幕間 「君が欲しい」

【2】





 理玖の背中を見送って、けれど直也はまた、ため息を落とす。

 悩みがあれば、今まで必ず桂に相談してきた。

 けれど、今回はそれでも簡単には解決を見ない。
 桂も同じ悩みを抱えているからだ。 

 もちろん2人別々に鬱々と悩んできたわけではない。

 2人で渉を愛していこうと決めてからは、渉に関することは全てきちんと腹を割って話し合ってきた。

 けれど今回は話を尽くしてもなお、踏ん切りがつかないでいる。

 理由は簡単。
 渉がそれを望んでいるのかどうか、確かめられないでいるから…だ。

 あれ以来、キスは何度もしている。

 了解をとったり不意打ちだったり、ふれあう程度だったり息が上がるまで貪ってしまったり、色々だけれど、そのおかげか渉も少しは慣れてきてくれているような気はしている。

 おっかなびっくりだったり、真っ赤になったり、時には目を潤ませたり…と、様々な表情を見ることが出来て、『プチ蜜月』をかみしめている…と言った状態だ。

 けれど、その先へ進めない。

 渉の想いが、まだそこへ至るまで育っていないとしたら…。

 心にも体にも、これっぽっちも傷をつけたくないから、だから怖くて仕方がない。

 渉がもう少し、大人になってくれるのを待つのか、多少強引に事を運ぶのか。

 つまり、オコサマ且つ無垢な渉にこれ以上の手出しが出来ないで、悶々としているということだ。

 ――ゆっくり甘やかす…か。

 だが理玖の言うように、気長に楽しむには自分たちは直情すぎて、答えを早く欲しがる…つまりまだまだ自分たちもオコサマと言うことなのだ。

 ――先は長いのにな…。

 もう一発、今度はかなりなまめかしいため息をついて、直也は練習室を後にした。





 その頃、練習が終わりほとんどの部員が寮へ帰って閑散とした音楽ホールのロビーに、人気もないのにヒソヒソと話す桂と和真がいた。

「あのさ、そういうプライベートかつデリケートなご相談はお受けしないことになってますが」

「え〜、そんなこと言わずに〜」

「んじゃ、いっそのこと英に相談してみれば?『お宅のお兄さんがオコサマすぎてエッチなことができません』ってさ」

「そ、そんなこと英に言ったら…」

 殺される…と、プルプル震える桂をチラリと流し見て、和真は「だろうねえ」と、気のない返事を放ってくる。

 ま、いっぺん殺されてみるのも、己を省みるよすがになるんじゃないの…なんて呟いてみても、もはや桂の耳には入っていない。

 真剣ではあるのだろうが、どうもこいつらの悩みは端から見るとアホくさい。

 これでも渉が関わっているから聞いてやってるのだ。

 けれど、今のところ渉が悩んでいる様子はないので、和真は放置を決め込んでいる。

 さらにごちゃごちゃと、ほぼ愚痴とも言える悩みを垂れ流す桂を適当にあしらっていると、直也がやってきた。

「あれ? 渉はまだ?」

 いるはずの恋人の姿を求めて辺りを見回す。

「ああ、打楽器が今頃になって担当楽器を交代するとか言い出して、渉に相談中なんだ」

「え? 今からか?」

 本番まであと5日。
 今から交代なんて、病欠でもない限り有り得ない。

「あそこも里山先輩が卒業してから戦国時代に突入したからね」

 和真がやれやれ…と、肩をすくめる。

「ま、救いなのは、レベルの高さ…ではあるけどな」

 桂がウンザリした声を出す。

 だが、どれだけレベルが高くでも、協調性に欠ける行動はオケ全体の志気に関わることで、コンサートマスターとしてはいただけない話なのだ。

「桂は認めたのか?」 

 当然、重要な変更事項に、コンマスの了解は欠かせない。

「まさか」

 んなはずないだろ…と言われて、そりゃそうだと納得する。

「浅井先生はなんて? 先生がそもそも認めないだろ?」

 よほどの理由がないと顧問がうんと言うはずがないのは、打楽器パートだってわかっているはずだ。

「渉に相談しろってさ」

「渉が認めればよし、認めなければナシってこと」

「えっ、渉預けになったんだ」 

 これも生徒指揮者の大事なお仕事…なのだろうけれど、渉には少々荷が重いのではと不安になる。

 引っ込み思案で人見知りには、『調整』と言う作業は負担に違いない。

 それは、和真も桂も等しく感じているであろうことが、表情に現れている。

 まして、今の打楽器パートは個性の強い人間揃いで、 圧倒的存在だった里山が卒業してからは、抑えがきかなくなっているという、なかなかに難物なのだ。

 まあ、落ち込んだならば、力の限り慰めて元気づけるが。

「あれ? そういえば、英は?」

 英の姿もない。

 渉を待つ面々の中に英の姿がない日など、ほぼ皆無だ。

「チェロの面々に連れていかれたよ。お兄ちゃんにばっかり張り付いてないで、たまには付き合えってさ」

 複雑そうな顔して連行されていった英が和真の方を見て、『渉を頼む!』と、目で訴えたのが可笑しくて、つい思い出し笑いを漏らしてしまう。

「まあ英もそろそろお兄ちゃん離れの時期じゃないか」

 暗に俺たちがいるんたから…と、桂が匂わせてみれば、当然直也も同調する。

「だな。英は英で、やりたいことをやった方がいいよな」

 英のやりたいこと…とはつまり、渉を構い倒すこと…に違いないことくらい、直也も桂もイヤと言うほどわかっているが、とりあえず『言わずにはいられない』といった状態だ。

 つまり、要は邪魔なんだろうが…と、和真はまた冷たい視線を2人に向けてちらりと流す。

「でさ、和真。さっきの続きなんだけど」

 桂が身を乗り出してきた。

「え〜。まだ続くの〜」

 いい加減ウザイのもマックスで、心が満たされてるんなら、身体ぐらいちょっと我慢しろよ…と、説教してやろうかと思ったところへ…。

「なになに? なんの話?」

 これはきっと、自分も立ち入らねばならない話に違いないと、直也が割って入ってくる。

「俺たちと渉の、直近の課題について」

「ああ、あの難問ね」

 つい今し方、理玖に愚痴ったばかりだが、ややこしくなるのでこの際黙っておくことにして、直也は和真に向き直る。

「目下のところの僕たちの最重要課題なんだ。渉をどう愛していくかってことで」

「そう、俺たちの『これから』の大事な一歩だからな」

 2人から躙り寄られ、和真はもう、こうなったら付き合ってやるしかないと腹をくくった。

 渉のためでもある…かもしれないと自身に言い聞かせて。


「えとさ、じゃあちょっと踏み込んだこと聞くけど」

 正直、どうして恋人もいない自分がこういう話の世話を焼かねばならないのか、まったくもって理不尽だと、やっぱりムカムカしてきたので、この際はっきり聞いてやることにした。

「キミたち、渉とどういう風に関係を持つつもり?」

 当然、それぞれに…という答だろうと予測していたのだが。

「ケースバイケース」

「渉次第とも言うけど」

 何の衒いもなく、NKコンビは言い切った。

「それってもしかして、場合によっては3P容認ってこと?」

 いくらなんでもまさかね…とか、いやこいつらならやりかねん…とか、色々と頭の中を渦巻いてきたところで、桂が何でもなさそうに、さも当たり前のように言った。

「そりゃそうだろ」

「……あっさり言うね」

 和真が呆れると、直也は少し驚いたように目を見張る。

「ってか、美少女の口からそう言う言葉が出てくると、新鮮ってか、ちょっとエロいってか…」

 何が新鮮だ、何がエロいんだ、そして何より…。

「誰が美少女だっての」

 座った目つきで和真はNKコンビを睥睨する。

「茶化すと相談乗ってやんないよ」

「わああ、ごめんごめん」

 慌てて謝る直也の頭を、桂が軽く叩く。

「直也〜、本人の前で美少女は禁句だろうが。いくらほんとのことでもさ」

「なんか言った?」

 さらに剣呑な声になる和真に2人は慌てて話を戻す。

「いや、それがさ、最初のうちはあり得ないよなあ…なんて思ってたんだけど…」

「ほら、3人でいちゃいちゃしてるうちに、なんか新たな発見っていうか…」

 ほんの二言三言で、簡単に嫌な方向に話が転がり始めてきた予感がして、和真はこめかみを押さえる。

「当事者になっちまうと見えなくなる場面ってのがあるじゃん?」

「そう、それがよく見えるんだよなあ。第三者的に」

「渉の表情とか、横からちょっとじっくり観察できたりして」

「なんか、あれってちょっとクセになるよなあ」

「そうそう。妙にハマりそうな感じ」


 呆れて言葉も出ないとはこのことだ。

 もはやこれは『相談』ではなく、『のろけ』だ。間違いなく。

 そして、『聞いてやっている』のではなくて、『聞かされている』のだ。


「ま、でもそういう話までちゃんと詰めたよな、俺たち」

「そ、うやむやにしてたらロクなことないし」

 ――まあ、心掛けとしては良いけどさ…。そう言うことしか詰めてなかったりして。

「でもさ、肝心の渉がどう思ってるのかとか…」

「そうそう、俺たちの愛の重さに耐えられるのかなとか」

「体力的にもちょっと不安だしさ〜」

「ああ、それってあるよな〜」

「でも、無垢でオコサマな渉もツボだしなあ」

「心配だけど可愛いくって堪んないってのもあるよなあ〜」

 ――アホくさすぎる…。

『もう、どーでもいーや』と投げやりに聞き流しているのだが、ふと疑問を投げてみたくなった。

「でもさ、渉ってそんなにオコサマでもないと思うんだけどさ」

 見た目があれで性格がああだから、そう思われがちだけれど、頭は良いし、もの知らずでもない…と、和真は思っている。

 気持ちを表す言葉もたくさん持ってるに違いないのに、多分、一番適切な言葉を探すことに真面目に向き合いすぎて、咄嗟に出てこないだけなのだと。

 だから、引っ込み思案になってしまったのではないかと推察している。

 それが単に、渉をオコサマに見せているだけだとすれば…。

 つまり、2人が思うほどオコサマではないと思うのだ。
 良い意味で無垢であるとは思うけれど。

 それをNKコンビに語って聞かせてみれば、2人は顔を見合わせた。

「…そうかな」

「…そうだとしたら…」

「もう暫くいちゃいちゃして楽しんでみるか」

「それもいいかもな〜」


 ――…なに、こいつら結局悩んでないじゃん!

 結論は相談内容と著しく矛盾しているようだし、やっぱり惚気たかっただけじゃないかと和真は激しく脱力し、そして決めた。

 ――も〜、絶対こいつらの相談になんか乗らないからな!

 美少女台無しの、剣呑に眉間に皺を寄せたところで、やっと待ち人が現れた。

「待たせてごめん〜」

 少し疲れた表情で、渉がやってくる。

「お疲れ〜」

「どうだった?」

 渉は『はあ…』とため息をついて、和真の隣に腰を下ろした。

「理由を聞いて、交代前と交代後を聞かせてもらったんだけど、技術的にも問題ないし、演奏を聞いてみれば交代したいっていう理由も頷ける部分があるし、これなら感情のもつれを解消する方が、打楽器にもオケ全体にも良いかなと思うんだ」

 迷いなく、自分の意見をきちんとまとめてはっきり話す渉に、和真も直也も桂も目を瞠る。

 生徒指揮者になる前には考えられなかった姿だ。

「桂、どう思う?」

 しかも最近はこんな風にコンマスの意見も積極的に聞いてくれるから、桂としては嬉しいことこの上ない。

「うーん。問題ないって渉が判断したのなら、わざわざ反対はしないけど」

 こと音楽に関しては渉の能力は絶対で、まさに無条件でついて行けると、桂だけでなく管弦楽部員全員が思っていることだから。

「じゃあ先生に報告してくるよ。あとは先生が決めてくれるはずだから」

 顧問の所へ行こうとする渉の後を、3人でぞろぞろ付いていったのは言うまでも無い。 


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