第4幕「Apattionata〜熱風の季節」

【2】





 8月最後の1週間。
 僕たち高等部管弦楽部は軽井沢合宿初日を迎えた。

 軽井沢校舎の森は、アニーが言ってたとおり、ドイツの森によく似てた。特に日暮れのすぐ後くらいの時間が。


「チェロの班分け、これでいいよな」

 練習開始前、桂が後ろから僕の肩越しに表を見せた。

「ええと…、あ、うん、これで良いと思…」

 振り返ろうとしたら、ぶつかっちゃった。
 その時、僕のおでこに桂の唇がちょっと触っちゃったような…。

「ん? どした? 渉」

 間近に見る桂が、これ以上ないくらい優しく微笑んでて。

 相変わらず男前だなあ……なんて、どうでもいいことに気が行っちゃう。

「そんなに見つめたら、惚れちまうぞ?」

 って、いつもみんなにそんな声と顔で言ってるの?

「ふふっ、硬派かと思ったけど、意外とプレイボーイなんだ、桂って」

 なんだか可笑しい。

「なに言ってんだ。俺は渉一筋だぞ」

 へ? 『一筋』はいいけど、何で僕?

「あの、さ」
「ん?」

 そんなにくっつかなくてもいいんだけど。

「どーでも良いけどあっちで先輩が待ってるよ?」
「へ?」

 ちょっとマヌケな声を出して、桂は慌てて駆けてった。



                   ☆ .。.:*・゜



「なあ渉。フルートパートの練習用なんだけど、ちょっとアレンジ見てくれないか?」
「あ、うん」

 夜の練習も終わって、消灯までの自由時間。

 直也に渡された楽譜をざっと眺めて和声の進行に矛盾がないかとか、確認してみたんだけど…。

 って、いつの間にか直也が僕の肩を抱きしめて、髪に顔を埋めている。

「ん〜渉、良い匂い」
「さっきシャワーしたもん」
「食べちゃいたいくらいだな」
「肉付き悪いよ?」

 直也ってば趣味悪いね。

「僕なんか食べてもどこも美味しくないって」
「何言ってんだ。渉はきっと、どこを舐めても甘いよ」

 直也って、甘系ハンサムだから、こんな台詞も妙にはまってるんだけど、僕相手に言ったって、面白くも何ともないだろうに。

「舐めたかったら、もっと可愛い子にすれば?」

 直也ならよりどりみどりだよ、きっと。

「あのさあ、僕は渉だけ…なんだけどなあ」

 へ? なんで、僕? しかも、『だけ』?

 わけわかんなくって、見上げてみれば…。

「ん? わかってくれた?」

 これでもかって言うくらい甘い声と微笑み。

「なにが?」

 …って、聞き返したのに、えっと、どうして、沈黙?

「…あ、あの…直也?」
「…ああ、もう、渉ってば可愛すぎ…」

 …訳わかんないし。


                  ☆★☆


 …どうしちゃったんだろ、直也も桂も。

 出会ったその日から、いつも構ってくれて遊んでくれて、本当に嬉しいんだけど、なんだかここのところ、構われ方が違うような気がする。

 なんだかこう…雰囲気が甘い感じって言うのかなあ。
 って思ったときに、ふいに和真の言葉が蘇った。

『好きな人でもできたんじゃない?』

 もしかして、これ、正解なのかも。

 2人が誰かに恋をして、上手くいってるのかいってないのかはわからないけど、なんだか甘酸っぱい気分になって、気分が高揚しちゃったところで手近な僕にちょっかいかけて、楽しんでる…とか。 

 うーん、ちょっと、無理あるかなあ。

 って、僕のこの推理を和真に話してみたんだけど、一瞬ポカンと口を開けてから、次には呼吸困難になりそうなほど大笑いしてくれた。

「そんなに可笑しい? この推理」
「お、可笑しいとか、可笑しくないとか…」

 笑いが止まらなくて、『お腹痛い』とまで言い出す始末。

「ちょっと和真、ウケ過ぎ」
「ご、ごめ…ごめん…」

 って、まだ笑い続けてるし。も〜。


                   ☆★☆


 それから合宿最終日までの1週間。

 相変わらず直也と桂はなんだかやたらと僕に引っ付いてきて、その度に『甘い』だの『可愛い』だの、女の子が聞いたら喜びそうな言葉を連発してきて楽しんでる。

 しかも、必ずどこかに触ってくるんだ。
 肩だったり腰だったり頭だったり。

 そうそう。
 ほっぺたくっつけてきたり、おでこごっつんこ…なんてのもある。

 あ、もしかして、ペット扱い…とか?

 なんだかそれもありそうな気がしてきて、ちょっと情けなくなっちゃう。

 まあ、2人が楽しいならそれでいいけど。
 …って、そうか。 それかも。

 あの一件以来、僕がひとりにならないように、2人が必ずついてくれてる。

 高校生にもなって、お守りしなきゃいけないなんて面倒な事、からかって楽しみでもしないとやってられないよね。

 ……あ……なんか、落ち込んで来ちゃった……。


                   ☆★☆


「渉、どうかした?」
「え? なに?」
「なんか元気なさそうだけど。酔った?」

 合宿を終えて学校へ戻るバスの中、ぼんやり窓の外を見ている僕に、和真が気を遣ってくれる。

「あ、ううん、大丈夫。元気元気」

 って、我ながら嘘くさい。
 こんなの和真にはすぐ見破られちゃいそうだけど…。

「…まさか、ヤツらになんかされた?」

 和真が耳元で囁いて、チラッと視線を投げた。

 その視線の先には直也と桂。

 隣の席で気持ちよさそうに眠ってる。 明け方まで何人かでしゃべってたらしい。

 僕は日付変更線で撃沈しちゃったけど。

「え? う、ううん、全然ない、何にもないよ」

 できるだけ『さりげなく』してみたつもりなんだけど、やっぱり僕はこういう事はダメダメで…。

「あのさ、渉」
「うん」
「僕はね、渉のプライベートにまで踏み込もうなんて思ってない」
「あ、うん」

 それはよくわかってる。
 和真はいつも絶妙のバランスで僕を見守ってくれてる。

「話したくないことなら仕方ないけれど、話せることなら、抱え込んでひとりで悩む必要はないんだよ?」

「…うん」

 和真に優しく諭されて、僕は、寮に帰ったらちゃんと話すと約束した。
 今ここで、彼らの隣で話せる話じゃないから。



                   ☆ .。.:*・゜



「なるほど。で、渉としては、申し訳無いと思ってるわけだ」
「うん」

 僕のために迷惑をかけてるんじゃないかって不安を、なかなか上手く伝えられないのを辛抱強く和真は聞いてくれたんだけど、最初は難しい顔してたのに、だんだん顔が緩んできて、今はなんだか笑い出しそうになってる。

 そう、あの時。
 僕が直也と桂についての『ある推理』を話したときに、息が出来なくなるほど笑い倒してくれた、あの時みたいに。


「あのさ、渉」
「…うん」
「あの2人は、渉がここへ入学してきたときから、『渉を護るのは自分たちだ!』って豪語してたんだよ」

 そう、なんだ。 まあ、僕は見かけの通り、頼りないから。


「ところがさ、喰えない男のプライドっての? 『俺こそが護る』って気持ちが空回りして、お互い牽制しあった結果が『あれ』だ」

 あれ…っていうのは、僕のせいで2人に怪我をさせてしまったあの一件。

「護るつもりが護り損ねて、挙げ句の果てに渉に気まで遣わせたろ?」
「僕が?」

 気なんて遣ってないけど。

「『もっと自分を大切にして』って言われたの、かなり効いたみたいだよ?」

「でも、それは…」

「うん、渉は正しいと思う。僕もそう思うよ。あの護り方が100%正しかったかって言ったら、そうじゃない。頭使えっての。狂犬じゃあるまいし」

 きょ…狂犬って。

「ま、やり方の善し悪しは別にして、ともかく、大切にしていた渉を護りきれなくて、男のプライドはズタズタってわけだ」

 …そんな。

「2人は僕を護ってくれたよ? 和真も」
「結果的にはね。でも、少なくとも渉が怖い思いをしたのも事実だろ?」

 返事は、できなかった。 怖くなかったって言ったら、大嘘になるから。

「ともかく、ヤツらはヤツらで、今は渉を護ることを生きがいにしてテンション保ってるからさ、鬱陶しいと思うけど、相手してやって?」

 え、えっと…。

「あのね」
「うん?」
「鬱陶しいなんて、全然、思ってないんだ」
「あ、そうなんだ」

 あんなに鬱陶しいのに…なんて和真は呟くけど。

「僕も、構ってもらえて嬉しいんだ。ただ…」
「ただ?」
「えっと、あの…」

 どうしよう…どう説明して良いか、わかんない…。

「ああ、もしかして、前と違う?」
「うん、それ」
「なんだかやたらとベタベタ甘い?」
「あ、うん、そんな感じ」

 すごい和真、何でもわかっちゃうんだ。

「可愛いだのなんだの?」
「そ、それ」

 頷く僕に、和真が小さく吹き出した。

「渉、ほんとに可愛いなあ〜」

 って、和真に言われるのもなんだか…。

「和真の方が、可愛いと思うけど」

「あはは、僕も見かけは確かに可愛い系だけどさ、中身は『可愛げね〜な』って、自他共に認めてるし」

 それ、違うと思うよ。

「和真のは、可愛げがないんじゃなくて、しっかりしてるって言うんだよ」

 だって、こんなに優しくて暖かくて…。

「ふふっ、嬉しいな、渉にそんな風に言われるの」

 珍しく和真がちょっと照れたように笑った。

「ね、渉」
「うん」
「僕も直也も桂も、渉が大事で、大好きなんだ」
「僕も、好きだよ。すっごく大事だよ」
「うん、ありがとう。凄く嬉しい。だからね…」

 和真が僕をそっと抱きしめた。

「安心して僕たちに預けて。不安な気持ちも、ひとりで抱えずにみんなで持とう」

「和真…」

 抱きしめられて、僕はその腕の中でちょっとだけ泣いた。
 嬉しいのと、やっぱりどこかで、申し訳無いのとがない交ぜになって。

 でも、ひとつだけ決めた。

 和真も直也も桂も、一生懸命になってくれてるんだから、僕もちゃんとしなくちゃってこと。

 僕は僕なりの方法で、3人を大事にしていこうって。


END

幕間〜Festival〜聖陵祭』へ


お待たせしました。ついに和真くんが『あの人』について語ります。

『おまけSS〜和真くんはミタ。』

☆ .。.:*・゜

『好きなんだろっ。ならジタバタしてないで全力で護れよっ。っとにカッコ悪いなっ、NKコンビ!』

 直也と桂のあまりの不甲斐なさにキレて、怒鳴りつけてやった日から、どうやらヤツらは吹っ切ったようだった。

 けれどその後はもう、一気にベタベタ甘々に成り果てて。

 ほんと、お前らもうちょっとバランス取れよ…って言いたい。

 本当にこいつらに渉を任せて良いのかって、まだ不安になるよ、もう。

 そうそう、軽井沢に行ってからはまた一段と暑苦しいアピールになって、端から見ても鬱陶しいんだけど、笑えることに、肝心の渉には全然伝わってない。

 渉は多分、こういう恋愛ネタにはとことん疎いんじゃないかと思ってたんだけど、思ってた以上。

『どう思う?』って、一段と暑苦しさを増した直也と桂の行動についての『一推理』を披露してくれたときにはもう、腸捻転起こすかと思うくらい可笑しかった。

 かなりストレートにアピールされていてなお、しかも『恋してるんじゃないか』とまでわかっていて、その相手が別にいると思い込めるところが何とも可愛らしすぎて、直也と桂にはご愁傷様って感じ。

 それにしても、ヤツらの芸のない『アピール』にもほんと笑える。

 そういえば合宿中こんなことがあった。



 深夜。
 懐中電灯1つだけ灯った、完全消灯後の1年生の雑魚寝部屋で…。

「階段を…誰も登っていないのに、影だけがすーっと登っていったんだ…」

 桂が京都で暮らしていた2年間に仕入れた怪談話のオチを決めた瞬間。

 あまりの怖さに全員がまるで『猿だんご』よろしくピッタリくっついてぷるぷる震えていた。

『ひっく』

 と、僕の横で小さくしゃくり上げる音。
 渉が半泣きだった。

 これは大変だと、思わず話を振ったんだけど…。

「ね、渉。渉が住んでたドイツには怪談なんてないよね〜」

 振った話がマズかった。

「う、ううん、あるよ。怖い話」
「え、あるの?」
「うん、ライン川沿いの廃墟の城壁を首のない騎士が毎晩駆け上るとか、18世紀頃の王が庭園を徘徊してるのが防犯ビデオに映ったり…」

 …ちょっと待った。 はっきり言って、こっちの方がコワイ。

 見れば周囲は『ぷるぷる』ところか『ガクブル』状態。

 その時。

「やば、俺、怖すぎて寝られない」
「渉、側に居て」

 暑苦しい2人組が、『恐怖を装って』渉にしがみついた。

「「一緒に寝よっ」」

 って、あろうことか渉を布団に押し倒したから、一発背後からげんこつでもお見舞いしてやろうかと思ったんだけど。

「あ、おれもっ」「ぼくもっ」「一緒に寝る寝るっ」

 同級生たちが次々とその上にのしかかっていっちゃった。

「わ〜! 重いっ、潰れるってば!」

 渉がジタバタ暴れてる。
 その横では、NKコンビも潰されてて…。

 へへっ、ザマーミロ。



 ほんと、うじうじしてため息ばっかで役立たずだった一時期に比べれば随分使い物にはなってるけど、相変わらず直也と桂の『求愛』はうざいったらない。

 最近では、なんだかんだ理由つけては渉の身体に触ったり、あわよくばちょっとほっぺにチュ…なんて狙ってるのがアリアリのミエミエで、直情過ぎてむしろ清々しいくらいのバカバカしさでさ。

 多分ヤツらのことだから、自分こそが渉のファーストキスを…なんて思ってるだろう。

 もちろん「ファースト」なんだから、1番乗り、そう、ただひとりの権利。

 1番を巡っての涙ぐましくもアホくさい努力は認めてやらないでもないけれど、でもそれは、『まず両思いになってからだろうが!』と突っ込みたいところだね。

 ま、どっちがお先にいただいても禍根遺しそうだから、僕がお先にいただいちゃってもいいけどね。
 そ、お友達のご挨拶として。

 
 ここでの生活も4年目になると、僕みたいなのでも、こんな風に感覚が麻痺してくる。

 しかも叔父もここのOBで、おまけに教師だ。

 ちなみに、僕が生まれる前から実家に出入りしてて、とてもとても可愛がってもらって、僕自身も『篤人くん』と呼んで慕っている人も、ここのOBで教師だ。

 母と伯母(母の兄のお嫁さん)はなにやら思うところがある様子で、いつも叔父と篤人くんを温かい目で見守っていた。

 その頃の僕にはそれが何かなんてわからなかったんだけど、ここへ来てわかった。

『あの2人、デキてるんだ』…って。

 もちろん、校内での2人を見て思い至ったわけじゃない。
 だって、2人が校内で一緒のところなんて、まず見ないから。

 ごくたまに見かけたとしても、2人は完璧に『恩師と元教え子』とか『副院長と教師』って立場を貫いてて、普段僕の実家での2人の仲良し振りを知ってると、奇妙なくらい。

 じゃあなんで気がついたかっていうと…。

 ひとつには、僕が初恋の人をずっと追っていたから。
 ふたつ目が、聖陵学院の麗しき校風ゆえ…ってとこかな。

 全寮制――篤人くんや浅井先生が生徒だったころはまだ全寮制じゃなかったらしいけど――という閉鎖された中で娯楽の一部として自然発生してしまう『疑似恋愛』は数知れず。

 けれど、その中にも『本物』はいくつかあるわけで、色々と観察してるうちにすっかり眼力がついてしまって、『あの2人、デキてる』…って気づいてしまったわけ。

 ま、おかげで、渉を見つめるあの2人の異変にもいち早く気がついたけどね。

 
 その『2人』――NKコンビは、ここへ入学してすぐくらいからもう全校的アイドルだった。

 申し分のない見かけと、裏表のない人柄。 
 いつも明るくてムードメーカーとくれば、そうなるのは必然だったんだろう。

 そうそう、『誰でも一度はNKコンビのどっちかに転ぶ』…つまり『好きになってしまう』なんて言われてるけど、丸々3年どっぷりつきあっても、幸いなことに僕はどっちにも転ばなかった。

 直也も桂も、友達としては確かに最高にいいけれど、僕の恋愛対象としてはオコサマ過ぎ。

 ま、そもそも僕は今さら校内恋愛しようと思ってないし。

 ともかく僕は、卒業まで渉を守り抜くし、その先もずっと渉の支えのひとつになれたらなって思ってる。

 だから、直也と桂がもし渉のためにならないと思ったら、本当に容赦なく排除するつもり。

 でも、直也と桂も大事な友達だから、できることなら渉の大切な人になって欲しいと思ってる。

 どっちが渉の心を掴むのかはまだわからないけれど。

 でも、どっちかひとりが失恋したとき、また鬱陶しいことになりそうだなあ。

 面倒くさい〜。

 …いっそ2人とも失恋したら、後腐れなくていいかも。

 な〜んてね。

おしまい

☆ .。.:*・゜

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