第1幕 「春霞」

【2】





 寮ではトランペットの沢渡くんが英を待っていてくれた。


「はじめまして、沢渡斎樹です。同室になれて嬉しいです。」

 いつもの穏やかな笑顔。
 顔つきは相当キリッとしたハンサムなんだけど、妙にほのぼのしてて、下級生にも慕われてるって聞いた。


「はじめまして、桐生英です。わからないことだらけなので、色々教えて下さい」

 で、また英がイイコ100%の笑顔とご挨拶をするんだ。

「もちろん。英くんが1日も早くここになじめるように、万全のサポートを約束するよ」
「頼りにしてるよ。あ、呼び捨てでいいから」
「OK。じゃあ、僕も『斎樹』で」
「了解」

 なんか、大人だあ、2人とも。見た目といいやりとりといい…。

 ちょっとため息ついたら、横から和真が『がんばれ、お兄ちゃん』だって。
 酷いの。


                    ☆★☆


 入学式。
 英は総代だった。

 まあ、ゆうちゃんに聞いてたから驚かなかったし、英はどんなところでも物怖じしないから、こんなの何ともないだろうし。

 案の定、壇上での英は堂々としていて、なりたて15才のクセして、まるで卒業生総代みたいな風格。

 昔はちょっと悔しかったけど、僕のこの引っ込み思案な性格はどうしようもないし、もういいや…って感じ。


 式の後、HRへ移動する時には、あっちこっちから『弟さんだって』とか『全然似てない兄弟』とか聞こえてきた。

 あと『かっこいい』とか、『ほんと、指揮者の伯父さんにそっくりだよな』とか。

 まあ、外面いいから上手くやっていけるんじゃないかなあ。
 同室の沢渡くんとも上手くいきそうだし。



                    ☆★☆



 ええと、これは。

 入学式翌日の4月10日。
 僕の誕生日なんだけど。


「あらま、これは凄いね」

 和真が呆れたような、感心したような声で言った。

 朝、登校しようと寮を出るところで、僕たちの380号室の郵便受けが手紙だらけになっていた。


「…なんだよ、これ」

 後ろから英が不機嫌な声で言う。

「渉先輩、誕生日ですよねえ」

 英の横で沢渡くんがのんびり言った。

「えっ、なんで知ってるの?」
「そりゃ、渉先輩、全校的に大人気ですから」
「ウソ。そんなの僕知らないよ」


 部活や同じクラスのみんなとは仲良いけど、他の人なんて全然知らないし、昨日からのクラスメイトもまだ全然覚えてないし。

「渉先輩、これはHRの机の上も覚悟がいるかもしれないですよ」 

 沢渡くんが何故か嬉しそうに言う。

「か、覚悟って、なに?」 
「ま、行ってみればわかるってことで」


 和真が郵便受けを開けて、せっせと中身を取り出した。

「和真宛じゃないの?」

 僕が聞くと、和真がふふっ…と不敵に笑った。

「この聖陵学院で、僕に告白しようなんて命知らずは駆逐したよ」

 そりゃまあ、確かに和真より『切れ者』なんていないのかもしれないけど…。こんなに可愛いのに、もったいない。

「そうなのか?」

 後ろでコソっと、英が沢渡くんに聞いている。

「ああ、まあ、安藤先輩より男前なオトコっていないかもだし」
「そうなんだ…」

 そんな2人の会話に和真がクスッと笑って、『さ、いこ』と僕たちを促した。


 で、沢渡くんの予言(?)通り、僕の机の上は凄いことになっていた。
 嬉しいし、ありがたいんだけど…。

「えと、これ、どうしたら…」

 このままじゃ授業が受けられない。もうすぐ古田先生来るのに。

「渉、誕生日だって? おめでとう」
「あ、ありがとう」

 去年も同じクラスだった何人かが声を掛けてくれた。

「いち早く17才なんだな」
「うん」
「…見えねえけど」
「それ、余計だけど」
「見えないよねえ」
「か〜ず〜ま〜」
「きゃ〜こわいっ」


 なんてごちゃごちゃ言いながらも、みんな机の上を片付けるのを手伝ってくれて、どうにか先生が来るまでに、座れるようになった。あとはどうやって持って帰るか…なんだけど。




 新学年最初の授業は教室移動もなくて、なんとなくのんびりと終わった。
 で、終礼が終わった頃、なんと英がHRに現れた。

「帰るぞ、渉」
「なに言ってんの」

 目を丸くしてる僕の横で、和真が笑いを堪えてる。

 英の横では沢渡くんが、『迎えに行くってきかなくて〜』って、やっぱり笑いを堪えてる。


「でも、ちょうどよかった。渉の荷物、手伝って」

 いくつかのビニール袋に詰め込んだ、たくさんもらったプレゼントを和真がてきぱきと英と沢渡くんに振り分けたりしてるんだけど、なんで英が僕を迎えにくるわけ。

「あのさ、英」
「なに」
「迎えに来るってどういうこと」
「なんでだよ。あっちじゃチビの頃からずっと一緒に登下校してたじゃないか。それと一緒だろ」

 高校生が? 

 って、なんとかもっと言い返してやろうと思ったんだけど、ふと気がつけば、周囲のクラスメイトがみんなして笑いをかみ殺してる。

 ああ、もう、恥ずかしいったらっ。

「いいからもう行くよっ」

 僕は英の腕を引っ張って、教室を飛び出した。

 寮への帰り道、プレゼント運びを手伝ってくれた英は、『なんでこんな、みんなして渉によってたかってんだよ』って終始不機嫌で、一緒に手伝ってくれた沢渡くんに『英、マジでブラコンだなあ〜』なんて笑われてた。

 なんか1日目から先が思いやられる展開だなあ…。


                    ☆★☆


 部活は今日からオーディションまで、個人練習のみになる。

 僕は今回オーディションを受けないから、チェロパートの練習を見る約束をしているんだけど、英も練習を『見る』立場になっちゃってる。

 昨日、今年チェロパートのパートリーダに就任した高3の松浦先輩から、『英って実際どう?』って聞かれて、何のことだろうと思ったら、実力のほどってことで。

『桐生守さんの息子で渉の弟なら、オーディション受けるまでもないような気がするんだけど』って言われて、正直な所を話したら、ぜひ指導する方に回って欲しいって頼まれちゃったんだ。

 英も、『え、オーディションまで1週間もあるんだ。俺、その間何してようかな』なんて言ってたくらいだから、やることが出来て喜んでた。

 まあ、もし僕が一緒にオーディション受けてても、多分首席は英だ。

 特に今回のオーディションの曲だと、英の方が得意だし、何より英には後ろを引っ張る力がある。

 首席の本来の役割を、果たせるってことだ。

 本当はチェロコンチェルトも英でやった方がよかったんじゃないかなあ…って、僕的には思うんだけど、『あの時』に『ここにいる』メンバーでやることに意味があったんだから、それはそれでよかったんだろう。

 でも、英にも、コンチェルトが出来るチャンスがあるといいんだけどなあ。


 そんなわけで、いったん寮に戻って、もらったたくさんのプレゼントを置いて、和真と沢渡くんはオーディションに向けての個人練習にいそしみ、僕と英はチェロパートの練習に行ったんだけど…。



 廊下の突き当たり。
 第1合奏室の前で、桂と理玖先輩が話をしているのが見えた。

 ちょっと距離があるから、気づかれてはいない。

 今のうちに通り過ぎてしまおうと、僕は英の肘を掴んで引っ張った。


「なんだよ、どうしたんだ?」

 いきなり引っ張った僕に、英が怪訝そうな声を出したその時。

「渉!」

 桂の声が僕を呼んだ。
 そして、走ってくる足音。

 英の肘を掴んでいた手を、思わず握りしめてしまった。

「渉…?」
「渉。今日誕生日だったな。おめでとう」

 桂…覚えててくれたんだ…。
 嬉しい…けど、来年には忘れてて欲しい…。

「あ、う…ん。ありがと…」

 僕は、顔も上げられずにただ、早く桂が行ってくれることばかりを願ってて。

「あの、さ…」

 桂がまだ何かを言おうとした時。

 英がいきなり僕の前に出た。
 僕の視界から、桂が消える。

「栗山先輩。すみませんが、チェロパートの練習があるので失礼します」

 英が僕の肩を抱いて、引きずるようにして、早足で歩き始める。
 僕は転けないように必死でついていった。



 それから僕たちは、2時間みっちり集中してチェロパートの練習をみた。

 弾くのは簡単な曲だから、みんなちゃんと弾けている。
 大事なのは、そこから先。

 どれだけその曲を自分のものにして、自由に表現できるようになるか。

 みんな、本当にがんばってるから、きっとオーディションではいい演奏になると思う。

 英も、なんだか生き生きと、みんなと意見を交わしたりアドバイスをしていて、なんで音楽院を蹴ってまでここへ来たのかわからなかったんだけど、こうしてみると、これでもよかったのかなあ…って思った。

 僕自身、ここへ来てやっと『一期一会』って言葉の意味を理解できたくらい、ここでの一瞬一瞬が、大切で、かけがえのないものだと思えるようになっているから。

 だから、直也と桂のことも、いつか、『必要な出会いと別れ』だったんだと思えるようになれたら…と、思うんだけど、きっと無理。

 だって僕の想いは、深く深く根を張っていくばかり。
 地上の花は、水をもらえなくて枯れていくしかないのに。

 どうして僕は、2人ともを好きになってしまうなんて、罪の深いことを…。




 練習を終えて、重い足取りで歩くホールの廊下。

 英は何か言いたげなんだけど、何も言わない。

 練習室が並ぶ廊下の端まで来た時、直也の姿が見えた。
 その瞬間、僕の目の前には英の大きな背中が。

 そして、そのまま、英は後ろ手に僕を練習室に押し込んで、ドアを閉めてしまった。

 練習室のドアは防音だから、外の様子は聞こえない。
 でも、ドアにつけられた小窓からは、英が誰かと話してるのが見えた。

 もしかして…直也?

 暫くしてドアが薄く開き、音も立てずに英が入ってきた。

「渉…」

 え、何?

 英は僕を、ギュッと抱きしめた。

「心配するな。俺が必ず守ってやるから」

 わけもなく、身体が震えた。


END

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