第５幕「Autumn Leaf〜紅葉の季節」
【２】
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「…へ？」 集まった音楽準備室――ゆうちゃんのお城――で、マヌケな声を出したのは僕。 「本当にすまない。渉の負担になることはわかってるんだが、どうしてもやりたいんだ、頼む！」 って、僕の前で頭を下げるのは、前部長の里山先輩。 そして、その後ろで高３の先輩全員が、口々に同じような事をいって、次々に頭を下げてて…。 ついでにチェロパートのみんなも、その隣で以下同文…。 「本来ならまず首席会議を通さないといけないのはわかってる。でも時間がない。だから署名を集めて先生に直訴って強硬手段に出てしまったんだ。高３以外の首席奏者のみんなにも悪いと思ってる」 そう言った里山先輩の視線の先には、直也や和真、それにコンマスの桂とあと数名の高２の先輩たち。 みんな僕同様、思わぬ展開に『いったいなんでまた突然に』って顔してる。 「高３全員と渉以外のチェロパート全員の署名つきなんだ、これが」 ゆうちゃんが、直訴状――高３の先輩方曰く――をひらひらさせながら苦笑してる。 「今まで選曲もできる限りお前たちの自主性に委ねてきたし、一度決めたことは責任を持って成し遂げてきた。それが、顧問からのトップダウンに頼ってまで、選曲を覆したいと言いだしたんだから、これはもう、汲んでやるしかないかと思ったんだ。 だから、渉がＯＫしたら…ということにしたんだが」 そんなあ、ゆうちゃん、むちゃくちゃだよぉ…。 って、このむちゃくちゃな事の展開は、つまりこう。 １２月の定演で、すでに決まっている曲を変更したいって高３の先輩方が言い出したのが発端。 でもそういうことは、よほどの理由がないと通らないそうで。 で、その無茶を承知でやりたいっていうのが、『ドヴォルザークのチェロコンチェルト』。 この曲は、パパが高３の時に聖陵祭でソリストやってて、７年前の定演にも客演でやってる。 もちろんパパは世界中で何度もこれをオケと共演してるから、僕にとってもすごく馴染みの曲なんだけど。 だから最初は、パパを呼びたいって話かなと思ったんだ。 でもパパのスケジュールは何年か先までいっぱいで、いくら母校の為とは言え、数ヶ月前ではどうしようもない。 って、言おうと思ったら。 あり得ないことに、僕にソロやれって話で。 何があり得ないって、これ以上にあり得ない話はなくって、一考する価値もないほどあり得なくて。 「あの〜」 漸く言葉を発した僕に、全員の視線が集まる。 …あああ、こういうシチュエーション、一番苦手なのに…。 「せ、せっかくなんですが、僕にはとんでもない話で、コンチェルトのソロなんて絶対絶対絶対無理…です」 やった、ちゃんと言えた。言い切った。偉いぞ、渉。 「や、でもすでに全曲暗譜してるって聞いてるけど」 僕の心の自画自賛を踏んづけて、前副部長の先輩が突っ込んできた。 「あ、あの、覚えてる『だけ』ですってば」 「いやいや、俺ちゃんと聴いたぞ。１楽章、めっちゃ上手かったし」 坂上先輩まで突っ込んできた。 「あれ、ほんの一部じゃないですか〜。だいたい僕、オケと合わせたこと１回もないんですよ？ 無茶にもほどがあります」 僕も必死だった。何が何でも阻止しないと。 こんな恐ろしいこと、できるわけないんだから！ 「技量的なことなら問題はないと思うが？」 はい〜？！ 「ゆ…先生っ」 僕の抗議を遮って、ゆうちゃんは企みの首謀者である里山先輩に向き直った。 「顧問としては曲の変更を了承した。あとは渉の合意を取り付けること。ただし、３日以内だ。時間がないのはお前たちもわかっている通りだからな」 「わかりました！ 必ずうんと言わせて見せます！」 …って、どうして当事者の僕をそっちのけで、話が進んでるんですか…。 で、その後、事の成り行きが、ホールで待機していた全部員に知らされた。 一応賛否についての採決があったんだけど、呆れたことに満場一致――もちろん僕を除く――で賛成だったりした。 なんでみんなそんなに流され易いわけ？ 決まってたことをひっくり返してまで、僕にソロをやらせる価値があるかどうかなんて、ちょっと冷静になってみればわかるはずなのに。 それから寮に帰って、里山先輩と話をすることになった。 僕が緊張しないように、僕の部屋で和真も一緒に。 高３の先輩方は、みんな一緒に話がしたいってことだったんだけど、和真が、『渉が言いたいことも言えなくなると困りますから』って言ってくれて、里山先輩だけ代表でってことになったんだ。 で、先輩の言い分はこう。 つまり…。 『１．そもそもコンチェルトがやりたかったんだけど、ソリストと選曲の折り合いがつかず、春の段階でやむなく断念したこと』 『２．そこへ僕が入学してきて、９月に入ってからチェロコンチェルトが弾けるという情報をキャッチ』 『３．生徒がソリストを務めたのは、桐生家四兄弟だけで、以来２０年近く経っている。今回その息子がチェロコンチェルトを再演となると、話題性もテンションもＵＰ！』 …ってことらしい。 そういうことなら、なにも今年でなくても…ってなんとか逃げようとしたんだけど、先輩は更に真顔になって言った。 『俺たち、これが最後のコンサートだから』って。 ああ、そうか。凪が『これで終わりになっちゃうんだ』って悲しい顔をしていた、『卒業』がもう、目の前まで来てるんだ…。 プロのオーケストラと違って、ここは本当に、期間限定のオケ。 だからこそ、みんな１つのステージにありったけの情熱を傾ける。 だからこそ、去年の夏、僕が魅了されたあの音楽が溢れ出るのだとしたら。 「なあ、渉」 里山先輩が静かな声になった。 「俺たち３年生は、たった１年だけれど、渉と一緒に演奏できて、本当に幸せだったと思ってるんだ」 …先輩…。 「俺たちに最高の思い出、くれないか？」 …先輩、それはもう、殺し文句ですよ…。 「…先輩」 「ん？」 「先輩たちのお気持ち、よくわかりました」 「そうか、嬉しいよ」 柔らかい微笑みが、僕の心をくすぐった。 「でも、１日だけ時間もらえませんか？ 自分の中でちゃんと、自分の力を見直してみたいんです」 そう。それとこれとは別。最高のパフォーマンスをみせるのは、音を出す人間の義務、だから。 それができないなら、オケをバックに座るなんて事、絶対しちゃダメなんだ。 それは、僕が桐生家の人間であろうがなかろうが、関係のないこと。 「もちろんだ。こっちの我が儘で渉を振り回す事になってしまって、本当に申し訳無い。１日ゆっくり考えてくれ。良い返事を期待してるよ」 「はい」 しっかり頷いた僕を軽く抱きしめて、先輩は小さい声で『ありがとう』と囁いた。 そして…。 「…先輩っ」 部屋を後にしようとした先輩を、思わず呼び止めてしまった。 僕のこととは全く関係のない、もっと大事なことが気にかかってて。 「あ、あのっ、凪のこと…」 それだけで先輩にはわかったみたいだった。 「ああ、渉が心配してくれてるって、凪が言ってたな」 先輩の表情が緩んだ。幸せそうに。 「大丈夫。俺は本気だから」 そう言い切った先輩は、本当に格好良くて。 「約束できるよ。凪を悲しませるようなことはしないって」 「…はい！」 先輩は、後ろ手に軽く手を振って、僕たちの部屋を後にした。 凪、よかったね。信じていれば、きっと先輩は凪のこと、離さないでいてくれるよ。 「…凪と里山先輩って、デキてたんだ…」 あ、しまった。和真がいたっけ。 それにしても和真、察し良すぎ。僕だったら、今の会話だけじゃなんのことか絶対わかってないはず。 「知らなかった…この僕が気がつかないなんて、里山先輩、恐るべし…」 って、どういう感想なの、それって。 「和真はすぐピンとくるんだ？」 「なにが？」 「なにがって、その、つきあってるとか、ない、とか」 「ああ、そういうことね。うん、結構すぐわかる方だよ」 ええと…。 「あのさ、じゃあ、直也と桂が恋してるかもっていうのも、和真にはすぐわかったわけ？」 「あの２人？」 「うん」 「だって、あの２人ってば、バレバレじゃん〜」 和真が笑い出した。 「え？ そう？」 全然わかんなかったけど。 「もしかして渉、相手が誰かってのも、まだわかってないよね？」 「あ、うん」 だって、ここへ入学してまだ半年。 和真のおかげでそれなりに交友関係は広がってきているけど、まだまだ僕はここの人たちを知らないし。 「だって、同級生ならともかく、上級生や下級生だったら部活以外ほとんど接点ないから…」 って言ったら、和真がまた呼吸困難になるくらい笑い始めた。 も〜。 「あ！」 そうだ！ 「な、なに？」 和真はヒーヒー笑いながらも一応返事をしてくれるんだけど。 「もしかして、校外の人？」 あるかも。だって、女の子だったら、ここじゃないし。 っていうか、それがまあ、多数派だよね。 僕の言葉に一瞬笑いを止めた和真だったけど…。 「ぎゃ〜、もうダメ〜！」 って、なんでそんなに笑えるかなあ、もう。 ☆★☆ 「あ〜笑った笑った」 散々笑い倒した挙げ句、『ほんと、渉といると退屈しない』だなんて、失礼ったらありゃしない。 と、その時。ノックの音と同時にドアが開いた。 「話し合い、どうなった？」 「ＯＫしたのか？」 直也と桂の心配そうな顔が覗いた。 …でも、いつも僕と一緒にいてくれて、誰かと恋人同士になる時間なんて、あるのかなあ。 やっぱり申し訳無いよね。 それに…２人が誰かに恋してるってはっきりわかって、僕はなんだかちょっと寂しい。 どうしてなのかはよくわからないんだけど、２人の気持ちがその人だけに向けられてしまったら、きっとすごく寂しいんじゃないかなあ、なんて、申し訳無いって思ってるくせに、こんな勝手なことを考えちゃって…。 あ…やば…また落ち込んで来ちゃった…。 でも、今は落ち込んでる場合じゃないんだ。 明日までに、僕は決めなくちゃいけないんだから。 僕がぐるぐる考えてる間に、和真が話し合いの結果を説明してくれて。 「んと、練習室行って、１回通して弾いてみる。それから考える」 もう、丸１年くらい全曲通しって弾いてないから。 「一緒に行っちゃダメ？」 和真が言う。 そうしたらもちろん、直也と桂も。 もちろんひとりじゃないと嫌ってわけじゃない。 ちょうどいいから３人にも聞いてもらおうと思った。 フルートもオーボエも、それぞれソロとの掛け合いがある。 それに、コンサートマスターの意見は絶対聞いておきたいから。 |
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