幕間 「恋に落ちたら」
【3】
学年やクラスが違うから必然的に離れざるを得ない授業中を除いて、『いつも団体行動だな』とからかわれるくらい、渉たちは一緒にいる。 つまり、渉と一緒の和真と直也と桂に、英と一緒の斎樹と真尋だ。 真尋も、英に玉砕してからも変わりなく接していて英をホッとさせている上に、まだまだそう言う雰囲気ではないけれど、斎樹の隣にいて話を弾ませていることが多くなっていて、斎樹の想いがいつか通じる日がくるかもしれないという希望を英に抱かせている。 そしてこの『団体』だが、周囲はまったく気がつかないであろう変化が静かに始まっていた。 直也と桂がいても、お構いなしに渉の隣に張り付いていた英が、和真の隣にいることが多くなったのだ。 そうなると、渉の両側は遠慮なく直也と桂が固めていて、斎樹と真尋が並んで歩くことが多くなっている今、和真と英が自然に『2人組』になるというわけだ。 誰も意識して、こうなった訳ではない。ただひとりを除いて。 意図的にこの形に持ち込んだのはもちろん英だ。 隣にいれば話す数も増えるし、時には『渉にはナイショ』なんて話も出てくる。 大したことのないものでも、秘密を共有するというのは、距離を縮めるのに有効だ。 幸いなことに、恋心のスタート地点での距離は誰よりも近いに違いない。 これというのも、もちろん渉のおかげだ。 兄が親友でいてくれたからこそ、『難攻不落で200%玉砕の切れ者』は、最初から心を開いて接してくれていた。 ズルいと言われようが何と言われようが、この状況を利用しない手はない。 それからと言うもの、英は何だかんだと和真に纏わりついた。 ありがたいことに、いちゃいちゃする事に余念のないNKコンビとぽややんな渉は全く気がついていないようだし、斎樹も真尋に夢中で、あまりこちらに注意を払っていない。 ただ、真尋だけが、『もしかして』と感じていて、けれど『終わったことだから』と自分に言い聞かせて、楽しく観察するだけに留めようとしていたのだが、それは英の預かり知らないことで。 そんな状況が整って、英は今までの自分には無かった熱量で、和真との密度を高めて行く。 ただ、軽々しく触れることはできなかった。 触れるのは、受け入れてもらった時と決めている。 だが一度、和真の後ろ襟に落ちてきた枯れ葉を取った時に、つい誘惑に負けてさり気なく触れてみた肩が、想像以上に薄くて驚いた。 渉も相当華奢な身体をしているが、それ以上に骨格そのものが華奢に出来ているようで、 抱き締めたら折れそうで怖いなと思いつつ、早くその日が来ないかと待ち遠しい。 こんな自分は初めてだ。 誰かに真剣に恋をする日がくるとは思ってもみなかった。 けれど一度認めてしまえば、想いは日単位…いや時間単位で育っていくばかりで、身も心もまだまだ成長期真っ只中の英にも、それは持て余すほどで。 だから少し戸惑いもあって、僅かの瑕疵もなく事を運びたいなんて、夢みたいなことも考えている。 傷つくのは怖いし、傷つけるのはもっと怖い。 教師ですら一目置くしっかり者だけれど、とても優しい人だから。 どうすればこの気持ちを正しく伝えられるのか、英はそればかりを考えていた。 ☆ .。.:*・゜ 「あれ? 渉は?」 部活を終えて、いつものように一緒に帰るはずの渉が、英に『ここで待ってて』と言ったのは、目下のところ、生徒指揮者の渉がスコアの予習をするために占有している『練習室1』。グランドピアノが置かれている。 いつもはロビーで落ち合っているので、何かピアノの必要な用事でもあるのかなと思っていると、そこへやってきたのは渉ではなくて、和真だった。 「ここで待っててって、言われたんだけど」 渉の姿がないことを確かめて、英に何かあったのかと問うてみても、英もまた、さあ…と、心許ない返事で。 けれど、期せずして密室で2人きりになれた英がこのチャンスを逃すはずがなかった。 チビの頃から、『即断即決即実行』がモットーなのだ。 その点については『ほんと、パパにそっくりね』と、いつも母に言われてきたが。 「先輩」 「なに?」 呼ばれて和真が返事をしたときにはすでに、英との距離が縮まっていた。 グランドピアノのくぼみの部分にすっぽり填まった形で和真は、英の長い腕と頭1つ違う長身に囲われる。 「英?」 一撃必殺の射貫くような瞳で見下ろされても、和真は少しも怯むことなく、むしろ少し気遣わしげな瞳を返してくる。 『どうした? 何があった?』…と、言わんばかりの。 そんな和真の様子を、意識のどこかで『この人はやっぱり凜として男前だな』…と思いつつも、募った恋情は出口を求めて溢れかえる。 「ここに閉じ込めて、ずっと独り占めしていたい」 だから、スルッと口から溢れたのは、あまりにも欲望そのもの過ぎて、いっそ可笑しいくらいの台詞で。 現に和真も、小さな口を小さくポカンと開いて、『なに、今の』と目が言っている。 「俺の、気持ちです」 それでも和真は、切れ者台無しの呆けた顔――美少女振りは少しも損なわれないが――で、英を見返している。 「えっと、なんてった?」 何だか物凄いことを言われたような気がするのだが、あまりにもサラッと言われたので、内容がよく把握できなかった。 「ここに閉じ込めて、ずっと独り占めしていたい」 一言一句違わず、けれどさっきよりもゆっくりと繰り返した英に、さらに和真はボケたことを聞いてくる。 「誰を?」 そう、対象物が抜けているからわからないのだと、回転が良いのか悪いのかわからない頭で分析してみるのだが、返ってきた答えは笑いを含んでいた。 「誰って、このシチュエーションで安藤先輩以外の誰がいるって言うんですか」 可笑しくなって、口元を緩めてしまうと、和真も『ああ、そっか』なんて、ケラケラと笑い出す。 が。 「…えっ?」 ――英が、僕を? 閉じ込めたいとか独り占めしたいとか、冗談じゃない!…と、今までなら思っただろう。 相手によっては、蹴りの一発でもお見舞いしてやりたいくらいだ。 なのに、今はそんな気持ちが湧いてこないのは何故なのか。 単に呆気にとられているからなのか。 「あのさ」 「はい」 「もしかして僕、告られたわけ?」 「そう」 英が小さく笑う。 「僕が好きってこと?」 「そりゃそうでしょ。俺は好きでもない相手を閉じ込めて独り占めするような趣味はないから」 そう言われても、どうも実感が湧かないな…と、和真はどこか遠くの出来事のように受け止めていた。 妙に現実味が薄いのだ。 『お兄ちゃん命』のスーパーブラコンが、よりによってその兄の親友を好きになるとは、いったいどこに分岐点があったというのか。 和真にはさっぱりわからない。 妥当な線では、『お兄ちゃん取られちゃったから』なんてのが考えられるところではあるが、英にそんな思考があるようには見えない。 普段の来し方を見ても、妥協と言う言葉が全く似合わないのだ、この男は。 まだ15歳のクセに。 「ええと、もしかしなくても、返事がいる…よね」 どうにも受け止め切れていなくて戸惑っている様子の和真に、英はその可愛らしい内面に触れたようで、嬉しくて仕方がない。 男前だったり可愛かったり、色々な内面を持つこの人が、まだ他人に見せていない面も全部独り占めしたい。 いつの間にこんなに欲張りになったのか、自分でも呆れるほどだ。 「もちろん。自分の気持ちさえ伝えられたら満足なんてキャラじゃないですよ、俺は」 今すぐにすべてをくれとは言わないが、自分の望みはついさっき口にした通り『独り占め』だ。 「あのさ、気づいてると思うけど、正直ちょっと…戸惑ってるんだ」 即刻で『ゴメンナサイ』でないだけでも、今までの有象無象――理玖を除く――とは大きな違いなのだが、どうして英だけがそうなのか、和真も今すぐにはわからない。 「だから、英には不満かも知れないけど、『お試し期間』…とかでもいい?」 「それは、暫定OKってこと?」 「まあ、こんなとこ」 「とりあえず付き合ってみてってこと?」 「あ、うん、そんな感じ」 付き合ってみるもへったくれも、今までだってほとんど一緒にいて、これ以上どうするんだと言う気もするが、言い逃れでも何でもなく、今はそんな答えしか出せない。 それでも、『ゴメンナサイ』しなかったのは、初めてなのだから。 「じゃあ、お試し期間中に本気になってもらえるように頑張るから…」 少し苦笑いの英がやたらと眩しくて、和真は思わず目を伏せる。 「ちょっとだけ、抱き締めても…いい?」 口は許可を求めているけれど、その手はもう、細くて薄い肩に掛けられている。 「……えっと、まあ…うん」 言葉の最後にはもう、優しく抱き締められていた。 自分とは全く違う、しっかりとした体躯に包まれて、うっかり気持ちよくなってしまったことに狼狽えた。 その頃ロビーでは。 「和真と英、どうしたんだろ」 「やけに遅いよな」 そう言った直也と桂に、斎樹と真尋が同調したところで、渉が『あ、しまった』と声をあげた。 「どうした?」 「うっかり間違えて、練習室で待っててって言っちゃった」 「はあ?」 「ごめんごめん、ちょっと迎えに行ってくるよ」 まるで『覚えていた台詞』のように言うなり、渉は階段へ向かって駆け出した。 その姿を見送って、残された4人は、『何のこっちゃ』…と、各自突っ込んでいた。 ☆★☆ どうして暫定でもOKしたのか。 あれから和真の思考はずっと、英に向けられたままだ。 ここで恋をする気なんて、もうこれっぽっちもなかったけど、英なら、期間限定なら、もしかしたらアリかも知れないと、なんとなく思ってしまった。 その先なんて全然考えられないし、その先があるとも思えないから。 『君が好きだ』『お前が好きだ』『あなたが好きです』 こんな台詞はもう数え切れないくらい聞いてきた。 正直言って、応えたいと思いながらも応えられなかったのは理玖ひとりで、あとはもう、その告白が真摯だったか傲慢だったかに関わらず、どんなヤツらだったかさえ、数人を除いて忘却の彼方だ。 誰にも言ってないが、教師にも2度告白されている。 どちらもそれなりに真剣だったようだが、すでにここにはいない。 和真は自分でも、相当可愛げのない性格をしていると自覚している。 渉は『それは、しっかりしてるって言うんだよ』と言ってくれたけれど。 だから、『好きだ』と恥ずかしげもなく言ってくるヤツらはみんな、黙っていれば大人しやかな少女にしか見えない自分の表側だけを見ているのだと確信している。 そんなヤツらに用はない。 けれど英はどうなんだろう…と、気になっている。 けれどそう思った端から、どうでもいいか…と諦める。 ここだけでの恋を、束の間でも、渉の代わりになれたら…と、思い始めているから。 英が失った渉の跡は余りに大きいことはよくわかっている。 自分のように、胸にポッカリ穴が空いているのかもしれない。 それを自分が卒業するまでの間だけでも埋めてあげることが出来ればいい。 自分がここを巣立てば、きっとそこで終わりになる。 でも、英ならきっと、離れてしまったあとでも、出会わなければ良かったと思うことはないような気がした。 だからこれでいい。 そう自分に言い聞かせる。 けれど、和真はまだわかっていなかった。 『憧れの延長』ではない、本気の恋の、熱の高さを。 |
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