で一杯になる。 「本当に。お前なら…いい」 しかしリーンの心の内を知ってか知らずか、彼は詳しい理由こそ述べなかったもののあっさりと受け止めて、そして流した。 「俺は…早く大人になりたい。どこへでも好きな場所へ行ける大人に、早くなりたい」 「僕もそう思う。海の向こうとかどうなっているんだろう…一度行ってみたいんだ」 暗くなってしまった雰囲気を回復すべく新たな話題を提供する。 しかしそれでもまだどこか前の話題を引きずってしまったのは、話術に長けていない少年には致し方のないことだろう。 だがリーンはそんな雰囲気を感じているのかいないのか、話を受けて明るく返した。 本当はリーンの言うような外への憧れが理由ではなかったけど、うまく言葉にならなかったので、まあいいか、と少年は思う。それに確かに海の向こうの未知なる世界は魅力的だ。 「知ってるか、海の向こうの島には黄金でできた城があるって」 少年の話にリーンは目をきらきらさせて乗ってきた。 「全部金なの!? すごーい…あ、でもずっときらきらしたお城に暮らしてたら、目が疲れちゃうね」 思いも寄らぬ返事に少年は絶句した。そして、 「…お前、おもしろいっ」 派手に、爆笑した。しばらくの間、お腹が痛くなって、涙が出るほど笑った。こんなに笑ったのは…初めてだ。 「いつか冒険の旅に出たいんだ」 叶うはずがないと諦めて、誰にも言ったことのない希望だった。 でもリーンになら言いたいと思った。 「いいなぁ、僕も一緒に行きたい」 「いいよ、一緒に行こう」 二人一緒ならばさぞかし楽しい旅になるに違いない。 「太陽を追いかける旅だ」 「月の影を踏まなければ、ずっとお昼だもんね」 日が沈めば遊べなくなる、ただそれだけの理由で何処へ行こうとか何をしようとか目的なんかはなかった。 でも二人は真剣だった。冒険に出るためには宝の地図が必要だとか、食べ物をたくさん持っていかねばならないとか、魔法だけではなく剣も使えた方が格好がいいとか、他愛のない話をいつか出かける冒険のために真剣に語り合った。 「リーン、この葉っぱもいるのか?」 「どれ…あー、だめーっ」 少年が草を引き千切ろうとするのをリーンは慌てて止める。 「それはまだ小さいから、採っちゃダメだよ。それにそんな無理に引っ張っちゃ、ダメなんだから」 「そんなの、判んないよ! どれも同じだろ? あー、もう、難しいなぁ…」 結局、少年はリーンが薬草を採る場所までついて来た。 そして薬草採りも手伝っている、というか邪魔している、というか…とりあえず一緒になって地面にしゃがんで草を引っ張っている。 「じゃあこれは?」 「それはいるよ。根っこから抜いてね」 「根っこ!?」 リーンの指示に少年は草を引き抜こうと悪戦苦闘する。 「…ねえ、何か音しない?」 「音? そうか?」 「うん……!?」 リーンは手を止めて辺りを見渡すが、少年は草を抜くことに一生懸命になっていたために気づくのが遅れた。 「暁君、後ろ!!」 「うわっ」 大きな野犬がリーンの叫び声と同時に二人の側の茂みから飛び出してきた。 リーンの言う音の正体はこれだったらしい。 野犬の第一撃はリーンのおかげでどうにかかわせたが、次またいつ襲ってくるか判らない。 ぐるるるる… 少年はリーンを後ろに庇いながら、じりじりと横へ移動する。 (どうすればいい、魔法は…使ってはいけないのに…) 二人は同じ内容のことを違う理由から思い悩んでいた。 リーンは許可なく魔法を使うことを禁じられているから。 少年はもう魔法を使わないと兄と約束したから。 しかしこのままでは二人とも野犬の餌食と成りかねない。 ……! そして両者の間にあった緊張を帯びた均衡は野犬によって破られた。 少年は再び飛び掛ってきた野犬に向かってリーンの持っていたカゴを投げつけ、相手が一瞬怯んだ隙に脇をすり抜けてリーンの手を引き走り出した。 はあ、はあ、はあ… 二人はとにかく一生懸命走った。だが、 「うわっ…」 木の根に足を取られ、リーンが転んだ。 「い、たっ」 しかも今度は足を傷めたらしい。立ち上がろうとしてまたすぐにうずくまってしまう。 「おい、大丈夫…っ!」 少年がリーンに駆け寄ったところで野犬に追いつかれてしまった。 「逃げて!」 「できるわけないだろっ」 がぶっ 「っ…!」 目の前で起きた出来事が全てスローモーションのようにゆっくり見えた。 リーンに跳びかかろうとした野犬とリーンの間に飛び込んだ少年はその鋭い牙に噛み付かれ、少年は持っている力を、解放した―― 「け、怪我…」 少年は血まみれになっていたが、その殆どはかつて野犬だったものの血である。肩で息をしながら少年は「大丈夫」とその手を振った。 「大丈夫なわけないよ! 見せてっ」 這って少年の傍へ行き、リーンは服の袖を捲り上げる。確かに少年の見た目ほどの傷ではないが、それでも浅いとも言い切れない。 リーンの顔は怪我をしている少年よりも蒼白だ。 「こんなの、舐めとけば治る」 「そんなのでいいわけないでしょ! 治さなきゃ…治さなきゃ!」 リーンは未だ血を流し続ける少年の腕を押さえたままがたがたと震え、うわ言のように「治さなきゃ」を繰り返す。と、 「え、リーン?」 リーンの押さえる傷口から何か温かいものが流れ込んできた気がした。そしてそれはしばらく続き、それがなくなると同時にリーンの体がすぅっと前へ倒れた。 「おい、リーン!」 少年が何度呼んでもリーンは目を開けない。 しかし少し早いものの、呼吸はちゃんとしている。どうやら気を失っただけらしい、そう判断して少年はほっと肩の力を抜いて、気づいた。 治っている。 さっきまであったはずの傷は皮膚に微かなピンク色を残すのみで、きれいに塞がっている。 一体どういうことだろう、リーンは治癒系の魔法を使えるとは一言も言ってなかった。 どういうことだ、と少年は首を傾げた。が、すぐにそれよりもリーンを早く神殿に連れて行った方がいいと判断する。確かリーンも足を傷めていたはずだ。 少年は倒れているリーンの上半身を起こして、どうにかこうにか背に負ぶった。 二人が神殿に戻ってからが大変だった。 少年がいなくなっていることに気づいた少年の兄や関係者が大慌てで少年を探して回っていたところへ血まみれの少年と気を失ったリーンが負ぶわれて戻ってきたのだ。 その場にいた大人たちは皆、顔面蒼白で二人に駆け寄ろうとした。 しかし、リーンを抱えた少年は一定距離以上近づこうとしない。大人たちが近づけば、その分少年は後ろへ下がるのだ。 「カイ、どうした、早くこちらへ来なさい!」 兄が呼びかけても少年はただ怯えて首を横に振った。 「カイっ!!」 「お待ちください」 兄は痺れを切らして問答無用で少年を確保しようと一歩を踏み出しかけたが、一人の女性によってそれは遮られた。 女性は少年の兄を制すると彼より一歩前に出てその場でしゃがむ。 「大丈夫よ、誰もあなたを叱ったりしない。その子もよ。だからこちらへいらっしゃい、手当てをしなきゃ、ね?」 手を差し出し、ニッコリと微笑む女性にようやく緊張の糸が切れたのか、少年はその場に崩れ落ちた。 そうして二人意識が戻ったときには別々の場所におかれ、いとも簡単に二人の間は断ち切られた。 当時、まだ幼い子供だった僕には彼がどこの誰でどうなったのかも教えては貰えず、その絆を結びなおす術はなかった。 時間だけが無駄に流れているとそう思っていた。 二人で過ごした時間なんて刹那だし、恋だの愛だの友情だの言うにはまだ幼すぎた。 でも幼いからこその純粋な――想い。 この十五年間、切望し続けた瞳が目の前にある。そう、手を伸ばせば届く所に…。 |
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