第3幕「Milky Way〜星の季節」
【1】
16にもなって肺炎なんて、ほんとにカッコ悪いったりゃありゃしない。 入学して1ヶ月ちょっとでダウンした挙げ句にみんなに心配かけちゃって、つくづく自分が情けなくて、退院して学校へ戻るのが憂鬱だったくらい。 あ、でもみんなに会いたくて仕方がなかったんだけど。 入院中は、ママの方のグランパとグランマがつきっきりで面倒を見てくれた。 パパの方のグランパはドイツでオペラの連続公演中、グランマはアメリカツアー中、それに悟くんと葵ちゃんはヨーロッパツアー中だったので、心配かけないようにと事後報告ってことになったみたい。 ママは来るって言ったらしいんだけど、来るほどでもないって言われて諦めたって。 で、昇くんが来てくれた。ちょうど海外公演のない時期だったんだ。 病院のご飯、イマイチだろ?って、忙しいのに3回もお弁当作ってきてくれたんだ。 もちろん、直人先生も一緒に。 昇くんって、お料理上手なんだ。 僕の大好きな卵焼きは必ず入ってて、食欲無くてもこれだけは食べられちゃう。 昇くんの卵焼きは、味も焼き加減もママと一緒。 それもそのはず。ママのお料理の先生も昇くんのお料理の先生も、佳代子さんだから。 佳代子さんは、僕が生まれるずっと前から、パパの実家で家事一切を取り仕切ってくれてる、とっても優しいベテラン家政婦さん。 僕たち的には3人目のグランマ…って感じ。 だから、パパたち兄弟も含めて僕たちみんな、佳代子さんのご飯が『ママの味』だったりするんだ。 そんなわけで、昇くんの作ってくれたお弁当は、僕の『ママの味』そのもの。 ただ、葵ちゃん、遠い目で言ってたっけ…。 『お義姉さんも昇も、最初の頃はとんでもないもの作ってたけどね。試作品、恐怖だったなあ…』なんて。 ゆうちゃんは、忙しいのに毎晩来てくれた。 学校の様子を聞かせてくれたり、クラスやチェロパートのみんなの寄せ書き持ってきてくれたり。 いつもはゆっくり話せないからなんだか凄く嬉しかった。 心配かけたのはいけないことなんだけど、ほんのちょっとだけ病気に感謝しちゃったり。 あと、森澤先生も忙しいのにほとんど毎日来てくれたし、和真と凪も電車乗り継いで来てくれたんだ。せっかくの日曜日だったのに。 直也と桂はわざと誘わなかったんだ…って言うから、どうして?って聞いたら、ここでぎゃあぎゃあ騒がれても困るし…って。 あの2人、そんなに騒ぐかなあ。 とにかく、主治医の中沢先生もすごく優しくて素敵な先生で――ゆうちゃんと葵ちゃんと早坂先生と、1年の時同室だった人だ――すっかり元気を取り戻した僕は、2週間ぶりに学校に戻った。 ☆★☆ HRでも部活でも、みんなが迎えてくれて、なんだか凄く嬉しかった。 たった1ヶ月ちょっとで戦線離脱しちゃった新入りなのに、ノートを取っておいてくれたり、練習の進捗状況を全部レポートにしておいてくれたり。 ともかくみんな親切で優しくて、ちょっとウルウルしてしまったんだ。 「嬉しいな、今夜からひとりじゃないし」 部活を終えて、寮へ向かう坂道で、スキップでもしそうな感じで和真が隣を歩いてる。 「そっか、2週間ずっとひとりだったもんね」 「マジ、寂しかったんだし」 「ごめんね」 こんな僕でもいなくて寂しいって言ってもらえるなんて…。 じわじわ幸せをかみしめてると、遠くに直也の姿があった。 あれ? 桂が一緒にいない? そういえば、午前中に退院して、午後の授業から出た僕に、直也と桂は別々に声を掛けてきたっけ。 『直也、色々と迷惑かけてごめんね』 『何言ってんの。僕たち、親友…』 言葉を切って、直也がジッと見つめてきた。 『直也?』 『…あ、ごめん。何でもない』 桂も…。 『桂、色々とありがとう』 『いやいや、俺は渉が元気になればそれで…』 桂もやっぱり不自然に言葉を切って、黙ってしまった。 『桂?』 『…や、何でもない』 なんだか、元気のない風だったので、和真に尋ねたら、『思春期じゃないの』なんて、大して興味もなさそうな返事だった。 どうしちゃったのかな、2人とも。 ☆ .。.:*・゜ 僕が久しぶりに部活に戻って数日後。 パート練習が終わって、弦楽器全部が集合する日がやってきた。 そして僕たちチェロパートは、今までみんなで積み上げてきた結果を思う存分発揮した。 僕は一番前にいるから、みんなの表情は見えないけど、きっと楽しそうに弾いていたと思う。 音が、そんな感じだったから。 弦楽器のセクション練習が終わった時、桂が立ち上がって、『チェロパート、ブラボー』って言って拍手してくれた。 そうしたら、他の弦楽器のみんなも『うんうん、凄く良くなった』とか『一皮も二皮もむけたな』とか『よくやったな』とか、口々に声を掛けて、やっぱり拍手してくれて。 ふと見ると、隣で坂上先輩が鼻すすってた。 後ろのみんなも。 今まで『弾けているけど盛り上がらない』って言われてたらしきチェロパート。 でも、6人の音が1つに溶けた瞬間の、あの快感を経験してしまったから、もう後には戻れない。 これからはもう、合奏が楽しくて仕方なくなると思うんだ。 僕だってそう。合奏は……楽しい。 「渉、さすがだな」 桂が僕の肩を優しく叩く。 「ううん、違うよ。これは6人全員で積み上げた結果だよ」 ね…っと、チェロのみんなを見たら…。 あああ、号泣しちゃった…どうしよう…。 ☆ .。.:*・゜ その後、全体合奏になっても、やっぱりチェロパートはみんなに褒められて認められて。 そして僕は、ゆうちゃんからも『よくやったな』って褒めてもらえた。 本当は、そのままにしておきたかったんだけど、でも本当にがんばったのは僕じゃなくてパートのみんなだから、そう言うと、ゆうちゃんはなんだかもっと嬉しそうな顔をして僕を軽く抱きしめてくれたんだ。 こんなの、チビの時以来だ…。 どうしよう…ものすごく、嬉しい……。 ゆうちゃんに褒められてから、僕はちょっと…ううん、かなり浮上していた。 身体もだんだんここの生活に慣れてきて、入学したての頃に比べると、随分楽になった。 部活もそれなりに順調で、勉強も…って言いたいところなんだけど、6月初めにあった前期中間試験で、8番まで順位を落としてしまった。 ちょっとボンヤリしちゃってたから。 周りは入院してたから仕方がないって言ってくれるんだけど、僕的にはあんまり関係無い。 2週間くらい、取り戻すのはすぐだから。 森澤先生にもそれはバレてて、『期末で首位奪還しろよ』なんて言われちゃった。 ちなみに1番は直也。 2番が桂で、和真は6番だった。 みんな、がんばるなあ。勉強も部活も。 で、中間試験が終わると管弦楽部はいよいよ夏のコンサートに向かって本格的にエンジンがかかる。 今年の演目は、前半が管弦楽部長・里山先輩の『マリンバソロ』とサブメンバーの『モーツァルトの交響曲第35番〜ハフナー』。 後半が、高3の弦楽器奏者だけで『マーラーの交響曲第5番の4楽章〜アダージェット』とメインメンバーの『ブラームスの交響曲第2番』。 和真によると、僕に何かソロをさせようって話になってたらしいんだけど、入院しちゃったので流れたらしい。 ちょっと病気に感謝…かも。 そんなわけで、みんなそれぞれにがんばってるんだけど、特に目の色が変わっているのが直也と桂。 僕が見る限りでは、首席に決まった時も特に気負いはなかったと思うし、何より『今年は首席だ!』って豪語してたくらいだから、重圧を感じてることもないと思うんだけど、何故か必死で練習してる。 でもって、ちょっと前みたいにわいわい騒いでない。 なんか変だなって思わないでもないんだけど、よく考えたらまだ知り合って2ヶ月ちょっと。 だから、2人にはこんな面もあるんだなあ…って勝手に納得してたんだけど。 「なに目の色変えてんだか」 和真が言った。 …やっぱり、もしかしていつもと違う…のかな? 「ま、その甲斐あってか、なんだかちょっと音に艶が出てきたことない?」 って僕に話を振ってきた。 そういえば…。 「あ、うん。なんか表現の奥行きが出てきたような気が、するね」 「まさに、怪我の功名ってやつか」 けがのこうみょう…それ、聞いたことあるけど、どんな意味だったっけ。 後で調べないと…。 ☆ .。.:*・゜ 「なあ、渉、ここどう思う?」 少しばかりややこしいパッセージをざっと弾いて、桂が僕に尋ねる。 「どうって?」 夕食後、練習につきあって欲しいって言われて、ホールまで来たんだけど、桂は十分弾けている。 合奏をまとめる統率力も申し分ないし、一体何を不安に思ってるんだろう。 「時々3拍目が引きずられてるような気がするんだ」 「え、そうかなあ」 「違う?」 「うん、大丈夫だと思うよ。それを気にするくらいなら、その前の小節の頭の方が管楽器とかに引っ張られやすいよ」 「…そう、か」 ちょっと落ち込んだ声で、桂が楽器をおろした。 「なあ、渉…」 「なあに?」 桂、疲れてるのかなあ。 呼びかけるだけ呼びかけといて、後がない。 様子がおかしい桂に気を取られていたら、いつのまにか僕はじりじりと壁際に追いやられていて、気がつけば壁と桂に挟まれていた。 狭いし…暑いんだけど。 桂の右手が弓を持ったまま、僕の顔の真横にあって、桂の顔も凄く近くて…。 「か、桂っ?」 まるでくっついてしまいそうで、慌てた僕は思わず両手で桂の胸を押し戻した。 その瞬間、桂はまるで夢から覚めたように目をパチクリさせて、ちょっと慌てた。 「あああっ、ごめんっ、渉っ」 「えと、大丈夫? 疲れてるんじゃない?」 きっとがんばり過ぎだよ。 「あ、うん、ちょっと休憩するよ。ありがとな」 「無理しないでね」 「…了解」 桂の様子に、ちょっと後ろ髪引かれながら出てきて、もう寮へ帰ろうと思っていたら、今度は3つ先の部屋にいた直也に呼び止められた。 やっぱり練習につきあって…って言うんだ。 でもやっぱり、直也も十分吹けていて。 ブラームスの2番は、第1楽章では牧歌的な響きが求められるんだけど、直也はそんな響きも、後半の情熱的な響きも見事に吹き分けられているし、本当にうっとりするほど綺麗な音を出す。 ラベルのボレロとか、聞いてみたいなあ。 冒頭のソロ部分、甘い音色で良い感じだと思うんだけど。 「ちょっとこれ見て」 言われたので、譜面台に置かれた楽譜を覗き込んだ。 びっしり書き込みがある。凄く勉強してるんだ…。 「ここの部分、チェロと被るだろ?」 「あ、うん、そうだね」 「もうちょっと鋭い音にした方がいいのかなあなんて、思ってるんだけど」 「え、ううん、むしろ包んでくれる方が良いと思う、けど」 って、なんで僕が包まれてるの。しかも背後から。 いつの間にか楽譜を覗き込む僕の後ろにぴったりと直也が張り付いていた。 狭いし…暑いんだけど。 楽器を持ってない左手が、僕をそっと抱きしめた。 「…ごめん、渉。ちょっとだけこうしてて」 いつもの直也とは思えない、小さな声。 「あ…うん…」 やっぱり疲れてるのかな、直也も桂も。 頑張り屋さんなんだな、やっぱり2人とも。成績もいいし。 どれくらい経ったかわかんないんだけど、直也が深く息をついて、僕を離した。 「ごめんな、渉」 「ううん、いいよ。直也、疲れてるんだよ、きっと。がんばり過ぎなんじゃない?」 僕の言葉に、直也はちょっとだけ笑った。 「そろそろ帰ろうか」 「うん」 その日、僕たちはいつもよりゆっくりと、寮への坂道を上っていった。 それから。 直也と桂の不思議な行動はたびたび現れては僕を困惑させたんだけど、でも、あの2人が意味もなくわけのわかんないことをするようにも思えなくて、もしかして何か深い意味があるのかなあとか、いや、考えすぎだってば…とか、頻繁にグルグルと思い悩む羽目になったりして。 和真は知らん顔決め込んでるけど。 もしかして、わかってるのかな。 どうして、なのか。 でもって、やっぱり直也と桂の行動は今までと違うらしく、周りのみんなも何かと言っちゃ話題にし始めた でも、それは決して悪い意味じゃなくて。 むしろ良い方向へ転んでた。 そう、『2人ともなんだか大人びてきたな』って。 『今まではさ、2人とも『お日様野郎』って感じで、全身日向で陰りなし…だったんだけど、ここのところなんだか物憂げだったり真剣だったり、今までになかった魅力が加わったとかで、学年問わず、さらに人気急上昇!』 そう教えてくれたのは、凪。 確かに、なんだか急に大人びてきた感じがする。 ちょうどそんな年齢なのかな、やっぱり。 |
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