第2幕「Audition〜緑の季節」

【3】


 


 新しい席次が発表になって、管弦楽部の1年が始まった。

 まず目標とすべき夏のコンサートでの、メインメンバーの曲は、『ブラームスの交響曲第2番』。

 明るく伸びやかな印象の曲で、高校生がやるにはもってこい…って感じなんだ。

 でも、表現力は多彩なので、難曲…ではないけれど、アンサンブル力が試される面も多いと思う。


 で、演目は決まってるけど、いきなり合奏ってわけじゃないらしい。
 そこがプロオケと違うところ。

 まずパート内でみっちり練習して、それから弦楽器・管打楽器に別れてセクション練習。
 それからやっと全体合奏になるみたい。


 そして、まず最初の一歩。
 チェロパートだけの練習が今日から始まる。

 今年のメインメンバーは、高校生だけで、3年生3人、2年生1人、1年生2人。
 曲によって人数を増やす時には、7番目のメンバーから順に追加される。


「あ、渉、椅子並べておいたから」

 チェロの溜まり場…と言われている『練習室18』に来てみれば、チェロパート唯一の同級生、川北凪(かわきた・なぎ)がもう来ていた。

 彼は6番目のメンバーで、ぎりぎりだけど初めてのメイン入り。
 僕と一緒に出来ることが嬉しいって抱きついて泣いてくれたんだ。

 だから僕も、来年凪がひとつでも上の順位に行けるよう、手助けしようと思ってる。


「あ、ごめんね、凪。ありがとう」

 大変、明日からもうちょっと早く来なきゃ。
 僕だってメインメンバーの最下級生なんだから。

 って、これ、どういう配列?
 1対5で、椅子が向き合ってる。


「あの…凪?」
「なに?」
「なんで、向き合い?」
「え、だって渉が指導してくれるから…」

 は? それじゃまるで、レッスンじゃないか。

 そんなアホな…と、葵ちゃん仕込みの関西弁――関西に住んだことはないけど――で、自分で突っ込んじゃった。


「おまたせ!」
「渉、よろしくな」

 そうこうしてるうちに、次々と上級生がやってきた。

「あのっ、輪になりません?」
「わっ?」

 そのまま座ろうとするので、慌てて提案してみたんだけど。

「でも、それじゃ渉がやりにくくないか?」

 や、だから僕が…じゃなくて。

「ええと…、輪になった方が、お互いの音の聞こえも良いし…、フィンガリングやボウイングもよく見えるし」

 一生懸命説明すると、先輩たちはお互いを見合って…。

「なるほど。確かにそうだ」
「うんうん」
「さすが、渉。着眼点が違う」

 いや、だからそれは、買い被りすぎですってば…。

 過剰に寄せられていると思われる期待にちょっとぐったりしつつも、チェロパートの練習はスタートした。


 とりあえず、楽譜の頭から正確なリズムと音程を確認しつつ、弾いていくんだけど…。

 僕は実は、同じ楽器が複数という状態で弾いたことがこれまでない。
 ソロの勉強しかしてなかったから。

 だから、この環境がなんだか凄く新鮮で…。

 初めてということもあると思う。リズムは時々乱れるし、音程も割と頻繁にばらつく。

 でも、全員がふと寄り添った瞬間の、何とも言えない音の広がりは、今まで僕が経験したことのないものだった。

 なんだろう。この感じ…。

 切りのいいところまで弾いてみて、一旦音を止める。

 僕以外の5人が、ジッと僕を見る。
 ええと、何を言うのか待ってる…んだよね、きっと。


「あの…」

 みんな、視線が怖すぎるんだけど…。

「ええと、どこが1番問題だと、思いまし…た?」
「へ?」
「ほ?」

 あれ? なんでそんなマヌケ顔?

 あ、もしかして僕がダメ出しするんだと思ってたとか?

 と、とんでもないよ〜、


「あ、あのですね、とりあえず、問題点を、あげて、ええと、ええと」

 あああ。焦ると何言っていいかわかんなくなってくる…。

「それ、それを…」
「ああ!」

 凪が声をあげた。

「それを片っ端から潰していけばいいんだ!」

 そう、それ!

 うんうん頷く僕に、みんなもうんうんと頷いて。

「じゃあとりあえず、ひとりずつ、気になったとこ挙げてって、1個ずつ解決していくか」

 3年のパートリーダー、坂上先輩が仕切ってくれる。

 よかった…。


 それから、本当にひとつずつ丁寧に問題点を直していって、2時間の部活の間にわずかな小節数しか進まなかったんだけど、なんだかとっても充実していたような気がした。


 そして。

「じゃあ、今後の練習方針を、渉から発表してもらおう」

 へ?

「あ、あのそれは坂上先輩が…」
「あのねー、パートリーダーのお仕事は、スケジュール管理と雑用なんだよ〜ん」

 そんなあ。

「ほらほら、どんなハードな内容でも、ついてくから、俺たち。なっ」

 先輩の言葉に、4人がうんうんと頷いている。

 や、そんなハードな練習は、僕だって…。

「あの、じゃあ、今日みたいにみんなで考えるってことで…」

 消えそうな声で言ってみれば、一瞬みんな唖然としたようなんだけど。

「うん、渉が言うなら、それで!」

 え〜、そんなのでいいの〜?

 どうしよう…。適当なこと言っちゃったかも…。



 それから僕らは、とにかくみんなで考えて、みんなで解決をしていった。

 そうすると、同じミスを繰り返さないようになった。
 問題点も解決策も、記憶にしっかり残るからなんだと思う。

 そしてその記憶を何度も上書きしていくうちに、僕らの音は最初の頃とは比べものにならないほどの広がりを持つようになった。


                   ☆ .。.:*・゜


「渉…ありがとう」

 ある日の練習後、坂上先輩からの言葉に僕は驚いた。
 なにか、したっけ?

「あ、あの…」

「俺たち、黙ってお前について行きさえすれば良いと思ってた。でもお前は一緒に考えようって言ってくれて、俺たちに練習の本当のやり方と楽しさを教えてくれたんだ」

 え…僕は…そんなつもりじゃなかったのに。ただ、ひとりじゃ何にも出来ないから、みんなの力を借りようって思っただけで。

「オケってひとりじゃできないもんな」

 え?

「みんなで1つの楽譜を作り上げるんだって、やっと気がついた気がするよ」

 照れくさそうにいう、2年の先輩に周りもうんうんと頷いてる。

 みんなで1つの楽譜…。

「ほんとだ…」
「渉?」
「僕も今、やっと気がつきました、それ!」
「え〜?! わかってたんじゃねえの〜?」

 先輩の呆れた声に、周りは大爆笑。

「ともかくこれからも、みんなでがんばろう」

 そう言った坂上先輩に、みんなが頷いた。


                   ☆ .。.:*・゜


 パート練習もいよいよ終盤。
 もう少ししたら、弦楽器全体と合流することになっている。

 そんなある日。
 坂上先輩がある提案をしてきた。

 今まで輪になって練習してきたけど、今日からオケの配置通りに並んでみようって。


「ステージの定位置ってことですか?」

「ああ、そうだ。今まで俺たち、渉を正面から見てきたけど、ステージに上がったら、俺は渉の隣で、他のみんなは渉の後ろだろ? 違う角度からでもちゃんと渉の弓の動きをみる訓練もいると思うんだ」

 あ、そうか。

「先輩、それ、僕の勉強にもなります」
「え? なんで?」
「僕、ソロしかしてこなかったので、後ろのメンバーに合図を出す訓練、してません。だから…」

 そう、首席の大事な仕事の1つ。
 アインザッツ

 オケ全体に指令を出すのはコンマスの仕事だけど、パートをまとめるのは首席の役目。

 弓の早さや角度、場合によっては身体全体を使って、みんなの呼吸を1つにするんだ。
 そうでなければ、フレーズの入りがバラバラになってしまったりするから。
 

「そっか、じゃあちょうどいいな。ついでに譜めくりのタイミングもやらなきゃな」
「そうですね」

 弦楽器奏者は2人で1つの楽譜を使う。

 休みなく弾き続けることがほとんどなので、楽譜をめくってる暇がない。

 なので、偶数順位の奏者が譜をめくって、その隣にいる奇数順位の奏者はその間も弾き続けるんだ。音が途切れないように。

 ちなみに管楽器は吹きっぱなしってことがないので、休みの間にめくれるように、譜面に工夫がされているから、1人1つの楽譜でも大丈夫なんだけど。

 
 こうして僕たちは、少しずつだけど着実に前進して、初練習の時とはまるで別のグループみたいに生まれ変わった。

 6本のチェロが奏でる1つのメロディーは、僕が今まで知らなかった厚みと広がりで僕を包む。

 ひとりじゃないってことが、こんなに楽しいことだとは気がつかなかった。


 …でも、みんなと一緒ならこれでいい。

 僕が今ここで作り上げるべきは、『聖陵学院管弦楽部』の音なんだから。

 けれど、僕がひとりで創り出すべき音色じゃない。
 もっともっと、何かがあるはずなんだけど…。



END

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フィンガリング…演奏時の指使い。弦楽器の場合は左手。
ボウイング…弦楽器の弓(Bow)の動かし方。弓は通常右手で持つ。
文中でのアインザッツの定義はやや曖昧に書いています。
奏者は感覚的に捉えていますので、文章にし難いです。すみません(汗)


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