幕間 「恋に落ちたら」
【4】
それからの英と和真は、今までとなんら変わりはなかった。 表向きは。 だが、想いを告げた英の行動はかなり大胆になっていて、ふとした弾みにきゅっと手を握られたり、いつのまにかさり気なく腰に手が回されていたりして、和真を少なからず慌てさせた。 だが、慌てるだけで嫌悪感は皆無で。 それどころか、少し翻弄され気味で、気持ちはかなり振り回されている。 話ももっとたくさんするようになった。 渉が直也と桂の元へ行っている間に、和真は英と裏山に出掛け、英と渉のお気に入りだと言う沙羅双樹の下で話し込むのは楽しくて、時間を忘れそうになる。 いつの間にか、朝に弱いことが英にバレていて、渉の世話は直也と桂に譲ったけれど、これからは和真の世話をしてあげると言われた時には、ついうっかりと未来にまで想いを馳せそうになって慌てたが、英にそうして構われるのが心地良いのは事実で。 そうこうしているうちに、いつしか和真は抵抗なく肩を抱かれるようになり、抱き締められても大人しく腕の中に収まるようになった。 ただ、抱き返すことはない。 それをしてしまえば、後戻り出来なくなるような気がして、ふと背中に回してしまいそうになった手を、握りしめることで留めた。 後戻りできなくなることが何故いけないのか、深く追求するのはやめて。 こんな2人の関係の変化は、直也と桂すら察知していなかったが、渉は時折、妙に嬉しそうな訳あり風の笑顔を和真に向けることがあって、そのたびに和真はいたたまれなくなる。 もしかしたら渉は気がついているのだろうかと。 ここでだけの、期間限定の恋ならば、出来ることなら知られたくない。 英のためにも。 渉に秘密を作るのは、もっと嫌だったけれど。 ☆ .。.:*・゜ 出来るだけ長い時間を一緒にいるようにして、密接になっていく関係に比例するように、言葉の使い方も変化していく。 出会った頃はもちろん敬語ばかりで、そのうちに敬語と普通の言葉が混在し始めて、今はもう、2人きりの時には対等な言葉使いで話しているし、ファーストネームで呼ぶようにもなった。 英にとっては嬉しいことだったし、和真もまた、その方が気が楽だと言ったから。 けれど、言葉も身体の距離も近くなったのに、気持ちのどこかが遠いと、英は本能的に感じ取っていた。 どこか達観した和真の笑顔。 それは一見、すべてを許す慈愛の笑みに見えるが、本当は違う。 一番大切な部分には触れさせてはもらっていない。 そう、素直に腕の中に収まってくれるくせに、身体は預けて来ない。 それは、どこかに見えないラインを引いて、ここからは絶対に入って来るなと言われているようで、そんな和真に英は苛立ちを覚え始めていた。 どうしてなのか、わからない。 受け入れてくれているのに、拒否もされている、曖昧な関係。 まだ『お試し期間』だから…ならば、そろそろちゃんとした返事を聞きたい。 もう後少しで定演で、冬休みに入ってしまうから、それまでに…。 ☆ .。.:*・゜ 「和真、最近英と一緒にいること多いね」 部活終了直後、相変わらず渉たちと落ち合っているロビーへ向かおうとしていた英の耳に、凪の声が聞こえた。 練習室が並ぶ、廊下の角の向こう側…からだ。 姿は見えない。 「あ、うん。渉の代わりだよ」 ――……え? 答えたのは和真の声だった。 「ああ、渉って、ここんとこ直也と桂にべったりだよねえ」 「あはは、反対だってば。直也と桂が渉にべったりなんだよ」 「そっか、その方がなんかしっくりくるね」 「だろ?」 「じゃあ、英もそろそろスーパーブラコン卒業ってことかあ」 「そんなとこ」 「で、和真が渉の代わりって?」 「まあね」 「んじゃ、ついでにつきあっちゃえばいいのに」 「だから、渉の代わりだってば」 なんのよどみもなくスラスラと、和真は笑いながら応えている。 そして英の頭の中にはただひとつの言葉が渦巻いていた。 『渉の代わり』 もし、和真との間に『見えないライン』を感じていなければ、カモフラージュのための嘘だと笑い飛ばせたかも知れない。 けれど、本当に『渉の代わり』だと思っているのなら、和真の態度がしっくり来てしまうことに気がついた。 ――なんでだよっ。 英にそんなつもりはこれっぽっちもない。 なのに…。 ふと思いついた。 もしかして、自分の言動のいくつかがまずかったのだろうかと。 例えば、朝の弱い渉の世話は、和真や直也や桂に譲ったけれど、和真の世話はしてあげるとか。 ああいった類のいくつかの話が、渉に構えなくなった分を向けているだけ…だと捉えられていたとしたら。 背筋が寒くなった。 この誤解は何とでもすぐに解かなければいけないと走り出せば、すぐに、凪と別れた和真に追いついた。 幸い辺りには誰もいない。 「和真っ」 「わあっ」 後ろから呼ばれると同時に腕を取られ、和真が飛び上がった。 その身体を抱き込んで、手近な練習室に連れ込む。 「なに? びっくりするじゃん」 目を丸くして見上げてくる和真に、英は単刀直入に切り込んだ。 「今、川北先輩と話してたこと、あれ、なに」 スッと和真の顔色が変わった。 やけに、冷静な色に。 「なんだ、聞いてたの」 「渉の代わりって、どういうことだよ。俺にはそんなつもりはこれっぽっちもないぞっ」 そんなことは、和真にはよくわかっている。 『そんなつもり』なのは自分だけだと。 英が今、自分に向けている気持ちが本心なことくらい、最初から承知だ。 いい加減な気持ちで人に告白するようなヤツじゃないことくらい、知っている。 けれど、自分は『今だけ』の関係でいたい。 英を、縛りたくないから。 だがそう思った瞬間、すでに自分がどっぷりと恋に落ちていることに、和真は気がついてしまった。 もう、無くしたくないから、最初から手を伸ばさないでおこうとしていることに。 英を縛りたくないのは、自分が最後までつなぎ止めておける自信がないから…だと。 「そりゃ、色々と誤解されるようなことを言ったかも知れないけど…」 「英」 言い募る英を、和真がピシッと止めた。 そして、どこか痛そうに微笑んだ。 「そんなの気にしなくていいよ。だって、僕だって似たようなもんだから」 「…なに、それ」 「僕も、失恋でポッカリ空いた胸の穴を埋めてくれる何かが欲しかったのかも知れないし」 和真が失恋なんて話は聞いたことがない。 そもそも『難攻不落の美少女』なのだから。 「どういうこと」 「ん? 初恋の人の代わりにしてたかもしれないってこと」 大嘘だ。初恋は初恋、これはこれ。それはちゃんとわかっている。 初恋にはけりをつけたし、今は確かに新しい恋に落ちてしまっている。 まんまと。 「初恋? いつ? ここで?」 代わりと言われてしまっては、和真の『今まで』を知らずにいたくない…と、英は和真の薄い肩を掴んで詰問してしまう。 けれど、和真はそんな英の様子にも怯えることもなく、ことさらのんびりと言葉を選ぶ。 「んー、まあ、チビの頃からここに至るまで…かな」 「それってどういうこと」 随分と長い間の話で、概要すら掴みにくい。 「詳しくは僕以外の人のプライベートになるから言えないけど、僕の初恋の人は、ここの先生だから」 「え…」 「あ、ちなみに浅井先生じゃないから安心して」 それだけは伝えておかないと、ややこしくなる…と思ったのだが、英にとっては相手が誰でも同じことだ。 「今も好き…なのか?」 「そりゃ好きだよ。嫌いになったわけじゃないし。でもとっくに失恋してるし」 「好きだって、言ったのか?」 「まさか。最初から負けてたから、そんな気なかったよ」 どういう状況で恋に至って破れたのか、全く見えないが、その存在がまだ和真の中で大きいのだとしたら、長期戦覚悟と言うことになる。 だが、あきらめる気はこれっぽっちもないが。 「そいつのこと、忘れられないってことか?」 「そういうわけじゃないよ。忘れるとか忘れないとかじゃなくて、もう終わったことだから」 その言葉に、英のどこかで何かが切れた。 「終わったって言うなら、俺を見ればいいだろ!」 「英…」 「代わりじゃないって言わせてみせるから覚悟してろ」 すでに大人の響きを持つ声で低く言われ、和真の身体が小さく震えた。 それに気づいた英が、すかさず抱き締めて、震えを止めるかのように力を込める。 折れてしまいそうなほど華奢な身体を大切に扱いたいと思う反面、このまま抱き潰して自分の中に取り込んでしまいたいと言う狂暴な思いも湧いてくる。 抱き締められた和真は、涙がこぼれそうになるのを必死で堪えていた。 ――ダメだ…。壊れた涙腺、治ってないよ…。 我ながら説得力は薄かったなと、和真は思う。 所詮、初恋の人の代わりなんて、その場で思いついた詭弁にすぎないのだから。 英は誰の代わりでもない。 そして、向けられている想いに自分は確かに喜んでいる。 けれど、踏み出せない。 英の熱が高ければ高いほど、怖くなる。 引きずられてはダメだと。 一方的に想いを寄せていただけの初恋と違って、今度はきっと、無くせばもう立ち直れない。 それだけは絶対嫌だ。考えただけでも心が凍る。 恋することが、こんなに怖いと思わなかった。 ☆ .。.:*・゜ それからすぐの土曜の夕方。 英から、ある頼み事をされた直也と桂は、驚きのあまり固まった。 「明日の朝まで、渉を預かっといてもらえませんか?」 まさか、保護者から直にお預かりを承る日が来るなんて思いもせず、思わず『いや、一生お預かりでいいんだけれど』…なんて余計なことを言いそうになったのだが。 「俺、安藤先輩に用があるんです。一晩かかると思うんで」 押し掛けて一晩かかる用件なんて、色恋沙汰くらいしか思いつかない。 だからついつい茶化してしまうのは致し方ないとして。 「え? なになに? 難攻不落の美少女に挑戦?」 もちろん、笑える冗談のつもりで言ったのだが。 「はい。必ず陥落させてみせますから」 NK、男前台無しの、目が点。 いつの間に。 いったいいつの間に英と和真に『ナニが起こった』と言うのか。 青天の霹靂を通り越して、もはや未知との遭遇だ。 「えっと、あのさ、ほら、なんてーの?」 「やっぱ、それ、ええと」 ほぼパニック状態の直也と桂に、英が不審げな視線を寄越す。 「なんですか?」 「いや、その」 「あれだ。やっぱり玉砕覚悟ってやつ?」 そうそう。この場合200%玉砕がデフォルトだ。 「いえ。すでに付き合ってますから玉砕はないです」 そう。今日は絶対に心ごと受け入れてもらうのだ。 「へ?」 「今…」 「なんてった?」 今、英は『すでに付き合っている』と言わなかったか。 「誰と誰が、なんて?」 「俺と安藤先輩が付き合ってます」 どうやら空耳ではなかったようだ。 「い、いつ、から?」 「まだひと月くらいです」 ――もうひと月も付き合ってるんだ! もはや驚き過ぎて言葉もない。 「というわけで、よろしくお願いします」 決意に満ちた声で言われ、直也も桂も壊れたように頷く以外、起こせるアクションはなかった。 「俺、和真から『渉は2人とも好きだって』って、聞いた時より驚いたかも…」 「や、アレよりずっと上手だって…」 英が去った後、よもや『難攻不落の美少女伝説』が終わりを告げていたとは夢にも思わなかった2人は、漸く痛恨の一撃から立ち直ったが、それでもまだどこか呆然といてして。 「でも、これで晴れてブラコン卒業ってか」 「だよな。こうなったら俺たちも総力あげて応援だな」 「ってことだ」 限りなく邪な動機で『和真と英を全力で応援する会』を立ち上げて、やっと2人はニンマリと笑った。 |
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