『憧れのびたーすうぃーと』

by 朝永 明




 先輩をデートに誘い、そこで――知らぬ間に仕込まれていたのだが――旧友たちと再会した日から半月が経過した。

 あの日…学生だった当時ですら色んなイミで目立っていたヤツらは、更に力をつけて世界を相手に対等に渡り合っていた。

 今更だが本音を言えばそんなヤツらと先輩を会わせることに少なからず抵抗――彼らと比べて自分が凡庸であるが故――があったから母校のことを言えなかったのだが。

 それは俺の杞憂だった。

 会ってしまえば不安なんて吹っ飛んだし、思っていたよりも『学生時代そのまま』の彼らと話していて本当に楽しかったし…先輩も楽しそうだった。

 だから今はそんな輝いているヤツらと数年振りの再会でも親しく喋れるくらいの友人だなんて、誇らしいようなでも恐れ多いような…不思議な気分だ。

 一先ず、ヤツらのことはそれでいいのだ…けど。

 先輩の様子が……

「おかしい」

 いや、だからと言って魅力的且つ先輩好みな特技を兼ね備えた彼らに会ったことによる心変わりなんかを疑っているワケではない。

 勿論、自分がアイツらの向こうを張れるなんて、コレっぽっちも考えてないけど…でも、何となくだけど、問題はそこにないと、思う。

 ならば、何を気にしているのかと言えば、実はあの日の記憶、が…途中から……ない。

 皆と飲み始めた少し後から翌朝まで飛んでいるのだ。こんな体験は初めてだが、きっと旧友に会って浮かれて飲みすぎたのだろう。

 あ〜情けない…

 目覚めたのは自宅だったのだが、いつどうやって帰宅したのかまるで記憶にないし。
 おまけに

『おはよう。どこかしんどいところはないですか?』

 開眼一番が大好きな人の顔だった、と言うのはとーーーーっても幸せなことだと思う。思うのだが。

「眠る前の記憶があってこそ、だよなぁ…」

 机に突っ伏して呟いた。

 そう、何故先輩が自分の家に来ることになったのか。

 ソレを憶えていない自分にとって朝の事実は幸福とは言い切れず。

 何も憶えていないが故に慌てるばかりで質問らしい質問もできないまま、先輩はさっさと帰ってしまった。

 その日の残りを旧友に礼の電話をした以外は悶々とした気持ちで過ごし、翌日出社と同時に意を決し先輩に尋ねようとしたのだが…とにかく忙しかった。事実、落ち着いて昼休みを取る暇も、残業するに当たり夕食を買出しに行く余裕もなかった。

 そして気がついた時には先輩の姿はなく、室内に残っていた同僚に問うと『お前が便所行ってる間に帰った』と。

 仕方がない、間が悪かったんだ。
 
 そう結論付け肩を落として自分も帰宅した。

 だが、『間が悪い』は結構続くもんで…

 魔の月曜日(?)から数日間は年度末と言うこともあり、出勤してから退社するまで無駄口どころかまともな挨拶すら交わす余裕もなく過ぎ去ってしまった。

 ならば夜にでも電話なりメールなりすればよかったのだが、どちらかと言えば苦手で。

 今までは、同じ部屋に勤務していた先輩と顔を合わせないのは休日くらいのもので…そりゃ、まぁ、年間を通しての休業日を数えれば結構な日数になるだろうけど。

 何しろ最初のキスからまだ1ヶ月半しか経っていなかったので、会えなかった日数は両手の指の数でも余るくらいだ。

 そんなだったから「会えない時間を埋める」ような作業をする必要性を感じたこともなかったのだ。

 それが、あの日以来ろくに会話も交わせない日々が続き、そして同じ社内と言えども顔も見られない日が続くようになった。

 こんなことになるまで自分がどれ程恵まれた環境にいたのかなど、こんなことで思い知ることになろうとは。

 もう全然、先輩が足りないよ…

 スーツの胸元から取り出した携帯を凝視するもソレは何の反応も示さない。

 コチラからかければ、笑ってあの日の出来事も現状の理由も教えてくれるのかもしれない。そうは思ったのだが……何も憶えていないから、どうにも気後れする内に時間ばかりがどんどん過ぎて。

 今では何故か想像上の先輩が返す答えは
『仕事でもないのにかけてこないでください』だった。

 だから帰宅後一人で何度も携帯を睨み付けたにも関わらず個人的理由で電波を発信することを躊躇い、先輩専用に割り振った音が鳴らなかったことに…落胆した。

 そして現在、年度初め、つまり4月。

「どうかしたの?」

 忙しくてもさすがに隣席の人物がコレでは声をかけたくもなるだろう。

 しかしかけられた声は叱責交じりの丁寧語では…ない。
 柔らかなソプラノは意味を成さず右から左へ抜けてゆく。

 何故なら、俺が先輩とのコンビを解消されたから。
 何故なら、先輩が別部所に移動になってしまったから。

 コレは別に悲しいことではない。ただ先輩からの新人教育を卒業した、それだけのことで『誰か』の作為は、ない……はず。

 会社なんだから、こんなことは当たり前。たとえ学校だったとしても、想いを寄せる人物と同じクラスになれるかどうかは運次第なんだから!

 だから『誰か』を疑ってはいけないと…思うのだが。如何せん間が悪すぎた。

「同室だったら、観察だってできたのに…」

「東野、くん?」

「はい、仕事しまーす」

 控えめな呼びかけにがばっと起き上がって仕事の続きを再開した。


「ね、東野くん、お昼行こう」

 昼休みに入って数分後。誰かと約束をしての外出も、自席で済ませるための品を持参した様子もないと踏んだのだろう。
 隣席の西大路に誘われた。

 彼女は短大卒での入社故2年先輩になるが、年齢的には同年齢という気安さもあってか、東野が入社した当初から結構親しく話し、退社後に飲みに行く仲間の一人だった。

「あ、うん…」

 とりあえず返事はしたものの、席を立とうとしない東野に焦れたのか、腕を取って無理矢理引っ張られる。

「ほらほら。食べなきゃいい考え出ないぞ?」

 常より若干おどけた口調。

 気を使いつつも、入り込み過ぎない声音に東野もやっと笑みを浮かべる。

 そして手を引かれるままに外へと出て行った。

「で、ここんとこ何を考え込んでいるの?」

 注文した和風きのこパスタをクルクルと器用に巻き取りながら彼女は視線だけをコチラに寄越した。

「何って…」

 茄子とミートのトマトソースパスタの最後の一口を口に入れようとして、動きが止まった。

「何が?」

 視線が絡んでどちらも動きが止まったが。

「ヘタなんだから止めた方がいいよ、ポーカーフェイス」

「……出てた?」

「出てた」

 躊躇う間もないセミロングの髪が縦に揺れて、ため息を最後の一口で飲み込んだ。

「仕事のこと?」

「…ん……そんなとこ」

 正直に明かすワケには行かない『事情』を差し引いた上で、今の先輩との関係性を述べるなら仕事絡みしか残っていなかった。

「何か失敗したの? 手伝おうか?」

 同級生とは言え、職場では先輩。だからこその気遣いだろうが。

「あ、いや、仕事は…問題ナシ」

 ミスはない…ハズ。

 それだけは何が何でもミスのないよう、なけなしの理性をソコにつぎ込んだのだから。

 おかげで気が置けない相手に対する気遣いが0になってしまったが故彼女に詰問されているんだろうが。

「じゃあ北山さんね」

「え? あ、う〜〜〜」

 ズバリ核心に踏み込まれては、たとえポーカーフェイスに自信があったとしても隠し通せはしなかったのではないか、と想像する。

「急だったもんね」

「…うん」

 何が『急』だったのかと言えば…

「移動するなんて…知らなかった」

「…私も」

 北山先輩の別部所への移動の話など、年度末にはなかった。

 同室の人間が知っていたのは東野への指導期間が終了することが決まっていたことだけで。

「こういう話ってさ…もっと早くに、出るもん…だよね?」

 勤め始めた年数が彼女より浅い故の質問だが。

「…今回みたいなケースは、初めて、かな」

 パスタにキノコを絡めてクルクル、クルクル…

 100%肯定しないことは彼女の優しさだろうか。

「もしも…その、例えば、よ? き…あの人に何らかの過失があったとしたら、会社は制裁のイミを含めて急な移動とか、あるかも…」

「そ、そんなのないっ!!」

 ガタガタッ!

 勢いよく立ち上がったせいで洒落た木の椅子は床を滑り、倒れることなく後方の席にぶつかって止まった。

「ちょっと、東野くん! あ、ごめんなさい」

 彼女は東野を軽く諌めると、更に後方に向かって頭を下げた。
 椅子がぶつかった席に座っていた人物が驚いて振り返ったのだ。

「済みません」

 騒がせてしまったことに気付いた東野も頭を下げて静かに椅子を引き戻した。

「…だから、例えば、って言ったでしょ!」

 片手で皿を脇に追いやりテーブルに乗り出して声を潜める彼女に、同じく身を乗り出して「ごめん」と呟いた。

「今のとこ、そんな話はドコからも出てないわよ。それに制裁目的の移動がアソコになるわけないじゃない」

「…だよな」

 そんなことは百も承知だった。

 けれど、もしかしたら、誰かに『お前の想像は間違っている』と否定してもらいたかったのかも。

 そんな淡く甘い期待を一撃で叩き割られ、やっと腹を据える決心がついた。

「噂では…」

 まだ何か情報を持っているらしい。

 手入れの行き届いた髪がテーブルの数センチ上で微かに揺れているのを目で追っていたが、その『揺れ』は言葉を続けることへの躊躇いと受け取った。

「ウワサでは?」

 ここまで踏み込んだなら、自分も彼女も続けなければ気持ち悪いだけだ。

 それが判っているので彼女を真っ直ぐ見据えて答えを辛抱強く待つ。

「う、ん……社長のゴリ押し、って」

「…竹田社長、だよね?」

「ウチにはそれ以外に『社長』いないでしょっ!」

「……ごもっとも」

 想像通りの答えに萎れるより他なかった。


 空になった皿を脇に押しのけたテーブルの上で鼻がぶつからんばかりの距離でヒソヒソとやり合う妙齢の男女二人が傍から見て非常に目を引く存在となりうるものだと…当の本人たちは全く気付いていなかった。




観察日記
 観察対象、喪失…(泣)


7へつ・づ・く

東野クンと北山さんに波乱の予感!?
こうでなくっちゃ〜(おいおい)

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