幕間 「Carnival〜聖陵祭」

【2】





「ポスター撮り?」

 消灯後、ベッドサイドの小さな灯りの下で、渉が小さな声で尋ねる。

「そう、ポスターコンクールがあるんだって」

 ベッドの中で横になり、和真は左肘をついて頭を支えた状態で渉を見る。

「そんなこと、昨日言ってなかったよ?」

 昨日、まさかのジュリエット指名を受けたときには、そんな話は一言もなかったはずだ。

「そうだろ? 僕も知らなかったもん」

 中等部で生徒会長を務めていた和真には、高等部生徒会にも太いパイプがある。

 と言うより、まだまだ高等部生徒会の面々は和真の生徒会入りを諦めてはいないのだが。

「なんか急に決まったらしいんだ。ほら、今年の高等部生徒会長って写真部の部長だろ? 決まった演目とキャストを聞いて、メラメラと創作意欲が沸いてきたらしくてさあ。あ、衣装・メイク・デザインなんかは各組がやるんだけど、写真撮るのは会長なんだって」

「なんかそれ、個人の趣味に走ってない?」

「だよねえ。でも本人曰わく、同じ人間が同じ機材で撮らないと、公平じゃないからって」

「…それって、正論?」

「んにゃ、違うと思う」

「だよねえ」

 違う人間が撮影してこそのコンクールのような気がするが、どちらにしろ自分は撮られる立場に違いないから、これ以上突っ込むのも時間の無駄だ。

「ま、あの人も言い出したら聞かないから」

 ヤレヤレ…と言った口調の和真に渉が尋ねる。

「よく知ってる人?」

 渉には全く未知の人物だが。

「うん。中等部生徒会で副会長やってた人なんだ。その時僕は2年の執行部員で役員補佐だったから、まあ、色々と可愛がってもらったと言うか、何というか…」

 珍しく言葉を濁した和真に渉が首を傾げる。

 あまり上手くいかなかった相手なのだろうかと思ったのだが、可愛がってもらったとも言っているし。

 ――まあ、可愛がってもらっても、それが嬉しいとは限らないもんね。


「ま、とにかくやるって言ったらやっちゃう人だし、凝り性だから、良いもの創るとは思うんだけどね」

 半ば、独り言のように呟いて、和真は小さくあくびをした。

「寝よっか」

 渉の声が、子守歌のように柔らかく流れてきて、和真は『うん』と答えて目を閉じた。


『和真、俺は諦めないからな』
『待ってもらっても、100%ないですよ』
『それでも、想うのは俺の勝手だ』


 仕事も気配りも出来る、尊敬する先輩ではあった。

 50人を下らないほど『ゴメンナサイ』をした中でも、最も粘ったあの人は、今でも目が合えば優しく微笑んでくれる。

 それが単に後輩への慈しみなら、ありがたいのだが…。


 ――なんでみんな、僕のことほっといてくれないのかな…。僕はあの人を見てるだけで、いいのに。



                    ☆★☆



 翌日から練習が始まった。

 管弦楽部員にとっては、演劇コンクールとコンサートが重なる1番忙しい時期だ。

 しかも渉は本番指揮者を努めることになっているから、忙しさも半端ではない。

 直也と桂は、そんな渉の身体を心配しつつも、相変わらず不満が止まらない。

 今日も部活を終えてすぐにコンクールの練習に入っているが、気合いはゼロだ。

「ったく、なんでよりによってあの演目?」

「だよなあ。兄弟でロミジュリなんて、不毛の極みだよな」

 この『不満』はすでに100回以上口にしているかも知れない。

 言うたびにウザがられるので和真の前では慎んでいるが。
 だが言わずにはいられない。

「噂によると、英ってば練習ノリノリらしいし」

「なんかさあ、一日で台詞入れたって話だぞ」

「マジで?」

 寄ると触ると隣の組の話ばかりで自分たちのことなどこれっぽっちも頭にない。

 去年は白雪姫と7人の王子という、設定からしてめちゃくちゃなコメディだったが、今年はとんでもなくシリアスで、しかもミュージカルだ。

 台詞も多いし歌もある。

 だがそんなことは彼方に吹っ飛んでいて、気になるのは渉のことばかり。

「渉、台詞覚えられるのかねえ」

「や、覚えるだけなら平気だろ。記憶力抜群だし。問題なのは、演技できるのかって話だよ」

「うーん。去年はきょとんとして立ってるだけでもいけたもんなあ」

「ああ、あれって、めちゃめちゃ可愛かったよなあ」

「おどおどした感じがツボだったよなあ」

 去年のことを回想して惚けている2人の前では、主演女優の真尋が特訓を受けている。

「それにしてもさ、水野って歌ヘタだよなあ」

「音程とれてんのにな。まあ、慣れてないってことだろうけど」


 D組の演目は『オペラ座の怪人』。

 前回取り上げられてから10年が経っていて、当時を覚えている生徒はいない。

 毎年候補には挙がるが、キャストに『イケメン2人と美女ひとり』が必須なので、なかなか人材に恵まれずに流れてしまうのだ。

 だが今年は願ってもないことに、NKコンビと真尋がいて。

 4月の段階で3−Dの委員長は『これだ』と決めていたのだが、怪人とラウルにちっともやる気がなくてお気の毒…だ。

 だがもちろん、直也も桂も、表向きはやる気満々に見せている。

 台詞も歌も、3日でほぼ覚えた。

 もともと管弦楽部員は打ち上げと称してカラオケへ繰り出す事が多いから、歌うことには慣れている。

 音程もリズム感もバッチリで、直也と桂もマイクを持たせたら離さないタイプだ。

 だが。
 肝心のヒロイン=クリスティーン役の真尋がさっぱり歌えないのだ。

 もちろんチェロでここへ推薦入学してきたくらいだから、音程はとれているし、リズム感もばっちり。

 なのに歌えないので周囲は少し、困っている。

 さりとて、ここで音楽をやっているのは器楽が専門の生徒ばかりで、歌を勉強してる生徒などいないし、先生もいない。

 顧問の専攻はフルートだし、2人の若き非常勤講師もピアノ専攻だ。

「水野自身もちょっと凹んでるし、気になるよなあ」

「どうしたもんかなあ」

 心配する2人だが、まさかの救世主が現れるとは夢にも思っていなかった。



                    ☆★☆



「え、歌えないのか?」

「…うん。全然ダメで、周りも焦ってて…」

 真尋がうなだれる。

「音程とか大丈夫なんだろ?」

「そりゃそうだよ。一応これでも将来はプロ目指してんだからさ、絶対音感には自信あるし」

 ぷうっとふくれる真尋を前に、英がしばし考える。

「渉に、レッスン頼んでやろうか?」

「渉先輩に? 歌を?」

 渉がなんでも出来るのは知っているが、歌はまた別だ。
 器楽とは全然違うことくらい、真尋も知っている。

「まあ、レッスン受けてみたらわかると思うけど」

 俄に信じられないが、英が言うならそうなのかも知れない…と、『渉先輩も忙しいのに、いいのかなあ…』と、諦め半分で『お言葉に甘える』ことにしたのだが。

 結果はたった2回のレッスンで出た。

 もちろん、いきなり歌手のように歌えるわけではないが、声の出し方のコツと身体の使い方を教わった1回目でかなり発声が楽になり、2回目にはそれなりにそれらしく、なんとなく良い感じに歌えてしまったのだ。

 それだけでも真尋にとっては驚異だったけれど、さらに驚いたのは、渉自身のことだった。




「昨日、D組のヤツらが真尋の歌が良くなったって言ってたぞ」

 チェロパートの溜まり場で、英に言われて真尋が頷く。

「うん、ほんと、英と渉先輩のおかげだよ、ありがと」

 ほんとに助かった…と続ける真尋に、よかったなと声を掛けると、真尋は疑問を投げてきた。

「すっごい謎なんだけど」

「なんだ?」

「なんで渉先輩って、歌まで上手いの?」

 あんなに綺麗な声で、美しく歌える高校生を見たことがないと英に言うと。

「…まあ、ばーさんがオペラ歌手だからな」

 今のところ『オペラ界の女帝』と言われているあの派手なばーさんと、喉の形でも似てるんじゃないか…と、冗談半分で思っているのだが、確かにチビの頃から渉は綺麗な歌声を持っていて、ウィーンの某少年だけの合唱団からスカウトが来たこともあったくらいだ。

 だが渉本人が嫌がった上、一族全員大反対で、ポシャった。
 もちろん英も猛反対だったが。


「え? お祖母さんって、ピアニストの桐生香奈子さんと、浅井先生のお母さん…だよね」

 真尋の問いに、ほんの少し、しまったなと英は思う。

 知らなかったのなら、わざわざ知らせる必要もなかったのだが、世間的に秘密でも何でもない事実――ネットでちょっと検索しただけでも出てくるくらいに――だから、仕方がないかと腹を括る。

 そして、真尋に事実を語った。端的に。




「ウソみたい…。渉先輩と英がセシリア・プライスの孫って…」

「言っておくが、血が繋がってるだけだからな。他の繋がりは一切ない」

 そこだけは押さえておかねばならないところだが、真尋は正しく受け取ってくれたようで、うん、と頷いてくれた。

「って、もしかして英はクオーター?」

「ああ、そう言えばそうだな」

 普段、セシリアが祖母だなんて忘れているから、自分に4分の1でもアメリカ人の血が流れている――16分の1はイギリスの血だが――ことなど、意識したこともない。
 
 それは渉もそうだろうし、そう言えば…。

 ――昇も、自分が半分フランス人だなんて思ったことない…なんて言ってたっけ。

 あれだけ綺麗な髪と瞳を持っていても、意識したことがないと言うくらい、香奈子を中心とした『桐生家』と、さらにその縁戚の結束は固い。

 そして自分たちはその固い絆の中で愛されて育ってきた。

 もしここへ渉が来なければ、自分もここへ来ることはなかったが、今実際この学校にいて、父や叔父たちの、今まで知ることのなかった色々を身近に感じ、改めてここへ来て良かったと思っている。

 そしてそれは、これから先の自分の道筋にも大きな影響を与えるのではないだろうかと、漠然と感じ始めていた。



                    ☆★☆



 なんていうか…。

 僕自身、今年の演目がロミジュリってのはハマってて良いなと思ってたけれど、こうなることを予想していたわけじゃない。

 少なくとも、3−E委員長から意見を求められた4月の時点では。

 何が予想外って、英の熱演なんだ、これが。

 オールE組はもう、この英の熱演に連日めちゃくちゃ盛り上がってる。

 いつも淡々としていて、『お兄ちゃんのことしか興味ないから』みたいなオーラ全開の英が、こんなにも盛り上がるなんて、夢にも思わなかったってことだ。

 まあ、相手が渉だからこそ…だけど、それでも、ここまで気合いが入るとは誰も思ってなかった。

 でも、僕は薄々感づいてる。これは、『当てこすり』だって。

 誰へのって、当然NKコンビだ。

 大事な大事なお兄ちゃんを持って行ってしまったヤツらへの、せめてもの復讐ってヤツ?

 そう思うとほんと、英も分かり易くて可愛いなあなんて、思っちゃったり。

 とまあそんなわけで、男前とかハンサムとかの形容より『端正な』という言葉が似合いそうな英が、表情も豊かに熱演しちゃうと、教室中はノックアウトされた連中の屍累々って感じ。



 ああ、今日も凄い事になってる。

 って、脚本書いたの僕だし、演出の大筋を決めたのも僕だけど。

 だいたいラブシーンなんて正面からやっても面白くも何ともなくて、ちょっとイレギュラーな演出入れないと、アピール出来ない。

 だから、ジュリエットを正面から抱きしめずに、背後から抱きしめて、2人の身長差を生かしてジュリエットを仰向かせてのキスシーンを設定してみたんだけど、渉がもう、暴れまくり。

 渉の細くて綺麗な首筋が強調できて凄くいいんだけど。

 あ、当然英はやる気満々。

 あと、抱き上げてベッドに運ぶシーンなんて、渉ってば半泣きで。

 それがまたそそられるって、悶絶してるヤツらは情けないことにみんな前屈み。
 っとに、ケダモノなんだから。

 って言ったら、『そのケダモノ助長してるの誰なんだよ』って、直也と桂から突っ込まれた。

 立ち練習に入ってから、僕はせっせと練習風景をデジカメに収めてNKコンビに『見せてあげて』る。

 制服姿――ブレザーを脱いでシャツ姿のネクタイあり――での練習は、多分衣装をつけてるより禁断色満載。

 まあ、素の状態でラブシーンやってるわけで、まるで『アブナイ兄弟プレイ』を覗き見してる感じ?

 おかげで僕は、NKコンビから恨まれてるって言うか、ありがたがられてるって言うか。

 ま、ヤツらも複雑な男心ってことで、見たいけど見たくない、見たくないけど見たいってジレンマ抱えてるから。


 って、また渉が暴れてるし。

「ちょ…英っ、どこ触って…!」

「どこって、腰じゃん」

「こ、腰なんか…わああああ」

 腰を支えていた手をそのまま滑らせて抱き込むと、渉がジタバタ抵抗する。

「あのさ、触らずにラブシーンする方が不自然だろ?」

 そうそう、その通り。
 英、いいこと言うじゃん。

「いいから大人しく抱かれてろ」

 英がそう言い放った瞬間、辺りが一瞬沈黙して、ほぼ全員が萌え死にで崩れ落ちた。

 渉も石化してるけど。 

 ふふっ、ほんと、黒幕ってやめられない。

  
 
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