幕間「君に逢うために」
【2】
「え? なんで和真がここに?」 中1からの気の置けない仲間、管弦楽部の安藤和真の可愛らしい姿がそこにあった。 「はじめまして。安藤和真と言います。中等部からの持ち上がりで管弦楽部でオーボエ吹いてます」 小さくて可愛い顔をしているくせに妙に包容力のある和真は、立ち上がると上背以上の大きさを見せる。 威圧感…とはまた違う、そう、ある意味でオーラの強さ。 しかし今、渉を前にしてそのオーラは少し控えめの光を放つ。 おそらく本人はわかってやっているのだろう。 目の前の可愛い新入りを怯えさせないために。 「あ、あの、はじめまして。桐生渉…です」 案の定、渉は自分たちに挟まれた時よりはリラックスしているように見える…とNKコンビは感じていた。 「僕たち、同室なんだよ。よろしくね。渉くん」 まさかの一言に、大声を上げたのは桂。 「うそ!和真、同室?!」 「へへ、いいだろ〜」 にやりと和真が笑う。 「せんせ〜!なんで和真だけこんな美味しい目にあわせるわけ?!」 直也も抗議の声を上げる。 「まあな、色々と安藤が適任だってことだ。それに関して異論はないだろう?2人とも」 穏やかな声で諭す祐介に、NKコンビは、不承不承ながらも頷いた。 「まあ、和真なら仕方ないかなあって」 「確かに他のやつよりいいかもって気も」 そう、誰よりも信頼のおける安藤和真は、彼らにとって『絶対』なのだ。 「というわけで、渉くんの面倒は僕がちゃんと引き受けるから、直也も桂も早く入寮したら? 中学寮から高校寮まで、結構大変だよ、引越し」 いつもと同じ、人当たりの良い笑顔を向けられて、NKコンビは我に返る。 「げ、そうだった」 「やば、俺、楽譜山積みだし」 慌てふためきつつも、渉にしっかり『またあとでな!』とアピールすることは忘れずに、2人は騒々しく音楽準備室を後にした。 ☆ .。.:*・゜ 「げ〜、マジ疲れたし」 「そりゃ桂ってば、あんなに楽譜おいてあったら大変だって」 入寮して部屋番号を確認し、さて中学寮に保管してもらっていた荷物を高校寮へ移そうとしたものの、桂のそれは、かなり膨大な量で。 しかしそこはそれ、校内きっての人気者なれば、『手伝いましょう』という声はそりゃあもう学年の上下を問わず、数え切れないくらいだ。 そんな数々の申し出に、『悪いなあ』『助かりま〜す』などど愛想良く応え、全てが終わった頃には陽もかなり傾いていた。 「渉と和真、遅いなあ」 「う〜ん。ま、渉の荷物も全部いれてあるし、晩飯にさえ遅れなきゃいいけどさあ」 いつの間にやら校内で『カワイコちゃんがコンビになった!』と噂になっている渉と和真は、すでに同室だと知れていて、その部屋に居座る2人の人気者の姿を遠巻きにするものは後を絶たずと言ったところだ。 「それにしても…」 と、桂がしびれを切らして立ち上がり、窓から寮への坂道を見下ろしてみれば、そこには待ち人の姿があった。 「お、帰ってきたぞ」 「やった」 直也は我先にと部屋を飛び出していく。 ところが。 階段を4階から一気に下りてみれば、そこには苦しそうに咳き込む渉の姿があった。 「渉っ、大丈夫かっ?!」 「おいっ、4階まで運ぶぞ、桂!」 「よっしゃ!」 それは和真が声を掛ける間もない早業で、おかげで渉は階段を上らずして4階へたどり着けてしまったのだった。 そんなNKコンビの後ろ姿に、和真は小さく吹き出す。 確かにあの2人は面倒見が良い。 学年の上下やクラス、部活を問わず、誰にでも。 けれど、あんな執着めいた様子は見せたことがない。 これはなんだか面白いことになってきたような気もするけれど、でも自分の役割はきちっと果たしたいと和真は思う。 最初は『期待に応えたい』という思いだった。 春休み中、顧問の浅井祐介からの電話で、甥っ子の面倒を頼まれた。 少し病弱で、人見知りが強く、引っ込み思案なのだという。 そうそう、かなり軽くなったとは言え、喘息もあると聞いていたので、今し方焦ったばかりだ。 6歳になる頃に家族で渡欧した桐生渉は、ヨーロッパのクラシック音楽界では、すでに名前の知られている存在だと聞いていた。 その桐生家のサラブレッドが聖陵を受けたと聞いて、どんな凄いヤツだろうとワクワクしていた矢先、面倒を頼まれた挙げ句、その人物像がかなり自分の想像と違っていて戸惑った。 もっと自信に満ちた人間だと勝手に思っていたのだ。 どんな傲慢なヤツでも御してみせる自信はあったが、顧問は『素直で優しい子なんだがな』とも言ったから、面倒見ると言うよりは、まずはお友達からはじめましょう…でいいんじゃないかなと、少し肩の力が抜けたのも事実だ。 だが、どちらにせよ、顧問が自分を頼ってくれたことが嬉しくて、一も二もなく引き受けた。 そして数日後、遅れて聖陵から帰省してきた叔父からも、『守の息子の世話頼まれたんだって?』と言われた。 顧問が叔父に報告したのだろう。 叔父は母の弟で、聖陵学院のOBで数学教師だ。しかも副院長。 色々と煩わしいので、誰にも2人の関係は言ってないが。 考えてみれば、『母の弟が教師』というシチュエーションは渉とまったく同じで、もしかしたらその辺りでわかり合えることも無きにしも非ずかと思う。 ただ、こっちの事情を話すかどうかは、現場の状況次第だが。 念のため、当たり障りのない範囲で、桐生渉周辺のOB相関図を叔父にレクチャーしてもらったのだが、これがなかなか登場人物が多すぎて、骨が折れた 『OBが多すぎて、人間関係ややこしいかも』…なんて叔父に言うと、『確かにな…』と若干疲れた様子だった。 叔父はそうでなくても多忙だ。 その上、甥っ子がいると色々と気を遣うところもあるだろうなあ…と、ちょっと気の毒になった。 ☆ .。.:*・゜ 『なんだか、やたらめったら可愛い…』 それが、和真が受けた渉の第一印象。 顔の作りそのものは、OBで世界的フルーティストの奈月葵氏に生き写しなのだが、渉の方が遥かに儚げで。 その時、『期待に応えたい』という動機がコロッとひっくり返った。 『この子と仲良くなりたい』 同時に強く、『守ってやりたい』とも思った。 それは、精神的にも、肉体的にも。 ただ、精神的には自信があるが、肉体的には若干厳しい。 自身、その可愛らしさから何度も校内の猛者どもに狙われたことがあるのだが、その都度に知恵と機転と『弱みを握ること』で乗り切ってきた。 今や『校内きっての切れ者、安藤和真』を襲おうなんて命知らずはひとりも居ないからいいけれど。 だが、危惧していたこの件も乗り切れそうだ。 NKコンビという、またとない手駒が現れた。 彼らがどういう意味で可愛い渉に執着しているのかはわからないけれど、とりあえずこの二大巨頭を使わない手はない。 彼らのどちらかだけでもいい、とにかく張り付いていてくれれば、『そう言う危険』はまず回避できる。 楽しい高校生活になりそうだ…と、和真はひとり、小さく笑った。 ☆ .。.:*・゜ 出会って1日半。 これでもかというくらい纏わり付きまくったおかげで、渉はようやく寛いだ笑顔を見せてくれるようになった。 手回し良く管弦楽部の入部届けも用意したし、とりあえずこれからさらに纏わり付いてやろうと、直也と桂はお互いにはそうと告げず、密かに決めていた。 これと言った理由は今のところ、ない。 ただ、目が離せない。 それは可愛いから…だけでもなく、頼りなさそうだから…だけでもなく、ましてや桐生家の人間だから…というわけでもない。 とにかく渉という人間から目が離せなくなった。 『ずっと一緒にいたい』 その『ずっと』がいつまでのことなのか、わからない。 今日なのか、1年なのか、高校生活中なのか、それとも…。 そう、それはまだ、愛でもなく、恋でもなかったが、2人はどこかで漠然と感じていた。 自分たちは、出会うために生まれてきたのだと。 自覚のない、心の深い底で。 |
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