第4幕「Apattionata〜熱風の季節」
【1】
校内合宿中の一件以来、僕はひとりになることが怖くなった。 けれどそれを口にしてしまっては、和真にも直也にも桂にもきっと負担をかけてしまうことになるだろうから、僕はただひたすら、誰かの側から離れない…という行動を取ろうとした。 でも、僕が『側に居てくれる誰かを探す』よりも先に、必ず直也と桂が側に居てくれて、どちらかにどうしても外せない用事が出来た時にも、もうひとりは必ずついていてくれた。 多分もう、負担になってしまってるんだと思うと、どうしようもなく心が塞いだ。 それでも合宿は終わり、夏のコンサートを無事に終えた。 僕にとって初めてのオーケストラのステージで、初めてゆうちゃんの指揮で弾けて。 去年聴きに来た時に心底羨ましいと思った中に入れて、幸せだった。 僕の席は指揮者のすぐ前。 練習の時からいつもゆうちゃんを間近に見ることが出来て、本当にここへ来てよかったなあって、改めてまた嬉しくなって。 病気になったり、みんなに迷惑かけたりして、何だかなあって僕だけど、どうにかこの3年間を楽しくすごせたらなあって思ってる。 そのためにはもうちょっとしっかりしなきゃいけない。 みんなの負担にならないようにしないと…。 夏のコンサートの翌日。 今日の午後から十日間、寮は完全閉鎖になるので、朝から退寮で大騒ぎ。 「楽しみ〜」 「ほんとほんと」 「でもちょっと緊張だな〜」 和真と桂と直也がそわそわしてる。 「でも、桂は行ったことあるんだろ?」 「いや、それはない。ウィーンにいたときには会ってるんだけど」 「へへっ、実は僕、こんなの用意してるんだ」 和真がリュックから取り出したのは…。 グランマとパパの新譜だった。 「えっ、和真、お前まさか…」 「そう! サインもらうんだ!」 「え〜! ずるい〜!」 直也が悔しがってる。 桂はその点、グランマもパパも知っているから、2人の騒ぎを呆れてみてる。 今日、3人がうち――パパの実家――に泊まりに来るんだ。 今夜泊まって、明日3人はそれぞれ帰省していくことになってる。 グランマが迎えに来てくれるって言ったんだけど、4人で電車を乗り継いで帰ることにした。 僕は東京の鉄道路線をほとんど知らないから、教えてもらいがてら。 ママと英と奏は3日後にくる。 パパは今日は大阪で演奏会なんだけど、明日には帰ってくるっていってた。 早く、僕の大切な友達を紹介したいな。 桂もこんなに大きくなってからはパパに会ってないから、びっくりすると思うし。 ☆ .。.:*・゜ 「桂くんには何度かお会いしたけれど、直也くんと和真くんは初めてね、ようこそ」 パパの実家なのに地図がないと帰れない僕――いつも車だったから――を、3人が完璧に引率してくれて、僕たちは予定通り家にたどり着いた。 グランマが笑顔で迎えてくれる。 「お久しぶりです!」 「「はじめまして!」」 元気よく挨拶する3人を、グランマがニコニコ見つめてるんだけど、相変わらず綺麗だなあ、グランマ。 うちのママも美人だけど、グランマは『華やか』って言葉がぴったり。 パパたちが出た音大の、演奏学科の主任教授で現役バリバリのピアニスト。 活動の中心は日本だけど、海外へもよく行くんだ。 「桂くん、本当に大きくなったわね。すっかり大人っぽくなっていてわからなかったわ」 佳代子さんが、良い香りの紅茶とグランマお手製のケーキを用意してくれて、僕たちはリビングのソファーで寛いでる。 「こっちへ来てから15cm伸びました」 「まあ、素敵ね」 羨ましい…僕ももうちょっと大きかったらなあ…。 「直也くんは、葵のことはよく知ってるのよね」 「はい。小さい頃から何度もお目にかかってます。レッスンもしていただいてました」 「まあ、そうだったの」 え、そのネタ、初めて聞いたんだけど。 直也、葵ちゃんの弟子だったんだ。 音色が似てるなあって思ってたんだけど、それなら納得かも。 「そうね、直也くんのお父様と葵は、とても仲良しだものね」 うん、今でもすごく仲良しって聞いてる。 「和真くんは、オーボエはいつから?」 「小学校5年からです」 え、それはまた…。 「まあ、随分早くから始めたのね」 オーボエは、息も指も大変だから、10才くらいで始める子って少ない。 だから、グランマの驚きももっとも。 管弦楽部だって、中1からオーボエで入って来る子は少ないって聞いてる。 入学してから、他の管楽器から転向することの方が多いってゆうちゃんも言ってた。 「はい、どうしてもオーボエで聖陵に入りたかったんです」 わあ、和真がこんな事話すの初めて! 「最初から管弦楽部に憧れてってこと?」 続きが早く聞きたくて、思わず割り込んじゃった。 「うん。小さい頃から漠然と聖陵に行きたいなとは思ってたんだ」 和真は僕に答えてくれて、そしてまたグランマに向き直った。 「聖陵に行きたいと話したら、じゃあ一度見においでって、聖陵祭に連れていってもらったんです。 その時に聴いた管弦楽部のコンサートが凄くて、中でもオーボエの音色に凄く惹かれて、もう絶対これで聖陵はいるって決めちゃったんです」 うんうん、それわかる。 僕も去年の夏のコンサート聴いて、もっとここへ来たいと思ったもん。 自分が管弦楽部に入るかどうかは別にして。 「そうだったの。和真くんは小さい頃から聖陵が好き……」 突然グランマが言葉を切った。 僕も和真も直也も桂も、『あれ? どうしたんだろう』って思ったその時。 「ああ! そうだったわね。和真くんの叔父様、副院長先生だったわね」 「はい、僕の母の弟です」 「先日理事会でお目にかかった時に、久しぶりにゆっくりお話させていただけたのよ。 副院長先生にはうちの息子たちもお世話になったわ。 昇と守と葵は担任も持っていただいたの」 「はい、その頃の話をたくさん聞きました。本当に楽しかったって叔父もいつも言ってます」 すらすらと流れるように交わされる会話を、僕も、直也も、桂も、ちゃんと聞いてはいたんだけど…。 「…なんか今…」 「重要なことを…」 「聞いたような、気がする」 …よね…と顔を見合わせた瞬間。 「「「ええええええええ! 翼ちゃんの甥っ子〜!?」」」 僕はともかく、直也も桂も初めて聞いたらしくて、もう大騒ぎ。 グランマが、『あら、ナイショだったの?』って聞いたら、和真は『いえ、単に言い忘れてただけです』なんて返して、グランマまで大笑いになっちゃった。 そして、ひとしきり笑ったあと。 「素敵なお友達ができてよかったわね、わたちゃん」 グ、グランマっ、その呼び方は…! 「わ…」 「わたちゃん…」 「ぷ…っ」 「「「可愛い〜〜!」」」 あああ、もうっ、恥ずかしいってば! ☆ .。.:*・゜ 「おい、和真」 「なに」 「お前、なんで黙ってた」 「なにが」 寮ではとっくに消灯点呼が終わってる時間。 1人用と2人用の客間はあるんだけど、4人一緒の方が楽しいでしょって、離れの和室に4組お布団を並べて敷いてもらって、僕らはまだわいわいしゃべってる。 和真とはいつも一緒だけど、直也と桂は初めてだから、なんだかおもしろい。 あ、軽井沢校舎の合宿は、学年ごとに大広間で寝るって聞いたから、凄くワクワクしてるんだ。 ドイツの学校ではそんなこと一度もなかったから。 「翼ちゃんが叔父さんだって話!」 直也と桂が思い出して、和真に攻め込んでる。 中学まるまる3年間一緒にいて、全然知らなかったって言うのは僕もびっくり。 「いや、とりあえず面倒だからさあ」 「は? 面倒〜?」 「渉みたいに、お父さんと浅井先生の関係がわかっちゃってるならともかく、僕らは苗字も違うし、黙ってりゃわかんないじゃん。なら、面倒だから黙っとけってことになっただけだってば。 別に隠そうと思ってたわけじゃないし」 本当に事も無げに言うもんだから、直也と桂も『そんなもんか?』なんて丸め込まれちゃってる。 こういうとこ、さすが和真だなあ…なんて。 それから、どこで誰が寝るかで一騒ぎ。 和真を1番奥にして、僕を挟んで直也と桂…って案を、2人――直也と桂が言い張った。 別に僕はどこでもいいんだけど、お客さんを1番入り口寄りに寝かせるのもなんだかいけない気がして、僕が1番端っこに寝るよって言ったら、和真もそうしようって。 「入り口側が渉、その隣が僕、奥2つはそっちで勝手に決めて」 「おい和真、なにひとりで決めてんだよ」 「そうそう、そっち2人は毎晩一緒なんだから、たまには別れて寝ろっての」 寝るだけなのに、別れるもくっつくもないと思うんだけどなあ。 「なーなー、こっちで俺たちと寝よ〜」 「そーそー、こっち来いってば〜」 2人が何故か僕を呼ぶ。 「「な、わたちゃん」」 ………ぶちっ。 「僕、こっちで和真と寝る」 「「えーーーーーーーーーー!」」 絶叫する2人に、和真が『ザマーミロ』って舌を出した。 ☆ .。.:*・゜ 翌朝。 夜更かしした割りには、寮にいたのと同じ頃に4人とも目が醒めてしまって、やたらと健全な夏休みのスタートになった。 そしてお昼前。パパが帰ってきた。 「おっ、もしかして桂くんか?」 「はい! お久しぶりです!」 「男前になったなあ」 「へへっ、ありがとうございます」 「今年コンマスだって?」 「そうなんです、頑張ってます!」 「ああ、昇が褒めてたよ。よくやってるって」 え、昇くん聞いたことあるの? 「え? いつ聞いていただけたんですか?」 やっぱり桂も知らないんだ。 「合宿最終日に時間ができたからって、練習をこっそり見にいったらしい」 「うわ〜、知らなくてよかった…」 うんうん、知ってたらちょっと緊張しちゃうよねえ。 「で、君が同室の…」 「はいっ、安藤和真です!」 「本当にお世話になってありがとう。 渉はオコサマだから、何かと大変だろう?」 なにそれ、酷い〜。 「いえ、渉くん、芯が強いと思います。僕もいつも助けてもらってます」 和真…それはヨイショしすぎにもほどが…。 「そうか、よかったな渉」 パパ、本気にしてないね、その顔は。 「そうだ、和真くんはオーボエだと聞いたんだが」 「はい、オーボエです」 「定演の前あたりでアーネスト・ハースが久しぶりに来日するんだけど、レッスンに行ってもらおうか?」 え、アニー、来るんだ。 じゃあ司ちゃんも一緒かな。 「えええええ!」 和真が絶叫した。 あ、魂抜けてるし。 「よし、喜んでもらえたみたいだから、言っておくよ」 アニーも聖陵のOBなんだけど、卒業と同時にドイツへ戻って、今や世界ナンバーワン奏者だもんね。レッスン受けられるのは嬉しいと思う。 って、和真〜、生きてる〜? 僕が和真の前で手をひらひら振ってる横で、パパが柔らかい表情で直也を見た。 「麻生…直也くん、だね」 「はい! はじめまして!」 直也を見るパパの表情は、この前三者面談に来てた直也のパパに会ったときと同じで、何か懐かしいものをみるような、不思議な…。 「君のお父さんとは、よく一緒に練習したよ」 「そうなんですか?」 「何事にも真っ直ぐにぶつかっていく、かっこいい子だったな」 直也が、照れた。 「色々な事を一緒に考えて、一緒にぶつかって、泣いたり笑ったりしたよ」 パパはよく、聖陵時代の思い出話を聞かせてくれるけど、面白い話ばっかりで、こんなのは初めて聞いた。 「僕たちも今、一緒に考えて、一緒に玉砕してます」 直也の言葉に、パパが声を上げて笑った。 「あ、そういえばパパは和真の叔父さんにもお世話になってるんじゃないの?」 「ん? ああ、翼ちゃんか」 やっぱり知ってたんだ。そりゃそうか。グランマが知ってるんだし。 「和真くんは松山先生の甥っ子くんだったな」 パパ、今さら言い直さなくても。 今、翼ちゃんって言っちゃったじゃない。 「確か高2の時に担任だったと思うけど、よくおちょくって遊んだなあ」 ちょ…パパ…。 「あはは、それよくわかります。僕もよくおちょくって遊んでますから」 …酷い甥っ子だな、和真って。 見れば、直也と桂も『こいつ、ワルだな』って顔してみてる。 それからパパは、3人が出なきゃいけない時間ぎりぎりまで一緒にいて、聖陵の頃の思い出話をたくさん聞かせてくれた。 そして、和真は群馬へ、桂は京都へ、直也は熊本へ、それぞれ帰省していった。 次に会うのは、軽井沢合宿。 学校集合と現地集合が選べるんだけど、直也と桂は学校集合で、和真は実家から軽井沢校舎まで1時間くらいで行けるから、お父さんに送ってもらうって言ってた。 軽井沢校舎の森は涼しくて、緑に覆い尽くされてるところがドイツの森にちょっと似てるってアニーに聞いたことがある。 楽しみだなあ。 ☆ .。.:*・゜ その夜、僕はグランマからちょっとした思い出話を聞いた。 「グランマね、直也くんのお父さんを少しだけ知ってるのよ」 「え、ほんと?」 「何年生だったかしら…。一度だけ…だけど、泊まりに来てくれたことがあったわ」 グランマは懐かしそうに遠くを見る。 「そうそう、ちょうど今頃の時期だったかしら、浴衣を着て守と縁日に行ったわね。 その時、悟と葵は京都へ、昇は直人くんの実家へ行って、みんなそれぞれ縁日で遊んでいたと思うの。 そうね、隆也くんは可愛らしくて真っ直ぐで、素敵な子だったわ」 …悟くんも昇くんも葵ちゃんもいなくて、パパだけ? パパと直也のお父さんだけ? そんなに仲良かったんだ。 知らなかった…。 2人の高校時代…どんなのだったんだろう…。 パパに聞いてみたかったんだけど、ママと英と奏が来て賑やかになっちゃったら、なんだか聞けなくなってしまった。 |
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ちょっとしんみりと、おまけをどうぞ。
『おまけSS〜グランマとパパの、ちょっとした感傷』
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深夜の桐生邸にて。 「渉は?」 「もうぐっすりよ。2日間、はしゃいでたもの。あの子があんなに生き生きしてるの、見たことないくらいにね」 「友達に恵まれたな。ありがたいことに」 「本当にね」 「祐介にも感謝だよ。あんないい子をつけてくれてさ」 「松山先生にもよくお礼を言っておいたわよ」 「ああ、サンキュ」 「…不思議なものね」 「ん? 何が?」 「あの時の2人の、その子供たちが、またここでこうして巡り会うなんて」 守からの応えはない。 それでも香奈子は構わず続けた。 もとより半分は独り言だ。 「あれからまだ20年も経ってないのにね」 2人が仲良く縁日に出かけて行くのを見送った時には、まさかあの後、まだ高校生の隆也にあのような悲劇が襲いかかるとは夢にも思っていなかった。 ただ、2人の行く末を案じていただけで…。 「先に休むわね」 「ああ、おやすみ」 もし、あの恋が成就していれば生まれてくることのなかった子供たち。 けれど、守にとって、渉がいないと言うことはもはや考えられない。 おそらく隆也も同じだろう。 だから、これで良かったのだ。 直也が渉を見つめる瞳に、見覚えのある熱を確かに感じた守だったが、今はまだ胸に納めている方が良さそうだと、そっとしまい込んだ。 |
おしまい |
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