第3幕 「風薫る」
【1】
僕は夢を見ていた。 夢の中でも僕はさらに深い眠りの中にいて、優しく名前を呼ばれて目を開ければ、そこには直也と桂の優しい笑顔。 ずっと見てなくて、ずっと追いかけていた、僕の大好きな笑顔。 『直也…桂…』 小さく呼ぶと、嬉しそうに笑ってくれる。 どうしても2人に言えなかった大切なことも夢の中でなら言える。 僕は、思いの丈を込めて言う。 『大好き…ずっと…』 両側の頬に触れる温もりに、僕は幸せに包まれて目を閉じる。 このまま二度と目が覚めなければいいと願いながら。 でも。 ずっと眠ったままでいたかったのに、僕はやっぱり目を覚ましてしまった。 確か、朝礼のすぐ後に、古田先生が声を掛けてくれて、立ち上がろうとして、できなくて…。 耳のすぐ側で先生の声がぼんやり聞こえていたから、多分先生が連れてきてくれたんだ…。 でも、今、何時だろう…。 静養室の中では時間がわからない。 左腕を上げて、時計を見ようと思ったら、肘の内側に小さなガーゼ。 点滴の跡…だ。 またやっちゃった…。僕ってなんでこんなんだろう。 自己管理もできなくて、すぐヘタレて…。 きっとまた、みんなに心配かけてる。 英に『ちゃんと食べろ』って注意されてたのに。 和真も心配そうで。 昨夜の指揮法のレッスンの時には、ゆうちゃんも『顔色悪いな』って。『我慢するんじゃないぞ』って言ってくれてたのに…。 なのに、僕はあんな夢まで見てしまった。 ほんと、なんでこんなにダメなんだろう。 もう、このままここで消えてなくなりたい…。 ぎゅっと掛布団を握り締めた時、スライドドアが音もなく開いた。 「起きたか。気分はどうだ?」 …ゆうちゃん。 「…ごめんなさい…」 「ん? 何がだ?」 「心配、かけて…」 ゆうちゃんは、僕の頭をくちゃっとかき混ぜて、笑った。 「渉は気にしすぎだな」 そんなこと、ないよ…。 「ゆうちゃん…僕…」 それっきり言葉が継げない僕。 「どうした?」 髪を梳いてくれる優しい手。 その暖かさに危うく、『ドイツに帰りたい』って言いそうになった。 でも、それだけは言っちゃダメなんだ。 ここで逃げ出したら、僕は本当に終わりになる。 ひとりで勝手に終わるならいいけれど、大勢の人に迷惑と心配をかけて、むちゃくちゃにしてしまう。 でも、どうやったらこの苦しさから抜けられるのかも、見当がつかない。 「…辛かったな、渉」 え…? 「あと少しの辛抱らしいから、な」 なんのこと? そういえば、英も和真も、なんだかそんなこと言ってた気がするんだけど。 ゆうちゃんが静かに話しはじめた。 「なあ、渉。僕も含めてみんな、渉のことが大好きだ。どうしてだかわかるか?」 僕は慌てて首を振る。 僕はみんなを大好きだけど、僕なんか、こんなに勝手で、ダメダメで…。 「お前は素直で優しい。それがどんなに大切なことなのか、お前自身が気づいてないだけなんだ。大人になるにつれて、素直で優しいばかりではいられなくなってくるかも知れないけれど、でも、できる限り、渉は渉らしく、今のまま、素直で優しくあって欲しいんだ。それが、みんなの慰めになるんだから」 「…ゆうちゃん…」 「それと、もし恋をする日が来たら」 思いもしなかった言葉に、僕は思わず目を見開く。 「相手の言葉を、深く心に留めて信じること。迷ったら、必ず言葉に出して、確かめること」 ……ゆうちゃん…。 「心から出た言葉は、必ず通じるから 諦めずに伝える努力をすること」 ………ゆう……。 もう、涙が溢れてゆうちゃんの顔が見えなくなってきた。 「わかった?」 「うん」 僕は、何にもしてこなかった。 信じることも、確かめることも、伝える努力をすることも。 「僕、迷ってばっかりだった。自分のことも、そうでないことも…」 ゆうちゃんが僕の涙を拭ってくれながら、小さく笑う。 「僕だって、渉の歳の頃には散々悩んだり迷ったりしたよ」 「ゆうちゃん…が?」 なんだか信じられないけど。 「そりゃそうさ。もう二度と恋なんて出来ないって思うくらいの失恋をしたのは高1の時だったし」 「う、そ…」 「嘘じゃないって」 「ゆうちゃんを振る人なんて、いるのっ?」 驚きのあまり声が裏返っちゃった僕に、ゆうちゃんは本格的に笑い出した。 「いたんだよ、それが」 「…信じられない…」 「だろ?」 じゃあ…。 「ゆうちゃん、あーちゃんのことは?」 あーちゃんは、その失恋のあと…ってこと? 「ああ、だから、あきのことは随分遠回りになったよ。僕は、ちょっと臆病にもなってたからな。けれど、あきが辛抱強くいてくれたことと、僕を振ったヤツが一肌脱いでくれたおかげでなんとかなったな」 「…そうだったんだ」 …え? 確か葵ちゃんが言ってたっけ。 ゆうちゃんとあーちゃんがこうなったのは僕のおかげなんだよ…って。 もしかして、ゆうちゃんを振ったの、葵ちゃん?! 僕が今自分が置かれている状況も忘れてぐるぐるしてたら、ゆうちゃんが僕の顔を覗き込んできた。 「元気、でたか?」 「うん」 ゆうちゃんは、自分のことを話して、僕を元気づけてくれたんだ…。 「ありがとう、ゆうちゃん」 「どういたしまして」 そしてまた、優しく僕の髪を梳いてくれる。 「消灯点呼が終わったら、帰ろうな」 「うん」 僕はきっと、がんばれると思う。 直也も桂も、大好きで大好きで、どうしようもないけれど、でもちゃんと友達に戻れるように努力しようと思う。 多分、まだまだ辛いし、もしかしたらやっぱりずっと辛いままかも知れないけれど、だからといって、僕がこのままウジウジして体調崩したりしてたら、2人の負担になる。 せっかく一度は好きになってもらえたんだから、せめて『やっぱりやめといたら良かった』って思われないようにしたい。 それに僕は、僕が大好きな2人が、幸せになれるように願わなきゃいけないんだ。 それができればきっと、僕は2人をずっと想いながらも、笑顔でいられるようになるはずだから。 頑張ろう。 ☆★☆ 消灯点呼が終わる頃、僕はゆうちゃんに連れられて部屋に戻った。 かなり元気になってる僕を見て、和真がゆうちゃんに、『先生、流石ですね』なんて言ってたけど。 和真と2人になって、僕はまたちょっと涙が出た。 「わああ、渉、どうしたの」 慌てる和真に、僕は抱きついた。 「和真、ありがとう。心配かけてゴメン」 「ふふっ。その言葉はもう少し後で、改めてもらうよ」 「え? どういうこと?」 身体を離した僕に、和真がニッコリ笑う。花が綻んだみたいに。 「時間も遅いんだけどさ、どうしても渉と話がしたいってヤツらがいるから、話を聞いてやって?」 それってもしかして…。 「で、信じてやって?」 「和真…」 和真が言わんとしていることはわからないんだけど、和真が言うのなら…。 「うん。わかった」 やっぱり僕と直也と桂のこと、心配してくれてたんだ。 きっと、ずっと。 「OK。じゃ、連れてくるね」 和真が部屋を出て行った。 僕は、僕のベッドに腰掛けて、大きくひとつ、深呼吸をする。 今度こそ、泣かない。 ちゃんと話を聞いて、ちゃんと話をして、笑えるように。 「渉!」 「大丈夫なのか?」 静かにドアが開いて、2人は入ってくるなりそう言った。 ああ、直也も桂もやっぱり心配してくれてたんだ。 「うん。ごめんね。色々と心配かけて」 でも、もうきっと大丈夫。 「いや、謝らなきゃいけないのは俺たちの方だ」 「そう、渉をこんなに追い詰めてしまって…」 2人とも、やっぱり優しい…。 「ううん、僕の方こそ勝手に落ち込んでごめん。2人は何にも悪くないのに」 直也と桂が顔を見合わせた。 そしてまた、僕を見つめて…。 「渉、ちょっとこっちおいで」 直也が僕の手を取った。 そして僕は、僕のベッドに2人に挟まれて腰掛ける。 …えっと、どこに目をやっていいのかわかんないほど、両側からひっつかれてるんだけど…。 「昨日、英と話をしたんだ」 桂が僕の右手を取った。 思わず手を引きそうになったんだけど、ギュッと握られて…。 「英に今までのこと全部話して、その上で、頼んだ」 直也が僕の左手を取った。 どっちの手も握られて、僕はそれだけで身動きができなくなる。 でも、どうして、英? 何を頼んだの? 「渉を俺たちに預けて欲しいって」 「大事に大事にするからって」 …ええと。 「俺は渉が好きだ。渉は?」 そ、そんな…。 「僕も、渉が好きだ。だから正直に答えて。渉の本当の、気持ちを」 「で、でも…」 どうして? 2人はもう知ってるはず。僕が2人ともを好きになってしまって、だから『Yes』って言えなかったことを。 なのになんで、今頃…。 「俺たちが聞きたいのは、『Yes』か『No』かじゃなくて、好きか、嫌いか。それを渉の言葉で聞きたいんだ」 「僕の、言葉…」 「そう。言葉ではっきり聞かない限り、僕たちはどこへも行けない。ここに留まったままになる」 言葉にだして…伝える努力……。 ゆうちゃんが言ってた、僕に足らない部分……。 直也も桂も、これで三度目だ。 僕に好きだと真正面から言ってくれたのは。 なのに僕は一度も本当の言葉を返してない。 それは僕が、卑怯だったから。 このままじゃ、ダメなんだ。 「僕…」 声が、出ない…。喉が詰まったような感じがする。 でも、頑張らなくちゃ…。 「僕は、…直也が好き。桂が好き」 僕の手を握る力が強くなる。 「ずっと一緒にいたいくらい…大好き」 言葉にしてしまうと、恥ずかしくて、甘い。 でも、急に胸が軽くなった。 「大好き……」 でもやっぱり恥ずかしのと、申し訳無いのとで、僕は目を閉じてしまう。 固く。 「渉…ありがとう」 「最高に、嬉しい」 耳に届いたのは、直也と桂の感極まったような呟き。 良かった…僕の気持ちは伝わったんだ…。 これでもう、思い残すことは…って、な、なに? なんだか暖かいと思ったら、2人に取られていた僕の手の甲に、2人が唇をつけていた。 「わあっ」 一気に心臓が爆発したみたいに大きな音を立てる。 慌てて手を引いたけど、やっぱり離してもらえなくて。 「じゃあ、渉の本当の気持ちが聞けたところで…」 「次、行こうか、桂」 「了解、直也」 |
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