第1幕「Spring Sonata〜桜の季節」
【4】
入学式、クラス・オリエンテーションが終わり、お昼がすんだら午後は管弦楽部のオリエンテーション。 僕は結局管弦楽部に入ることにして――いれてもらえるのなら、だけど――いつの間にか直也と桂が用意してくれていた入部届けを持って、3人に連れられて音楽ホールに入る。 去年の夏、コンサートを聴きに来たので初めてではないんだけど、ここのホールは本当に良く計算されていて、奏者にとってはものすごくやりやすいホールだと思った。 そういえば、葵ちゃんは『ちょっと甘やかされちゃうけどね』なんて言ってたっけ。 世界中にはいまいちのホールもあるし、そもそも必ずしも音楽専用の場所で演奏出来るとは限らないわけだから、奏者としては、どんな環境でも最善の音を出せるようにしておかなきゃならない。 その点、グランマもパパも葵ちゃんも昇くんも凄いなあって思う。 どんな時でも凄い音出すし。 あ、でも一番凄いのはやっぱり悟くんとグランパかなあ。 オーケストラ全てをその手で操って、最高の音を作る人たちだから。 悟くんは、ここ聖陵学院管弦楽部で唯一生徒指揮者になった人だって聞いた。 その後は誰も選出されず、今に至る…っていうのは昇くんにきいたこと。 そんな悟くんだけど、最初は指揮科じゃなくてピアノ科へ進学したんだ。 でも、2年の終わり頃、悟くんは難しい病気になってしまった。 病気のせいで、身体の自由が利かなくなって、ピアニストの道を諦めざるを得なかった。 でも、良いお医者さんと良く効く薬に出会えたおかげでなんとか通常の生活に戻れるようになって、1年留年して、指揮科3年に編入したってきいた。 まあ、グランパが指揮者だから、悟くんが指揮者になるって言うのは、必然って感じが僕はするんだけど。 葵ちゃんもそう言ってたっけ。 で、その頃生まれたのが僕。 パパはまだ大学生で、9つも年上のママは大手企業の総合職。 バリバリのキャリアウーマンだったらしい。 そう、つまり、できちゃった婚ってわけだ。 でもパパはもう、その頃にはデビューしてた。 『自力で稼いでんだから、誰も文句言わなかったぞ』って笑ってたっけ。 ちなみに2人のキューピッドはゆうちゃんと葵ちゃん…だと誰もが思うところなんだけど、これが全然違ってて、パパとママは全く音楽と関係無いところで出会って――パパのバイト先って聞いた事あるんだけど――話してみればなんと、お互いの弟が親友同士であらびっくり…だったらしい。 初対面の時は、どこかで見た顔だなあ…って、お互いに思ったらしいけど。 あ、ゆうちゃんだ。 ホールに入ってみれば、そこには凄く大人っぽくて格好いい生徒と話す、ゆうちゃんの姿が。 やっぱりかっこいい…。 「来たか、渉」 見惚れていると、視線に気づいたのか、こっちへ来てくれた。 「あ、うん…じゃなくて、はい」 自分で訂正したら、ゆうちゃんが小さく笑った。 「で、オーディションは何で受ける気だ?」 それなんだけど。 「ええと、まだ決めてなくて…」 僕とゆうちゃんの会話を、それとなく取った距離から聞いていたっぽい人たちが、ざわめいた。 『楽器、決まってないって?』 『どういうことだ?』 うん、まあ、普通そういうことってない…よねえ。 ここへはみんな、高い目的と強い意志をもって集まってくるんだから。 『もしかして、何でもできるってことか?』 『え、まさか』 『でも、ありうるんじゃね? なんてったって桐生家の人間だぜ?』 …ああ、また、だ。 演奏するのは『家』じゃないのに。 確かに僕は何でもできる。 でもそれを日本では『器用貧乏』って言うんだって聞いたことがある。 もちろん良い意味じゃあない。 なんでも適当に出来ちゃうけど、大成しないってこと。 僕は、何でも出来るけど、何にも出来ない。 どの楽器で何を弾いても、吹いても、『これじゃない』って思ってしまう。 僕は、どこへ行けばいい? 「じゃあ…」 ゆうちゃんが柔らかく笑って僕を見下ろした。 「任せるか?」 「ゆ…せんせい…に?」 「ああ」 ちょっとホッとした。 ゆうちゃんが決めてくれるなら、それに越したことはないから。 「あ、あの、お任せしま…す」 「わかった。じゃあ、また連絡するよ」 そう言って、綺麗に笑って、客席前方へ行ってしまった。 ☆ .。.:*・゜ 客席は、前方から上級生が埋めているらしい。 僕は和真に連れられて、真ん中辺りへ座る。 僕らの両側にはNKコンビ。 どこからか、『マジ、奈月さんにそっくりだよなあ』なんて声が、聞こえてくる。 うん、僕は大好きな葵ちゃんに似ていて、そこだけは僕のお気に入り。 そうそう、弟の英は悟くんにそっくりで、妹の奏は昇くんの『黒髪黒瞳』版で、僕が言うのもなんだけど、チビのくせに美少女。 精緻なビスクドールみたいなんだけど、それはあくまでも『黙って座ってる時』だけ。 一旦動き出すととんでもないお転婆で、そんなとこも昇くんにそっくりだって、直人先生も言ってる。 そんな僕たちに、パパは、『俺のDNAはどこへ行ったんだ〜!』って嘆いてて、いつもみんなに笑われてる。 ママは、あんまりよく似てるので、母乳を飲ませる時にちょっと妙な気分になったとか言って、またみんなを笑わせるし。 葵ちゃんなんて、『渉は実は、僕の隠し子なんだ』なんて、結構ネタにしてる。世界中で。 だって、葵ちゃんはそもそもお母さん似で、僕は葵ちゃんのお母さんとは血が繋がってないから、なのになんでこんなに似てるんだろう…って話になって、葵ちゃんが『隠し子だ』って言いだしたんだ。 まあ、それくらい似てるから、今さら周りが驚いたってなんとも思わないんだけど。 『やっぱ、凄いんだろうなあ…』なんて声が聞こえてくると、いつも僕はどん底まで落ち込んでしまう。 才能も、中身も、そっくりだったら良かったのに…って。 あ、ゆうちゃんだ。 ゆうちゃんが良く通る声で話を始めた。 新しい仲間と作る、この1年を大切に…って言うのが主な内容で、わかりやすいんだけど心に残る話。 ゆうちゃん、やっぱりかっこいいなあ。 そして、さっきゆうちゃんが話してた大人っぽい人が続けて話を始めた。 そうか、この人が管弦楽部長なんだ。 大学生って言っても通りそうなくらいの雰囲気で、背が高くて顔つきが整ってるから、ちょっと怖いくらい。 まあ、僕が話をすることはないと思うから、いいんだけど。 『3年の打楽器首席で里山先輩だよ』 隣から和真がこっそり教えてくれる。 そして、年間スケジュールが発表になって、新入生紹介…と続いたんだけど。 困った。 だってみんな、自分の名前と一緒に、楽器名も言うんだ。 …どうしよう。 思わず握ってしまった拳を、和真がそっと包んだ。 「大丈夫。決まってないものは決まってないって、正直に言っちゃえ」 そう、耳元で囁く。 顔を見ると、悪戯っぽく笑ってて。 両隣では、直也と桂が『そうそう』って相づち打ってる。 「ほら、渉の番だよ」 促されて、僕はノロノロと立ち上がる。 視界に入ったゆうちゃんは、いつもと同じ、素敵な笑顔。 「え…と」 なんだか喉につっかえた感じがしたけど。 「あの、桐生、渉…です」 静まりかえる周囲に、僕の心臓の音まで聞こえそう…。 「楽器は……」 僕は一度、息をついた。 「楽器は、未定です」 そう言った途端に、辺りが一斉にざわついた。 …ど、どうしよう。 狼狽えた僕の手を引っ張って座らせたのは、やっぱり和真。 「OK、ばっちり」 ばっちりなはずないんだけど、なんだか和真に言われると、大丈夫な気がしてくる。 「静かに!」 管弦楽部長の良く通るバリトンが、辺りを制した。 水を打ったような静けさが戻り、新入生紹介が何事もなかったように、進められていく。 チラッとみたゆうちゃんは、『よくできた』って言ってくれたかのように、誰にも見つからないように、こっそりウィンクしてくれた。 やっぱり管弦楽部に入ることにしてよかった…。 だってこんなに近く、こんなに長く、ゆうちゃんを見ていられるんだもん。 ☆ .。.:*・゜ 「なんかさあ、あの後、各パートの3年生が、浅井先生のとこで直訴の行列作ったらしいぜ」 晩ご飯の時。 お昼と同じく4人で食べてるその時に、思い出したように桂が言いだした。 ゆうちゃんの名前が出るだけで、僕の耳はダンボになってしまう。 「直訴? なんで?」 聞き返すのはもちろん直也。 「みんな、渉が欲しいんだってよ」 え? 僕? 「ああ、楽器決まってないって言ったから」 「なんとか自分のパートに…ってとこだな」 「でもさ、渉の実力が勝ったら、今年首席狙ってる先輩も立場危ういじゃん。なのになんでまた」 訳わからん…と口をとがらせた直也の横で、和真がクスクスと笑いを漏らした。 「見くびってるんじゃない? 渉のこと」 欲しいって言われるのは嬉しいけど、それは僕が『桐生』渉だから。 でも、それは大いなる誤解だって、そのうちみんな、気づくはず。 「ま、でもそれだけじゃないよな、渉人気は」 直也が僕にウィンクして見せた。 やっぱりかっこいいなあ。ゆうちゃんには及ばないけど。 「そうそう、管弦楽部と全然関係無いヤツまで、『あのトップ入学のカワイコちゃんは一体何者だ!』って、早くも話題沸騰らしいし」 も、もしかして僕のこと? 「まったく、相変わらず節操無しのケダモノ天国だねえ、ここは」 呆れたように、でも大したことなさそうに和真が僕を見てにっこり笑う。 け、けだものてんごく…って…。 「ああ、渉は何にも心配しなくていいからね」 「「そうそう」」 和真の言葉に、NKコンビがハモった。 「とりあえずケダモノ担当は直也と桂に任せるから、警護ヨロシク」 「おう!」 「ラジャー!」 なに? 警護って? 「そんなわけで、渉は安心して楽しい高校生活を僕と送ろうね」 にっこり微笑む和真が可愛くて、その言葉が嬉しくて、僕は思わず元気よく頷いてしまった。 |
END |
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