第8幕「Storm at early spring 〜春待ちの季節」
【4】
和真は部活が終わってから渉の姿を探していた。 そもそも今日は全員総出の雑用日なので、終わりの時間はまちまちだった。 ――どこ行っちゃったんだろ。 探している途中で、直也と桂に出くわした。 渉の行方を聞こうとしたのだが、やめた。 2人が視線を逸らしたからだ。 それを見て、和真はすぐに、寮へ帰った。 部屋に戻ってみれば案の定、渉のベッドが膨らんでいる。 きっと何かあったに違いない。 「渉…」 小さく声を掛けてみれば、掛け布団の中から声がした。 「…おかえり…。先に帰って、ごめん…」 「ううん、いいよ。それよりどうした? 気分悪い?」 出来るだけ優しく聞いてみる。 「…うん、ちょっとだけ。でも寝れば治るから…」 「そう? じゃあ、しんどくなったら言うんだよ?」 「……うん、ありがと…」 今はそっと見守る。けれど、注意深く。 その夜、渉は夕食に行きたくないと言った。 マズいことになりつつあるなと予感した。 そして、朝、予感は的中する。 起きてこない渉の布団を、小さく声を掛けながらそっと外すと、そこには一睡もしていなかったであろう、泣き腫らした目の渉がうつろに横たわっていた。 これはダメだ…そう思った。 とにかく登校させてはいけない。 「渉…保健室行こう」 「…ううん、大丈夫。ここで寝てる…」 声は届いているようでホッとした。 けれどこれ以上言っても無理だろうと感じ、和真は廊下へ出て、電話を取った。 「おはようございます。安藤です」 電話の向こうは担任の森澤東吾。 「渉の調子が悪そうなので、保健室に連れて行きます。もしかしたら朝礼遅れるかもしれません。いえ、大丈夫です。はい、お願いします」 寮まで行くと言われたが、渉が多分、この状態を見られたくないだろうと判断し、ひとりで大丈夫だと答えた。歩けないわけではないだろうから。 朝礼の時間が近くなり、寮内から人気が消える頃、渉をどうにか起こして、2人は寮を出た。 担任から連絡を受けて待っていた斎藤は、渉の顔を見て驚いた。 だが、それに関しては何も言わなかった。 このベテラン教師は、一目で精神的なものだと見抜いたからだ。 ただ、渉の場合は、心の錘が身体の不調に繋がりやすい。 だから何も言わず、ただ、静養室に入れてベッドに横たわらせ、小さな錠剤をひとつ、飲ませた。 側にいるからな…と、一言だけ声を掛けて。 「で、安藤は心当たりがあるのか?」 どうやら眠ったらしい渉の横で、静かな声で和真は尋ねられる。 「…関係したヤツはわかってますが、何があったのかはまだ把握していません」 「去年のようなことはないだろうな」 渉が問題児の部屋に引きずりこまれた件だ。 「いえ、そうではありません。ただ…」 「ただ?」 「あの時よりも、渉の負担は大きいと思います」 ややあって、斎藤は『そうか…』と呟いた。 「安藤には、何か打つ手があるのか?」 普通の生徒にこんなことを聞きはしない。 だが和真は特別だ。教師の誰もが、彼を対等に扱う。 それなりの中身をこの年齢ですでに備えている生徒だから。 「その前に、僕は渉の本心をまだ聞いてないんです。だから、昼休みにゆっくり話ができれば…と思っています」 これはもう、見ている場合ではないと、和真にもはっきりとわかっている。 だから、どうしても渉の気持ちが聞きたい。彼の、本当の想いを。 「わかった。じゃあ、また昼休みに来なさい。それまでは心配いらないから」 「ありがとうございます」 小さく頭を下げる和真の肩を優しく叩き、斎藤は、『お前も無理するなよ』と、声をかける。 見上げて『はい』と小さく頷いた和真が、一瞬、年齢相応の頼りなさを見せたことに、斎藤は、和真の負担の大きさも感じていた。 その頃1−Aでは朝礼が始まっていた。 教室内の誰もが和真と渉の姿がないことにざわついたが、担任が何も言わないので、仕方なく腰を落ち着けていると言った状態だ。 だた直也と桂は不安を募らせていた。 昨日の今日だ。 自分たちが犯したあのミスが、渉を追い詰めたに違いない。 今、2人はどこにいるのか。どうしているのか。 朝礼が終わる頃、和真だけが教室に現れた。 教室を出ようとした担任と何らかの会話を交わした後、自分の席に向かってやってくる。 「和真…」 「ちょっと」 直也と桂が両側から和真を捕まえて、廊下まで引っ張っていく。 他のクラスメイトには聞かれたくないから。 「なに?」 「渉、どうしたんだ?」 「大丈夫なのか?」 問われて和真は、その可愛い容姿に似つかわしくないほどきつい目をして言い放った。 「それ聞いてどうするの。友達に戻れないなら、渉に近づくなっ」 何が起こったか知らない以上、和真としてもこれが最良の対応なのかはわからない。 しかし、言わずにはいられなかった。 渉は一晩、声も上げずに泣き続けたのだ。 それはまさしく、渉の心の悲鳴ではないのか。 そんな悲鳴をあげさせたのは、お前らだろう…と。 全身に怒りをみなぎらせている和真に、2人は顔を見合わせてから、昨日の出来事を語った。 悪いのは、自分たちだと。 和真はグッと拳を握ってから、大きくため息をついた。 「…っとに、こんなにバカだとは思わなかった…。 あんたたち、100年くらい廊下で立ってたら?」 言われて直也と桂は、100年で許されるのなら、立っていたい気分になる。 「そうそう、いつまでも意地になって護ってもらわなくてもいいんだよ。渉は僕が護るから」 渉のためにならないのなら、排除する。 そう決めていた。ずっと前から。 直也と桂が、唇を噛んだ。 ☆ .。.:*・゜ 授業なんて、もうどうでもよかった。 昼休みになった途端、和真は駆けだした。 背中に直也と桂の視線を感じたが、それもどうでもいい。 駆けつけた保健室のベッドで、渉は目を覚ましてぼんやりと天井を見上げていた。 涙は止まっているようだ。 「渉…」 そっと声をかけると、緩慢な動作でこちらを見る。 「どう、気分は」 「…ん、大丈夫。ごめん、心配かけて…」 言葉にまるで力が無い。 「何言ってんの。僕ら、親友だろ?」 笑ってみせると、渉もほんの少し微笑んだ。 「少し、話がしたいんだけど、大丈夫かな」 額にかかった髪を、そっと除け、そのまま柔らかく頭を撫でる。 「うん…。僕も、和真に聞いて欲しいなって思ったんだ」 その言葉に、和真はかなり安堵する。 全部かどうかはわからないけれど、話す気になってくれただけでも事態は前向きになる。 「直也と桂に告白されたろ?」 「…和真、知ってたんだ」 「そりゃね、あいつらとは長いつき合いだし、渉のことを好きになってから、浮かれ放題のバカ丸出しだったし」 ボロクソの言われように、渉がほんの少し笑う。 「返事をね、欲しいって言われたんだ」 「うん」 「僕は考えたんだ。ずっと、何度も」 「うん」 「何度も何度も考えたけど、やっぱり、『NO』って言うしかなかったんだ」 やはり、和真が懸念していた、最悪の事態になっていたのだ。 「それで、僕は2人を傷つけた。だから、仕方が無いんだ。何もかも、僕が悪いんだから」 それは違うだろうと思った。 それに、何かがおかしい。話がぴたっと収まっていない感じがする。 「ねえ、渉」 「ん?」 「渉が2人共に『ごめんなさい』したのは、2人のことが、ええと…そう言う意味で、好きになれなかったから?」 和真の問いに渉は緩く頭を振った。 「ううん。好き、だったよ。ずっと一緒にいたいと思うくらい…大好きだった…」 やはりそうなのだ。 渉は『もうひとり』に配慮したのだ…と和真は確信したのだが。 「渉は振られる方が可哀相だと思っちゃったんだね」 そう言うと渉は、『え?』と小さく呟いて目を大きく瞠った。 まただ。何か座りの悪い感じがする。 やっぱり話がどこかずれている。 「もしかして、違うの?」 「なんの、こと?」 渉は本当に理解していないように見える。 「あのね。渉がどちらかひとりが好きで、その手を取ってしまったら、もうひとりは振られちゃうだろ? でも直也と桂は親友同士だ。2人の友情が壊れるくらいなら、自分が身を引こう…って思った…んじゃないの?」 どうにか分かり易いように説明してみたら、渉は『あ…』っと声を上げて視線を伏せてしまった。 ――違うんだ…。じゃあ、どういうこと? 「渉…渉」 少しだけ、肩を揺さぶってみる。 「ね、本当の気持ち、教えて」 渉は今度は激しく頭を振った。 「ううん、ダメ」 「どうして?」 「…和真に…」 「僕に?」 「……和真に軽蔑されたくない」 あまりに意外な言葉を聞いて、和真が大きく目を瞠る。 どうしてそんな展開になるのか、全くわからない。 「どうして? 僕が渉を軽蔑するなんてこと、絶対あるわけないじゃない」 「ううん、絶対ダメ。僕は…僕は…」 大粒の涙がボロボロとこぼれてきた。 「和真まで無くしたくないんだっ」 この一言で、和真は渉の傷が、想像よりずっと深いことに気がついた。 そして、確信した。 渉は直也と桂を失ったと思っている。 つまり、失いたくなかったのだ。 ではなぜ、どちらも選ばれなかったのか。 2人共が『No』と言われねばならなかったのか。 話が見えない。 「僕はどんなときも、最後まで渉の味方だよ」 渉が泣き濡れた瞳を向けてきた。 「約束するよ。絶対に、渉の味方だから」 「和真…」 渉がついに、重い口を開いた。 |
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