幕間 「大切な君だから」

【1】





「へ〜。大したもんだな」
「うん。去年よりもっと満開かも」

 綺麗なんだ…と、渉から聞いてはいたが、これほどまでに見事な桜並木だとは思っていなかった…と、英は少し立ち止まって、満開の樹を見上げた。


「あ、渉〜! 久しぶり!」
「わあ、凪! 元気だった?」
「うん、元気元気」

 少し高めの声が響き、渉に駆け寄ってくる小柄な生徒。
 みれば学年章は『U』。
 渉の同級生だ。


「あの、ええと…」

 渉に比べて随分大きい英を見上げ、何か聞きたげにしているから、先に挨拶をしておくことにした。
 渉の親しい友人には違いないだろうから。

「はじめまして。桐生英です」
「あ、はじめまして! 川北凪です!」

 かわきたなぎ…。
 しっかりインプットするが、渉にとって、悪い影響はなさそうだと判断した。


「凪はチェロパートの先輩だよ」

 それならばこの親しさも納得だ。

「あ、そうなんだ。川北先輩、よろしくお願いします」


 英は、去年の夏に祐介から聞くまで、まさか渉が管弦楽部でチェロをやっているとは思っていなかった。

 何でもこなす渉だが、その中でも特に秀でているのはヴァイオリンとフルートだから。

 ただ、何故チェロなのかについては、祐介の説明で納得はできたのだが。


「えっ、チェロなの? わあ、嬉しいなあ。これでますますチェロパートは安泰だね。こちらこそよろしくね」

 嬉しそうに言われて、少しホッとした。

 器楽奏者――特に弦楽器奏者――は気難しい人間も多い。だが、渉から、チェロパートはみんな優しくて穏やかだとは聞いていたが、確かにこの先輩を見ている限りはそのようだ。

 人間関係で少しでも面倒なことは避けたい。
 ここへは、管弦楽部に入りに来たのではなくて、渉を追って来ただけだから。


 それからしばらくの間、チェロの話を弾ませていたが、その間にも渉にかかる声は多い。

「ふ〜ん、わたちゃんってば結構人気者なんだ」

 思わぬ収穫だった。

 ドイツの学校でも渉は慕われてはいた。優しくて可愛くて大人しくて。

 けれど、こんな閉鎖的な男子校でやっていけてるのだろうかと不安だったのだ。

 どうやら渉の愛すべき性格は、ここでもちゃんと受け入れられているようでホッとした。


「渉〜!」

 声と同時に渉に背後から飛びつく小柄な生徒の姿に、英は少し目を瞠る。

 渉の他に、こんな可愛いらしい顔立ちの男の子は見たことが無い。

 一目でわかった。

「和真!」

 やっぱり。
 父やアニーに聞いていた通りだ。
 渉といい勝負だぞ…と。


「3週間も会えなくて、寂しかった〜」
「僕も〜」

 抱き合う様子に、どれほど渉が心を許しているのかが知れる。

 人見知りの激しい渉が、ここまでの関係が築けたのは英にとっては驚きだった。

「もしかして、安藤和真さん?」

 一応念のため確認をしてみる。

「そう。よくわかったね」
「そりゃもう、あっちこっちから色々と…」

 そう、情報は集めた。
 
 特に去年の夏、自分たちが帰省する前に何人か遊びに来たらしいのだが、その中でも桐生家に泊まったという3人については、祐介からも葵からもしっかり情報収集をしてある。

 1人はコンサートマスターで、小さい頃の記憶がおぼろげに残る、栗山桂。

 もう1人はフルートの首席奏者で、父親と葵が親友だという麻生直也。

 そして、この安藤和真はオーボエの首席で渉のルームメイト。
 副院長の甥だとも聞いている。
 アニーが卒業後のことを考えていると聞き、早くその演奏を聴いてみたいと思っていた。


「あ、もしかして弟くん?」
「うん」
「桐生英です。兄がお世話になって、ありがとうございます」

 これは本心だ。

 渉は素直だが、繊細故に取り扱いは結構難しい。

 そんな渉がこんなに寛いだ笑顔を見せているのだから、これはもう、この同室者のおかげなのだろう。


「安藤和真です。渉くんと同室になったおかげで、楽しくて退屈知らずの毎日を送らせてもらってるよ」

 確かに祐介が言っていた通り、見かけによらない『しっかり者』のようだ。
 少しの言葉でもよくわかるほど。

「ほんと、桐生悟さんにそっくりだよね。えっと、英…って呼んでいい?」
「もちろんです」

 渉の親友ならば、自分も大切にしなくてはいけないし、それでなくてもこの先輩とは上手くやっていきたいという気になっている。

「で、今年も2人は浅井先生のとこ、直行?」
「ううん、去年は僕がぎりぎりになってこっちに来たから、会ってる時間がなくて、直行だったんだけど、英はもう、色々話したもんね、ゆ…浅井先生と」

 ――へー、危なっかしいけど、ちゃんと先生って呼んでるんだ。

 まさか、校内では『ゆうちゃん』なんて呼んでないだろう…とは思っていたが。


 そういえば、この春休み中には祐介を交えて3人で話をする時間が多かったが、その時の2人を見て英はあることに気がついていた。

 去年ドイツを発った時には、それなりに煮詰まっている様子だった祐介への思慕の情のようなものが消えている。

 今そこにあるのはただ純粋に、叔父に対する親愛のようなものだけで。

 となると、こっちへ来たのも結果オーライなのかも知れないと前向きに捉えることにした。

 幸いこうして自分もここへ来ることができたのだから。


 珍しく英の表情で何かを察したらしい渉が肘で小突いて来た。

 当然デコピンで応戦したが、相変わらずの可愛い反応で、漸く渉がドイツを発つ前の状態に戻れたと、英は感慨を深くする。

 それにしても、友人関係は良好のようで、祐介との関係も良い方向へ転がったようなのに、なぜかふと見せる思い詰めた渉の様子がやはり気にかかる。

 原因はなんなのか。

 これはしっかりと探らねば…と考えたが、それはすぐにわかることとなった。


                    ☆★☆


 和真に連れられて、部屋割りとクラス分けが張り出されているのを見に行った。

 渉と自分の、部屋とクラスをしっかり記憶して、担任は…とみれば、どちらも聞いたことのある名前。
 祐介と葵の同級生だ。

 まあ、誰があたろうが英には大した問題ではない。
 完璧に優等生を演じる自信はあるから。


「渉! 和真!」
「久しぶり」

 快活な声が届いた。

「ああ、NKコンビ。元気だった?」

 ――NKコンビ?

「なんとかな」
「そっちこそ元気だったか?」
「実家でこき使われてバテ気味だよ」
「いいじゃん、商売繁盛で」

 和真と軽口を交わす2人は、182cmある英とほぼ互角の身長と、まあまあいけている面相をしている。

「渉は?」
「元気だった?」

 親しげに、しかも和真に対するものとは全く違う質の優しさをにじませて、渉の間近で声をかけるのだが、当の渉は視線を落としているではないか。

「あ、うん」

 返事にも覇気がない。

「今年はお向かいさんだよ」
「よろしくな」
「う、ん」

 もう一度話しかけられても反応は同じ。
 いや、視線だけでなく、頭も下がってきているではないか。

「あ、もしかして君、英くん?」

 ワイルド系の男前がこっちをみた。

「え、英くんって、渉の弟の?」

 ソフト系の男前が反応する。

「そう、渉の弟、桐生英くん」

 本来なら紹介してくれるはずの『兄貴』は俯いたままで、それを気にもせずに和真が代わって紹介してくれた。

「俺、栗山桂。はじめましてじゃないんだけど、覚えてる?」
「…あ、もしかして栗山先生の」
「そう。で、こっちははじめましてだと思うけど、麻生直也」
「父親は葵さんと仲良しなんだけどね」
「ああ、存じてます。何度か話は聞いてます。桐生英です、よろしくお願いします」

 そうか、この2人だ。去年の夏、桐生家に来ていたのは。
 
 しかし、渉の反応は明らかにおかしい。


 ――どういうことだ? 4人ともすごく仲良さそうだったって、父さん言ってたのに…。

 聞いた話と見た目が違う。

 それから二言三言、言葉を交わしたが、その間も渉の様子が落ち込んでいくのが見て取れる。

「渉?」

 和真も異変に気がついた。

「大丈夫?」
「おい、渉、苦しいのか?」

 抱えて背中を撫でるのは、子供の頃から気管支が弱い渉にいつもしてきたこと。
 2、3年前からは、症状もほとんど治まっていたはずなのだが。


「ううん、平気…平気だから…」
「本当か?」
「うん」

 覗き込んだ顔が少しだが笑ったので、これ以上酷くなることはなさそうだと判断して手を離す。

「とりあえず、早く寮へ行こう。引越もあるし」

 和真が渉の肩に手をかけた。

 ――この人…状況読むの早い…。

 偶然では無く、和真が早くこの場から渉を連れ出そうとしているのが英にはわかった。

 だが。

「手伝うよ」
「あ、俺も」

 渉の様子に少し表情を曇らせながらも、2人が申し出たのだが、それを止めたのはあまり聞くことのない、渉のはっきりとした物言いだった。

「大丈夫! 英がいる…から」

 ――渉…。

「行こう、和真、英…」

 足早に立ち去ろうとする渉の後を、もちろんすぐに追った。

 渉が何か思い詰めているのは、彼らのことだと確信した。

 去年の夏から今までの間に、何があったのか。

 これはどうあっても確かめねばならないと思った。



                    ☆★☆



 翌日。
 渉が17回目の誕生日を迎えた。

 英は春休みの間にすでにプレゼントを渡しているし、祖父母や叔父たちからの贈り物も、今年は入寮前に届いていた。

 こんなに小さくて可愛らしい『兄』とまた2つ歳が離れてしまったが、見た目にも精神的にもずっと自分の方が大人だろうと、英は勝手に納得している。

 年度初めの誕生日は、進級にしろ進学にしろ、馴染みの薄い顔ぶれとのスタートになりがちなので、どうしても友人からの祝福は受けにくい…というのは聞いていたが、自分たちがちゃんと祝ってるのだから何の問題もない。

 そう思っていたのに。


 ――なんだよ、これ。

 渉と和真の部屋の郵便受けから封筒の類が溢れているではないか。

「渉先輩、誕生日ですよねえ」

 横で斎樹が言った。

「えっ、なんで知ってるの?」

 まったく同感だ。なぜ下級生の斎樹までが知っているのか。

「そりゃ、渉先輩、全校的に大人気ですから」

 ――マジで?!

「ウソ。そんなの僕知らないよ」

 もしかして、渉がぼんやりしていて気づいていないだけで、面倒な事になってるのでは…と不安になる。

「渉先輩、これはHRの机の上も覚悟がいるかもしれないですよ」 
「か、覚悟って、なに?」 
「ま、行ってみればわかるってことで」

 英にはわかった。
 机の上が、てんこ盛りの手紙とプレゼントに占拠されているのだ。

 自分もそうだったから。

 みれば和真が郵便受けを開けて、せっせと中身を取り出している。

「和真宛じゃないの?」

 往生際が悪い。

 渉の言葉に和真がふふっ…と不敵に笑った。

「この聖陵学院で、僕に告白しようなんて命知らずは駆逐したよ」

 なんと。

「そうなのか?」

 到底見えないが、この人はそんなに『コワイ』御仁なのだろうかと思ってみれば。

「ああ、まあ、安藤先輩より男前なオトコっていないかもだし」

 この見た目で中身はどんなやつより男前とは。

「そうなんだ…」

 もしかしたら、この人はとんでもない人なのかも知れない。
 そう思うとなんだか興味が沸いてきた。



 
 帰り道も、斎樹に笑われながらもHRまで渉を迎えに行き、渉に文句を言われながらも一緒に帰った。山盛りのプレゼントを持たされて。

 こんなにも渉によってたかる輩が多いとは夢にも思っていなかった。

 このまま捨てに行ってやろうかと思うくらいむかついてしまったが、渉は嬉しそうにしているので、仕方がないかと自分に言い聞かせる。


 が、その後すぐに、納得のいかない出来事が起こる。
 
 練習室が並ぶ廊下を渉と歩いていると、いきなり渉が英の肘を掴んで引っ張った。

「なんだよ、どうしたんだ?」

 何が起こったのかと渉をみた時。

「渉!」

 渉を呼ぶ声と、走ってくる足音。
 英の肘を掴んでいた手が、きつく握りしめられた。

「渉…?」

 こんなこと、今までになかった。

「渉。今日誕生日だったな。おめでとう」

 渉の目の前に立ったのは、栗山桂。

「あ、う…ん。ありがと…」

 昨日と同じ反応。
 渉は顔を見ようとしない。

 人見知りの渉にはありがちな反応だが、それはあくまでも『知らない人』相手であって、一時でも親しくしていたはずの友人にこんな反応はあり得ない。

「あの、さ…」

 桂がまだ何かを言おうとした時、英は思わず、渉の前に立って、その視界を遮った。
 後ろ手に、渉をしっかりと掴んで。

「栗山先輩。すみませんが、チェロパートの練習があるので失礼します」

 どちらにも、これ以上何も言わせる気はなかった。

 渉の肩を抱いて、引きずるようにして、その場を立ち去る。

 渉は黙ってついてきた。

 だからこれが、最良の選択だったのだと思った。





 チェロパートの練習は、初日から気合いの入ったものになった。 

 上級生も含めてみな、大人しいがやる気はある。

 少しでも上手くなりたいという気持ちに溢れていて、思っていた以上に居心地のいい空間で、英は嬉しい誤算だと思っていた。

 いくら渉を追って来ただけとは言え、ここで3年を過ごすのだから、できることなら楽しみたかったし、祐介の力にもなりたかった。

 ただ、どんなところなのか、まったく未知数だっただけに、それなりに不安はあったのだ。

 だが少なくともチェロパートに関しては、不安は払拭されたと思った。

 そして、渉がいない以上、首席は自分だ。
 全員を引っ張る自信は当然ある。

 仲間たちといい3年間にしたい。そう思った。
 気になることはまだまだたくさんあるけれど。
 

                    ☆★☆


 練習を終えた途端、渉の『気』がガツンと落ちたように見えた。

 昔からそうだ。
 渉は音を出した瞬間に、それまでとは違う世界に入ってしまう。

 集中力…と言う言葉だけでは表せないほどだ。

 その分、その『違う世界』から帰ってきた時に、『こちらの世界』での疲労や不安などが一気に押し寄せるのかもしれない。

 だから大人たちはみんな、渉を腫れ物を扱うように接してきた。

 自分だけは、いつも真正面からぶつかっていたけれど。



 重い足取りの渉を気遣いながら、歩くホールの廊下。
 端まで来たところで直也の姿が見えた。

 きっと同じことになる。

 咄嗟にそう判断した英は、手近な練習室に渉を押し込み、そのまま後ろ手にドアを閉めた。

 その時にはもう目の前に、直也の姿が。

「英くん…」
「英…でいいですよ、先輩」
「そう…? じゃあ、英。渉は一緒じゃない?」
「ええ、先に帰しました」
「そう…」

 もの言いたげな視線が英の背後にあるドアに向けられたが、直也はそれ以上何も言わず、『呼び止めて悪かった』と、力なく言って、去って行った。

 その背中を見えなくなるまで見送って、英は小さく開けたドアから身を滑り込ませる。

 そこには、不安げに瞳を揺らす、渉がいて。

「渉…」

 小さくて華奢な身体を抱きしめる。

「心配するな。俺が必ず守ってやるから」

 その言葉に、渉の身体が小さく震えた。


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