幕間「愛しさの、その先に」
新学年がスタートして1ヶ月と少しの頃。 黄金週間強化合宿を乗り切った渉に、変化が起こった。 まず、食欲が低下し始めた。 そして、そのことにもちろん、和真も直也も桂も気がついていた。 「もう終わり?」 和真が気遣わしげに覗き込む。 「あ、うん。なんとなくお腹いっぱいで」 ただでさえ食は細い方なのに、さらにその量が減っている。 「渉、それじゃあダイエット中の女子高生だぞ」 桂が突っ込むと、儚げに笑う。 「あはは、じゃあ、スイーツは別腹だね」 最近はこんな冗談もすらすらと出てくるくらい、渉は打ち解けてきた。 ただ、相変わらず人見知りは激しいから、交友関係は著しく狭い。 和真はそれも気をつけていて、出来るだけ渉が多くの生徒や教師と接点を持てるよう気を配っている。 だからほんのちょっとだけ、NKコンビが邪魔な時もある。 どうやら2人には、妙な独占欲が芽生えているらしく、渉への張り付き方が尋常ではない。 護れとは言ったが、隠せとは言っていないのに。 面倒な事にならなきゃいいけど…と、さして本気で心配してはいないのだが、ひっかかってはいる。 いや、それよりも今は、渉の体調だ。 幸いチェロパートはのんびりした人間ばかりなので、体力的にも精神的にも辛いと言うことは少ないだろうが、黄金週間強化合宿中、外部講師がいつもよりたくさん現れたり――どうみても渉目当てだった――首席会議があったり…と、渉にとっては不慣れな場面が多かったに違いない。 それでかなり体力を消耗した様子が見て取れる。 ともかく渉の様子にいつもよりもっと注意を払わねば…と、思った翌晩、異変が起こった。 消灯点呼時、かなりだるそうな様子に気がついた。 こころなしか、頬も赤い。 ――熱、出るかな。 「渉、大丈夫?」 「え? なにが?」 見返してくる瞳も潤んでいる。 これは危なそうだと踏んで、今夜は寝ない方が良いかもなと思っていたら案の定。 日付が変わる前頃から渉の息が荒くなり始めた。 「渉、ちょっと熱計ろう」 和真の言葉に返事はない。ただ、なすがままで。 「うそだろ…」 デジタル数字は、自分が経験したことのない高さを示していた。 「大変っ」 慌てて部屋を飛び出して、とりあえず隣のNKを起こす。 小さいけれど鋭いノックの音に、時間を置かずにドアが開いた。 「なに?」 「どした?」 見たことのない、『慌てる和真』に異常事態の発生を感じ、2人の眉間に皺が寄る。 「起こしてごめん。渉が熱出したんだ」 「「えっ!」」 うっかり声を張り上げてしまったNKを、和真が『しーっ』と制する。 「僕、斎藤先生に連絡してくるから、渉見ててくれない?」 「OK」 「まかせとけ」 和真は電話へ。 直也と桂は412号室へ駆け込んだ。 「すみません、1−Aの安藤です」 ワンコールで寮長の斎藤が出た。 『渉…か?』 すぐに渉の異変だと気づいたようだ。 ここの教師はみな、渉を名前で呼ぶ。 悟たちを名前で呼んでいた頃の名残もあるし、未だその存在が圧倒的な桐生家のOBたちと紛らわしいからもあるのだろう。 「はい、高熱です。40度に近いです。呼吸も荒いです。…はい、お願いします」 その頃渉の枕元では直也と桂が狼狽えていた。 「おい、凄く熱高いぞこれ」 「渉…可哀相に…」 取り替えたばかりの冷却シートの端が、すでに乾き始めている。 汗も出せずに苦しそうに呼吸する渉の息には雑音が混じっているようにも聞こえて…。 「かなりヤバそうなことないか」 「ああ、ちょっとマズいよな、これ…」 ほどなくして斎藤がやってきた。 「渉、大丈夫か? 返事できるか?」 斎藤の問いに、わずかに頷いたようにも見えたのだが、答えはない。 熱を測り脈を取り、胸の音を聞いたところで斎藤の顔色が変わった。 携帯を取り出し、耳に当てる。 「夜分すまない。今、大丈夫か?」 通話を受けているのが誰なのか、和真たちにはわからない。 「渉が熱を出したんだが、肺炎の兆候がある」 斎藤の言葉に、和真たちが驚いて顔を見合わせた。 「夜間救急外来口だな。わかった。すぐ連れて行く」 通話を切って、斎藤が3人を見渡す。 「麻生、栗山、どっちでもいいが、渉を静養室まで運べるか」 「「はいっ」」 「それと安藤」 「はい」 「副院長と担任に、すぐ保健室へ来てくれと連絡してくれ」 院長は夜間は校内にいないので、夜間の最高責任者は副院長となっている。 「それと…」 「浅井先生ですね」 「頼む」 「了解です!」 寮内には教職員寮への直通電話がある。 和真は当直の教師に斎藤の伝言を伝え、渉の後を追った。 顧問はこの時間、どこにいるかわからない。 校内にいるかも知れないし、駅前にある自宅マンションに戻っているかも知れない。 いずれにせよ、当直教師が捕まえてくれるはずだ。 和真が保健棟へたどり着いてすぐに、教師たちもやってきた。 顧問も校内にいたようで、程なく合流した。 そしてほんの少しの打ち合わせのあと、斎藤と顧問が渉を車に乗せ、学校を後にした。 「お疲れだったな、3人とも」 副院長が院長への連絡のため席を外した後、担任の森澤東吾が3人をねぎらった。 「渉…大丈夫でしょうか」 不安そうに漏らす和真の肩を優しく叩き、『良い主治医がついてるから大丈夫さ』と笑ってくれた担任の様子にいくらか心を落ち着けて、3人はのろのろと寮へ帰っていった。 もちろんその後一睡もできなかったのは、3人とも同様だった。 翌朝、HRで担任が渉の入院を告げた。 やはり、肺炎になっていた。 喘息の発作も起きたのだが、幸い処置室に入ってからだったので事なきを得た…というのは、後から担任がこっそり和真だけに教えてくれたことだ。 その日から1−Aは火が消えたようになった。 決して自分からアクションを起こしたりせず、いつも静かな渉だったが、やはりその可愛らしさで密かに人気者だったことは否めず、誰からともなく『折り鶴でも折るか』なんて乙女チックなことを言い出すほどで。 ただ『折り鶴は後の始末に困るらしいぞ』とこれまた誰かが言ったので、『じゃあ、寄せ書きにするか?』などと、終始気にしている有様だ。 それにもう1つ、1−Aの火が消えた原因が。 渉が入院してから、NKコンビのテンションが地の底になったのだ。 どんな時でもムードメーカー。 いつでもどこでも誰にでも、同じように陽気に接する2人のどん底振りは、当然周囲にも大きな影響を与えていた。 「はあ…」 「ふう…」 長身を丸めて陰鬱なため息を漏らす2人を、誰もが遠巻きに見ている。 「…も、俺、渉なしで生きていけないかも」 「そんなの僕だって同じだ」 ――何言ってんだか。 隣で和真が呆れている。 「なんだよ2人してお通夜みたいな顔しちゃって」 「お通夜だよ、十分」 「そうそう」 「あのね、縁起の悪いこと言うんじゃないの」 渉が入院して5日目。 かなり治療の成果が上がっていて、早ければ10日ほどで帰れるかも知れないと昨日顧問から聞いたのだが、なんだか教えてやる気にならない。 実は今度の日曜に見舞いに行こうと思ってるのだが、これも絶対誘ってやらないぞ…と、和真は心中で固く決めている。 ――こんなに暑苦しい奴らだったっけ? 学院一の人気コンビは、ホットな奴らだけど、ウェットではなかったはずだ。 いつもカラッと晴れた青空のような性格のくせに、今は不快指数100%で。 「そんなに渉が気になる?」 「なんだよ和真」 「お前、気にならないっての?」 ――なんで僕につっかかるかな。 「悪いけどね、僕は自称も他称も渉の親友だ。キミタチとは違うんだよ」 「どう違うんだよ」 「そうさ、俺たちだって渉の親友だ!」 ――親友、ねえ。 渉のプラスになるのなら、親友以上の感情も悪くはないのかも知れないけど、わずかでもマイナスになるようであれば、容赦なく排除してやるからな…と、物騒な言葉でこれまた心中で固く誓い、和真はNKに釘を刺した。 「ま、いいけどさ。あんまりベタベタ鬱陶しいと、渉に嫌がられるんじゃない?」 「どこが」 「鬱陶しいんだよ」 ――うざい〜。 両側からステレオで凄まれると鬱陶しさも倍増だ。 呆れたようにそれっきり明後日を向いてしまった和真に、直也と桂も背を向けて、そしてまたため息をもらす。 どうにもこうにも感情の持って行き場がない。 渉がいないと。 ☆ .。.:*・゜ 10日では帰れなかったが、2週間で渉は元気に戻ってきた。 HRでも部活でも熱烈歓迎を受けて、本当に嬉しそうにしている。 「直也、色々と迷惑かけてごめんね」 「何言ってんの。僕たち、親友…」 見上げてくる優しい微笑みに、吸い寄せられそうに…。 「直也?」 「…あ、ごめん。何でもない」 「桂、色々とありがとう」 「いやいや、俺は渉が元気になればそれで…」 ちょっと恥ずかしげに頬を染めているように見えるのは、気のせい…? 「桂?」 「…や、何でもない」 「な、最近NKコンビって別行動多くね?」 「ああ、そういえば、渉と和真と一緒の時は2人も張り付いてっけど、そうでなかったら割と別々に見かけるなあ」 「なんかあったんかな」 「さあ…」 周囲にもそれとわかるほどの変化。 もちろん渉は気づいていない。 その瞳はいつも、祐介を追っているから。 |
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