『偶然の恋、必然の愛』
【10】
苦労でない苦労
風が気持ちいい。眼前に蒼く煌く湖に遠くに見える山々の緑。 これが戦いに向かうのでなければ言うことないのに。 カイルは努めて背中のぬくもりを意識しないようにしていたが。 「僕はカイルに助けられてばかりですね」 「どうした?」 背中からの声に――嬉しいのだが――仕方なく意識を向ける。 サナトリアを早朝に発って二人は今、天馬でダーム湖の上を飛んでいる。二人の他にカイルの部下が二名ついて来ているが彼ら以外は陸上を進むこととなっているらしい。 サナトリアへ向かうときは陸路でダーム湖を大きく迂回しなければならなかったため、かなりの時間がかかったが空路を取れば二日――夜通し飛べば丸一日――でシーヴァに着く。 乗馬はできるものの天馬に一人で乗ったことのないリィはカイルにしがみつく格好となっている。 「カイルがいなければ僕は何もできないなと思ったんです」 「…天馬に乗れないのは仕方ないだろう。天馬の数が少ないのだから何の憂いもなく乗れると言い切れる人間も少ないに決まってるさ」 「いえ、天馬のことではなく…今回のこと全てです」 「何を馬鹿なことを」 自嘲気味に言うリィにカイルはキッパリと言った。 「リィがサナトリアまで出向かなければ兄上は俺が出ることを良しとはしなかったさ。いや、それ以前にすぐに信じてもらえたかどうか」 多分、全く信じてもらえないということはなかったと思うが、信じてもらえるまでにかなりの時間がかかったことだろう。そして信じたところですぐに救いの手を差し伸べたかどうか…。 これは別にレオが薄情なわけではない。 王としての判断なら勝算なくして出るべきではないのだ。 しかしカイルの策でリィがいれば勝算は高い。だからこそレオはカイルが出ることを許したのだ。 最も、カイルが出たがった理由はサナトリアの為でもシーヴァの為でもなく「リィの為」なのだが。 「カイルが言ったのですよ。何が正しいのか見れば判るって。でもそれだってカイルが前もってレオ様に報告してくださっていたからこそ、僕の話をすんなりと受け入れていただけたのです。僕の話だけでは信じていただくのに時間がかかったと思います」 「それは俺も同じだ。ならばどちらがどう、ではなく二人いたからこそ兄上はすぐに話を信じてくれた。二人だからこそ打って出ることを許してくれた。それでいいではないか」 それはそうなのだが、と考えてリィはふとあることに思い当たる。 「レオ様はカイルのことがとても大切なんですよ」 大切だから危ないことには近づけたくない。兄ならば、家族ならば思って当たり前の感情。 しかし、 「大切と言うか…昔から心配ばかりかけてきたんだ。俺が弟でなければ兄上はもっと楽だっただろうし、母上も早くに亡くなることは…なかったと思う」 「カイル?」 カイルの呟くような告白にリィは戸惑う。 「俺のせいで兄上にはいらぬ苦労ばかりをかけているんだ。だから俺はできるだけ兄上の役に立ちたい。まあ今回のことはこんなにすぐに出るつもりはなかったようだが、いずれは何らかの手を打たねばならなかったはずだ。だから勝算の高い方法で俺が出る。それでいいんだ」 「……」 やはりカイルは家族の愛情というものをわかってはいないらしいが…それはどうやら彼の生まれにある何らかの事情のせいらしい。 だが何も事情を知らぬ自分が首を突っ込んでいいことではないのは確かだ。 リィはカイルにかけるべき言葉を見つけることができなかった。 「済まない、変なことを聞かせて。ところでリィの家族はどうなっているんだ?」 重苦しい沈黙に耐えかねてカイルは話題の転換を図る。が、 「家族は…いません」 返ってきた答えにカイルは思いっきり後悔した。 「それは…」 「あ、気にしないで下さい。確かに血の繋がった家族はいませんが、育ての親には本当の息子のように育てていただきました。僕も彼らを本当の親のように愛しています。だからそれでいいのです」 カイルの声を遮ってリィは自分の言いたいことをまくしたてた。確かに色々思い悩んだ時期もあったのだが、今は心からそう思っている。 それが判ったからこそカイルは尋ねたことを謝るのは失礼だと思い、言葉にするのを止めた。 「それに先ほど家族はいませんと言いましたが、多分父はどこかで生きていると思います。母は亡くなったことがはっきりしているのですが、父についてはよく…わからないのです。でも母が昔父から貰った手紙が何通かあるので、それを頼りにいつか父を探しに行こうと思っていますが」 「そうか」 素直に「見つかればいい」とカイルには言えなかった。 もしかしたら事実を知ることで傷つくことがあるかもしれないから。 血が繋がっていることで傷つく関係もあるのだ。 だが探すなとも言えない。ただリィが傷つかないように祈るばかりだ。 「あの、カイル?」 「ん?」 「カイルはお兄様のことが大好きなのでしょう?」 「ああ」 「だから役に立ちたいと思うのですよね」 「そうだな」 「ならばお兄様もカイルのことが大好きだから、心配されるのではないでしょうか。好きな人のための苦労は苦労ではありませんよ」 カイルは表情を繕うことを全て忘れてしまったような顔になった。 リィの言う通りだ。 目からウロコが落ちた気分だった。 何故今までそんな基本的で当たり前のことを考えようとしなかったのだろう。 …しばし考えてその答えに至り、微笑する。 (俺は今、この行動を苦労だとは思っていないのだからな) カイルは感謝の意として腰に回された手の上に自らの片手を重ねた。 |
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