幕間「君に逢うために」
【1】
「おい、あれ」 「ああ、そうだな」 どれだけ隠れてみたところで、その容貌と長身では目立たないはずもなく、しかもここ聖陵学院では現在のところカリスマ二大巨頭とも呼ばれている通称NKコンビ〜麻生直也と栗山桂は、次々にかかる声にいちいち愛想良く応えつつも、その目は誰かを探していた。 そして、そのターゲットを少し離れた桜の下に発見した時、別の所からまた声がかかる。 「よお、NK、何してんの。こんなとこ突っ立って」 1年上の、管弦楽部のトロンボーン奏者だ。 「ああ、先輩。こんちは」 「ちょっと人待ちなんですよ」 声だけは愛想良く。しかし桜の下から目は離さない。 「え? 誰待ってんの?」 知り合いなら一緒に待とうとでもしたのか、彼はNKコンビと同じ方向を眺める。 「や、実は知り合いが入学してくるもんで」 桂の声色に、若干焦りが混じっても、それは直也にしかわからない。 「『正真正銘』なんですよ。だから、寮まで連れてってやろうと思って」 しかし直也もまた、少しだけ焦る。 ターゲットはロックオンされているのだ。 少しでも早く、側へ行ってみたい。 「あ、新入りかあ」 それなら仕方ないなあとばかりに、『お先に』と言われてホッとする。 「行くぞ、直也」 「OK」 2人は足音を殺し気味に、駆けだした。 「…なるほど…桜色に取り込まれてしまいそうだな、桂」 「…そうだな…吸い込まれていきそうだな、直也」 ターゲットは、はかなげな姿で桜の花を見上げていた。 奈月葵に生き写しの少年。 一目で彼が、桐生渉だとわかった。 が、彼はいきなり両側を挟まれて、怯えきった瞳をおずおずと上げてきた。 「『正真正銘』の新入生だろ? 寮まで連れてってやるよ」 柔らかい笑顔も一撃必殺の笑顔も得意だが、ここはやはり、包み込むような笑顔だろうと、直也と桂はとびきりの笑顔で渉を見下ろす。 その様子を、こっそり遠巻きに見ていた連中が、バタバタと倒れていたのだが。 「ちょ…ちょっと待ってっ、僕は先に行かなくちゃいけないところが…」 荷物を取り上げ、両腕を拘束したとたん、渉は小さくもがいた。 「は?」 「ゆう…あ、浅井先生のところへ行かなくちゃいけないんだ」 おそらく名前で呼びかかったのだろう、慌てて言い直す様子がなんとも可愛らしい。 「浅井先生のところへ?」 「そ…そう、そうなんだ」 「んじゃ、浅井先生のところへ連れてってやるよ」 そりゃ確かにそうかもな…と、NKコンビは勝手に解釈してまた渉を引きずりはじめる。 「君さ、なんて名前? あ、僕は麻生直也。んで、こいつが…」 「俺、栗山桂」 名前は知っているけれど、ここはまずは自己紹介が常識だろうと名乗る2人に、渉はすっかり萎縮したのか、怯えた様子で声もない。 「ビビらなくっていいってば。俺たち君と同じ1年生だからさ。持ち上がり組だけどな」 自分たちの笑顔に警戒心を解かない人間はまずいない…と、自負してきた直也と桂だが、すっかり怯えられてしまって、可愛いような気の毒なような申し訳無いような可哀相な…。 ――や、可愛い。めっちゃ。 なんだか顔がにやけてしまったが、ふと気がつけば反対側を拘束している相方も、同じような面相で、妙に複雑な気持ちになる。 同級生とわかったからなのか、ほんの少し警戒を解いた様子の渉は、どうにかやっと…という様子で顔を上げてきた。 緊張のあまりか、潤んでいる瞳がなんともいえない危ない風情で、思わず直也と桂は息を詰めそうになったのだが、ここで怪しい様子を見せてしまえば元も子もないと、出来るだけ柔らかく微笑んでみる。 おかげでまた少し、渉が力を抜いた。 「えっと、あの…」 「僕が、麻生直也」 「俺が、栗山桂」 もう一度繰り返す2人を、渉は今度は一生懸命見つめてきた。 覚えようとしてくれるのだと思うとなんだかこそばゆいような嬉しさがこみ上げる。 「あのさ、見とれてないで、名前教えてよ」 嬉しさのあまり、つい口が軽くなる。 「あ、僕、桐生渉といいます…」 やっぱり。 「大正解…」 「大当たり…」 絶対の自信はあったが、やはり本人の口からその名を聞くのは格別だ。 だが。 「…なに? なんのこと?」 少し慌てた様子で渉は聞き返してきた。 そんな様子も愛らしくて、2人は知らず、両側からその可愛い顔に接近した。 「浅井先生の甥っ子…だろ?」 「ってさ、その前に、『あの』桐生守さんの長男…だよな?」 鳩が豆鉄砲を食らったような…とはまさにこんな顔だろう。 渉は心底驚いたようだ。 「な、なんで知ってるの?」 「ああ、うちの母親から連絡あったんだ。渉くんが聖陵に受かったそうよ…ってな」 桂の答えに、渉はさらに目を丸くする。 どんな顔しても可愛いんだな…なんて、この場ではどうでもいいことなのに、思考が奪われる。 「あ、なんで…って顔してるな」 あんまり可愛くて、直也がその柔らかい頬をつっつくと、渉の視界の外で、桂が小さくケリを入れてきた。 抜け駆けすんなっ…とでも言いたげな行為だが、表情だけは相変わらず柔和を保って渉に向いている。 「あのさ、栗山由紀って名前に覚えないか?」 桂が反対の頬をつついた。 この2人、中学入学時から、マブ達であり、ライバルなのだ。何事においても。 だから、負けず嫌いはいつものこと。 「え? 由紀おばさまのこと?」 一瞬の後に思い出した渉は、桂を凝視する。 そしてさらに何事かに思いを巡らせている様子で…。 「あ、もしかして君、栗山先生の…」 小さな頭をちょっと傾げて、ほんの少しだけ、笑った。 「なんだ。やっと思い出してくれたのか。そうだよ。ほんのチビのころだけどさ、ウィーンで遊んだことあるじゃないか」 舞い上がった桂が、渉の華奢な背中をバンバン叩く。 その手を直也がはたき落とすのだが、もちろん渉からは見えていない。 「あ、ごめん。全然かっこよくなってるからわかんなかった…」 およそ『お世辞』なんてモノを言いそうにない渉の、これでもかというくらい素直な感想に、桂はさらに舞い上がる。 「そうだろそうだろ」 「桂、ずるい〜」 独り占めすんなよ…と、その眼が言っているのはありありとわかるのだが、そこは敢えて無視を決め込む。 「何がずるいんだよ」 「だって、自分ばっか渉に接近してさー」 「しょうがないじゃん。幼なじみだもんな、渉」 「ええと、うん」 桂に向かって素直に頷く渉に、直也の負けず嫌いがムクムクと顔をだす。 「あのさ、うちの父さんだって、葵さんとは親友同士なんだぞ」 「え? そうなの?」 やった。 驚く渉の表情に、心の中でガッツポーズを決めたのを、おそらく桂は察しているのだろう。 『けっ』っとでも言いたげに、明後日の方を向く。 「そ。今でも葵さんが東京に戻ってるときは、うちの父さんと飯食いに行ってるし」 今やまったく違う世界で生きる2人だが、時間が合えば、必ず旧交を温めている。 「あ、じゃあ麻生くんのお父さんも、ここのOBなんだ」 「直也でいいよ」 釘を刺してから、直也はほんの少し、その端正な顔を曇らせる。 「中学は卒業してるんだけど、高校は途中で変わってるんだ」 中学だけでも立派にOBではあるのだが、中高一貫校故に高校を途中で変わる生徒は滅多にいないため、直也の父は今でも特異な例として、関係者の記憶にとどめられている。 直也はもちろん、その事情をきちんと父から聞いていて、自分からその話に触れることはない。 だが、父親が母校を愛していたことは、よくわかっているつもりだ。 もちろん、管弦楽部のことも。 「あ、でも管弦楽部だったんだぞ」 表情の陰りを見とがめられたような気がして、直也は慌てて明るい声を作った。 桂の表情も、ほんの少しだけ、気遣わしげなものになる。 「葵さんがフルートの首席の時に、うちの父さんもセカンドヴァイオリンの首席だったんだ」 「あ、凄いね」 嫌みでなく、素直に感心されて、直也は妙に照れてしまった。 「まあね」 「あ、じゃあもしかして、ゆう…浅井先生とも知り合い?」 「もちろん。だから、中2で浅井先生が担任だった時さ、個人面談がやりにくいって2人して笑ってた」 まさか、教師と父兄…と言う立場での再会があろうとは、どちらも思っていなかったのだと笑っていたのが面白かったっけ…と、直也は思い出す。 「ずるい、直也ばっかり」 弾みかかった話に桂が割って入る。 陰った表情に少し気を遣ってみたのに、調子に乗ったらすぐこれだ…とばかりの割り込みに、直也も素直に挑発される。 「何言ってんだよ、先にずるかったのは桂だろ?」 「2人、仲良いんだね」 にこっと微笑まれたその可愛らしさに、瞬間釘付けになってしまったお互いを見とがめて、NKコンビは『まあね』…と、そっぽを向いた。 桜並木で渉を拉致し、掛け合い漫才よろしくトークを展開しつつやっとたどり着いた音楽準備室前で、渉はすでに少し疲れた表情ながらも、ドアを見つめてわずかに頬を染めた。 しかし、その頬の赤みは、若干上がった息の所為だろうと直也も桂も気にも留めなかったが。 「せんせ〜!」 ノックもそこそこにドアを開けて、渉を押し込む。 「甥っ子連れてきたよ〜!」 「渉。よく来たな」 全管弦楽部員が尊敬してやまないカリスマ教師――浅井祐介が、にこやかに渉を迎えた。 「なんだ、2人して連れてきてくれたのか」 呼んでいないはずの2人の姿に、少し驚いてみせる。 「へへっ、ちょうど張り込みの罠にかかったんで」 桂の言葉に『相変わらずだな』と小さく苦笑が漏れた。 「ご苦労だったな。ありがとう。もう帰って良いぞ」 「え〜。せっかく連れてきたのに〜」 速攻反応したのは直也。 「そうそう。それに、寮までも案内しなくちゃだし〜」 とりあえず構い倒そうと決めていた桂も抗議の声を上げる。 その時。 「大丈夫。僕がいるから」 中等部の誰もがその一言で納得し、高等部の生徒ですら一目おいていた、説得力のある可愛い声が凜と響いた。 |
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