第4幕 「星月夜」
【2】
7月6日。 僕と英の三者面談にパパが来てくれた。 僕の担任の古田先生は、パパたちが卒業するときの生徒会長だった…って、初めて聞いた。 でも、同じクラスだったことのあるゆうちゃんや葵ちゃんとちがって、学年も違うパパはほとんど接点がなかったから、去年の森澤先生と違ってやりやすいって。 英の担任の早坂先生は、やっぱりゆうちゃんと葵ちゃんとは仲良しなんだけど、パパは学年も部活も違うはずたから…と思ったら、結構話したことがあったらしい。 森澤先生繋がりらしいんだけど、パパにとっての早坂先生は、イジり甲斐のある後輩なんだとか。 英は、「父さんにイジられるなんて、かわいそうに…」なんて、先生に同情してたけど。 ちなみに早坂先生と英は、なぜかやたらと仲がいい。 先生曰わく、『妙にウマが合う』らしい。 ま、どっちも『直球勝負!』みたいなタイプだし。 とりあえず、僕も英も成績はキープしてるし、他にも何にも問題ないから、7月の面談は、パパにとっては息抜きの母校訪問って感じらしい。 ただ、夕方にはもう、飛行機で福岡まで行くみたいなんだけど。 そんなパパを、僕と英で来客用駐車場まで送って行った時に、門から黒い車が滑り込んで来た。 パパの車からは少し離れたところに止まった車の、後部座席のドアが開いて降りてきたのは…。 「あ、直也のお父さんだ」 「えっ? 麻生先輩の? 」 英が僕の顔を見る。 「うん」 人の顔を覚えるのは大の苦手な僕だけど、直也のお父さんは、一度しか会ってないのに何故かしっかり覚えてる。 その後、TVで何度か見たせいかも知れないけど。 運転席の人に二言三言声をかけて、ドアを閉めた直也のお父さんが、顔を上げた。 エンジンを止めた車から、運転してる人が降りてくる気配はなくて、そのまま待ってるつもりなのがわかった。 「あ…」 直也のお父さんは少し驚いて、それから綺麗な笑顔になって、足早に僕たちの所へ来てくれた。 「また、会えたな」 去年と同じように、柔らかなパパの声。 生まれたての奏に子守歌を歌っていた時のパパみたいな。 「はい。去年と日にちが違うので、今年はお目にかかれないかなと思ってたんですが…。お会いできて嬉しいです」 そう言う直也のお父さんを見つめるパパは、目を優しげに細めていて、やっぱり奏を抱いてあやしていた時みたいな。 そして、やっぱり去年みたいにほんの少し、無言で見つめ合ってて…。 直也のお父さんは、ふと、僕に視線を移してにっこり笑った。 「渉くん、直也がいつもお世話になってありがとう。直也は会う度に渉くんの話ばかりしているよ」 わ、そんな風に言われると、なんか、ええと…。 「あ、いえ、こちらこそ、直也くんには迷惑ばっかりかけてます」 って、なんでパパも英も吹き出すんだよ。 ほら、直也のお父さんまで笑ってるじゃない。も〜。 「もしかして、英くん、ですよね」 僕は見下ろされてるけど、英は見上げられてる。ちょっと悔しい。 「はい。桐生英です。はじめまして。いつも麻生先輩にはお世話になっています」 「麻生直也の父です。はじめまして。うちのは柄は大きいけれど、中身はまだまだ子供だから、ちゃんと後輩の面倒が見られているのか心配なんだけれど」 「いえ、いつもご指導いただいて、可愛がっていただいています」 …英、全身猫かぶってるよ…。 ほら、パパだって笑い堪えてるし。 大人向けの顔をきっちり作った英と、そして隣にいる僕を交互に見て、直也のお父さんはなんだかちょっと、遠くを眩しそうに見てるような目になって。 「なんか…言葉をなくすほど、悟先輩と葵…ですね」 あの頃に還ったみたいだ…と小さく呟いて、ふわっと笑った。 去年初めてあってから1年。 その間に、TVのニュースで何度か見かけた直也のお父さんは、いつも厳しい顔で、笑っているところを見たことは一度もない。 でも、こんな風に笑った顔は、なんだかちょっと幼くて、同じ人とは思えないくらい可愛らしい。 同級生のお父さんに、可愛らしい…は失礼かも、だけど。 パパも、そんな直也のお父さんを、柔らかく見ているだけで…。 少し離れたところで、車のドアの音がした。運転席の人が降りてきたんだ。 「先生〜、遅れますよ〜」 「あ、ああ、ごめん」 先生? ああ、日本の国会議員は先生って呼ばれてるんだっけ。変なの。 「会えて嬉しかったよ」 「僕も、です」 「またな」 「はい、また…」 パパと直也のお父さんは、ほんの少し、まるでお互いの姿を目に焼き付けるかのようにジッと見つめ合って、視線を外した。 「渉くん、英くん、これからも直也のこと、よろしくね」 2人揃って「はい」と返事したのを嬉しそうに笑って頷いてくれて、直也のお父さんは校舎へと向かっていった。 そしてパパはやっぱり、その背中をジッと見送っていた。 「あの、せっかくお話の所をすみませんでした」 おずおずと声を掛けてきて丁寧に頭を下げる人は、まだ20代くらいの若さで割と男前な人。 「いえ、こちらこそお引き留めしまして」 パパも頭を下げる。 「私…」 言いながら、ごそごそとスーツの内ポケットを探って、名刺が出てきた。 「麻生隆也の秘書を務めております、中辻と申します」 「それは、ご丁寧にどうも」 「あのっ、もしかしなくても、チェリストの桐生守さんでいらっしゃいますよねっ」 ちょっと興奮した感じで、目はキラキラ。 パパはカッコいいからいつもこんな感じで見られてる。だからこんなのは慣れっこで。 「はい。麻生くんとはここで一緒だったもので…」 「存じております! 先生からお話を伺って、CDを聞かせていただいて、私もすっかりハマってしまって」 「それは、ありがとうございます」 パパの完璧な営業スマイルはいつ見てもちょっと可笑しい。 家ではお茶目なパパだから。 「すみませんが、ちょっと…ちょっとだけ待っていただけませんか?」 ちょっとちょっと…って、手で何かを押さえるような仕草をしながら2,3歩後ずさりしてから、秘書さんは車まで走っていって、何かを持ってあっという間に戻ってきた。 あれ、これはパパの新譜。 今いるオケと、チャイコフスキーの『ロココ・ヴァリエーション』を録音したやつだ。 「不躾なお願いで申し訳無いのですが、あの、サインいただけませんでしょうかっ」 あんまり必死な様子で、なんか可愛い。 ドイツでは、ちょっと出かけた先でもこういう事は多くて、全然珍しくはないんだけど、もっとみんなフランクに声を掛けてくる。 通りすがりの初対面でもまるで旧知の仲のように、『この前の録音は最高だったね』とか『次のステージも楽しみにしているよ』なんて。 それでついでにサインもらってく…みたいな感じ。 「もちろんです。こちらこそ、聴いていただけて光栄です」 さらさらと、慣れた手つきでサインするパパは、口元が綻んでる。 「移動する時は、必ず聞かせていただいてるんです」 「そう言っていただけると、弾いた甲斐があります。もしご迷惑でなければ次の新譜、送らせていただきましょうか?」 「えっ、そ、それは…そんなご迷惑をおかけしては…」 っていいつつ、めっちゃくちゃ嬉しそうなんだけど、秘書さん。 「こちらのご住所は…」 パパが受け取った名刺を見る。 「はい、それは事務所なんですが」 「事務所に送らせていただいて差し支えありませんか?」 「ほんとによろしいんですか?! わあ、どうしよう〜。ありがとうございます。もうめちゃくちゃ嬉しいです!」 って、ほんとにこの人、国会議員の秘書さん? なんか、ただの可愛いおにーさんに成り果ててるんだけど。 それからほんのちょっと、新譜の話をしてたんだけど、英がパパに、飛行機の時間大丈夫なのか?って聞いたところで終わりになった。 「あっと、そうだったな。じゃあな、渉、英、イイコにしてろよ」 「誰に言ってんの。こんな品行方正成績優秀なオコサマつかまえて」 …ほんと、英ってなんでこんなにすぐ言葉が色々出てくるんだろ。 でも、たしかに品行方正だと思うよ。 去年、森澤先生言ってたもん。『渉はお父さんと違ってやんちゃしないから助かるよ』って。 パパ、同室だったとき、絶対森澤先生に迷惑かけてたに決まってるんだ。 秘書さんに、失礼しますと会釈して、パパの車は静かに門を出て行った。 「ほんと、引き留めてごめんね」 見送った秘書さんが、僕たちにも言ってくれる。 「いえ、とんでもありません」 はあ…英がいてくれてほんとによかった…。 僕ひとりだったら、絶対まともな会話になってないと思うし。 「えっと、君が渉くん?」 え? 僕? 「はい、僕、です」 秘書さんは、『やっぱりね』と笑った。 「直也くんがね、会うと渉くんの話ばっかりしてるんだよ。もう、そりゃ嬉しそうに」 ええっと…。こういう場合はどうリアクションすれば…。 っていうか、直也ってば、あっちこっちで誤解を招くようなことしたら…って、誤解じゃないんだけど、誤解されても困るし…って、ああもうっ、よくわかんないっ。 「あのっ、1年の時クラスが一緒で、それで、ええと、部活が一緒で、それで、仲良くしてもらってて…」 ありきたりだけどホントのことを、なんとか並べ立ててみたんだけど、聞いてるのか聞いてないのか、秘書さんはニコニコ顔のままで、頷いて。 「うん。もう可愛くて可愛くて仕方がないって。ちっさくて可愛いのに、とんでもなく大物でって、まるで恋人の話してるみたいでね」 な〜お〜や〜。何言ってんだよ、もう〜。 「でも、実際に渉くんに会って、直也くんの気持ちわかったよ。ほんと、可愛いねえ」 17歳に可愛いの連呼…はさすがにちょっとキビシくないですか…。 「じゃあ、お兄さんは3年生?」 秘書さんが、英を見上げた。 「いえ、僕は弟です」 「…ええっ、弟さんなのっ?」 …ま、いいけど。そのリアクションも大概慣れてるから…。 「大人っぽいからお兄さんかと思ったよ、ごめんごめん」 まだ15歳のオコサマですけどね。…なんて絶対言えないけど。 「あ」 英が腕時計を見た。 「そろそろ合奏戻らないとヤバイな」 「あ、ほんとだ」 三者面談の時には抜けていいんだけど、あんまり長いと怪しまれる。 担任に絞られてるんじゃないかって。 「わああ、またしても引き留めちゃったね。ごめんね、2人とも」 「いいえ、お話出来て楽しかったです」 「直也くんのこと、これからもヨロシクね」 「はい」 って、やっぱり大人とキャッチボールで話ができるのは英だけ…なんだけど。 僕はぺこっとお辞儀するのが精一杯。 ここへ来て、人見知りもちょっとくらい直ったと思ったんだけど、まだまだだなあ…。もうちょっとしっかりしなきゃ。 「失礼します」 「さよなら」 手を振って見送ってくれる…えっと…名前忘れちゃった。 「なんか、面白い人だったな」 「うん。大人なのに可愛かったね」 「渉に言われちゃおしまいだよな」 「なんだよ、それ」 急ぎ足でホールへ向かってるんだけど、歩幅が違ってちょっと大変…と、思ったら、英はすぐに僕に合わせてくれる。 こんなところはチビの頃から変わってない。 いつも僕優先。 でも、そろそろ英も自分のことを優先してもいいんじゃないかなあ…。 「なあ、麻生先輩のお父さんって、去年も会ったのか?」 ふいに話が変わった。 「うん。去年の三者面談の日にね」 「…確か、葵と祐介の学年だったよな」 「直也のお父さん?」 「ああ」 「うん、そう聞いてるけど」 どうしてわざわざそんなことを…って思ったら。 「ってことは、父さんの後輩だよな…」 もしかして、先輩後輩にしては親密だとか、思ってるのかな、英は。 「あ、そういえば…」 「なんだよ」 「去年、グランマに聞いたんだ。直也のお父さん、高2くらいの夏休みに、家に泊まりに来たことあるって」 グランマが凄く懐かしそうに話してて、なんだか印象に残ってるんだ。 「そりゃ、葵がいたら…」 「ううん。そうじゃなくて、葵ちゃんと悟くんは京都に行ってて、昇くんは直人先生のとこに行ってて、パパだけが家にいる時だったって、聞いた」 僕もなんとなく不思議に思ったんだ。 「…それ、ほんとか?」 「うん、2人で浴衣着て縁日に遊びに行ったって」 「ふうん…」 それっきり、音楽ホールに着くまで英は黙ったままだった。 けれど、僕も英に「どうしたの」とか「何考えてんの」とか、聞かなかった。 英が何かを一生懸命考えてるのを見て、なんだか邪魔しちゃいけないような気がして。 多分、僕が漠然と感じている『不思議』を、英は突き詰めてるんだと思う。 突き詰めていいのか悪いのかは別にして。 |
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