光集木と守魚
こうしゅうぼくともりざかな

〜前編〜

by 朝永 明





 ここは…どこだろう?

 気がついたら不思議な場所にいた。

 だが「まあいいか」と思う。
 椎名にとってこういった「迷子」はよくあることなのだ。ただし「迷子」と言っても現実世界で、ではない。
 
 椎名はたまにこういった「現実世界ではない場所」に迷い込む。
 「夢」と言ってしまえばそれまでなのかもしれない。椎名自身、現実世界へ戻るきっかけは「目覚め」なのだし、「非現実世界」にいる間、心のどこかで「自分は今夢を見ている」と思っている。

 だからそれで間違いないと思う。
 しかしただの「夢」と言い切ってしまうには…

「リアリティーがあるんだよねぇ」

 他の世界を旅した時もそうだったが、感触とか味といった五感をちゃんと体感している、と思うのだ。
 まあ、そう思い込んでいるだけかもしれないが。

 それでも椎名はこれが「夢」だとわかっていてもいつも楽しもうと思うし、実際楽しんでいる。

「楽しそうなことはとことん楽しまなきゃ、損」

 という持論を持つ椎名はこの世界でいかに楽しく過ごすかを腕組みして考え始めた。



 それにしてもココは今まで経験したどの場所よりも不思議なところである。今まではどこか現実世界と似たような部分を持ち合わせた世界に行っていたのに、ココには全くそんな雰囲気はない。

 ちゃんと歩いているにも拘わらず、足下には何もない。まるで水の中か行ったことはないけど、宇宙空間を歩いているかのような浮遊感。

 地面がないのだから当然空もない。そして太陽とか月と呼べそうなものも椎名の見える範囲では見当たらない。

 そのせいで今自分が置かれている状態で上下が合っているかどうかもわからない。判断するべき対象物がないのだから、しょうがない。

「ま、そのうち何か見つかるでしょ」

 乳白色の薄明るいだけの世界で誰に聞かせるでもなく呟いて、椎名はとりあえず今向いている方向を前と定めて歩き出した。





 どれほどの時間が経った頃だろうか。
 椎名の目にぼんやりと光る何かが浮かんで見えた。

 そしてその周りを何かが飛んでいる。あれは…

「魚?」

 徐々に近づく光の周りを「飛んで」いるのは紛れもなく「魚」だ。
 ただし、椎名の定義で、だ。

「決め付けちゃ、だめだよね」

 椎名のいるココが水の中ではないとは言い切れないし、あの魚に似た生き物が魚以外の生き物であることも十分に考えられるわけで。

 何はともあれ、後学のために(?)もう少し近づいて見てみたい。

 椎名は先ほどまでよりも一層興味津々の面持ちで歩みを進めた。



「うーん、見れば見るほど魚、だよねぇ」

 腕組みをして眼前を数匹の群れで飛び回る――いや、彼らにすれば泳いでいるのかもしれない――生き物を眺めた。

 見た目はやはり椎名のよく知る「魚」に似ている。例えて言うならば椎名は種類に詳しくはないので定かではないが、鯛とかそういう種類の形。

 ただし、サイズがちょっとばかりデカイ。
 口をぱっくりと開けて「いただきまーす」なんて言われた日には、椎名一人くらい軽くいただかれてしまうだろうという大きさ。だから気分的には「魚」というより「クジラ」に近い、かな。

 で、彼らの真ん中に大きな泡粒のようなものが浮かんでいて、その中に、「光る木が生えてるって?」

 ということはやはり自分が今立っている側が「水の中」なのだろうか。

 椎名がそのまま大きく首を傾げたところで、

「バカヤロウ! 食われたいのかっ」

 大声で怒鳴られて、勢いよく腕を引かれた。



 椎名は咄嗟のことでバランスを取ることができず、引っ張られた勢いのまま「地面」に倒れた。

「いたた…」

 転んだ時についた手を払いながら振り返ると、先ほどまで自分がいた辺りを魚がぱっくりと大きな口を開けて通過するのが見えた。

「…気分はまさに鯉のエサ」

 やはりエサとしてお手頃サイズと認識されていたのか。


「お前、死にたかったのか?」

「へっ?」


 あるイミショッキングな出来事に魚にばかり気を取られていたけど、さっき誰かに怒鳴られたっけ。

 思い出して声の主を探すと、彼は椎名の下に敷きこまれて憮然とした表情をしていた。


「あ、ゴメン」

 慌てて椎名は立ち上がり、下敷きにしていた青年に手を貸した。
 そして立ち上がった彼を上から下までとくとくと眺めて、驚いた。

 目がおかしくなったのかと手で何度かこすってみたが、変わらない。

 白い肌に白銀の髪、銀灰色の瞳。

 それだけでも十分光って見えるというのに、彼はココの木と同じく白くぼんやりとした光の粒子を纏い輝いていたのだ。


「死にたかったのなら邪魔して悪かったな。だが死ぬならよそでやってくれ。美観を損ねる」


 あんぐりとした表情で自らを眺める椎名を置いて、彼はもう用はないと言わんばかりにくるりと踵を返した。

 我に返った椎名は慌てて彼の腕を掴んだ。

「ちょっとちょっと待って! えっと…つまりあのままあそこに立ってたら、やっぱりアレのエサになってたってこと、だよね?」

 アレ、と何故か一定以上こちらには近づいてこない魚を指差し、椎名は上目遣いに彼を見上げた。

「知らなかったのか?」

「初心者なもんで」

 振り返った彼に苦笑し、肩を竦めて見せると彼は「おや?」という表情をした。

「お前、どこから来たんだ?」

「さあ…」

 勿論、国や自宅住所を忘れたわけではない。ただ言っても通じないことは明白だ。

 そうなると「わからない」と答えるのと大差はなかった。

 もっとも住所を言って「ああ、三丁目のコンビニの角を曲がって、真っ直ぐ行ったところにあるマンションか」なんて返される方が余程怖い、などど椎名が内心思っていたことは内緒である。






「口に合うかどうかは判らんが、な」

 そう言って彼は自宅に招き入れた椎名にお茶を勧めてくれた。

 泡粒の中のたった一本の光る大木。それが彼の家だったのだ。
 先ほどまで二人がいた位置から九十度くらい回った木の幹にドアがついていた。


「ありがとう」

 カップを受け取り、椎名は一瞬中身をのぞき込んでから口を付けた。

 …初めて経験する味だが、強いて言うならハーブティーといったところか。

 食べ物に関する好き嫌いが結構激しい椎名は飲める味であったことに内心安堵した。



「で、気付いたらあそこにいたって言うのか?」

 向かいの席について彼は話の続きを促した。

「ううん。初めはもうちょっと離れてた。見えてる範囲には何にもないところに最初はいたんだ。それで何かないかなぁって思って歩いてたら、この家が見えたんだよ。光ってるからさぁ、結構遠くからでもわかった」

 光を纏っている割に眩しすぎず、落ち着いて見えるこの木とそして彼を椎名は一目で気に入っていた。

「おまけにさぁ、その周りをおっきな魚が飛んでるでしょ。珍しくって。オレのいた世界じゃ、魚は水の中っていうのが普通だったから。…あ、もしかしてあっち側は水中?」

 あっち、と椎名は窓の外を指差す。

 魚がいるところがココの世界で言うところの「水の中」ならば、椎名の持つ定義と同じなわけで。
 ただしその場合、今度は水についてを考え直さねばならないのだが。


 椎名が小さく首を傾げて会話とは少々外れたことを考えていると彼は少し笑った。と言っても口元を軽く歪めただけなのだが、それだけで彼の持つ人を寄せ付けない雰囲気が随分と和らぐ。

 出会ってからそれほどの時間がたったわけではないので正確なところは判らないが、彼はかなりの無表情だった。

 うわっ…

 何だかもの凄く「いいもの」を見たような気がして椎名は目を丸くしたが、彼は椎名の表情の変化には気付かなかったのか、またすぐに元の無表情に戻ってしまった。

「いいや、あいつらがいる辺りも別に水中ではない。人里にはあまり現れないが、この世界では珍しくも何ともない生き物だ」

 椎名が別世界から紛れ込んだらしいと理解している彼は椎名の問いかけを別に変だとは思わずにいてくれたらしい。簡単に解るだろう範囲で椎名に答えてくれる。

 どうやら水の定義は椎名の持つものと同じだったらしい。

 しかしそうなると新たな疑問が湧いてくる。

「ふぅん、水じゃないのか。あれ、じゃあ何であの魚はこっちへは来れないわけ?」

「結界が張ってある」

「結界?」

「ああ。ただし、最低限しか張ってないから、あまりこの木から離れないほうがいい。あいつらは何でも飲み込むからな。エサになるぞ」

「はぁい」


 やはりあれは飢えた池の鯉だったのだ。

 椎名は首を竦めて返事をした。
 エサになるのはごめんだ。

 見た目がただデカイだけで、ピラニアだとかサメだとかそんな風に獰猛そうには見えないので、結界が張ってあるとは言えその境目がよくわからないのだからついうっかり近づいてしまわないように気をつけようと思う。


「あ、結界とか張れるってことは魔法とか超能力みたいなのが使えるってこと?」

 椎名には結界というのがどういうものか今一つピンとこなかったが、ようするに今自分は水中の泡粒の中にいるようなものと考えればいいのかな、とわかりやすいように置き換えた。

 それからふと「結界」という言葉から、知っている限りのファンタジーとかRPGのストーリーから推察して質問をした。


「ちょう…何たらがどんなものかは知らんが、魔法はつかえるぞ。…お前はどうやら使えないようだが」

 結果、わかったことは彼には超能力という概念はなく、後は椎名の想像通りだった。

「オレの住んでたとこでは使えなくて当たり前だから」

「この世界では全く使えない奴を探す方が難しいな」

「へぇ…魔法使いの住む世界、か」

 頭の中で有名なRPGの音楽を流しながら、感心し呟いた椎名は「あること」に気付いた。


「そういえばさ、どうしてこんなとこに住んでるの? さっき言ったよね、あの魚は人里には現れないって。ということはこの辺って住むにはあまり適した場所じゃないんじゃないの?」

 椎名はただ純粋な好奇心から尋ねただけだった。
 しかし…

「……」

 彼のしかめられた表情から、それが尋ねてはいけない質問だったと知る。


「あ、えっと、その…」

「あいつらがいるから、俺はここに住んでいる。あいつのおかげで誰もココには近寄れない。もっとも、俺の側には誰も近寄らないがな」

 何と言って彼にあんな表情をさせてしまったことを謝るべきか、椎名が考えあぐねている間に彼は先に答えを出してしまった。

 しかしその答えは椎名を更に疑問の淵へと沈めていく。


「どういうことか、聞いても?」

 あんな表情をしたのだ。もしかしたら、いや、きっと彼にとってココに住んでいる理由というのはもの凄く辛いことなのだと思う。

 だけど、できれば…知りたい。
 だから彼には「話さないでもいい」という選択肢も明確に残して椎名は尋ねた。


「…お前には力がないから、わからないんだな」

「力?…ああ、魔法の」

 自嘲気味に言われ、しかし何のことかわからずに首を傾げる。
 だがすぐに彼の意図するところに思い至り、椎名は頷いた。


「もしもオレに力があったら、何がわかるって言うの?」

 彼の意味不明な物言いに椎名はほんのちょっと苛立ちを募らせて聞き返した。

「…力が俺に向かって集まっていることが」

 これまた思いも寄らぬ答えに椎名はわからない苛立ちを通り越し、きょとんとした表情をした。

「えっと、言いたいことがよくわかんないんだけど…力ってもしかしてそのぼんやりきらきらしたやつのこと?」

「見えるのか!?」


 お互いが同じ物を指しているのかどうかはわからないが…多分、合っているだろう。そう判断した椎名は無言で頷いた。


「……そうか」

 つかみ掛からんばかりの勢いで椎名に食って掛かった彼は椎名が頷いたことにより脱力し、椅子に深く腰掛けた。


「もうすぐ、だな…」

 何が何やらさっぱりわからない椎名を放って彼は最初の無表情がウソのようにどこか安堵したような、それでいて痛みを内に秘めたような表情をしていた。


「だから、オレにもわかるように説明して欲しいんだけど、なぁ」

 きっと彼にとってはもの凄く重大なことだとは思う。だがしかし、だからと言って自分の存在を忘れて全くの「蚊帳の外」にされてしまうのは、ちょっと寂しい。

 そりゃ、まあ、部外者なんだから文句は言えないんだけど…

 椎名の少々いじけた独り言は、しかし彼にも届いたらしい。
「すまない」と椎名に謝ってしばし思案の表情を浮かべた。


「さっきも言ったように、この世界に住む者のほぼ全員と言ってもいいほどほとんどが力を持って生まれる。そして自らの力を使いきった者の末路は…死だ。勿論、別な理由で死ぬ場合もあるがな」

 唐突に話し始めた彼に対し、椎名はそこまでは理解できたという意思表示に一つ頷く。


「だが俺は力を持たずに生まれた」

「え、だって、そのきらきらしたのとか、結界だって…第一、今生きてるじゃない!?」

 椎名はパニック状態に陥った。今の彼の言葉ではこれまでの会話が全てウソになってしまう。

 だが椎名の混乱をよそに彼はまた無表情になっている。


「…俺は、俺には相手の力を奪い取ってしまう能力がある」

「ってことは…」

「俺が力を奪い取った者は死に、俺は生き残る。この世界で俺の側にいるということは死を意味するんだ」

「そんなっ」

 途中から半ば先の読めていた答えではあったが、それでも椎名には辛いと思った。

 だが彼にとってはそれが日常だったのだ。
 何でもないことのように話し続けていても。


「そして力のある奴ほどこの世界では長生きする。…俺はもう自分が一体いくつなのかも忘れてしまった」

「……」

 エネルギーを永遠に自動的に補給し続ける体は、時間の制限をあっさりと越えてしまったと彼は告げる。


「だが、それももうすぐ終わりだ」

「どういう、こと?」

 先を聞くのが怖い。
 だが知りたい。

 二つの相反する気持ちが椎名に掠れた声を上げさせる。

「力を持たないお前にも見えるということは、俺の身体に限界がきている証拠だ。俺はもうこれ以上生きていたくはない。だからココへきて自分の持つ力に歯止めをかけるのは…止めた」


 彼に纏わりつくきらきらしたものの正体はこの世界での生命力とも言うべき「力」。
 そして目の前にいる彼はその光を全身から溢れさせて、彼の輪郭をぼやけさせるほどである。


「…限界を超えた力がその身を滅ぼすのを、ただ一人で待っているの?」

 呟きのような問いかけ。

 詰め込みすぎた力は内側から器を壊す――脳裏に爆発し粉々になった入れ物のイメージが浮かび上がり、椎名は知らず知らずのうちに両手で自らの身体をぎゅっと抱きしめていた。


「これが一番確実な方法だ」

 静に答える彼を椎名は身体の力を抜いてただ真っ直ぐに見た。

 彼はこの泡粒という小さな星でただ一本きりの木のお城を持ち、触れ合うことすら叶わない魚だけを従えた一人ぼっちの魔法使いの王様だったのだ。


「さあ、お前を元いた世界へ送ってやる。どこか…はわからないんじゃしょうがない。とにかくお前の世界を明確にイメージしろ。その場所へ送る」


 彼はこの話はもう終わりだと言わんばかりに淡く微笑んだ。
 しかし…

「やだ」

「は?」

「い・や・だ。帰らないよ、オレ」


 提案に、ご丁寧にも一字ずつ区切って反意を唱える椎名に彼は困惑の表情を浮かべた。


「あんたがその…いなくなるまでそんなに時間かかんないんでしょ? だったらオレ最後までココにいる。力を持たないオレだったらあんたの側にいても何の影響もないでしょ?」

 椎名の申し出に彼は目を丸くする。

「いや、しかし…」

「オレのことだったら大丈夫。あっちの世界で朝が来れば、いやでも帰れるから」

 彼は椎名の申し出を断る理由を潰されてやや困ったように眉間に皺を寄せた。

「俺には無理矢理お前を送り届けることもできるんだぞ?」

 そう言いながらも今すぐにそれを実行しない彼に、椎名はなおさらこの世界に留まる決意を新たにさせる。

「じゃあもうオレは自分の世界のことは一切考えない。全然違う世界のこと考えてやる。オレ、こう見えても想像力豊かなんだ」

 ニッコリ笑って嬉しそうに宣言する椎名に彼は嘆息して一言「勝手にしろ」と滞在許可を与えた。

「あ、そうだ。大事なこと忘れてた。オレ椎名。あんたは?」

「…コウ」

「いい名前だね。よろしく、コウ」


 勝手に手を取りぶんぶんと振り回す椎名をコウはただ一瞥しただけだった。








 まずはこの星の大きさを測ることにしよう。

 そう判断した椎名はコウに扉の前に立っていてもらい、真っ直ぐ前に歩き出した。

 何となくこの辺が結界の境目かな?という雰囲気はわかるような気もするが、そこを越えたからって警告アラームが鳴るわけでもない。
 一人で出歩いても大丈夫な範囲を確認しておくに越したことはないと判断したのだ。


「ストップ」

 コウに声をかけられて椎名はその場に留まり、振り返った。
 木からおおよそ二十メートルくらいだろうか。
 椎名はその場から見える木やコウの大きさを目に焼き付けてコウの元へと戻った。


「ありがとう。大体わかったよ。あ、もう一つ聞いていい?」

 椎名が駆け戻ってくるのを待ってコウは再び家の中へ入ろうとしたが、呼び止められ首だけを椎名の方に向けた。


「結界の向こう側ってさ、地面って呼べそうな部分ないじゃない。どうして木の周りだけ地面があるの?」

 ここへ入ってからずっと不思議だったのだ。
 外は地面と呼べそうなものがないから、歩いていても心許ない感じがしたのだが、ここはしっかりと「踏みしめてます」という感触を足の裏に感じる。

「こいつのためだ」

 コウはわざわざ質問することに断りを入れられたのでまた何を聞かれるのだろうと内心どきどきしていたのだが、あまりにもたわいのない質問に少し笑って扉を叩いた。

「この木も力を糧に大きくなるのだが、最初は小さいからな。場所を定めるのに土地が必要だったんだ。根を張っておかないと流れてしまう」

「…この世界の木は移動もするんだ」

 木の根が足になって走り、その後をコウが追いかけるシュールというか実にコミカルな絵を想像して椎名は遠い目になってしまった。


「お前、どんな想像をしてるんだ?」

「うん、ちょっとね…」

 余程変な表情をしていたのだろう。訝しげにコウに尋ねられたが、あまりにも馬鹿げていると思ったので、そのことは言わないでおこうと椎名は決めた。

 中へ入るとコウが部屋の奥にあるベッドを指差した。


「そろそろ俺は寝るが、お前はどうする?」

 聞かれて椎名は窓の外を見た。

「もう寝るの。まだ明るいよ?」

「ああ…ここに夜はないぞ」

「ないの!?」

「この辺にはないな。別の土地に行けばあるが」


 おそらく魚がいるというだけでなく、そんなこともこの辺りに他の者が住んでいない原因になっているのだろう。


「ふぅん。ま、いいや。コウが寝るって言うなら、ココは今夜なんだよ。じゃあオレも寝る…あ」

「何だ?」

「寝てる間にオレのこと帰さないでよ」

 上目遣いで挑むように見られてコウはふんっと小ばかにしたように息を吐いた。

「そんなことするか」

「ホントに?」

「危険だろうが」

「何が?」

 勝手に帰したりしないとただ確約が欲しかっただけの椎名は思いもよらず「危険」と言われてきょとんとした顔になった。

「寝ているお前が何を考えているかなんて俺にはわからんだろうが。そんなお前を無理に帰したらそれこそどこへ行くか…」

「あ、そうか」

 両手をぽんと叩いてようやく納得した様がおかしかったのだろう。少し笑ってコウは手を伸ばし、椎名の茶色い髪をくしゃくしゃとかき回した。

「何するんだよぅ」

 慌てて一歩下がり、コウの手から逃れた椎名は手櫛で髪を直す。と、とうとう堪えきれなくなったといった感じでコウはくすくすと笑い出した。


「ん、もう…変なコウ」

 何故コウが笑っているのかよくわからないけど、最初はちょっと拗ねた様子だった椎名もつられて少し笑った。

「ところでオレ、どこで寝たらいい?」

 家の中を見回して椎名は尋ねた。

「客が来ることは想定していなかったからな」

 コウは椎名と同じように室内を眺める。

 この部屋にあるのは椅子と小さなテーブル、そしてやや大きめのベッド。ただしどれも一つずつしかないし、ソファなんて勿論、ない。

 さっきお茶を飲むときはテーブルをベッドに寄せて椅子代わりにしたのだ。


「うーん…一緒に寝ていい?」

 しばし考えた後、椎名はベッドを指差した。

「いいのか?」

 尋ねたはずなのに、答えではなく反対に尋ね返されて椎名は小首を傾げる。

「何が?」

「お前は…ああ、そうか。いいのか」

「だーかーらー、何がいいの?」

 聞いておきながら勝手に答えを出してしまったコウに、椎名は少し声を上げて問い直す。

「いや…誰かが側にいるのが久しぶりだったから。お前は俺の側に長時間いても大丈夫だったんだと思って」

「ああ、そういうことか」

 コウが何を危惧したのかやっとわかって椎名は大きく息を吐いた。そして今度は断りもなくベッドに上がる。

「ちょっと狭くなるけど、許してよね」

 笑って手招きする椎名にコウは小さく頷いた。





「北極とか南極の白夜みたいなもんかな」

 椎名はコウの向こうに見える窓の外を見ながら呟いた。

「ん?」

「オレの世界にも一日中ずっと明るいまんまとか反対に暗いまんまの場所があるんだ」

「そうか。こんな不便な土地が他の世界にもあったんだな」

「ま、期間限定だけどね」

 コウのベッドは二人で転がっても窮屈ではない程度に広かった。

 寝ると言いながら、二人は横になったまま取り留めもなく話していた。


「お前の世界には魔法はないと言ったが…不便ではないのか?」

「それは大丈夫。魔法はないけど、電気とか…化学はあるから」

「かがく?」

「うん。何て言えばいいのかなぁ…例えば壁についてるボタンを押せば部屋が明るくなったり、目の前にある箱の中に遠くの景色を映し出したり、離れた場所にいる人の声や文字を瞬時に手元に受け取ったり、他にも色々あるけどそういうことは誰にでも簡単にできるんだ」


 生まれたときから当たり前のように存在するものを、それを全く知らない者に説明するのは難しい。
 椎名は困惑しながらもなるべくわかってもらえそうな言葉に置き換えて説明した。


「誰でも簡単に…凄いな」

「うん、まあね。でもそれは自分の持ってる力が元になってるわけでもないし、オレには難しくて説明できないけど、ちゃんとそうなるだけの道具とか仕掛けとか理由とかがあるんだ」

「説明はできないが、使えるのか?」

「うん。じゃあコウはさぁ、魔法とか力についてそれを使えないオレにもわかるように説明できる?」

 椎名はコウの方に身体を向け、片肘を立てて頭を乗せた。

「そう言われると…難しいな。考えたこともなかった」

「でしょ」


 二人は目を合わせて同時に噴出した。


後編へ続く

めいちゃんのお部屋TOPへ
地下室TOPへ