幕間 「恋に落ちたら」
【2】
話があるんだけれど…と言われて練習室に来てみれば、いつもの優しい笑顔のどこかに痛みが見えるような複雑な表情をした理玖がいた。 そしてそこで告げられたのは、和真にとっては余りにも意外な言葉だった。 「ずっと、好きだったんだ」 真剣に告白されたら真剣に、上から目線で告白されたら更にその上から見下ろして『お断り』してきた和真だが、今は、どう返事をすればいいのか、まったく頭が回らない。 こんなに困惑したのは、初めて…いや、ついこの前に大泣きしたときは、やっぱり困惑したけれど。 何も言えない状態の和真に、困ったように笑って、理玖は言葉を継ぐ。 「本当はね、黙ったまま卒業しようと思ってたんだ」 「…先輩」 「でも、やっぱりちゃんと告白して、ちゃんと終わらせてからでないと卒業できないかなって思ってしまって」 最初から終わらせるための告白なんて、悲しすぎて、ますます言葉が遠くなる。 「ごめんな、巻き込んで」 自分の勝手なけじめに付き合わせて悪かったと頭を下げる先輩に向かって、言える言葉はひとつしか見当たらない。 「…ごめんなさい…」 「こら、なに謝ってる。安藤が謝ることじゃないだろ?」 「でも…僕…」 もっと早く知っていても結果は変わらなかったけれど、それでも今まで知らずに甘えてきたことが申し訳無くて、和真はひとつ、小さな涙つぶを落とした。 大泣きをして以来、涙腺が弱くなったような気がする。 「わああ、ごめん。泣かせるつもりはなかったんだ」 よもや和真が涙をみせるとは思ってもいなくて、理玖は心底慌ててしまう。 大切過ぎて、5年も見守ってしまったのに、この期に及んで泣かせてしまうとは、よもや思わなかった。 そして、宥められながら、和真は静かに落ち込んでしまう。 大好きな理玖の気持ちに、出来ることなら応えたかった。 篤人への思いを無自覚に引きずったままだった頃なら考えも及ばなかったかも知れないが、少なくとも今の自分は、心もフリーだと思えるから。 けれど、だからといって恋が出来るか…と言えば、それは否としか言えない。 恋でもないのに、告白されてOKするだなんて、そんな失礼なことは絶対できないのだと、ちゃんとわかっている。 でも、こんなに大切にしてもらって、気持ちを向けてもらっていたのに、何も返せない自分が情けなくて仕方ない。 「これからも、僕は安藤の優しい先輩でいられるかな…」 気弱げにかけられた問いに、和真は涙を堪えてしっかりと頷いた。 「理玖先輩は、ずっとずっと、尊敬する、大好きな先輩…です」 どうか、感謝と敬愛が伝わりますようにと、心を込めて。 「ありがとう、それを聞いて安心した。これで6年間を悔いなく終われるよ」 吹っ切れたような笑顔が少し、眩しかった。 ☆ .。.:*・゜ 久しぶりに2人で登る、寮への坂道。 中等部の頃は、遅くまで練習した後、こうして2人で帰ることも多かった。 何となく距離が空いたのは、理玖が高等部へ上がり、寮が別れてから。 そして和真が高等部へ上がった後は、渉とずっと一緒にいたから、距離感もそのままで、やがて部長に就任した理玖が多忙を極めるようになり、現在に至る…といったところだ。 「これは本当に単なる好奇心なんだけど」…と、悪戯っぽく笑みながら前置きをして、理玖はちょっと声を潜めて聞いてきた。 「安藤は、恋はしないの?」 きっと、ついこの前までの和真なら、『ここで?』…なんて茶化してたに違いない。 が、纏っていた甲羅を渉に優しく剥がされた今、理玖の柔らかい瞳に見つめられて、妙に素直になってしまった。 「僕、失恋したばっかりなんです」 本当はずっと前だけれど、それが辛かったのだと自覚してからまだほんの少しだから、ちゃんと失恋したのはつい最近…だと思っている。 その言葉に、理玖はこれでもかというくらい、目を見開いた。 「ほんと…に?」 「7年くらい、片想い…でしたよ」 『難攻不落の美少女』は絶対に恋愛体質ではないんだと、数々の玉砕者は決めつけている。 『あの子は恋をする気はないんだ』と。 確かに、こと恋愛に関しては頑なだった。 「…7年も…?」 「意外としつこいでしょ?」 ――だって、自分で言うのもなんだけれど、純愛だったんだから。 理玖は、我が事のように、痛みを堪えた声を絞った。 「…辛かったね…」 そう、辛かったのだと、渉が教えてくれた。 「…はい」 素直に認めれば、次の一歩が踏み出せるのかどうか、まだ和真には見えてこない。 それに、よくよく考えれば、ここのところの理玖の接触はアプローチだったはずで、あれだけ見える形で伝えようとしてくれていたのに、それに気づかなかっただなんて、鈍いにもほどがある。 渉のことを笑えたもんじゃない。 もしかしたら、自分はとことん恋愛に向かないタイプなのかものな…と、諦めたら何となく楽になるような気がするけれど、空っぽだから軽くなっただけだと思うと、やっぱり気分は晴れなくて。 その、物憂げな様子すら美少女な和真の横顔に、今日までだからと自身に言い聞かせて、理玖は見入る。 自分が5年間想い続けていたより長く、和真はその相手を一途に想っていたなんて。 この子に7年も想ってもらえるなんて、なんて羨ましいヤツなんだと、心底思った。 それがまさか去年の担任だとは、到底思いつかないことだったが。 ☆★☆ 380号室の住人――渉も和真も実は朝に弱い。 放っておいてくれるなら、いつまでも寝ていられるくらいだ。 けれど、和真はそれを毎朝根性で起きている。 チビの頃、大好きだったあの人が、『偉いな、和真はちゃんとひとりで起きられるんだ』と、褒めてくれたその言葉だけで。 渉はその和真の根性のおかげで起きられている。 そんな起き抜けの和真はちょっと凄い。 これを見たら『美少女』なんて絶対言われないだろうなと思うほどの寝癖とぼんやりした顔で、とても見せられたもんじゃないと、和真は自覚している。 だから、軽井沢合宿の時は、更に根性で誰よりも先に起きている。 『美少女幻想』を打ち砕くのはやぶさかではないが、『切れ者』が朝に弱いのはカッコ悪いから…だ。 そして渉の起き抜けも似たようなものだけれど、ただ、渉の場合は『天使』がちょっと『堕天使』になった感じで、見ようによっては少しヤバい。 普段はまるっとオコサマだけれど、意識のどこかがスコっと抜けたとき、渉は妙に色気を放つから、まさに起き抜けもその状態と言えるだろう。 理玖の告白から3日。 少し寝つきが悪い日が続いて、今朝起きるのはかなりの気合いを要した。 おかげで渉も一緒に、いつもより10分も遅れて寮食にやって来てみれば、英に直也に桂に斎樹に真尋に…何かあったのかとか、大丈夫かとか、余計な心配をかける羽目になった。 「ごめん、ちょっと起きられなくって…」 渉が弁解すれば、英が和真に申し訳無さそうに言う。 「渉って、朝、ぐずって大変じゃないですか?」 英は朝に強い。 だからずっと渉を起こすのは英の役目で、面倒を見てきた。 いや、渉の面倒を見なくてはいけないので、朝に強くなったのかも知れないが。 「えっ、和真だっ……」 和真だって朝は酷いんだから…と、言おうとした渉の口を細くて小さな手でがっちり塞ぎ、和真はにっこり笑ってみせる。 「大丈夫。渉はイイコだからちゃんと起きてくれるよ」 ムグムグ暴れる渉から手を離し、『ね、渉』…と念を押してしまえば、渉としても、うんと言うしかない。 「あ〜、でもなんか渉先輩って低血圧そうですよね」 真尋が『繊細な美少年って感じ』…と、勝手に妄想を始めたのを慌てて止めて、つい真面目に答えてしまう。 「え、そんなことないよ。血圧正常だよ」 こう見えても循環器系は丈夫なのだ。 チビの頃に二度ほど命の危険に陥ったことがあったらしいが、その時も心臓が正常だったから耐えられたのだと、後から教えてくれたのは浅井の祖母だ。 「単に眠いだけだよね」 和真がまたにっこりと念を押してくるのを『和真、ズルい』と目顔で返すが、起きてしまえば『切れ者和真様』には、どこ吹く風…だ。 「俺たちも朝は強いぞ」 「そ、朝から走ってこれるくらい元気だから、渉の世話なんかチョロいし」 こういう場面で負けじと参戦してくるのはNKコンビの常だが、こと渉の事となると譲れない。 だからつい…。 「それに、寝起きの渉も可愛いし〜」 「そうそう、寝癖がクルクルで、天使みたいだよな〜」 なんて、余分なオプションをつけてしまい、英からはガンを飛ばされ、和真には黙殺され、渉からは膝カックンをお見舞いされることとなった。 ☆★☆ 「なあ、英」 「なんだ?」 1−Eの教室へ入ったところで斎樹が尋ねてきた。 「麻生先輩と栗山先輩が言ってたあれって、なに?」 「あれ?」 「ほら、渉先輩の面倒は見るとか、起き抜けの先輩も可愛いとか」 やっぱりしっかり聞かれていた。 直也と桂は確信犯だろうが。 「なんか妄想でもしてんじゃないか?」 噂…ならいい。現に今でも『NKコンビは絶対渉に惚れている』と言う話はよく聞く。 ただ、渉が相変わらず引っ込み思案で大人しいから、感情の起伏が他人には気取られ難いため、今のところ『片想い説』が主流だ。 それでいいと英は思っている。 あの変則的な恋愛の形は、『公認の仲』にするにはリスクが高い。 当事者たちが大人になってしまえば、とやかく言われる筋合いもないが、今はまだ未成年で、しかも成就したての柔らかい恋だから、事実を知る自分と和真が大切に守ってやらねばならないと思っている。 ヤツらが浮かれて羽目を外すのもそろそろ慣れっこで、フォローのコツも掴み始めてきた今日この頃だ。 「まあ、先輩たちが渉先輩にゾッコンだって噂、よく聞くもんあ」 「確かに仲は良いからな」 …と、当たり障りのない言葉で締めくくり、ふと窓の外に目を転じれば、特別教室棟へ向かう生徒たちの中に、和真の姿を見つけ、見えなくなるまでその姿を追ってしまった。 「何見てんの?」 横から斎樹が同じ方向を眺めにくる。 「ああ、渉先輩か。相変わらずスーパーブラコンだなあ」 笑いながら席に着く斎樹の言葉に、英の自覚は突然やってきた。 そうだ。斎樹の言うとおり、今まで自分が目で追っていたのは渉だった。 和真の姿があるということは、その隣には必ず渉の姿があるはずで。 なのに今、自分の視線が引き寄せられたのは、和真の姿…だ。 もう、認めないわけにはいかなかった。 |
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