第5幕 「十日夜(とおかんや)」
【2】
あれから和真は何故だか更に美少女になった。 刺さっていた何かが抜けて、和真が持つ『包容力』とはまた別の部分で柔らかなところが増えたような気がする。 それは、今まで和真が頑なに抱きしめていたものの重さを知らしめるようで。 でも相変わらず中身はばっちり、大人で切れ者な和真であることに変わりはなくて、その中身の大人っぷりに反した可愛らしさがいっそう強調された感じになって、すれ違う生徒が振り返るってくらい。 本人に言うとむくれるから言わないけど。 でも和真の微妙な変化は周囲もちょっと気づいてるみたい。 いつの間にか和真の『学院伝説』は『120%玉砕』から『200%玉砕』にグレードアップしてて、きっとまた性懲りもなくアタックして討ち死にしたヤツらがいるってことだろう。 まあ正直言って、和真に見合うような生徒ってちょっと見当たらない気がする。 ゼロとは言わないけれど。 そうして、僕が和真に気を取られている間に、直也が少し元気をなくしていた。 少し前の選挙で、直也は管弦楽部長になっていて、そのことがプレッシャーとかかなあと思ったんだけど、そもそも直也は中等部でも部長だったそうだし、周囲の『直也評』ではそんなヤワではないってことだし、僕もそう思うし。 桂に聞くと、多分、進学と将来のことじゃないかって。 『話を聞いてやりたいんだけど、多分渉と一緒の方がいいと思うんだ』 そう言った桂に、僕はもちろんすぐに同意して、すぐにでも…ってことになったんだ。 ☆ .。.:*・゜ 3人でやってきたのは、今夜もあの大きな岩場。 いつもは僕を真ん中にして座るんだけど、今夜は直也の話を聞くために来たんだから、桂と2人で無理やり直也を真ん中に座らせた。 僕は今まで、直也が将来目指していることを、聞こうと思いながらもそのままにしてしまっていて、かなり後悔していた。 もっと早く、話を聞いておかなきゃいけなかったんだ。 少し定演の話なんかをしたあと、直也が口にしたのは、将来自分が夢を叶えれば、僕たちと離れ離れになってしまう…と言うことだった。 直也の夢は、ここの先生になること…だったんだ。 ちょっと意外な感じもするし、でもなんだかよくわかるような気もする、不思議な感じ。 「自分自身、教職に惹かれていたのはもちろんなんだけど、父さんがさ、教師になりたいと思ってた夢を諦めたってこともあるんだ」 直也の夢は、もちろん桂は知ってたみたいだけど、直也が語り始めたことは、桂も知らなかった話だった。 直也のお父さんは、聖陵の先生みたいな教師になりたかったんだそうだ。 なのに何故、諦めたかと言うと、お父さんが転校せざるを得なかった、あの事件が絡んでいた。 直也がポツポツと話してくれたのは、お父さんが熊本ヘ移ってから後ずっと、親代わりに後見してくれた人がいたこと、その人が聖陵への弁済のために好待遇で事務所でアルバイトをさせてくれていた議員だったこと、大学を卒業する頃に、将来自分の地盤を継いで欲しいと頼まれたこと…だった。 「ほんとにいい人でさあ、僕のことも本当の孫みたい可愛がってくれたんだ。あの人がいなかったら、どうなってたかわからないくらい、うちの家族は支えてもらってたから、父さんは、嫌とは言えなかったんだ」 結局お父さんは地盤を継いで、その後国政へと押し出したのも、その人だったそうだ。 「だから僕は、自分の夢と父さんの夢の両方を叶えたいと思ったんだ。ここで」 言い切った直也はすごくかっこよくて、桂も口を引き結んで頷いて。 けれど、直也の本当の不安は、ここから。 「でも、僕の夢は、ここでしか叶えられない。けれど、もし渉と桂がドイツやオーストリアへ戻ってしまったら…」 離れ離れになってしまう…と、呟くように言った直也は、そのまま頭を抱えてうなだれてしまった。 桂が僕を、見る。不安そうに。 でも、僕はそんなに不安じゃない。 だって、離れてしまわないようにすればいいことだから。 「ね、直也」 うなだれた直也の肩に手を回す。 僕なんかと比べものにならないくらいがっちりとした肩は、ちょっと震えていて、直也の不安の大きさを伝えて来た。 「もし、僕と桂が音楽の仕事をすることになったとしたら、多分、いろんな場所を行ったり来たりって生活になると思うんだ。でも、直也がいつもここにいてくれるってわかっていたら、桂も僕も、ここへ帰ってくればいいんだって安心できると思うんだけど」 弾かれたように、直也が顔を上げた。 「渉…」 「ね、桂。僕たちの家に、いつも直也がいてくれるなんて 、すっごく幸せだなあって思わない?」 「思う思う。俺たちの『HOME』だよな」 そう、ずっと一緒にいようって、約束したんだから。 「…2人とも、本当にそれでいいのか?」 まだ少し不安そうな直也の肩をちょっと乱暴に桂が抱いた。 「それがいいんだよ」 「うん、そう」 ぎゅっと握り締められてる手に触れると、やっと力を抜いて、深い息を吐いた。 それが直也の不安の深さに見えて、改めて、もっと早く話が出来ればよかったと後悔した。 これからもっと、いろんなことがあるかも知れない。 大事にされるばっかりで、ボンヤリしてちゃダメだなって、思った。 「で、直也はなんの先生になりたいと思ってる?」 やっと浮上した直也に、僕はやっと聞きたかったことを口にできて。 ゆうちゃんみたいに音楽かなと思ったんだけど、よく考えたら、直也は東大を目指してるって言ってたから、違うってことだよなあ。 「国語教師になりたいんだ」 「ああ、直也、国語系強いよなあ」 そう言う桂は、理系が得意。 理系の教科は、並ばれることもあるし。 「…だよね。古典、1番だし」 「ふふっ。今のところ、渉に勝てる唯一の教科だからな」 そうなんだ。6歳から9年もインターナショナルスクールに通ってたら、さすがに古典は苦手。 日本の中学の国語だけは、教科書を手に入れて母さんが教えてくれたんだけど、それでも教科別順位は、古典が足を引っ張って1番になれたことがない。 「音楽教師の道は考えなかったのか?」 桂が聞いた。 うん、確かにその選択肢もあったはず。 「ああ、それは考えなかったんだけど、ただ、浅井先生の手伝いは出来たらいいなと思ってる」 国語の先生をしつつ、管弦楽部のことも…ってことかな。 「そもそも、聖陵の音楽教師って、基本的に枠1人じゃん」 「だよな」 あ、そうなんだ。 じゃあ、あと2人いる大学出たてらしい先生は非常勤なんだ。 「つまり、音楽教師になるってことは、管弦楽部を担ぐ覚悟がいるってことだろ?」 「確かに」 うんうん。 「さすがにその自信はないんだ。でも、非常勤の先生も授業の他はピアノの個人指導とか、音大受験の補講で手一杯で、管弦楽部のことは、雑務も含めてほとんど浅井先生の肩に乗っかってるだろ? 僕だったら、先生の雑務の部分を引き取れるかもしれないし、そうなったら、先生は指導に専念出来るし」 「直也…おまえ…」 桂が感極まったように、言葉を詰まらせた。 「…めっちゃカッコいいな…」 うんうん。僕もそう思う! 「ゆうちゃん、きっと喜ぶよ」 僕らの言葉に、照れくさそうに笑う直也の顔を、まん丸の月が、柔らかく照らしていた。 ☆★☆ 「お前がここに戻って来たいって考えてたのは知ってたけど、管弦楽部のこととか、色々考えてたのはわかんなかったな」 「まあ、まだ漠然とした考えだったから」 今夜も消灯点呼10分前にきっちり渉を和真の元に送り届け、直也と桂はベッドに転がって話を続けていた。 「ああ。ただ…」 「ただ?」 「それで不安になってることに気がつかないでいて、悪いことしたな…って」 桂は自分の将来について、渉との距離という点では不安がなかったので、気がついてやれなかったのだ。 ただ、渉に必要とされるヴァイオリニストであり続けるには、相当の覚悟がいるとは思っているが。 「いや、本当はもっと早く話をしていれば良かったんだけど、もう少し自分の中で整理がついてからって思ってるうちに、プチ泥沼化したって感じかな」 やっとたどり着いた、3人で生きて行くと言う未来への希望と叶えたい自分の夢。 どうしても諦めたくないこの2つと、現実問題との狭間で身動きが取れなくなってしまったのも、自分の思いだけで、渉と桂を縛ることは出来ないと考えたからだ。 けれど、泥沼から引き上げてくれたのは、渉だった。 力強い言葉で。 「正直、渉があそこまで考えてくれたなんて、もう嬉しくて…」 「だよな。あんなに、俺たちの『これから』に前向きでいてくれるなんて、嬉しい驚きだった」 きっとこれからもたくさんの問題にぶつかるだろう。 けれど、3人でいれば、きっと道は拓ける。そう確信した。 「なあ」 「ん?」 「渉の決意とか覚悟って、俺たちより深いのかも知れないな」 「あ、桂もそう思った? なんかさ、やっぱり懐の深さが常人レベルじゃないような気がするんだ」 「だよな」 「で、その深いところで受け止めてくれてるのかなあって…」 自分たちはとてつもなく幸運なのだと思った。 渉に受け入れてもらえるという幸せを手に入れて。 「そんなに、迷うことないのかもな…」 直也の言葉を、何が…とは聞かなくても、桂は理解した。 「そうだな。愛おしいって気持ちのままに振る舞っても、きっと渉は受け止めてくれるんだろうな」 心と一緒に、その身も繋ごう。 迷わずに。 そう、決めた。 |
END |
『幕間〜恋に落ちたら』へ