幕間 「君が欲しい」
【1】
7月最後の一週間。 最終日に夏のコンサートを控えて練習も大詰めとなったある日。 「…はぁ」 直也が浅く息を逃がした。 「…どうした?」 「わぁぁっ!」 ひとりだと思っていたのに、いきなり後ろから声が掛かって直也は飛び上がる。 「あはは、驚かせてごめん。でも、麻生がため息って珍しいね」 「理玖先輩…」 直也の背後にいたのは、部長の沢本理玖。 廊下の突き当たりとは言え、ここは音楽ホールの2階で練習室が並んでいる場所なのだから、背後に理玖が立っていても何ら問題は無いのだが、どうやら理玖は、真後ろの練習室から出てきたところらしい。 後ろ手に防音室の扉を閉めて、『聖陵三大美人』のひとりと言われるにふさわしい笑みを見せる。 ちなみに聖陵には『三大ハンサム』『三大男前』『三大美人』『三大美少女』『三大美少年』『三大頭脳』『三大筋肉』『三大芸人』等々…と、思いつけば何でもありだ。 さらにちなみに、和真は『三大美少女』に名を連ねているのだが、『せめて少年の方にしてよ』と抗議したところ、『お前のどこが少年だよ』と言われてから、この手のことは無視を決め込んできた。 が、渉が入学してきたので渉も『三大美少女』に引きずり込んでやろうと思っていたら、渉はいつの間にか何にも属さない『聖陵の天使』と呼ばれていた。 つまり、『性別不明の未知の生命体』ということらしい。 それを聞いて、なるほどね…と思ったのは、渉にはナイショだが。 「ため息の原因は、もしかして、恋の病?」 「え。顔に出てます?」 あっさり認める直也に、理玖は小さく吹き出した。 「栗山もそうだけど、そうやって下手な隠し立てしないところが麻生の良いところだよね。ま、相手の察しはついてるけど、追求しないでおくよ。片想いでも辛そうには見えないし」 ポンと肩を叩いて言えば、直也はそれは嬉しそうに報告してくれるではないか。 「あ、すでに片想いじゃないんで」 理玖が切れ長の目を丸くした。 「え、ほんとに? もう両想い?」 「おかげ様でラブラブです」 直也としても、誰彼なく話して回るつもりはないが、相手が理玖だとつい口が軽くなる。 5年近く一緒にやってきて、この人なら話しても大丈夫だという信頼感が根付いているからだろう。 直也の言葉に、そうだったんだ…と、かなり驚いた様子を見せた理玖は、『ね、ちょっと聞きたいんだけど…』と、辺りに誰も居ないのに声を潜めてきた。 「なんですか?」 つられてつい直也も声を潜めてしまう。 「どうやってアピったわけ? 結構その手のことには疎そうじゃない? 彼って」 興味本意ではなく真面目に尋ねてくる様子に、直也も真剣に言葉を返す。 「そりゃもう、先輩のお察し通り、かなり熱烈にアピること数ヶ月。けれどほぼ伝わらなかったと言っていいですね」 「やっぱり。…で、どうしたわけ?」 「そりゃ最後はこれでもかってくらいストレートに告白しましたよ。好きだ!って」 うんうん、やっぱりそうだよな…と、納得しかかった理玖を、直也が留めた。 「ところがですね…」 「うん」 「僕も好きだよ?…って、こう、可愛く小首を傾げられてですね」 自分がやっても気持ち悪いだけだが、ここは『彼』の可愛らしさを強調するために小首を傾げてみると、理玖は大笑いを始めた。 「あ〜、もう可笑しすぎる〜。目に浮かんだよ〜、今の光景」 つまり、その『彼』を特定することなく話を進めていたけれど、人物特定に誤りはなかったということだ。 「で、どうしたの、その後」 「もう一回はっきり言いました。愛だからって」 「今度こそ伝わった?」 「ばっちり」 その前後の紆余曲折はこの際省くとして。 「そっか…。やっぱりはっきり言わなきゃ伝わらないのかな…」 「先輩、もしかして絶賛片想い中ですか?」 面相も所作もしなやかで涼やかだからなのか、色恋というものにさほど関心がなさそうに見える理玖に、片想いと言うのはあんまり想像はつかないのだが、一応聞いてみた。 ところが。 「盛大にね。片想い5年目の筋金入りだよ」 意外過ぎる告白に直也が『えっ!』っと声を上げと、さらに理玖は直也が唖然とすることを言ってのけた。 「ほんとはね、黙って卒業するつもりだったんだ。でも一緒にいられる時間が少なくなってきたら、何だか急に焦ってきて、悪あがきしてみたくなっちゃったんだよなあ」 これっぽっちの焦りもあがきも感じられない口調だが、眼差しは切なくて、その本気が見える。 そんな理玖の様子に、感動にも似たものを覚えた直也だったが、肝心のものがみえない。 「えっと…」 「なに?」 「すみません。先輩の相手、全然察しがつかない…」 5年目の片想いと言うことは、少なくとも相手は高2以上の学年のはず。 いや、教師という可能性もなくはない。 現に、顧問に片想いをしている生徒など、掃いて捨てるほどいる。 週に1回くらいのペースで告白されているらしい…なんて、もっともらしいウワサもあるくらいだ。 さらに、卒業時には『ダメ元玉砕』が激増するのは毎年のことで。 「ふふっ。そりゃそうだよ。ずっと隠し通して来たからね。そのせいなのか、今更のアピールが自然すぎるのか、これっぽっちも察して貰えないんだよ。麻生の恋人と反対のタイプで、『察すること』にはこれでもかってくらい長けてる子なんだけどねえ」 『子』と言うからには生徒で、おそらく下級生。 と言うことは管弦楽部の可能性大で、察することに長けている……と、そこまで考えたところで、直也はある人物に行き当たったのだか。 ――まさか…な。 ヤツは『120%玉砕』『難攻不落の美少女』といわれて久しい。 学院でも1、2を争うほどの ――いや実際はダントツだろう―― 美少女だが、これまでそういう感情を一切受け入れて来なかった。 それを、直也たち近しい友人たちは単に、『そりゃ『ここで恋愛する気はない』っていう、ごく当たり前の気持ちだろ』…と、決めてかかっている。 だが、ヤツにとって理玖はもっとも近しい先輩だ。 もしかしたら…。 「ま、実る可能性を探るって言うよりは、自分の気持ちにどうケリをつけるか…ってところなんだけどさ」 相変わらず理玖の口調は軽く、でも眼差しと心情は切なくて、直也は言葉をなくす。 こうなると、相手が誰かということよりも、できることなら成就して欲しいというのが人情というものだ。 まして、今までいい関係を築いてきた信頼の置ける大切な先輩だから。 そして改めて、5年も一緒にやってきて、今頃になって初めて垣間見る理玖の素顔に、彼らが卒業というゴールに向かってラストスパートをかけ始めているのを感じる。 「ま、聞いてくれてありがとな。誰かに聞いてもらえると楽になるってほんとだな」 ポンッと軽く肩を叩いて微笑む理玖に、直也は正面から向き合った。 「理玖先輩」 「ん?」 「上手く伝わると、いいですね」 いつになく真剣みを帯びた声色に、理玖が一瞬目を丸くしてからまた微笑む。 「うん、ありがとう。麻生のエールに応えて、もうひとがんばりしてみるよ」 と、控えめなガッツポーズをして見せてそしてまた微笑む。 「で?」 「はい?」 いっそ艶やかとも言える微笑みを今度は少々いたずらっ子のそれに変えて、理玖がまた声を潜める。 「すでに両思いでラブラブの麻生がため息ついてるわけって?」 片想いのため息でないとすれば、少し興味が湧いてしまうのも、これまたやっぱり人情と言うもので。 「いや、それがなんて言うか、こう…」 さすがに内容が内容だけにあからさまに言葉にするわけにもいかず、『なかなか、先へ進めないって感じで…』…と、言葉を濁し気味になる直也に、理玖は『うんうん』と納得したように頷く。 「確かに難しそうだよねえ。彼が相手だと」 相変わらず、相手を特定しなくても話が進んでいくところが若干オソロシイが。 「でもさ、両想いならそんなに焦らなくても良いんじゃない? 相手が奥手ならなおのこと、ゆっくりと甘やかすってのも楽しいかもよ?」 『包み込むような懐の深さの、さらにその奥に静かに潜む情熱』…それが、理玖の魅力だと言っていたのは、卒業した前部長の里山だった。 一時、噂の2人だったが、どうやらそれは周囲の勝手な妄想だったようで。 けれどこうして一対一で踏み込んだ話をしてみれば、里山の『沢本理玖評』は、なるほどとうなずける。 「なんか、理玖先輩が言うと、大人で、奥が深い…」 「あはは、それは幻想だって」 おそらくそう言う褒め言葉には慣れているのだろう。 「僕だって男だからね。欲しいものは欲しいし、余裕があるわけでもない。でも、どこかに妙に達観してしまってる自分もいて、それがもどかしい…ってところかな?」 それだけ自己分析が出来ていれば、いかようにもコントロール出来そうなところだが、自身がコントロール出来ても恋愛は相手のあることだから、より一層もどかしいのかも知れない…と、直也は頭のどこかでぼんやりと考える。 「ま、お互いがんばろう」 今度は理玖からエールを送られて、直也は素直に元気よく返事をした。 |
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