『偶然の恋、必然の愛』

【1】
旅の始まり





プロローグ

それは運命の女神のイタズラか?



(あれってやっぱヤバイよな?)

 カイルがその酒場に入ったとき、奥の席で銀髪の青年が周りからしきりに酒を勧められていた。別に自分とは全く関係はないのだから放っておけばよかったのだが、あまりにも慣れぬ様子で引きつった笑みを浮かべていたために何となく眺めていた。

(酒に無茶苦茶強いって訳じゃなさそうだし)

 青年は勧められるままにグラスを空けている。そう、かなりのハイピッチで。

(金、と言うよりは顔か?)

 カイルは青年の周りで酒を勧める輩の様子から、彼らの目的を推察する。

(…考えるまでもないか、あの顔じゃ)

 店の中はやや薄暗くはっきりとは見えないが、多分銀の長い髪に目は青、か。そして表情は酒のせいで頬は赤く上気し、目はとろんと潤んでいる。

 いや、そうでなくとも元々整った顔立ちをしているのは誰の目にも明らかだ。

(その上にあの表情では襲ってくださいとオオカミの群れに子羊を放り込むのと変わらんだろうな)

 このまま放っておけばあの青年がどういう運命を辿るか、カイルには容易に想像ができた。

 周りの人間も彼に関わることで厄介事になるのが判っているからだろう、ちらちらとそちらをうかがう様子から自分と同じ想像をしているに違いないのに誰も助け出そうとはしない。

(さて、どうしようか…)

 はっきり言って他人に構っていられる時間はない。ここで騒ぎを起こすなんてのは以っての外だ。だから理性は彼に関わるべきではないと告げているのだが。

(勘は関われって言っているんだよな)

 こんなときは理性より勘に頼った方がいいことは経験上判っているのだが、ではどうやって関わろうか、カイルはいくつかの方法をシミュレートする。

 しかし暢気にあれこれ考えている間に青年の方は更に抜き差しならない常態になったようだ。カイルは横目でそれを察知すると「なるようになれ」と思い切ってろくに方法も決めぬままに立ち上がった。


「お兄さんたち、そろそろツレを返してもらえないか?」

 狙った獲物を後一歩で食べられる、というところで割って入った第三者の声に男たちは睨みつけるようにして声の主を振り返った。

 声の主は茶色い髪に緑の目をした男。

 見たところややくたびれた外装に腰に刺した剣から傭兵か兵士といったところか。身長は高い方の部類に入るだろうが、体格は然程あるようには見えない、というかはっきり言って男たちが彼に下した評価は「ひょろ高いだけの兵士崩れの優男」だった。

 例え相手が傭兵であったとしても、自分たちは相手より体格が勝っている。そこそこ腕にも自信はある。増してやこちらは三人だ。店にいる他の客や主人は既に彼らと係わり合いになることを恐れて見てみぬ振りをしている。目の前にいる男一人を力でねじ伏せることなど造作もない。

 その思いがありありと見て取れる表情を三人はしていた。


「この綺麗どころはお前のツレかい? だったら一晩貸してくれよ。なあに、明日にはちゃあんと返すからよ…ここは大人しく言うことを聞いたほうがお互いのためになるってもんだ、なあ」

 三人の中で最も体格のいい男が酒臭い息を吐きながら言うと、残りの二人も「そうだ、そうだ」と下品な笑みを浮かべて同意した。

 今までなら三人でこういう行動を取ると大抵の相手は簡単に引き下がった。だから今回もそれで済むと思っていた。しかし…

「その提案は聞けないな」

 三人に睨まれているというのに全く怯むことなく、それどころかカイルは口元には微かな笑みすら浮かべている。

「…人が穏便に済ませてやろうって言ってんのが判んねぇのか?」

 先ほどの男が凄みを利かせて立ち上がった。これで言うことを聞かないようなら、少々痛い目を見てもらわねばなるまい。男はそう告げるように両手を合わせてボキボキと音を鳴らす。

「そうだな。ここで騒ぎを大きくするのは得策ではないな」

 男の凄みにも動じることなくカイルはその言葉に言葉上は同意する。その瞬間、彼の表情から笑みが消えた。目を先ほどまでよりやや細めて口元を引き締めた、たったそれだけの変化で、ただの優男から威圧することになれた男へと変化したのだ。

「…っ!」

 蛇に睨まれた蛙のようにカイルの発する威圧感に三人はのまれていた。 しかし三対一だという思いが判断を誤らせた。

「この野郎、いい気になりやがってっ!」

 叫ぶと同時にリーダー格の男がテーブルを蹴飛ばしカイルへと突進する。しかし繰り出された右ストレートを難なく交わすとカイルは重心を低くして男の腹へパンチを一発入れた。

 たったそれだけで呆気無く勝負は決まった。
 
 崩れ落ちてきた男の身体を残り二人の方へ投げつけると最早戦闘意欲はなかったのだろう、両脇から男を支えて三人はほうほうの体で逃げて行った。


「穏便に済ませたかったんだがなぁ…」

 倒されたテーブルや辺りに散らばったグラスの欠片を眺めてカイルはやれやれとため息をついた。しかし起きてしまったことは仕方がない。ここは片付けねばならないが、それよりもまずこの騒ぎの中先ほどからぴくりとも動かない青年の様子を見るべきだろう。

 カイルは瓦礫を一跨ぎして椅子にぐったりと座り込んでいる青年の顔を覗き込んだ。

「寝てるってか?」

 飲まされ続けた酒に酔いつぶれて青年はぐっすりと眠っていた。

 カイルは安心半分、呆れ半分で堪えきれずに笑い出した。

(あれ、この顔どこかで…?)

 笑いながら頭の片隅で考える。見覚えがあるような気はするのだが、まさか?

 カイルが笑い出したことでようやく遠巻きにして見ていた客たちの時間も動き始め、店の主人も恐る恐るカイルに近づいてきた。

「あの…」

「ん、ああ、騒がせて済まなかった。壊れたのはグラスだけだと思うが…被害はこれで足りるか?」

 懐から取り出した袋から何枚かの金貨を主人の手に乗せてやる。しかし主人は「滅相もない」とそれを辞退しようとした。

「やったのはあいつらだとは言え、騒がせた責任は俺にもあるからな。取っておいてくれ」

 返されそうになった金を半ば強引に主人の手に握らせてカイルは「ところで」と話題を変える。

「ここの上は宿屋か?」

「は、はい、そうです」

 街道沿いの酒場ではよくあるのだが、ここも一階が酒場で二階が簡易の宿屋となっていた。

「泊まりたいのだが、部屋はあるか?」

「それは勿論」

 カイルの言葉に主人は笑みを浮かべて大きく頷く。と、同時に思い出したのだろう、眠り込む青年の方へ視線を走らせる。

「彼は酔いつぶれているだけのようだし、放っておいても明日の朝には目覚めるさ。…とは言え、ここにこのまま置いておくわけにも行かないか。俺も今夜は眠るだけだからな、一緒に連れて行こう」

「それではツインのお部屋を用意しましょう」

 明らかにほっとした様子を見せて主人は二人の荷物を手に青年を抱え上げたカイルを部屋へと案内した。



                  



(えっと、ここは何処?)

 
 目を開けるとまず見慣れね天井が見えた。そのぼんやりと霞がかかったような思考のままゆっくりと視線を動かす。と、窓際に男が一人立っているのに気づいた。

(ああ、やっと…)

 やっと、何だ?

 男は外を見ていたのでこちらから顔は見えない。しかし自分は彼の後姿を見て喜びとも安堵とも取れるような感情を憶えた。この感情は一体…


「気分はどうだ?」 

 自らの訳のわからない感情に捕らえられているうちに男が振り返っていたらしい。窓際から離れ隣のベッドへと腰掛けた。

「えっと…」

 彼の顔を眺めながらのろのろと起き上がった。茶色い髪に深緑の瞳。適度に日焼けした肌の色に目と同じ色のピアス。

(知らない人、ですよね?)

 まず何から尋ねるべきなのだろう。現在の所在地か彼の名か、それとも質問に答えるのが先か…

「ノドが乾いただろう」

 微かに感じる頭痛のせいか、考えが上手くまとめられずに混乱していると彼はグラスに水を注いで渡してくれた。手の中のグラスを見て初めてのどの渇きを自覚し、水を一気に飲み干す。

「ありがとうございます。えっと…」

「カイルだ」

「カイル殿。僕はリーン。リーン・ディアナスです」

 リーンの名を聞いてカイルの表情が驚きの色を見せたが、リーン自身はまだ混乱の真っ只中にいたためにそのことに気づかなかった。

「あの、それで僕は何故ここにいるのでしょうか?」

 リーンの言葉にカイルは自分を取り戻す。

「何故って、それは…」

 昨夜の酒のせいで記憶が曖昧になっているらしい。そう判断したカイルの心にムクムクと悪戯心が湧いてきた。

「憶えていないとは悲しいな」

 ややうつむき加減で目元は悲しげに、そして小さくため息のオプションをつけて出来上がり。

「俺と一夜を共にしたと言うのに」

 カイルはリーンのベッドに座りなおすとその手を取り、甲に口づけた。

「えっと、あの、僕…ごめんなさいっ!」

 リーンはカイルの予想通りの反応――真っ赤になって慌てた――をして見せた…半分だけ。後半部分「ごめんなさい」がカイルには何を謝られているのか理解できなかった。

「何を謝るんだ?」

 出来心とは言え、悪戯をしたのは自分なのだ。それなのにいきなり謝られてカイルは冗談だというタイミングを逃してしまった。

「だって、僕が何も憶えてなくてあなたにそんな悲しそうな顔をさせてしまったから…」

(…そう来るか、普通?)

 本気で落ち込んだ表情になったリーンにカイルの心中は思いっきり複雑だった。

「あー、もう、済まない。今のは冗談だ。まさか本気にするとは思わず…いや、言い訳はよそう。本当に悪かった」

 ペコリと頭を下げられて、今度はリーンの目が丸くなる。

「冗談?」

「ああ」

「嘘?」

「そうだ」

「よかったぁ〜」


 へなへなとリーンが前屈みに崩れ落ちそうになるのをカイルは手を伸ばして支えた。

 今の「よかった」は一体何に対しての「よかった」なのだか大変気になるところではあるが、これ以上この件に関してつつくと限りなく恐ろしい回答を得そうでカイルはもう何も聞くまいと思った。

「だったら僕はどうしてここに?」

 改めて問われてカイルは気持ちを切り替えて答える。

「憶えてないか? 昨夜三人組に絡まれてただろ。あの時の酒のせいで酔いつぶれたのさ」

「三人組…絡まれる…?」

 うーんと唸ってリーンは思い出そうと努力した。が、どうもカイルの言葉と記憶にズレがあるようだ。

「えっと確かに三人の方に奢っていただきましたが、絡まれた憶えは…」

 普通に会話をしているつもりだったが、何やら異国の知らない言葉を聞かされたような気になり、カイルは思いっきり、目一杯脱力した。

「何故こんなところにいたのかは知らないが、悪いことは言わない、一人で出歩かない方がいい。さもなくばさっさと神殿へ帰ることを勧める」

「できません! 僕は何があってもサナトリアまで行かねばならないのです!」

 カイルとしては至極当然のことを言ったつもりだったが、やや過剰とも言えるリーンの反応にカイルの方が慌てる。

 叫ぶと同時にベッドから飛び降りようとするのをカイルはリーンの肩を押さえて押し留めた。

「判った、判ったからちょっと落ち着け」

「あ…すみません」

 少し大きな声で諌められて、リーンはようやく我に返った。

「何かわけありのようだな」

「はい。実は…」

「ストップ」

 カイルは尋ねておきながらすぐにリーンの言葉を遮り、唇の前に指を一本立てた。いわゆる音を立ててはいけないときにやるポーズだ。

「え?」

「簡単に喋っていいことなのか?」

「あ…」

 リーンは絶句して視線をカイルから外してうつむく。確かに自分が今背負っている使命は誰かに話していいことではない。

 リーンは自分の迂闊さを呪った。

「そんなに落ち込むなよ。俺はまだ何も聞いていないのだから。ところでその様子だと一人旅のようだが」

 カイルはころころと表情の変わるリーンを内心とても不思議な生き物のように感じていた。

 しかしそんなこと全く知らないリーンは質問に今度はすぐに答えず、返答を頭の中で考える。

「ええ、急いでいましたので」

「しかし一人旅などしたことないだろう?」

「はい。でも行かなければならないのです」

「だがなぁ…今からでも一度戻って供の者を伴った方がいいんじゃないか?」

 リーンはカイルの提案に激しく首を横に振った。

 戻るわけにはいかない。時間も惜しいが、戻って見つかりでもしたら…

 そう考えると急に体内の血がすとんと抜け落ちたような寒気を感じて、リーンは無意識に両手で自分を抱きしめた。


「そうか。なら、一緒に行かないか? 実は俺もサナトリアへ帰るところなのだ。勿論、俺と行動を共にすることが不安でなければだが」

 何もウソは言っていない。しかし最初に悪戯心を出したせいで信じてもらえない可能性のほうが高かった。いや、もしそう言われたのが自分なら信じはしないだろう。

「不安など」

 しかしカイルの内心などどこ吹く風で、とんでもないと言わんばかりにリーンは再び首を横に振る。

 しかしカイルはその様子にため息と共に苦笑した。

 信じてもらえたのは嬉しい。嬉しいのだが…いささか複雑だ。

「どうもあんたは神職についているせいか、人を疑うと言うことを知らないようだな。疑り深いのがいいわけではないが、もう少し気をつけたほうがいいぞ。悪魔と言うのは人の心にこそ住んでいるものだからな」

「しかし、カイル殿にはそのような悪魔が憑いているようには見えません」

 キッパリと言い放たれてカイルは少々顔を赤らめた。

「そう断言されて裏切ることができる者がいるなら、お目にかかってみたいもんだ」

 照れ隠しにぶっきらぼうに呟くカイルにリーンはクスクスと笑う。

「ところでカイル殿…僕が神官であることをあなたにいいましたか?」

 先ほどからカイルの言葉の中に「神殿」だの「神職」だの自分の身分を表す単語が出てきていることにリーンは気づいた。しかし自己紹介のときにそこまで話しただろうか?

 首を傾げるリーンにカイルは今日何度目になったのか数えるのもバカらしくなったため息をつく。

「フルネームを名のってもらったからな」

「名前がどうかしたのですか?」

「…自分がどれほど有名なのか、自覚がないのか」

「は?」

 カイルが何を言っているのか、リーンには全く理解できないといった様子だ。

「銀の巫、リーン・ディアナスといえばシーヴァの神官としてかなり有名だぞ。隠密に行動を取りたいのなら、フルネームを名のるのは避けるべきだな。例えばリーンだから…リィとか」

 カイルの言う「銀の巫」とはリーンの二つ名である。誰が言い出したのか定かではないが、リーンの持つ銀の髪と神事における人離れした神々しさがそう人々にそう呼ばせるのだ。

 理由を聞いてもリーンは納得した様子はなかったが、カイルの忠告には素直に頷いた。

 きっとこれ以上このことで議論をしたところでお互いが納得できる結論には至らないのだろう。だったらお互いの妥協できるところで手を打つしかない。

「ではそうしましょう。カイル殿もそう呼んでください」

 要するにカイルの提案に了承、ということだ。

「わかった。では俺のこともカイルと呼んでくれ、リィ」

 了承の意を新たな名を、リィと呼ぶことでカイルも答える。

「はい、カイル。それではしばらくの間、旅の仲間としてよろしくお願いします」

「こちらこそ」

 リィは優雅に差し出された手をとった。

 二人の旅はここから始まったのである。


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