七生くんの『日々是好日』
第7話 「七生、和服美人に遭遇する。」 |
、 裏山の竹林が色とりどりに染まった。 凪に話は聞いてたんだけど、これほどまでとは思ってなくて、マジ、綺麗だなあって見惚れちまったんだ。 そう、もうすぐ七夕だ。 かなり広範囲の竹林に、多くの短冊や飾りがつけられていて、風情満点。 ずーっと前に誰かが始めたことらしいんだけど、いつの間にか広まって、今や生徒会が一枚かんでる学校行事になってるんだそうだ。 だって、生徒会から短冊配られてくるんだもんな。 でもさ、遠目には確かに凄く綺麗なんだけど、近寄ってみたらかなりエグいことになっている。 だって、短冊の願い事ってのがもう、腐っててさ〜。 『栗山先輩ラブ』とか『麻生先輩、抱いて』とか『里山先輩に見つめられたい』…なんて序の口。 『浅井先生のお嫁さんになりたい』とか『森澤先生を思いっきりハグしたい』とか『早坂先生とMake Love』なんて、先生をターゲットにしたヤツが多いのなんの。 極めつけはこれ。 『古田先生に縛られたい』 …や、まあ、嗜好は人それぞれだしな。うん。 でも確かに古田先生ってクールビューティって感じでさ、一見近寄りがたくてコワい感じもするんだけど、担任や授業をもってもらったことのある生徒はみんな言うんだ、『すっげえ良い先生』って。 どう良い先生なのか、俺は接点がないからわかんないんだけど、古田先生はだいたい中3の教科と、高2高3の教科と担任になることが多いらしいから、来年は当たるかもしれない。 どんな先生なのか、楽しみだな。 え?俺が短冊に何書いたかって? 俺は当然『コンバスパートが良い演奏できますように』って書いた。 どう?この健全さ。 見れば、和真も渉もまともなこと書いててホッとした。 でも、和真曰く、渉にはもうひとつ、切実な願いがあるんだそうだ。 何かと聞けば、これ。 『ママのプリンが食べたい』 ぷっ、可愛すぎる。 ま、渉はお母さんがドイツにいて、遠く離れてるからな。 気持ちはわかる。 …って話を渉にしたら、『えーっ、僕、プリン食べたいって書いただけだよ!』って反論して来た。 でも、横から和真が『ママのって、言ったじゃん』ってリークしちゃって、渉に追いかけ回されてた。 こらこら、そんなに走ったら喘息出るわよ〜…って、俺は渉のママかっての。 で。 七夕前後の聖陵学院は、三者面談の季節でもある。 うちはかーちゃんがやってきた。 てっきり親父がくると思ってたのに、何でだろと思ったら、『七生の担任の先生、ハンサムだから』って、身も蓋もねぇ理由だった。 ちなみに、推薦入学者は入学前に親も面談があるんだけと、かーちゃん、浅井先生にもノックアウトされてたっけ。 ま、それはさておき、俺、前期中間試験もなんとか一桁順位をキープしたし、部活も順調で普段の生活も悪さしてねえから、三者面談は和やかに…ってか、ほとんど雑談で終わった。 早坂センセ、話も面白いしな。 で、一応正門までかーちゃんを送って行ったんだけど、その時、一台のタクシーが少し離れたところに止まった。 そして、降りてきたのはなんと、絵か何かから抜け出してしたような、艶やかな和服美人で。 俺もかーちゃんも目を見開いて立ち尽くしちまったんだけど、その和服美人はこっちへ向かってやってきて、俺たちの姿を見つけると、それは優雅な仕草で会釈した。 見惚れるほどの微笑み付きで。 俺とかーちゃんは、まるでロボットみたいなぎこちないお辞儀を返して、校内へ入って行くその後ろ姿を呆然と見送った。 「な、七生っ」 「な、何っ?」 「今の美人、誰っ?」 「し、知らねえよ、そんなのっ」 「保護者かしら?」 「…じゃねえの?」 「あんた、あの人の正体探っておきなさいよ」 「はあ? 何でだよっ?」 訳わかんないし〜。 「だって気になるじゃない? ただでさえこの学校って有名人の父兄が多いじゃないの。あんな美人、絶対ただ者じゃないわよ? しかもこの暑い日に涼しい顔して絽の着物着こなすなんて」 ニタッと笑うかーちゃんは、ほとんど週刊誌のノリだ。 「あのさ〜、ここ、千人以上生徒いるんだぜ? 無茶言うなよ〜」 「でも、あれだけの上玉よ? どっかに糸口あるわよ。しっかりリサーチして報告よろしくね。 あ、夏のコンサート楽しみにしてるから頑張りなさいよ」 最後にやっと親らしいこと言って、かーちゃんは上機嫌で帰って行った。 そんなかーちゃんを見送ったその帰り。 本館の中を通り抜けようとしたところで、チェロの高2の先輩に出くわした。 「あれ? 遠山、何やってんの、こんなところで」 「あ、三者面談だったんです。今、母親見送ってきたところで」 「なんだ、俺と一緒か。俺も今、駐車場で親父見送って来たとこなんだ」 順位落として説教食らってさ〜…なんて、笑いながらボヤく先輩と、雑談で盛り上がりながら寮へ向かおうとしたその時。 廊下の向こうの方から聞き覚えのある声がした。 「でも、由紀ちゃんだって言ってたじゃないか」 楽しそうに笑ってるその声は、俺たちの絶対的カリスマ、浅井先生だ。 「いややわあ、浅井くんまで葵に毒されてるんと違う?」 可愛らしい笑い声は女性のもの。 え?『浅井くん』? 俺と先輩は思わず顔を見合わせた。 見合わせてお互いに言葉を探してるうちに、2人分の笑い声は近づいて来た。 慌てて階段下に隠れる俺と先輩。 「でも相変わらず由紀ちゃんには無茶も言うんじゃない?」 「そらもう言いまくりやけど、うちは浅井くんほど振り回されてへんよ?」 「え、なにそれ、ひど〜い」 俺は目をみはった。 隠れてる俺たちの横を通り過ぎる先生が連れているのはなんとっ、あの和服美人だったんだ! で、先生の、見たことがないほど打ち解けた様子に、俺は『いいもの見ちゃった!』って一瞬思った。 それはきっと先輩も同じだと思う。だって…。 「浅井先生、なんか可愛い〜。惚れ直したかも〜」 ほら、目がハートだし。 や、でもそれどころじゃねえ! 先生と保護者が一緒に校内を歩いてるなんて、別におかしな話じゃないけど、先生は和服美人を確か…そう、『ゆきちゃん』なんて呼んでて、和服美人はあろう事か先生を『浅井くん』なんて呼んでた! 「…な、遠山…」 先輩がポツッと言った。 「はい…」 「もしかして俺たち、とんでもねえもの見ちゃった?」 「…かも、ですね」 「だよな…」 先輩も、目がハートだったわりには2人の会話をちゃっかりチェックしていて、俺が気づいたのと同じ事に気づいていた。 「なんか、超お似合いだったことね?」 「同感です」 「あの美人、誰だろ?」 「…さあ?」 通り過ぎた先生と美人を覗き見るべく、階段の隅っこから顔を覗かせた俺たちは、2人が院長室の方へ向かうのを見た。 「…どうする?遠山」 「どうするもこうするも、これはもう、暫く張り込むしかないっしょ」 「だよな」 で、俺たちは暫く張り込んでたんだけど、なかなか動きがない。 あんまり何にも起こらないから、俺も先輩も喉渇いちゃって、張り込みを諦めた。 だって今日、暑いんだって。 「俺たち、刑事とか探偵とか、向いてないよなあ」 「同感っす」 そう言いつつも、やっぱり気になるよなあ…なんて話ながら、途中で寄り道してお茶飲んだりしてから、だらだらと寮まで帰ってきたところで、かなりの人数の生徒が玄関ロビーでたむろってるのに遭遇した。 管弦楽部員もいるし、知らない顔もいる。 そこでみんなが話題にしてたのは、なんとあの、和服美人のことだった! そう、『すんげー和服美人が来てる』ってのは、俺たちだけじゃなく、複数の生徒が目撃してて、すでに噂が飛び交い始めてたんだ。 「な、お前ら、本館の方ですげー和服美人見なかった?」 聞かれた先輩は当然興奮しながら語った。 そう、俺たちがさっき見てしまったことを…。 和服美人ってだけでも話題性十分なのに、それが浅井先生と『ちゃん』とか『くん』で呼び合ってるなんてもう、憶測するなってのが無理な話だよな。 当然現場は騒然となって、誰かが『おい、本館のあたりで張り込みしねえ?』なんて言い出したんだけど、この人数で張り込みしたら、超目立つんだけど…。 でも、俺と先輩は諦めちゃったけど、もしかしたらあれから何か動きがあったかも…と、俺も好奇心が押さえきれずに集団の後について行く。 で、本館の出入り口(本館には3つの出入り口があって、寮へ行くのに便利な方)に張り付いて中をのぞき込んだところで、院長室の方向から人影が現れた。 でもターゲットの和服美人じゃない。だって、背が高い。 やって来たのは俺たちのコンサートマスター、栗山桂だった。 「…何やってるんすか?」 物陰に潜む――本人たちは潜んでるつもりなんだ。はみ出してるけどさ――集団に、桂が目を丸くして尋ねてきた。 「おいっ、栗山っ」 「はい?」 「お前、そっちの方ですんげえ和服美人見かけなかったか?!」 尋ねたのは高等部生徒会副会長。 …いつの間にこんなエライ人まで混じってたんだ? 「和服美人? もしかして、白地に笹の葉柄の着物のですか?」 「そう、それだ!」 すげー、先輩ってば、美人の着物の柄まで覚えてんだ。 俺、全然目に入ってなかったけど。 「見ました…ってか、さっきまで一緒にいましたけど?」 えええっ、一緒にいたっ!? 辺りが一斉にざわめいた。 「知り合いなのかっ?」 聞いたのは、チェロの坂上先輩。 この人、絶対いるんだよな、こういう場には。 合奏中は大人しいのにさ。 「俺のかーちゃんですけど?」 …あ? 桂のかーちゃん? かーちゃんって何? 俺のかーちゃんは俺の母親のことだけど。 桂のかーちゃんって…。 「えーっ!」 「うそっ!」 「マジでっ!?」 なんと、あの和服美人は桂のお母さんだったんだ! その後、根掘り葉掘り聞いたところによると、10代の頃は京都の舞妓さんだったらしい。 しかも、『ばーちゃんは今でも現役の芸妓だぞ』だって。 「栗山、お前って意外な芸歴だったんだな」 「あのですね、先輩、俺の芸歴じゃないですから」 そりゃそうだ。 で、一連の騒動の経過としてはこんな感じだ。 つまり、桂のお母さんがやって来て、まず院長室へ向かった。 桂のお父さんと院長先生は音楽院の先輩後輩で、ハタチの頃からのつき合いなんだそうだ。 で、お母さんは挨拶に向かったと。 俺と先輩が目撃したのは、浅井先生と桂のお母さんが連れ立って院長室へ向かう途中だったってことらしい。 で、俺と先輩が張り込みを諦めた直後に、面談室へ移動して三者面談があって、その後また院長室へ移動して、桂だけが院長室から戻ってきた所を俺たちが捕まえたらしい。 ま、そんなわけで、大方の謎は解けたわけだけど。 でも、なんか忘れてる気がする…。 ☆★☆ 俺たちは晩飯のあと、4階の談話室でまだ盛り上がってた。 「センセと桂のお母さん、同い年だってよ」 「浅井先生も桂の親父さんの弟子だろ? だったら…」 「ってさー、恩師の奥さんのこと、ちゃん付けで呼ぶか? フツー」 それだ。 浅井先生は桂のお母さんを『ゆきちゃん』って呼んでた。 旦那の弟子を『浅井くん』って呼ぶのはわかるけど。 しかもめっちゃ親密そうだったんだ。 あれ、なんでだろ? 「ちょっと背徳の香りがしねえ?」 誰かが言った。 「え、何々? 不倫って?」 …なんなの、その飛躍っぷりは。 「恩師の奥さんと弟子の道ならぬ関係ってか?」 …キミたち、なんか妖しい読み物の読み過ぎじゃね? 「だから、浅井先生独身…とか?」 …え? えええっ?! こんな所に浅井先生独身の謎がっ?! 「もしかして、桂って、浅井先生の子だったりして…」 ………。 辺りが異様に静かになった。 「あれ? どした? なんでお通夜みたいに静かなんだ?」 そこへ通りかかったのは、運命の悪戯なのか、なんなのか。 そう、時の人、栗山桂だ! 「あ、あのさっ、お前のお母さんと浅井先生の関係だけどさっ」 あらら、ヴィオラのお調子者が直球で聞いちまったよ。 「あ? うちの母親と浅井先生、10代からの友達だけど、それがどうかした?」 へっ?なにそれ。 聞けば、今日、浅井先生が院長室へ行こうとしていたのは偶然でも何でもなくて、桂のお母さんに会うためだったってことだ。 なんでも、先生の親友…フルーティストの奈月葵さんが桂のお母さんとは幼なじみで、その縁で先生も高校時代から仲良くしていたからなのだそう。 俺たちが見たのは、久しぶりの再会でめっちゃ盛り上がってた現場らしい。 桂の種明かしで、みんなちょっと…いや、かなりがっかり。 「ってか、お前ら何期待してたんだよ」 いつの間にか直也も現れて、あきれた顔で参加してる。 だよなあ。そんな美味しい話(?)、そうそう転がってないよなあ。 「や、だってさあ…」 ☆★☆ 「えっ? 俺が浅井先生の隠し子〜?!」 披露された、たくましい妄想に、桂は『アホくさ過ぎて返す言葉がない』って。 そりゃまあ、そうかもだけど。 ま、無邪気なネタってヤツだ、うん。 で、後日の低弦練習でのこと。 「そう言えば、渉って三者面談に誰が来たの?」 話のついでに凪が聞いた。 「あ、パパが来た」 「そっか、お父さ……」 「ええっ?」 「まじでっ?」 一斉に驚く周囲に渉はきょとんと立ち尽くしてる。 俺も驚いた。 「パパって、まさか桐生守さんっ?」 「うん、そうだけど」 渉の必殺(本人無自覚だけど)小首傾げが繰り出された。 「え〜!言ってくれよ〜、俺、一目見たかったのに〜!」 「俺も〜!」 「僕も〜!」 辺りは同様のうめき声で埋め尽くされた。 いや、マジで俺も生の桐生守にお目にかかりたかったよなあ。 だって超絶イケメンの人気絶頂チェリストだぜ? 「…でも、面談の時間、合奏中だったよ?」 あ?そりゃそうだけどさ〜。 「や、でも渉と並んだとこ見てみたいんだよなあ」 「イケメンとカワイコちゃんの親子って、なんか妄想しちゃうじゃん?」 「あ、それわかる〜。禁断の親子愛とか?」 「美しいって罪だよな〜」 …始まったぜ。聖陵名物(って俺が勝手に名付けたんだけど)『妄想タイム』だ。 こうなったらもう、誰にも止められない。 飽きるまで、延々と妄想が続くわけだ。 最後の方なんて、登場人物がすり替わってたりするし。 「…みんな、何言ってんの?」 渉が俺にコソッと聞いてきた。 「や、気にするな。渉は渉らしく、毒されることなく清らかに生きろ」 「…七生もわけわかんないし」 やっぱり小首を傾げる渉は可愛かった。 あ、俺は転ばないし、妄想もしねえけどなっ。 |
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