『偶然の恋、必然の愛』

【11】
大芝居という名の策





 その時リィは完全に追い詰められていた。

「あの、カイル…ソレどうするつもりですか?」

 ソレ、と指差す先には派手と上品が紙一重で前者が勝っている、そんな感じの「ドレス」がある。

 何故、こんなときに、こんな場所で、こんな物が出てくるのだろうか…

 同行していたカイルの部下二名と共にシーヴァの少し手前で陸地に降り立ち、そこから人目を忍んで街に入った。

 こっそりと宿に入って、リィは伏せられたままだったシーヴァ城へ入るための詳しい策を聞いていたわけだが…嫌な予感がする。


「流石は義姉上…イイ感じに派手だ…」

 カイルはリィとは別な意味で顔を引きつらせ、そして終いには笑い出してしまった。

 忍び込んでもヤバイなら堂々と表から入るまで、と到底策とは思えない策を述べてカイルが荷物の中から取り出したのがそのドレスだったのだ。


「ドレスと言うのは…着るためにあるものだな。まあ脱がせるためと言う奴もいるが」

 どうにか笑いを収めてカイルはリィの質問に答えたが…答えになっていない。


「…カイルが着るのですか?」

 リィの質問にカイルは持ち上げていたドレスを落としてしまった。

 今、何と言った?


「…お前…俺にこれを着せたいのか?」

「えっと…」

 勿論、そんなつもりで言ったわけではないが。

 リィは何と答えたものか返事に困る。

「俺が着たら城に入る前に捕まる。それにどう見てもサイズが合わんだろうが」

(いや、そう言う問題ではない…)

 カイルは咳払いを一つした。

「ダールに謁見するために俺が正面から城に入るのに変装してどうするんだ」

「でしたら…」

 できればその先は聞きたくないのだが。顔を益々引きつらせるリィにカイルはニッコリと笑って言った。

「お前が着るんだよ、リィ」

 当たって欲しくない嫌な予感ほど当たりやすいということを実感した。



                  



 満月に近い月明かりに照らされた街をぼんやりと眺めていた。時刻は既に日付も変わり数刻が過ぎている。

「眠れないのか?」

 かけられた声に驚いて振り向くと眠っていると思っていたカイルがその身を起こしてこちらを見ていた。

「あ、済みません、起こしてしまいましたか。寒いですね、すぐに閉めます」

 慌てて開けっ放しの窓を閉めるために後ろを向く。閉め終えて小さく息を吐くと同時に背中が急に温かくなった。

「添い寝でもしてやろうか?」

 耳元で囁かれてびくっと体を強張らせた。

「また、冗談を」

「冗談が嫌なら、本当にしてやるぞ」

 カイルは後ろから羽交い絞めにしている腕の力をほんの少し強くする。

「僕は…わからなくなりました」

 リィの声が何時になく固い。と言うか緊張している?

「何がだ?」

「僕ほど神を冒涜しているものはいないのでしょうね」


(一体何の話だ?)


 話が飛びすぎて何のことか判らないが、続きを聞けば話がつながるのだろう。


「どういうことだ?」

「僕が神官を勤め続けているのは、この仕事に誇りをもっているからでも遣り甲斐を見出しているからでもありません。…もう一度、出会いたい人がいるからなんです」


(今でも鮮明に憶えている、あの方の持つ薄明の空…)


 カイルは無言で先を促す。


「その方とお会いしたのは神殿でただ一度きり。何処のどなたかも知らないのです。だからもう一度お会いするためには神殿で待つしか方法があり
ませんでした」

 驚いた。他国でも噂になるほどの神官振りを見せているリィの告白。

 カイルは音を立てずに唇を噛み締める。そんなカイルの様子に気づかないリィは話を続けた。


「僕はその方のことがずっと好きなんだと思っていたのですが…カイルと出会って…あのキスで、判らなくなりました」

 ゆっくりと自分を抱きしめるカイルの手に自分の手を重ねる。

「人を好きになるのって難しいですね」

 弱々しい呟きを聞いた瞬間、カイルの中で押さえていた何かが切れた。

 抱きしめていた腕を緩めて自らの方を向かせる。
 頬に添えられた手、近づく顔、そしてゆっくりと触れ、そして離れた…唇。


(温かい)


 そこから温かい何かが流れ込んでくる。リィは花が綻ぶようにふんわりと微笑んだ。

「リィ…嫌ならちゃんと意思表示しろよ」

 何を、と尋ねる暇はなかった。再び合わせられた唇。しかし今度は合わせただけではなく唇を甘噛みされ、驚いて声を上げそうになった。

 勿論、口を塞がれているわけだから不可能なのだが。

 その上、開いた唇の隙間から舌が潜り込んでくる。歯列をなぞり、上あごを撫でられる。そして驚きに縮んでいた舌を探り出されて絡められる。


「んっ…」

(息が…できないっ)

 どうしていいかわからずにリィはカイルにしがみついていたが、とうとう膝から崩れ落ちた。

「おっと」

 肩で息をするリィを床に落ちる前にどうにかカイルは抱き止めた。体の力が完全に抜けて自力で立つことはできないようだ。

 そのままリィを抱き上げベッドの上に下ろした。
 リィはただぼんやりと潤んだ焦点の合わない瞳でカイルを見上げている。濡れた唇が妙に艶かしい。


「…明日はその顔で俺のことを見ていろ。そうすれば絶対にリーン・ディアナスだとばれることはないからな」

 これ以上リィを見ていたら自制が利かなくなる。
 カイルは言い訳のように言い放ち、自分のベッドへと戻った。



                  



「美人は何を着ても似合うな」

「カイル…」

 カイルの呟きにリィは大きくため息をついた。
 褒められているのだろうが…あまり、嬉しくない。

 半ば強引にドレスを着せられ紅を引かれ髪を結われ――考えてみれば髪を結える王弟と言うのも怖いものがあるが――現在のリィはどこから見ても立派な「美女」だった。


「リィの役所はサナトリア王弟の愛人、だ。名は…シルヴィア、とでもしておこうか」

 びしっとカイルに胸元を指差される。

「俺のことしか見ていない、他の事はどうでもいい、そんな馬鹿な女を演じるんだ。ただし相手に何を言われても自分では答えるなよ。声を出せば流石にバレる。何か訊かれたら俺の顔を見るか耳打ちしろ。そうすれば自分では何も答えられないと取ってくれるからな」

「ですが見知った方に出会ったら…」


 何と言うか…カイルは実に楽しそうだ。これから一国の存亡をかけた戦いに出るとは到底思えない緊張感のなさ。

 反対にリィは緊張のあまり胃が縮む思いを――尤もこれは気持ちの問題だけではなく、ドレスのウエストを締め付けているからという理由もあるのだが、リィは気づいていない――しているというのに。


「昨夜の顔をしていればバレはしない。どうしても心配なら、俺にぴったりくっついて誰か来たら顔を隠せばいい」


(起きてからずっと思い出さないようにしていたのに)


 昨夜の顔…そう言われただけでリィは赤面し、俯いた。


「俺はお前のことがお気に入りで片時も離さない、そんなバカ王弟だ。城に入ったら、俺が何を言っても演技だから驚くなよ」

 リィの様子を気にすることもなく話を続けるカイルの格好も常とは違い、例えサナトリア城にいたとしても着ないような豪華絢爛、というかやはり派手な衣装を纏っている。

「それから、何とかして俺が奴らの気を引きつけるから合図したらとにかくラルフ王子の安全を確保しろ。あの二人を御者として連れて行くから、何としてでも二人のところまで行ってくれ」

「しかしカイル一人では…」


 ラルフ王子の名が出た途端、リィは弾かれたように顔を上げた。…今は昨夜のことをうだうだと言っている場合では、ない。


「心配いらんさ。お前に教えてもらった城内の地図はちゃんとココに入っているからな」

 ココ、と自らの頭を指差す。

「他の捕らわれ人は…申し訳ないが後回しだ」

「…はい」

 感情としては皆助けたい。
 だが人数を投入して中で大立ち回りを演じるわけには行かないのだ。その為助けられる人数にも限りが出てくる。となればどうしても優先順位をつけなければならない。


「なぁに、頭を押さえることができれば後はどうにかできる。心配するな」

 ぽんぽんと二回頭に手を置かれた。ただそれだけなのに心が少し軽くなる。

 リィは小さく頷いた。


「よし、それでは姫君、参りましょう」

 気障なポーズで差し出された手。

 リィは一度大きく息を吸って、その手に自らの手を重ねた。

 一世一代大芝居の始まりである。



                  



「これはこれはカイ殿、お久しぶりですな」

 豪華な、と言うよりはけばけばしいと言った方がしっくりくる馬車で突然訪れた隣国の王弟をダールは表面上にこやかに迎え入れた。

「ダール陛下もお元気そうで何よりです」

「陛下」の部分をわざと大げさに言ってカイは優雅に一礼する。それに倣って伴っていた女性も控えめに膝を折る。

 カイの物言いにダールは口の端を歪めて笑った。

「して、そちらの美女はどなたですかな?」

 手振りでソファに座るよう勧めてダールも向かいに座る。二人は間に隙間を作ることなくぴったりとくっついて座った。

「これは…私の一番の宝、シルヴィアと申します」

 カイは上目遣いにダールを見やる。そしてシルヴィアの手を取り、その甲に口付ける。

 シルヴィアの方も少々恥ずかしそうにしながらも、カイにしなだれかかりうっとりと微笑んでいる。「他国の王」と謁見しているという自覚はまるでない行動である。


「ほほう、カイ殿はすっかり骨抜きにされていらっしゃるようですな」

 完全に馬鹿にしきった口調だったが、カイは気づいていないらしい。

「ええ、もうシルヴィアなしでは生きていけません」

 カイの左手は女性の腰に回り、自らの方へと引き寄せる。
 隙間なく座っていた二人の体がより一層密着する。


「それだけ美しければ仕方ありませんな」

「流石はダール陛下、解っていただけますか。やはり我が兄とは違い、お目が高い」

 カイは女性を褒められて実に嬉しそうだ。
 そしてまた、兄王とはどうやらこの女性のことでうまくいってないと見え、兄と言った瞬間顔をしかめる。


(サナトリアのレオはラルフ寄りだが…弟はこちらに付く気か)

 ダールは鷹揚に頷いた。滅多に表舞台に現れない馬鹿王弟ではあるが、サナトリアは大国。付けておいて損にはならないだろう。


「解っていただけぬとは、何ともいたたましいことだ。カイ殿とは気が合う。これを機会に親しく付き合っていただきたい」

「それは願ってもないこと」

 媚びへつらう様な目が何よりそう言っている。

 カイは差し出された手を臣下の礼をして取った。







 その後二人は豪華な晩餐に招待され、そしてやっとあてがわれた部屋へと下がる頃には夜もかなり更けていた。


「さすがに肩が凝った」

「僕はウエストが苦しいです」

 傍らに座るリィの肩に頭を乗せてカイルは小さく笑う。

「いくらお前が細身だとは言え、女物はきついか」

「もう、いつまでこうしているんですか?」

 少し憤慨した様子だが、二人から三歩離れてしまえば小さな声で話す二人の会話は聞こえない。
 つまり傍目には睦言を交わしながらいちゃついているようにしか見えないわけだ。

「もうしばらくこのままだ。見張られている可能性が高い」

「え、本当ですか?」

 言われた途端、リィは再びカイルにぴったりとくっついた。

 カイルもゆっくりとリィの背中を撫でる。

「ああ。俺たちに術をかけようとする素振りがなかったからな。いくら見方に付いたと思ってもそうは簡単に信じないだろうさ。もうしばらく経てば外で騒ぎが起こる。そうすれば見張りも離れるさ。ところでリィ、魔物の数だが」

「ええ、やはり取り憑かれているのはお二人だけのようです。今日会った中では、ですが。他の方は操られているかただ従っているだけなのかは…判りません」

「そうか。ま、それは二人を何とかすればはっきりするさ」

「何とかって…」

「できるだけ物騒なことはしたくないが、な」


 カイルが苦い顔をして言おうとしなかった「物騒なこと」に思い至り、リィは目を一杯に開く。

 できることなら、そんなことにはならないで欲しいが…そうなっても仕方のないことなのだろう。

 リィは「物騒なこと」についてはあきらめがついたが、すぐに別の心配事が湧き上がってくる。


「…あの、どうやって戦うつもりなのですか? 相手は魔法を使ってくるのですよ。いくらカイルが剣に長けていても…」

「大丈夫、心配するな。策はある」

 カイルはリィの頬に唇を寄せた。話している内容は限りなく物騒なのに、二人の行動は限りなく甘い。

 リィはくすぐったそうに肩を竦め、そしてうっとりとカイルの深緑の瞳を見上げた。


「やはり僕はカイルに助けられてばかりですね」

「そうか?」

「そうですよ。全てが終わったらどうやってお礼しようか今から悩んでいるくらいですよ」

「またその話か? どうしてもと言うならば、前回と同じ物を頂くさ」

「前回?」と小首を傾げて瞬きを一つ。 その「モノ」に思い至り、リィは恥ずかしくて顔を伏せた。


「それにしても…お前、役者になれるぞ?」

 城に入ってからのリィの行動を思い出す。演技だと判っているのに何度流されそうになったことか。

 甘く見つめ、手で優しく頬を撫でる。


「カイルが相手役を務めてくださるなら、考えましょう」

 ちょっとした意趣返しのつもりで言ったのだが。
 頬を撫でる手を取って、胸にしなだれかかる。

「それはいい。お前がまたドレスを着ると言うなら、相手になろう」

 簡単に返されてしまった。
 空いている方の手で抱きしめる。

 と、その時俄かに外が騒がしくなった。


「さて、行動開始だ」

 ほんの少し残念に思いながら、カイルは腕を解いた。

「リィはラルフ王子の元へ。俺はこの時間だ、寝室へ…」

「カイル?」


 二人まとめて一緒にいてくれると探す手間が省けて助かるのだが、などと呟きながらカイルは左耳につけていたピアスを外している。

 小さなものなのでどう考えても戦いの邪魔になるとも思えない。
 いや、サナトリアへの旅の間、魔物に襲われたときだって外してなどいなかったのだ。

 リィはその行動の不可解さに眉根を寄せ、そして目を…見開いた。


「暁の、瞳…」


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