第8幕「Storm at early spring 〜春待ちの季節」
【6】
練習室8で直也が、第1合奏室で桂が待っているからと、和真に連れられて音楽ホールまで行った。 どうして今さら僕に…。 そう思ったんだけど、きっと、和真から僕の本心が伝わってしまったんじゃないかって思うと、なんだか合点がいった。 もしかしたら、なじられるかもしれない、怒られるかもしれない。 でも、それでいいと思った。 だって、僕はちゃんと、2人に『No』って伝えたんだから。 これで2人が完全に僕とは縁を切るのなら、僕はそれを受け入れる。 ただそれだけ。 でも話の内容は全然違ってた。 直也も桂も、僕のことが好きだという。今でも、だと。 なにがなんだか、もうわからなかった。 けれど、これははっきりしている。 ここまでだ…ってこと。 直也と僕、桂と僕、どちらも相思相愛で、でもこの先、想いがそこに留まるだけで育ちはしない。 育たない気持ちなんて、水をもらえない花と同じじゃないのかな。 …ほら、なんて言ったっけ…。 そう、生殺し…だ。 それならいっそ、枯れてしまいたい…。 枯れて、土に戻ってしまった方が……。 …ああ、そうか。 直也と桂は僕の本当の気持ちを知って、それでも怒ってないって伝えてくれたのかもしれない。 それならわかる。それならこのまま静かに枯れて行くのがいいんだ。 僕が摘み取って今すぐ捨ててしまおうとした花を、直也と桂は枯れるまではそっと置いておいてあげる…って言ってくれたんだ。 でも、桂が言った、『時間』って何だろう。 僕の花が枯れるには、きっとかなりの時間がかかりそうな気がする。 聖陵にいる間、萎れていく花をずっと抱えているのはきっと辛いだろう。 いっそのこと、ドイツに帰ろうかなと思った。 でもきっと、パパとママが心配する。 じゃあ、3週間も春休みはあるから、1週間でもいいから日本を離れて…と思ったんだけど、でも春休みでエアチケット高いからなあ…とか、ぼんやり考えていた時に、電話がかかってきた。 「あら、すぐるん。ええ、帰ってきてるわよ。ふふ、やっと告白する気になった?」 電話を取ったグランマの明るい笑い声が聞こえた。 英、かな? わたちゃんも恥ずかしいけど、すぐるん…ってもっと恥ずかしいよ。 まして英は背が高くて男前だから。 顔立ちは悟くんにそっくりだけど、中身は悟くんよりちょっとワイルド。 学校でも、モテてモテてどうしようもなかった。 でも彼女はいなかったっけ。 『興味ないし』なんて、エラそうなこと言ってたけど。 「わたちゃん。すぐるんから電話よ」 なんの用だろ。 「久しぶり。どしたの」 『なんだよ、元気ないんじゃないか』 英はいつもこうだ。僕の調子をすぐに見抜く。 「なんともないよ。ちょっと眠いだけ」 こうして誤魔化すのもいつものこと。 『ふうん…』 「で、なんなの」 『ああ、俺、明日こっちを発って、そっち行くから』 へ? 「なんでこの時期に?」 いつもこっちへ来るのは夏休みだった。期間も長いし。 『俺も聖陵受かったから、そっち行くって言ってんの。渉、仮にも1年先輩なんだから、俺に色々アドバイスしろよ』 「誰が聖陵に来るって?」 『お・れ!』 「…え〜! な、何しに来るんだよ!」 『あのな、わざわざ遊びに行くヤツがあるか?』 まさか。 『って訳で、詳しくはそっち行ってからな。グランマに、お迎えよろしくって伝えといて。じゃあな』 言いたいことだけ勝手に喋って、英は一方的に電話を切った。 「すぐるん、何て?」 「…お迎えよろしくって…」 「うふふ。賑やかになるわね〜」 グランマは、歓迎のケーキは何にしようかしら〜なんて言いながら、キッチンに行ってしまった。 まさか、英がやってくるとは思わなかった。 だって、あっちで音楽院に行くと思いこんでたから。 それにしても、なんでわざわざ…。 翌々日、本当に英がやってきた。 なんだか、去年の夏に比べて、また背が伸びてるような気が…。 「なんだ、渉。痩せたんじゃないか?」 僕の顔をみるなり英は言った。 「英こそ、背、高くなってない?」 「まあな」 英はいつもこうだ。 僕のことは色々と言うのに、自分のことは全然言わない。 そして夜、英も大好きな、佳代子さんの美味しいご飯を食べたあと、2人で久しぶりにゆっくり話をした。 「え、英、音楽推薦で入ったわけ?」 なんでまた。 「そう。どうせ管弦楽部入るんだからな。渉だって、音楽推薦にしときゃよかったのに、なんで一般で入ったんだよ」 「…だって、管弦楽部に入るかどうかわかんなかったし」 「結局入ってるじゃないか」 「そりゃそうだけど…」 でも別にわざわざ推薦もらわなくても、入試は一緒だし。 「あのな、推薦で入ってりゃ、学費も寮費も半額なんだぞ」 「え、そうなの?」 「…呆れた、知らなかったのかよ」 「うん」 知らなかった…。もしかして、ちょっと親不孝しちゃったのかも。 「ま、父さんとしては、本当は中学から入れたかったらしいから、学費の件はあんまり関係ないけどな」 え、そんなこと初めて聞いた。 「僕、パパにそんなこと言われたことないよ」 「ああ、中学入試の段階では、『寮生活は無理です』ってドクターに言われたからってさ」 そんなに弱かったっけ、僕…。 「じゃあ、英だけでも中学から行けば良かったじゃないか」 英は小さい頃から健康優良児だったし。 「あのなあ、渉を置いていけるわけないだろう」 なに、それ。 「自分のチビの頃を思い出してみろよ。どんだけ俺の世話になってたと思ってんの」 …う。そりゃあ確かに英は色々と世話を焼いてくれたけど。 「で、でも、僕だってこの1年間寮生活して、ひとりでもしっかりやってきたよ。英に心配してもらうことなんて、もうないから、だから…」 いい加減兄のプライドもズタズタだったけど、ここで負けていては高校生活も英に牛耳られちゃうと思って、僕は必死で反撃を始めたんだけど…。 「ウソつけ。グランマが言ってたぞ。頼りになる素敵なお友達がたくさんいて、みんなわたちゃんのお世話してくれて、可愛がってくれてるのよ〜ってさ」 げ。 「入学したら、渉の世話して可愛がってくれてる『素敵なお友達』を紹介してくれよ」 「なんで」 「なんでって、出来の悪い兄貴が世話になってんだから、お礼言わなきゃだろ」 相変わらずクソミソに言われる僕だけど、僕に向かって『出来が悪い』ってはっきり言うのは英だけ。 だからかもしれない。僕は小さい頃から確かに、英に甘えて生きてきた。 僕は来月17才になるけれど、英はまだ14才。来週やっと15才になる。 学年は1つしか違わないけど、4月生まれと3月生まれなので、年齢は丸々2年離れてる。 なのに、体格は、10歳の頃に逆転してしまってからはどんどん差がついて、英は今や182cm…らしい。 僕は未だに165cmくらい。 僕が12歳頃にはすでに、英の方がお兄ちゃんだと思われていたくらいだ。 だから…ってわけでもないんだけど、僕は見た目通りに振る舞ってしまい、結局英が世話をしてくれる…っってことになっていったわけで…。 「ってさ、英」 「なに」 「ゆうちゃんは、英が来るの知ってるの?」 知らないわけ、ないか。 「知らないはずないだろ」 やっぱりね。ってことは、僕だけ知らなかったってこと? 「俺、去年の夏に祐介に相談したんだ。来年受験したいって。で、願書とか推薦状とか全部手配してもらったし」 「なんで僕が何にも知らないわけ?」 去年の夏だったら、僕もここにいたのに。 「ああ、内緒にしといてくれって頼んだから」 「どーして。なんで内緒なんだよ」 詰め寄る僕に、英は不機嫌な声で言う。 「渉、去年内緒にしたじゃないか」 え? そうだっけ?」 「受験に行く少し前まで黙ってただろ」 そんなこと、覚えてないけど。 「ま、仕返しってことだ」 「ひど〜い」 「自業自得って言うんだ」 って、その頭ぐりぐりやめてってば。 「あ、でも、英までこっちに来ちゃって、奏は大丈夫だった?」 「いや、もう大変でさ。どれだけ泣かれたか。渉も英もいなくなるって、泣いてわめいて大暴れ」 …やっぱり…。 「で、どうなった?」 「とりあえず、アニーと司が遊びに連れてってくれて、その日はごまかせたけど、まあ毎日ご機嫌取りしてるわけにも行かないしな。多分、父さんが大変なんじゃないか? ゴネて膝の上から降りない…とかやりそうだし」 「あるね…それ」 パパは奏には甘々だから。 「ま、もう少ししたら学校行き始めるから、新しい友達も出来るし気も紛れるんじゃないか?」 「そうか、そんな時期なんだ」 向こうのみんな、元気にしてるかなあ…。 なんかちょっと向こうが恋しい…かも。 「ところで渉、学校ちゃんとうまく行ってんのか?」 「なに、それ、どういう意味?」 何が聞きたいんだろ。 「苛められてたりしてないだろうな」 「ないよ、そんなの」 いじめはないな。周りでも聞いたことがない。 和真曰く、『いじめなんて頭の悪いやつがやることだって思ってるからね、みんな。 ま、時々勘違い野郎もいるけど、そんなヤツの方がバカにされるよ。その辺り、プライド高いんだよ、ここの生徒は』…ってことらしいけど。 「…ふうん」 「なんだよ」 探るような英の表情は、見慣れてはいるけれど。 「いや、なんか元気がないような気がしたから…さ」 …やっぱり英は鋭い。 僕はやっぱり、もうちょっとしっかりしなきゃダメだ。 今僕が抱えている感情を、絶対知られないようにしないと…。 なんか一層前途多難な気がする。 大丈夫かな…僕の高校2年目は…。 そうそう、英のことを、和真にだけはメールで知らせた。 びっくりマークだらけの返事が返ってきて、笑っちゃったけど。 そして、また桜の季節がやってきた。 |
第1部 END |
お待たせいたしました。最後にちらりと大魔王降臨です。
『おまけ小咄〜おじちゃまじゃないもん!』
「なあ、英」 「なに? 祐介」 「お前たちが僕たちを名前で呼ぶのはわかるんだけど…」 「ああ、ハタチでオジサマになっちゃった葵が、絶対『おじちゃま』なんて呼ばせない!…っつって、名前で呼ばせたって聞いたけど」 「それはいいけど、なんでお前はオジサマたちを呼び捨てなんだ? 渉も名前では呼んでるけど、『ちゃん』とか『くん』がついてるじゃないか」 「ああ、それね。文句だったら葵に言ってくれよ」 「えっ、それも葵の差し金かっ?」 「俺だってチビの頃は『葵ちゃん』とか呼んでたんだって。 けどさ、7,8歳の頃かなあ、俺に『葵…って呼び捨てでいいから』って言うんだ」 「どうしてまた…」 「悟にそっくりの顔で『葵ちゃん』って呼ばれることに抵抗があったらしいな」 「なんだそりゃ」 「そしたらさあ、昇までおんなじようなこと言い出したんだ。そうなったらもう、みんな平等に呼び捨てしないとマズいと思ったわけ。これでもオコサマなりに気をつかったんだぞ」 「…なるほどね」 「ま、そん時に横から父さんがさ、『悟とおんなじ顔に『パパ』って呼ばれる身になってみろ』なんつってさ。バカ受けしてたな」 あはは…と、まるで他人事のように笑い飛ばす英に、ゆうちゃん先生はドッと疲れたのでした。 そして。 ゆうちゃんと葵ちゃんの後日談。 「英が僕たちを呼び捨てするようになったって、葵の所為だって?」 「え〜。だってさあ、『チビ悟』の英に『葵ちゃん』とか呼ばれちゃったらもう、激萌えでさあ〜。甥っ子とアブナイ関係になってもヤバイじゃん?」 「……も、この話は一生封印」 「え〜なんで〜」 さらに激しく疲れたゆうちゃん先生でありましたとさ。 |
ちゃんちゃんv |
☆ .。.:*・゜