『憧れのびたーすうぃーと』

by 朝永 明




 ここんとこ、何か…妙な気配を感じる。

 あ、いや、別に『足のない人』が見えるとか、そんなんじゃない。

 どちらかと言えば、ソッチ方面は疎い方で…寮生活をしていた頃は周囲がそんな話題で盛り上がっていたこともあったけど、共感できないが故につまらない思いをしたもんだ。


 …じゃ、なくて。

 思考を現在に戻す。

 感じる気配とは、皮膚に突き刺さるような…ピリピリした感じとでも言うのだろうか。

 おまけに感じるのは社内が殆ど。

 先輩と全然会えないし、話しもできなくてイライラしてるってのに!!

 気にならないワケがないので、その度に勢いをつけて振り返るのだが…

 誰もがいつも通りであり、誰もが…不審に見えてくる。


 プルルル…「はい、総務部です」

 カタカタカタカタ、カタカタカタカタ…タン!

 ざわざわ、「その件に関しましては…」

 ザワザワ…「そこは任せるよ」


「誰なんだよっ」

 イラつくがあたるべき対象が不明なため、小声で毒づき書類に拳を立てることしかできない。

「東野、クン?」

 控えめな呼びかけに、自分の言動が不審がられたことに思い至る。

「あ、ゴメん。何でもな……っ?」


 プルルル…「はい、総務部です」

 カタカタカタカタ、カタカタカタカタ…タン!

 ざわざわ、「その件に関しましては…」

 ザワザワ…「そこは任せるよ」



 また感じたのに!

 振り返ったソコにあったのは、やはりいつも通りの風景で。

「クソっ……ちょっと、来て!」

 西大路の腕を無理矢理引っ張って部屋を出た。





 ギィっ…ガチャンっ!
 パッパー、ブゥーーー
 パッポー、パッポー、パッポー、パッポー…

 重く手ごたえのある鉄の扉を開け、できた隙間に自分と彼女の身を滑り込ませると、現在地から十数メートル下からの喧騒――誰か急ぎの用事でクラクションを鳴らすと同時にアクセルを目一杯踏んだらしい――が聴こえた。

 室内とはまた違った音の洪水だが、言いようのない気配が消えた開放感は大きく息を吐いたものの…

「で、一体何事なの?」

 拉致されたも同然の彼女は掴まれた腕を強引に引き戻し自由を得ると、両手を腰に当てセミロングの髪を風に揺らせている。

「…ごめん」

 俯いたまま彼女の腕を掴んでいた右手をぼんやり眺めて…力なく下ろした。

「いいよ、怒ってないから…で、どうしたの?」

 苛立ちの元を断ったので落ち着くには落ち着いたのだが、何と説明したものか。

「あのさ…」

 今更ながら気付いたが、何故彼女まで連れてきたのだろう?

「えっと……」

 気付いた事実に余計にパニくって説明の言葉が見つからない。

「噂のコト、知ってたんだ」

「え?」

 苛立ち紛れに頭を掻いていた手を止めた。

「…私たちのこと、でしょ?」

「私たち??」

「え、違うの?」

「何の話?」


 ブゥーーーキキキーっ…
 ピーポーピーポーパーポーパーポー…
 ピィ、ピィ、ピィ、ピィ…


 見なくてもわかる救急車のドップラー効果。
 いつもなら脳の片隅で『乗った人が無事だといいのに』と願うのだが、今そんな余裕は…ない。

「……」
「……」

 地上の喧騒とは反対に不自然な程の沈黙が流れた。

「えっと、じゃあ……まず私の話からするわよ?」

 小さく挙手した彼女に頷く。

「私も今朝経理の友達に聞いたばかりなんだけど…噂になってるらしいのよ、私たち」

 ココにいるのは二人だけなんだから『私たち』の『たち』は自分にかかることになる。

 それは理解できたのだが。

「噂?」

「コレだもんなぁ…ヤになっちゃう」

「ご、ごめん。俺何かミスった?」

 自分が気付いていないだけで、実は何か大きなミスをしていたのか!?

 優しい彼女は自分にキッパリと引導を渡すことに躊躇いがあるのだろう。

 けれど…彼女が暗に告げようとしていることが、見えない。

 それ故に彼女に何か迷惑をかけたのかもしれないと青くなったのだが。

「違うわよ」

 彼女の声は完全に呆れていた。

「じ、じゃあ…」

 唾を飲み込んで自分より20センチ余り下にある彼女の顔を見据えた。


「どうしたワケか、付き合ってることになってるのよ、私たち」

「!!」

 自身と自分を人差し指で指し示すと同時に告げられた言葉にただただ目を丸くした。


 パッポー、パッポー、パッポー、パッポー…
 ピィ、ピィ、ピィ、ピィ…


 最早、十数メートル下で起こる音は、どれも音源の意味を理解することすらできなかった。



「…ん、東野くんっ!」

 いつ、どうやって戻ったのか憶えてないが、呼ばれたことに気付いたのは自席だった。

「あ…ナニ?」

 呼んだ人物が目下のところ要注意人物であり、しかしそれは自らが望んだ結果ではないし、どちらかと言えば隣席の気心知れた同僚だと認識すると同時に気の抜けた返事を返していた。

「今日は居残り?」

 手元を指差され、それを追って視線を投じる。

「ん〜、後2時間ってトコ、かな?」

 積み上げた書類の厚みから大体の時間をはじき出す。

 忙しい時期だからではなく手際が悪かったが故の量の多さに自嘲の笑みが零れた。

「じゃ、半分ちょうだい」

「え?」

「半分。1時間引き受けるから、夕食付き合って」

「…でも」

 躊躇い口調にスッと顔を寄せられた。

「しっかりしなさいよ! 今後の対策練るんだから、アナタが必要なの…わかる?」

「あ」

 表情こそ驚きを表していただろうが、弛緩しきった脳味噌にやっと彼女の声が届き…

「ごめん」

 謝罪を無視して彼女の細い指先が紙束の山から幾つかの書類を引き抜いて行く。

 捲る指を逐一止めていることからして作業を進め易いようにきちんと確認しているのだろう。

「ありがとう」

 確認は彼女自身のためだけでなく、俺のための作業だろうから――負担をかけたことに自己嫌悪も感じたが――素直に礼を述べることができた。





 1時間半後、無事夕食にありつけた二人は当初の予定を彼方へ打っ棄って黙々と腹を満たすことに務めた。

 話し始めれば食事どころではなくなるからだ。

 粗方皿の中身が消え飲むことがメインになりかけた頃、周囲の音に掻き消されそうなくらいの小声が聞こえた。

「私ね、ホントのこと言うと…東野クンのこといいなって思ってた」

「え…えぇ!?」

「ちょっと、ヤダ…そんな逃げないでよ」

「…ゴメン」

 通常モード(?)だったならその意味もわからず首を傾げていたかもしれない。

 けれど『厳戒態勢』な現在、たとえ冗談や軽口であってもつい身を引いてしまう。

 苦笑して、その影で自分自身に叱咤激励を与え、逃げてしまった身体を戻す。


「話してて楽しいし、気が合うし…だから東野クンの本心知らなきゃ本気になるとこだったんだからね」

「あの、その……」

 逃げ腰であることに気付いているのに追い討ちを掛けるような言葉に「コレはホンキで逃げなきゃならない場面なのか!?」とマジになりかけた。

 なりかけた、が言葉が過去形であり彼女の表情は笑みを浮かべている。

 だからこの先も気詰まりな関係になることはなさそうだ…と安堵の息を吐こうとしたのだが。

「あれ? 俺の、本心って?」

 そんなもの断じて告げた憶えはない。コレだけは確実なハズだ。

 けれど安堵するどころか、更にパニくるセリフをさらりと吐かれ顔が強張っているのが感じられる。


「ただのウワサにそこまで慌てることが本心ってコトよ」

「あ」

 ウワサに動揺する、つまり例えウワサであってもそんな話を耳に入れたくない誰かが存在する。

 ――近くに。

「その他大勢は無視していいけど、お相手にはちゃんと説明しといてよ?」

 恨まれるのはイヤよ、と小さく付け加えてピンクベージュに彩られた指先がグラスを掴んだ。

「…それが誰かは……」

 指摘されたことで返って腹を括ることができた。

「聞かないんだ」

 聞きたいなら、何でも答えてやる!

「そうねぇ、気にならないと言えばウソになるわ。だからって詮索するのもどうかと思って…話したいなら、聞くけど?」

 グラスを頬の高さに持ったまま小首を傾げて笑われた。

「それ、は」

 見くびっていた。興味本位で訊ねられると思い込んでいた。

「……」

 もしも彼女に先に出会っていれば…この女のことを好きになっていたかもしれない。

 そんなifをホンキで検討した。けれど

『東野くん』

 柔らかな声が脳裏に響いて、そのifは…ないと悟る。

「ありがとう」

 順番の問題じゃない。

 あの人の存在がある限り、俺は入社以降の時間を何度やり直しても好きになる!

 あの人と出会わない自分は、もう想像できない。

「その話はもう少し後で聞いて欲しい」

 出した答えに彼女は「その時はおごりよ」と笑ったから、「勿論」と請け負った。




 今夜帰ったら先輩に電話すると決めたら何だか気が楽になったのか、肩の力を抜いた瞬間、

 ブルブル、ブルブル

 あまりのタイミングにビクッと身体を震わせたが、何のことはない。
 ただマナーモードにしておいた携帯が鳴っただけだ。

 けれど『電話』という行為を「する」にせよ「受ける」にせよ苦手だと自覚しているので鳴る度極度に緊張してしまう。

 喋り出せばそうでもないんだけどなぁ。

 苦笑しながら彼女に電話が鳴ったことを告げ、その場を離れながらソレを取り出す。

「え?」

 表示された名前に動きが止まり、そして慌てて人気のないトイレの脇へと移動した。



「もしもしっ!」

「…仕事中ですか?」

「あ、いえ、終わりました! で、今は食事を」

「ごめんね」

「え?」

「デート中だよね」

「先輩!?」

「話は聞いています。だから」

「何の話ですか! それはごか…」

「僕とのことは、忘れてください」

「せ、せんぱ…!」

 先輩の告げた言葉のイミを理解するより早く通話は切られていた。



 トントン

「っ!!」

 肩を叩かれて、ビクッと振り返った。

「び、ビックリした…」

「驚いたのはコッチよ。中々帰って来ないから来てみたら、魂が抜けたような顔で携帯眺めているんだもん」

 指差され、握り締めたままだった二つ折りの携帯は長時間何の操作もしなかったことを表すように画面はブラックアウトしていた。

「あ…」

「何かあったの?」

「いや、その…」

 もごもご言いながら携帯を片付ける。

 ここで何でもないと言えば、彼女のことだから不審に思ったとしても見逃してくれるだろう。

 けれど、

「さっきの『奢り』の件だけど…」

「ん?」

 自分と先輩の関係など、人によっては嫌悪の対象になることも承知しているから、秘めた方が無難だとはわかっている。

 社内にバレたら…勤め続けるのは厳しいだろう。

 それは承知しているのだが…

「今日でもいい?」

 ワケもわからず、誤解を挟んだまま同じ社内で務め続けて、時が経てば『思い出』として心の奥底に仕舞い込むことができるのかと言われれば、否で。

 ならば、いっそのこと全てをぶちまけて、身を引く方がさっぱりする!

 こんな身勝手な感情につき合わせてしまって申し訳ないとも感じたが。

「…いいわよ」

 嫣然と笑って頷く彼女と共に席へと戻った。

 彼女は俺の相手が誰かを知って目を丸くした。

 それでも否定の言葉は出さず、全てを聴き終えると『北山さんの向こうは張れないわ』と肩を竦めて笑っただけだった。



観察…じゃない日記
 女の人って、スゴイかも。



8へつ・づ・く

西大路嬢、素敵! 腹括った東野クンもかっこいい〜!
そして、さらに波乱の予感に萌え(笑)

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