幕間 「君が欲しい」

【3】





 1週間の夏合宿も半ば。
 寮内はそれなりに空いた状態だが消灯点呼はきちんと行われる。

 だがその時間にちゃんと寝る生徒は皆無だ。
 6時から朝練の運動部は別として。

 管弦楽部の集合時間は9時だから、合宿期間に入ってからは、渉と和真も少し夜更かしがちになる。

 もちろん、直也と桂は毎晩のように渉を連れ出すのだが、和真から『門限は消灯点呼10分前』と言い渡されていて――当然言い渡されているのは直也と桂であって、渉ではない――それなりにいちゃいちゃはしているようだが、今日散々聞かされた通り、ある意味健全に近いデートのようでひとまず安心はしている。

 ちなみにこの場合の『門限』とは、部屋に帰り着く時間という意味だ。

 和真としても邪魔をする気はないのだが、残念ながら今は合宿中で、渉の健康状態にはいつも以上に気を配らなくてはいけないのだ。

 渉は、部活では授業の数倍の体力と気力を消耗するので。

 だから本当なら『お泊まり』だって認めてやりたいところなのだが――実際、夏合宿は恋の季節とも言われているくらいで――心を鬼にして、門限を設定しているというわけだ。

 和真自身も自覚している。

 まるで嫁入り前の娘を心配する父親みたいだなあ…と。

 現に今夜は帰ってきた渉の頬が上気しまくっていて、なかなかきわどい接触があったんじゃなかろうかと気がもめた。

 昼間の会話が会話だっただけに。


 散々『悩み』と称する『惚気』を聞かされて、半ば嫌みのつもりで『渉をオコサマ扱いするのなら、キミたちはさぞかし経験豊富なんだろうねぇ』…と、聞いてやったら、ヤツらはそれなりに――さすがに豊富とは言えないが――経験があって驚いた。

 桂は京都へ帰省したときに、小学校の同窓会で再会した女の子で、中2の夏休みから『これと言って別れる理由もないのでなんとなく遠距離』していたけれど、渉が入学してきた5月には、キッパリ別れたらしい。

 それはいいとして、問題は直也だ。

 校内で、しかも管弦楽部の先輩と言うから驚きもマックスだった。

 絶対相手は聞かないでおこうと心に決めているが、頭が勝手に聞いた話の情報整理をしてしまって、知りたくないのに、これまた良く回ってくれる頭が勝手にはじき出した相手が、1年上のヴァイオリン奏者で、和真は唖然とするしかない。

 確かに可愛らしい感じの人ではあるのだが、直也とそんな関係にあったとは夢にも思わなかった。

 ほぼ接点のない先輩だから、視界に入ることもなかったし、見た目以外の人となりをほとんど知らないせいかもしれない。

 少なくとも2人でいるところを一度でも見ていたら、何かを気づくことはあったと思うのだが、それも一度もなかった。

 本人によると、中3の時点で円満に別れているので何ら問題はないそうだが、桂に言わせると、その後もうひとり、短期間だけれど相手がいたらしい。

 部活外の同級生だという、聞きたくない情報まで教えてくれたが。

 ただ2人とも、自分から告白したのは渉が初めてだと言っていて、それまでは、なんとなく付き合っていただけで恋をしていたわけではないから、直也は桂と、桂は直也とつるんでいた方が楽しくて、それが当たり前だったと、悪びれもせずに言っていた。

 身体だけ気持ちよくても仕方がない。
 つまり、渉が初恋なのだと。

 そこで、渉の初恋はキミたちじゃないよと言ってやったら、そんなことわかってる…と、不機嫌丸出しになったのが可笑しくて、してやったりの気分になれたのだが、返す言葉で『和真はどうなんだよ』と、珍しく直也が余計なお世話をしてくれた。

 だが自分はここにいる間は失恋の余韻に浸っているつもりだから、『難攻不落の美少女って言われてるの知ってるだろ』…と、敢えて嫌いな言葉を混ぜて威嚇しておいた。

 ともかく、実際どの程度か知らないけれど、経験のある2人が寄ってたかって、多分何も経験がないであろう渉を可愛がろうというのだから、渉はひとたまりもないような気がする。

 今夜のように、潤んだ瞳が艶めいているクセに幼くて、ヤバさ満点という状態で帰って来られた日には、頼むからそんなの英に見せるなよ…と、英の部屋とは階が違うのに、思わず辺りを見回したくらいだ。

 そんな渉が、やっと普段の顔を取り戻したところで、和真が声を掛けた。


「今日は大変だったね」

「打楽器のこと?」

「うん」

 和真の問いに、渉は少し首を傾げてニコッと笑った。

「そんなに大変じゃなかったよ?」

「そう?」

 意外だな…と感じつつ問い返せば、やや考えて口を開いた。

「今回のことは、みんなそれぞれ、パートやオケ全体のことを考えて、これが一番良いって主張してるから、ちゃんと話せば、あるべきところへ収まると思うんだ。 ただ、自分のためだけのことを考えて、交代だとかいいだしたら、それは違うって、はっきり言わなきゃダメだと思ってたんだけど、そうじゃなかったし」

 つまり、妥協はしない…と、強い決意を柔らかい口調で言ってのけて、やっぱり渉は可愛らしい表情で微笑む。

「渉、なんだかいい顔してるね」

「…え? そう?」

「うん、生徒指揮者になって、本当によかったんじゃない?」

 言うと、渉は真剣な面持ちで頷いた。

「なんかやっと、どっちを向いて頑張ればいいのか見えて来たような気がするんだ。今まで八方ふさがりだと思ってたんだけど」

 去年、出会ったばかりの頃の渉は、持てる才能の余りの重さに、心と身体がついて行かずに押し潰されかかっていた。

「良かったね、渉」

「うん」

 素直に笑顔を見せる渉は本当に愛らしくて、思わず頭を撫でてしまったのだが…。

 そう。渉が帰って来てから、ずっと気になっていたのだ。

「渉、髪の毛濡れてない?」

 洗った後、まだ乾ききっていない感じなのだ。

「あ、シャワーしたから」

「…いつ?」

 和真はずっと部屋にいて、渉はずっと、NKコンビといたはずで。

「…あ。…えっと」

 途端に渉の目が泳ぎ始めた。

「…あー、うん。別に、言わなくていいから」

 と言うか、聞かなきゃよかったことで。

「えっ、そ、そんな変なこと、してないよっ」

 何かを和真が察したと思ったのだろう。

 慌てて、しかも『変なこと』なんて、半分墓穴を掘ったようなことを言い出す渉が可愛くて、思わず吹き出してしまった。

『変なこと』って何?…と、ツッコミたくなるが、さすがにかわいそうで出来はしない。 

 まあ、様子からして、最後の一線を越えたようではないので、良しとしよう。

 一応ヤツらにも、合宿中は自粛しようと言う気はあるのだろう。
 溺愛の奥に、渉の身体と心を護ろうとする深い想いは感じ取れるから。

「和真〜」

 吹き出されて、渉が恨めしそうに和真を見る。

「あはは、ごめんごめん。別にからかうつもりはなかったんだ。渉があんまり可愛いから、つい」

 ぷうっとふくれる渉がまた愛らしくて、濡れ髪をくちゃくちゃとかき混ぜる。

「ま、楽しかったのならいいんじゃない?」

 ヤツらもどうせ浮かれまくってるだろう、この状況を見る限り。

 明日になったらまた、『相談』と称して惚気まくるに決まっているのだ。
 鬱陶しいことに。


「楽しい…のかな?」

 乱された髪を直しながら、渉が首を傾げた。

「え? どういうこと?」

 渉の言葉に、和真が眉をひそめる。

 無理強いや、辛い目に遭わされてるとでも言うのなら、今からでも速攻殴り込みだ。

 英を連れて行っても良いくらいだが、流血を見ても困るのでそれはヤメた方がよさそうだが。

「あ、僕は2人といて楽しいんだけど、直也と桂はどうなのかなあ…って」

 少しネガティブな方向へ傾いた渉の思考を上向けようと、和真はわざと明るい声で茶化す。

「少なくとも今日の昼間は、2人で渉のこと話して盛り上がってて、一層暑苦しくてバカ丸出しで、渉へのラブ満載で脳幹まで恋に爛れてたけど?」

 あれで楽しくないなんて言おうものなら、やっぱり今から殴り込みだ。
 こうなったら英も連れて行く。

「でも、多分我慢させてるんだろうな…って思うんだ」

 渉の不安の元が吐露された。

 だが和真は内心で、我慢させとけ、そんなもん…と、突っ込んだ。

 もちろんそれが顔に出されることはなく、和真は渉の不安に付き合うことにする。


「我慢って言うより、心配なんじゃないの?」

「心配?」

「そう、渉を怯えさせたり、怖い思いをさせてしまったら…って」

 渉が少し照れくさそうに俯いた。

「…でも、僕だって何にも知らないわけじゃないよ」

 全部知ってるわけでもないけど…と付け足すあたり、やっぱり不安そうで。 

「ただ、自慢じゃないけど、キスだって、チビの頃のご挨拶を除けば桂と直也が初めてだし」

 チビの頃の云々…と言うのが若干引っかかるが、恋するキスは初めてならば、さぞかしヤツらは大喜びだろう。

「全然経験がないのは事実だし、どうしていいのかわかんないし」

 少し恥ずかしそうな渉の告白に、和真は何だかホッとしていた。

 ここで渉に『実は経験豊富なんだけど』なんて言われた日にはきっと立ち直れないし、やっぱり渉はこうでなくちゃ…と、思い込みだけで判断するのもかわいそうだが致し方ない。

 でも、やっぱり渉はこうでなくちゃ…なのだ。


「うーん、渉が不安に思うのも仕方ないと思うけど、そこは2人に丸投げでもいいんじゃない?」

「…そう、かな」

「そうそう、それがヤツらの楽しみだと思えば良いんだよ」

 渉との会話で、和真は『これが正しい恋愛相談だよな』と、ひとり納得している。

 昼間のは、クドいようだが恋愛相談ではない。

 ――渉の話ならいくらでも聞けるのになぁ。

 聞けるどころか、なんとかしてあげたいと思う。

「でもね、直也と桂がどうしたいと思ってるのか、よくわからないんだ」

「どう…って?」

 渉にも、『そう言う行為』の予備知識くらいはあるようだから、行為の具体的な中身についての話ではなさそうだ。
 実際『丸投げ』と言われて半分納得しているようでもあったし。

 とすれば、昼間にNKコンビが漏らしていたあれだ、まさに。

『その時』は、2人きりがいいのか、いやいや、3人でも構わないのさ…っていう、アレだ。


「ええと、もしかしてそれは、関係の持ち方…ってこと?」

 こんな遠まわしでわかるかな…と思ったのだが、渉は頬を染めて、うん、と頷いた。

 ――うわーうわー、なにこれ、やたら可愛い〜!

 今の『うん』を見たら、絶対ヤツらだったら押し倒してるに違いない。

 英には絶対見せられないけれど。

 しかし、真剣な面持ちで和真の次の言葉を待っている様子の渉に、和真もまた、真面目な顔を作って神妙に尋ねてみる。

「渉は、どう思ってるの?」

 ジョーシキ的には、ひとりの相手で精一杯だろう。
 まして渉にとっては初体験なのだから。

「僕?」
「そう」

 問われて渉は少し目を伏せる。

「僕は…せめてその時くらい、独り占めさせてあげたいな…なんて、傲慢なこと考えてる…けど」

 途切れ途切れに告げるそれは、きっと恥ずかしいだろうに、相手を想う気持ちに溢れていて、和真は胸を熱くする。

 傲慢…と渉は言うけれど、和真はそうではない気がしている。

『独り占めして欲しい』…と言う方が、よほど傲慢な気がする。

 けれどおそらく渉がそれを言い出せないのは、恥ずかしいばかりではなく、そうなればまた、『どちらと先に』…と言う話になってしまうからだろう。

 いずれにしても『最初』はひとり…に決まっているけれど、それでもヤツらにとって、『その時』を『知っている』のと『知らない』のとでは雲泥の差だろう。

 ――しかしまあ、ディープな話だよなあ。

 まだ高校2年生だ。一応。

 世間的にはもっと爛れた遊び方をしているヤツもいるかも知れないが、とりあえず、この3人は遊んでいるわけでもなんでもなく、真摯に相手を想って慈しもうとしている。

 だから余計にディープさが際だってしまうのかも知れないが。

 とりあえず、渉が2人をまとめて愛しているのではなくて、直也は直也、桂は桂として、持てる気持ちをすべて向けようとしてるのが健気に思えて、和真は真剣に、『渉のその気持ちはよくわかるよ』と、励ましてみる。

 渉はその言葉に、恥ずかしそうに『ありがと』と言ってから、また言葉を選び出す。

「ん…と、まあ、でも…。でも、どっちにしても僕は、2人が思うようにできればそれでいいと思ってるんだけど」

「でも、それじゃあ渉の意志は? こうして欲しいってないの?」

 あの暑苦しい2人を受け入れるのだから、少々我が儘になってもいいんじゃないの…というのは、和真があくまでも渉の立場でものを考えているから…だろうか。

「僕? 僕はただ、2人が大好きっていうのしかないから、正直、どんな形でもあんまり変わりはないんだ。もし、怖いとか辛いなんてことがあったりしても、直也と桂だから平気だと思うし」

 やっぱり渉は思っていたとおり、周囲が感じているほどオコサマではないのだ。

 いや、オコサマで無垢な部分はまた別のところにあって、こと、直也と桂への想いに関しては、身体を壊すほど悩んだ末の結果だけに、その深さと覚悟はおそらく、直也と桂の想像以上だろう。

「それより…」

「それより?」

「やっぱり、僕なんかで満足してもらえるのかなぁ…っていう方が不安…かな」 

 ――今のセリフ、NKが聞いたら鼻血吹くだろうな…。ってか、一度思いを遂げたらヤツら際限なく溺れていきそうだけど。


「ああ〜も〜!」

「和真?」

「渉がイイコで可愛すぎて、NKにやるのがもったいなくなってきた〜!」

「なにそれ」

 渉が小さく笑う。


 渉が一旦『こう』と決めたら、それはとてつもなく深くて温かい懐に迎え入れられる。

 受け身な質であることには違いないが、その受け皿はとてつもなく広そうだ。

 直也と桂が護っているようで――実際目に見える部分はそうなのだが――実は渉の大きな羽が2人を包んでいるんじゃないかと思えてならない。

 ――やつら、マジで幸せ者なんじゃないの。

 友人として、直也と桂が幸せになるのは嬉しいに違いない。

 だがやはり、どんな形であれ渉が幸せならばそれでいい…と言うのが、和真の変わらぬ気持ちだ。

「ま、経験値よりも、愛の深さじゃない?」

 そう言うと、渉はパッと目を見開いて、恥ずかしげに頷いた。
 

END

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