光集木と守魚
こうしゅうぼくともりざかな

〜後編〜

by 朝永 明


 


 眠くなったという記憶はまるでなかったが、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
 椎名はかちゃかちゃと何かがぶつかる音で目を覚ました。

 音のする方を見ると、コウが棚から皿を出している。椎名はそのままぼんやりとコウの動きを目で追っていた。

 火打ち石らしきものでかまどに火をつけ、かめから汲み取った水をそこに置こうとして動きが止まった。


「なんだ、起きていたのか」

 視線を感じたのだろう。コウは料理の手を止め、椎名を振り返った。

「だったら早くこっちへ来い。運ぶのを手伝え」

「うん」

 返事はしたものの未だ覚め切らぬ頭のまま椎名はのそのそと起き上がり、ふともう一度コウを眺めた。

 手際よく調理し、効率よく動いていると思う。料理のできない椎名はそれはそれで凄いと思うのだが…

「ねぇコウ。こういう料理とか、えいって魔法で出すんじゃないんだね」

 RPGとかだと魔法は敵と戦うためだけに使うもののようだが、小さな頃に読んだ絵本とかに載っていた魔法使いはぶつぶつと呪文を唱えて豪華な料理を出していた。
 そのコミカルな魔法使いの絵を思い出して椎名はくすっと笑う。

 コウは椎名の言葉に再び動きを止め、テーブルの上に目をやり、そして再び椎名に視線を戻した。


「…それは無理だな」

 目の前にいる魔法使いは呆れたように言った。

「お前、何故魔法で料理が出てくるなんて思ったんだ? お前のところの…化学とやらでは料理が出てくるのか?」

 食事を半ば近くまで進めてコウは手を止め椎名に尋ねた。

 椎名は顔を上げて「んー」と唸りながら口をもごもごさせ、中のものを咀嚼した。


「基本的には出てこないよ」

 冷凍食品を電子レンジでチンは最初にちゃんと作ってあるからできることなので、違うだろう。

 食べ物ではないが、何も入っていないはずの箱の中からウサギやハトを取り出すのもちゃんとタネや仕掛けがあってのことだから、違う。

 椎名が尋ねたいのはそういうことではない。


「そうじゃなくて…オレが昔読んだ本に出てくる想像上の魔法使いは呪文を唱えて料理を出していたから、そういうもんかなって思ってたんだ」

「成る程、そういうことか」

 質問のタネを明かされてコウはようやく納得がいったようだ。

「ねえ、魔法でもできることとできないことがあるっていうのはよくわかったけど、具体的にはどんなことができるの?」

「そうだな…料理を取り出すことはできるな」

「え?」

 今できないと言われたばかりのことを翻されて椎名は戸惑った。

 椎名が驚いたのが嬉しかったのかコウはニヤリと笑う。


「俺が部屋の外にいてそこからこの料理を取り出すことはできる」

「ええっと、つまり、これを移動させることはできるってこと?」

 コウが指差した皿を椎名は持ち上げた。

「そうだ。ここにできあがった料理がなければ、俺はそれを取り出すことはできない」

「存在しないものは出せないってことだね」

 そういうことだ、とコウは頷いた。

「じゃあ火とか水は?」

「そういう自然界に存在するものは力と引き換えに扱うことができる。ただし両方使えるものもいれば、どちらか一方しか使えないやつもいる。色々だ」

「ふぅん」


 確か「僧侶」は回復呪文で「魔法使い」は攻撃呪文、そして「賢者」は両方を使える。
 そういうことなのだろうと少々ずれた納得の仕方をして椎名は頷いた。


「で、コウはどういうのが使えるの?」

 力がたくさんあるとは言っても、できることとできないことはあるのではないだろうか。椎名にとってはそんなただの好奇心だった。


「…さぁ、何ができないのだろうな」

「さぁって…」

 自分のことなのに、あまりに他人凝議な物言いに椎名は言葉を詰まらせる。


「火、水、風、土、光、闇が魔法の基本だ。俺は…全て使える。いや、本来なら俺の力ではなかったものばかりだがな」

「あ…ゴメン」

「かまわない」

 何故コウがそんな言い方をするのかようやく理解し、椎名はしまったと思った。

 しかしコウは全く気に触った様子はない。
 ならば、と椎名はもう一つ気になっていたことを尋ねることにした。


「ゴメンついでにもう一つ聞いていい?」

「なんだ?」

「どうして使わないの? さっき火つけるのに道具使ってたじゃない」

 料理の手際がいいと感心しながら頭の隅で何かが引っかかっていたのだ。

 ――自分がココへ来てからコウは一度も魔法らしきものを使っていない、と――


「見てたのか」

「うん」

「使えば…力が減るだろう」


 とても静かな答えだった。


 コウは…自身の消滅のために力を集めているのだ。


 それを思い出して椎名はそんなコウに何かを言いたかったが、結局何の言葉も出てはこなかった。

 二人は無言で食事を続けた。






 食事の後、椎名は魚を見に結界の端ぎりぎりまで行った。

 魚はゆっくりと周りを泳いでいる。

 彼らは一体何を考えて生きているのだろう?


 そんなことを考えていた。

 彼らはエサのことや子孫を残すことを考えているのだろう――生きてゆくために。
 きっとその他の難しいことなんて何一つ考えてはいないに違いない。


「けど、シンプルだけどそれが一番大事なことなんだよね」

 そうしてしばらくの間、魚を眺めながら椎名は色々考えた。






 部屋に戻るとコウはベッドの上で本を読んでいた。

 椎名はそっと近づき隣に座るとコウの肩にもたれかかった。


「何だ?」

「うん…」

 尋ねられ返事はしたものの、椎名の視線は宙を彷徨っている。

 コウはしばらく返事を待ったものの、再び本に視線を落とし、ページを繰り始めた。

 そうしてどのくらいの時間が経った頃だろうか。



「何でオレ、ココにいるんだろうね」

 ぽつりと椎名が呟いた。

「帰りたくなったか?」

 ページを繰る手は止めたものの、コウの視線は依然本に向けたままだ。


「ううん、そうじゃない。帰りたいんじゃなくて…どうしてオレ、ココに来ることになったのかなぁって。オレであることに何かイミあるんだろうか」

「さあな。それは誰にもわからないんじゃないか? ただ俺は…」


 そこで言葉を切ったコウの話しの続きが聞きたくて、椎名はもたれかかっていた身体を起こし、コウの顔を正面から覗き込んだ。

「もしも俺の最後に誰かが立ち会うのが初めから定められていたことだとしたら、その誰かがお前でよかったと思う」

「どうして?」

「この世界の者だと俺がいなくなる前にそいつがいなくなってしまうだろうし、よその世界からお前みたいにやってくるのだとしても…やはりお前がいい」

「だから、どうしてオレなの?」

「…何となく」

「…そっか」


 結局疑問に答えは出なかった。でも椎名はそれでいいと思った。

 椎名は微笑んで再びコウにもたれなおした。


「そういえばコウはさぁ、オレがこの世界の者じゃないってわかっても別に驚かなかったよね」

「そうでもないが、な」

 言外に最初の無表情のことを指摘するとコウは苦笑した。


「驚いてはいたが…俺にはそれが可能なことを知っていたから。ただ…」

「ただ?」

「興味を持つ前にさっさと帰してしまおうと思った」

「興味?」

「ああ」

「興味か。それでコウはオレがココに残るって言う前はオレのことあまり聞かなかったんだ」

「気付いていたのか」


 答えを聞いて椎名は一人うんうんの頷きながらベッドに完全に登ってあぐらをかいた。

「あれ…コウ。コウはオレのこと送り返すことができるって言ったよね。じゃあ自分がよその世界に行くこともできるんじゃないの?」

「ああ、できる。だが、無駄だった」

 椎名が何を言い出そうとしているのか先にわかったのだろう。コウは質問を聞く前に答えを出す。


「別の世界へ行っても俺の身体は力を集め続けた」

「…そっか」


 ココではないどこか別の世界へ行けばコウにも普通に寿命が訪れるのではないかという椎名の考えは打ち砕かれた。


「付け加えて言うなら、無理に死のうとしてもそれもできなかった」

「え?」

「刃を胸につきたててみても身体が勝手に自動修復してしまうし、あいつらに…」
 と、コウは外の魚を指差す。

「食われてみても、死ぬのはあいつらだった」

「辛かったね」


 膝立ちになって椎名はコウの側へ行き、そして彼の頭を掻き抱いた。

「時間はかかったが、こうやって方法は見つかったんだ。だからお前が泣くな」

「うん…」

「お前が望んだからとは言え、辛い役目をさせようとしていることはわかっている。でも、だからお前には笑っていて欲しい」

「うん…わかってる。ごめん。でも、少しだけ」

 白銀の髪に透明な雫は音を立てずに落ち続けた。






 ある夜、椎名はふと目が覚めた。
 外の風景からは判断できないが、隣でコウがまだ眠っていることから起きる時間でないことだけはわかる。

 コウは…随分と光で白くなった。
 出会ってまだそれほどの時間は経っていないというのに、彼の輪郭はどんどん薄くなって行く。

 まるで星の寿命のようだと思った。

 確か…こういうのを白色わい星って言うんだっけ。
 とんでもなく長い間生き続け、そして最後には宇宙に溶け込んで見えなくなる星のことを。

 星の最後としては一番穏やかな方法。だけど、それが本当に幸せかどうかなんて…


「誰にもわからない」


 椎名の住む世界には、いや多分どこの世界にでも「永遠の命と若さ」を求める奴はいるだろう。椎名はそんな奴らに問いただしてみたくなった。


『例え一人きりになっても永遠を望むのか』と。


 椎名は少しだけコウに擦り寄って再び目を閉じた。





 こうして数日の間、互いに気が向けば共に過ごし、そうでなければ相手の気配を微かに感じるのみで会話を交わすこともなく過ごす。

 そんな濃密で希薄な時間を二人は堪能した。





 そして…



「向こうが透けて見えるね」

「鏡に映らないのが不思議な感じだ」

「コウは…一番たくさんの色を混ぜた光になるんだよ、きっと」

「一番たくさんの光?」

「うん。オレのいた世界ではね、光の三原色って言って、赤い光と緑の光、そして青紫の光を混ぜると透明な光になるんだ」

「へぇ」

「だから、たくさんの力を集めたコウは透明な光になるんだ」

「光、か…いいな、それ」

 くすっと儚く笑うコウを耐え切れず椎名はそっと抱きしめた。


「ねえ、逝かないでよ」

 コウが力を使えば器は壊れず、まだこの世界に留まることはできるのだ。

 小さな声での大きな嘆願に、しかしコウはただ静に首を横に振る。


「お前の身体は向こうの世界で眠っているのだろう?」

「え、うん。そうだけど…」

 こんなときに一体何を言い出すのだろう。
 わけがわからず椎名は抱きしめる腕を少し緩めて首を傾げる。


「ならば起きたときに一番に見るのは光の俺だ」

「……うん」

 さっき言ったのはわがままだとわかっている。
 だから、今度はちゃんと頷く。


「ちゃんと会いに来てよ」

 コウが望むから、笑って頷く。


「ああ」

「約束だよ?」

 椎名は目を閉じ、返事の代わりにコウは椎名の唇に自らのそれでそっと触れた。



 ……ありがとう、椎名



 椎名が濡れた目をゆっくりと開けて見たのは、手の中からきらきらと零れ落ちて行くたくさんの、本当にたくさんの光の粒だった。

















「…な…いな……いいかげん起きろ、椎名っ!」

 ぱこっ

「…イタイ」

 殴られた衝撃か、カーテンを開け放たれた窓から差し込む光が目に染みたのか涙を一粒零して目を開けた椎名が見たのは、朝の光をバックに丸めた雑誌を持って腕を組んだ人物の姿。

 彼は…


「誰?」

「お前、まだ寝てるのか? 何ならもう一発殴ってやるぞ」

 手にした雑誌を反対の手にポンポンと打ちつける彼から逃げるように椎名は瞬間的に起き上がって後ずさる。


「うわっ、ごめんなさいっ、起きる。もう起きますってば、晃」

「お前、今日は担当の人と会うんだろ? だったら早く起きて用意しろ。朝ごはん、できてるからな」

 ようやく椎名が起きたと判断した晃は雑誌をぽんっと椎名の眠っていたキングサイズのベッドに放り出して寝室を後にした。

 晃を見送った椎名はふとさっきまで夢を見ていたことを思い出した。

 ただししばらく考えてみたものの内容はさっぱりわからず、ただ楽しかったような、それでいて悲しかったようなそんな気持ちだけが心に残っていた。

「ま、いっか」

 呟いてベッドから降りた。




 着替えと洗顔を済ませた椎名がキッチンに入ると、ちょうど晃がコーヒーを淹れていた。椎名は晃の手からカップを受け取り、そしてちゅっと軽く晃に口付ける。

「オハヨ」

「…遅いんだよ」

 晃のぶっきらぼうな口調は照れ隠しであることを知っているので、肩を竦めただけで椎名は何も言い返さなかった。


「アレか、今度の作品は」

 パンをちぎる手を止めて晃が指したのはリビングの隅にあるキャンバス。

 昨夜遅くまでかかって描き上げた、駆け出しのイラストレーター、坂崎椎名の新作だった。

「そう」

 こちらは食べる手を休めずにちらっとそちらを見ただけで簡潔に一つ頷いた。

「何か不思議な絵だな。タイトルは?」

「光を集める木と守る魚って書いて『光集木と守魚』。見たまんまの造語だけど」


 描かれているのは乳白色の世界に三方から赤い光と緑の光そして青紫の光が差し込み、交わった部分に白く輝く一本の木。

 それから大きな魚が一匹、その木を守るかのように身体を丸めて尾びれで包んでいた。


「イミ、あるのか?」

「…笑わない?」

 問いにぴくりと手を止めて椎名は上目遣いで晃を見た。

 晃は何も言わずに目線だけで話しの続きを促している。


「あれは晃なんだ」

「俺?」

 晃は目を丸くして自分を指した。

「そう。初めて晃に会ったときのイメージがあれだったんだ」

「俺、魚?」

「なわけないでしょ」

 苦笑する椎名を横目に「あー」だの「うー」だの言いながら、晃はしばらく絵を眺めた。


「……俺には絵のことはよくわからないけど…」

「けど?」

「…何か、嬉しい気がする」


 恥ずかしかったのだろう。幾分小声の、しかも早口で答えると晃は椎名と目線を合わせずにパンを頬張りコーヒーで流し込んだ。

 そんな晃を眺めて椎名は何も言わずにふんわりと微笑み、再びゆっくりと手を動かし始めた。



 絵を優しい朝の光が包み込んでいた。



END

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